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マリアンヌ編
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「明日からは原料の入手先と、そもそもなぜクスリを作るに至ったかの経緯を調べよう。豪遊していたことはわかっているが資金の動きも知りたい。ノーマン君、これからのキミは驕ることなく仕事に打ち込んでくれるものと信じている」
「…本当に申し訳ありませんでした」
「謝るのは僕にじゃないだろう。結果的にはうまく運んだのだから文句はないよ。驕り昂る悪癖も若いうちに矯正されて良かったじゃないか。期待してるよ、これからのキミに」
ナディールの容赦ない言葉の鞭に力なく項垂れるノーマンを不思議そうに見たナディールは、
「夕食はこの部屋の隣の部屋になるから。19時になったらマリアンヌちゃんと一緒においで」
と言ってソファから立ち上がった。
「僕、第3部隊隊長室の修繕状況見てくるから。ちなみに修繕費はガイアス君が出してくれるらしいよ。仕事とは言え押しつけて悪かったな、って」
そう言って姿を消したので、ノーマンもマリアンヌの元に戻ることにした。まだ眠っているだろうか。
部屋の扉を開け、さらに寝室に繋がる扉をそっと開くと、マリアンヌはまだ眠っているようだった。近づいて髪の毛を撫でる。柔らかいアッシュグリーンの髪の毛からは、ノーマンが好きなマリアンヌの匂いがした。マリアンヌの心が自分から離れてしまっている今、これからは毎晩一緒にいられて、しかも妊娠中なのはノーマンにとってツラくはあるもののありがたいことだった。カラダだけを欲しているわけではない、自分は(しばらくの間ならば…たぶん)マリアンヌが大事なのだということをマリアンヌがわかってくれるまでセックスも我慢できる(物理的にできないわけだが)ということを証明したかった。
「…今日は、してもらっちゃったけど…ありがとう、リア」
コツン、とマリアンヌの額に自分の額をくっつけたノーマンは、じっとマリアンヌの顔を見つめた。もう絶対に、こんなバカげたことで泣かせたりしない。マリアンヌと腹の子どもの幸せは自分が守ってみせる。その時、フルリと震えて、マリアンヌがうっすらと目を開けた。
「…ノーマンさま」
「おはよう、リア、カラダ大丈夫か?」
マリアンヌはトロリとした瞳のまま、ノーマンを見てフニャリと微笑んだ。
(か、…か、かっわ…!?)
内心悶えているノーマンにはもちろん気付かないマリアンヌは、布団から手を出すとノーマンのカラダに手を回しグッ、と自分に引き寄せた。
「リ、リア、」
「ノーマンさま、さむいですよ、なかに、はいって」
「え」
グイグイ引っ張られて慌てて隣に潜り込むと、マリアンヌはピッタリと抱き付いてきた。触れているところがあったかい。
「ほら、つめたいですね…あっためて、あげま、…」
ノーマンの背中に回ったマリアンヌの手が、二、三度往復してパタリと垂れる。またすぅすぅ寝息をたてるマリアンヌに、ノーマンは自分の顔が赤くなるのを感じた。
(可愛いのは当たり前すぎるくらいにわかってたけど、こんなにも凶悪的に可愛いとは…)
自分の理性の限界値を超えそうで、ノーマンは深くため息をつきマリアンヌを優しく抱き締めた。
「リア、愛してる」
この状態であまり言うと、マリアンヌの心に負担をかけるかもしれない。だから、あまりたくさん、…わざとらしく思われるのもイヤなので、今まで通りの回数で我慢しようと心に決めた。
「でも、…リアが寝てる間は、いいよな…リア、愛してるよ…愛してる。大好きだ」
マリアンヌのほんのり赤く染まる温かな頬に唇を落としたノーマンは、マリアンヌの体温につられていつの間にか眠りに落ちた。
(あれ…?)
目を覚ましたマリアンヌは、傍らで寝息をたてるノーマンを見て目をしばたかせた。結婚してからこんなふうに一度も隣で眠ったことがなかったのでとても新鮮に感じ、マリアンヌは自分を抱き込むようにして眠るノーマンの顔をそっと見上げた。
目の下にうっすらと隈ができている。結婚する前も、結婚した後も、ノーマンの仕事について詳しく聞いたことがなかった。つい昨日、ナディールに言われるまで、マリアンヌはノーマンを城に勤める文官だと思っていたのだ。毎朝着用する制服もそうだった。まさか諜報部に所属しているとは夢にも思わなかった。
(私、なんにも知らないで生きてきたんだなぁ…)
前回のあの日、何も行動を起こさずに部屋に戻ったマリアンヌは、次の朝何事もなかったように自分に触れてくるノーマンにとても傷ついた。自分が言わないことは棚に上げて、マリエラを抱きながら平然としているノーマンに対して、信頼する心がなくなった。あの時、「嫌いだ」と思えたら、…ノーマンを完全に見切ることができたら、また未来は変わっていたのかもしれない。しかしマリアンヌは、ノーマンへの気持ちを捨てきれずに苦しんだ。夜、いつものように…当然のようにマリアンヌの寝室を訪れ行為に及ぼうとするノーマンに絶望しつつ、なんとか避けるために妊娠を告げると、ノーマンは何も言わず表情を硬くして出ていき、翌朝、仕事に出ようとしたマリアンヌに「キミは昨日付けで退職した」と告げ、
「今日からはずっと家にいるように」
と短く告げた。
「な、ぜですか、」
「腹の子に何かあったらどうするんだ。キミは、…ジェンキンス侯爵家の跡取りに何かあったら、責任が取れるのか」
マリアンヌの体調を慮る訳でもなく、「跡取り」と言われてマリアンヌはカッ、と頭に血が昇るのを感じた。私が宿した子どもを、跡取りになど思ってもいないくせに…!
