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三時間目 妄想と現実

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 もう少しで二年四組に着くという時に、隣のクラスの生徒たちが向かいから走ってきた。つい先ほどの授業は体育だったのだろう。ジャージ集団が横を通るたびに汗のにおいもすれ違う。
 一応、籐矢も先生という立場なので廊下は走るなよ、と一言かけるが、休み時間もそろそろ終わりを告げそうなのだ。走らないと準備が間に合わないのだろう。
 特に二年担当の体育教師、野田先生は、時間をオーバーしてでもキリの良いところまで進めるタイプの先生だった。それで籐矢が担当する数学にも間に合わなかったことが何度かある。かといってそれを野田先生に伝える勇気は持ち合わせていなかったが。

 約一クラス分の生徒とすれ違い、そして最後尾に遅れてぽつんと歩いていた生徒と目があった。いや、正確に言えば目ではない。彼は前髪で目が隠れてしまっている。
 しかもジャージの裾で顔の汗を拭っている彼の脇腹がちらりと見えてしまった。そこには縦に三つ並んだホクロと、大きめのキスマークがあったのだ。

 籐矢は驚嘆して彼の顔を見る。どこを見ているのか分からない。感情も全く読めなかった。
 周りには友だちやクラスメートもいなく、明らかに地味なタイプの生徒だった。正直、あのマオとそっくりなホクロとキスマークを目撃したというのに、彼がマオ本人だとは到底結びつかない。ありえない。籐矢は思わず足を止めていた。

「お前……確か三組の真城ましろだろう?」
「そうですけど……」
「それ……あ、いや、何でもない」

 籐矢は視線をキスマークから外し、口を噤む。なんと説明していいのか分からなかったのだ。お前、まさかゲイなのか?とか、裏垢作ってセックスしてるのか?などと聞けるはずもない。
 というか、そんな質問をぶつけるのはこちらにも妙な誤解を生みかねない。もし質問をして違っていた場合のことを考えると、教師人生が終わってしまう可能性だってある。

「…先生、これ、気になります?」

 籐矢の視線を感じ取ったのだろう、生徒の真城は指でジャージとTシャツを持ち上げた。
 その仕草がマオのアイコンと重なって見えて、籐矢は気づかぬ内に生唾を飲み込んでいた。

「いや…………不純異性交遊もほどほどにしろ。ましてやそれを先生に見せつけるなどもっての外だ」
「不純異性・・交遊じゃないですよ、これ」

 真城は籐矢を見上げる。相変わらず表情が分かりにくいが、うっすら笑ってるように思えた。
 確かマオのプロフィールに身長170cmと書いてあったことを思い出した。そして真城も多分それくらいの身長のような気がする。籐矢は詰められていく真城との距離に、内心焦りを感じていた。

「蚊に刺されただけです。じゃあ俺、遅れたら嫌なので行きますね」

 真城はすぐ横を通って三組の教室に入っていく。
 たかが一生徒。ガタイが良いわけでも、怖い顔したヤンキーだというわけでもない、普通の地味な生徒だ。だというのに、さっきの数秒間、捕食されてしまう寸前の小動物のように身動きがとれなくなってしまっていた。圧力、というか、圧倒的な経験の差とでもいうのだろうか。

「……今は冬なんだがな」

 籐矢が肌寒い廊下で呟いた言葉は、誰に聞かれることもなく消えていった。




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