「夫であっても、そんな勝手なこと赦されないはずです…!私、自分で取り消して参ります!」
「マリアンヌ!」
いきなり頬に焼けるような痛みが走る。ノロノロと視線を向けると、自分の手を見て呆然とするノーマンが目に入り、自分がいま、ノーマンに叩かれたのだということに気付いた。
「…すまない」
「まあ、マリアンヌさんたら。ノーマンが出掛ける前に何をしているの?邪魔をするなんて妻としてどうなのかしら。ノーマン、だからマリエラを」
「…失礼します」
踵を返したマリアンヌの背に「マリアンヌ…ッ!」とノーマンの焦ったような声がかかったが、それ以上追ってくることはなかった。
部屋に閉じ籠り一日鬱々と過ごしたマリアンヌの耳に、またマリエラの声が聞こえてくる。食事の時間だとわかっていたが、マリアンヌは出ていく気になれずそのまま部屋にいた。その夜、ノーマンは寝室を訪れなかった。そこから溝ができ、マリアンヌはノーマンと顔を合わせるのを意図的に避けるようになった。
話し合いもせずいるうちに、マリエラが妊娠したと告げられた。他ならぬ、ノーマンによって。
久しぶりにマリアンヌの寝室に訪れたノーマンは、真っ青な顔をしていた。
「…マリエラを、抱いてしまって、…子どもが、できた。もう、堕胎もできず、このまま、産むしかない」
「離縁してください」
マリアンヌの言葉に顔を歪めたノーマンは、
「俺は、いつマリエラを抱いたかも覚えていないんだ!…絶対にキミとは離縁しない。離縁したところでキミはその子どもを抱えてどうやって生きていくつもりだ?その子どもはジェンキンス侯爵家の子どもだ、キミが好き勝手できる存在ではないんだ」
「マリエラ様を妻になさればいいではありませんか!」
マリアンヌの言葉に「そんなことできるか」と吐き捨てるように言ったノーマンは、
「俺の妻はキミだ。絶対に離縁しない。…マリエラの産む子どもは、我が家で、我が家の子どもとして迎えるしかない」
と言うと、
「マリエラとは今後接触することは許さない。母上にもキツく言っておくから、キミはこの部屋から絶対に出るな。…俺の妻なのだから、そのくらい我慢できるだろ」
と踵を返した。
パタン、と閉まる扉の音に、マリアンヌは自分の視界が滲むのを感じた。ジェンキンス侯爵家の醜聞を隠すために、私という存在が必要だということか。その夜から、マリアンヌは一層頑なになり、ノーマンが部屋を訪ねてきても「出るなと仰いました」と拒絶し続けた。
そのまま、苦しい日々が続き、ついに陣痛が起きたマリアンヌは、自室で子どもを産むことにした。ノーマンにも、義母にも、会いたくなかった。苦しくて痛みに泣き叫びたくとも必死に耐えた。ノーマンに部屋の外から呼びかけられても、絶対に返事をしなかった。
「マリアンヌ、入れてくれ、部屋に、」
何度も繰り返すノーマンに、マリアンヌの心は冷えていくばかりだった。このまま儚くなるならそれでも構わないと思ったのに、結局子ども共々この世に残ってしまった。
娘が生まれて、産婆と入れ違うように部屋に入ってきたノーマンに手を取られ、「マリアンヌ、疲れただろう、ありがとう、」と言われたが、マリアンヌは何も答えなかった。今まで散々時間があったのに、マリアンヌが避けたからと関係の修復に努めようとしなかったノーマンの気持ちをイヤというほど思い知らされたから。誰に取り繕う必要もないのに、わざわざそんなことを言うノーマンを、マリアンヌはその時初めて「イヤだ」と思った。それまで、拒絶の気持ちも嫌いだという気持ちもなく、だからこそ苦しんだのだが、その日からマリアンヌはノーマンのことでも自分のことでも一切感情が動かなくなった。
追いかけるようにマリエラが息子を産んだと知らされ、自分が産んだ娘がもう侯爵家にいないと言われたとき、マリアンヌはすべてを諦めた。マリエラに、義母に、ノーマンに何を言われても、マリアンヌの冷たく凍った心は動かなくなった。
「マリアンヌ、母上が亡くなった。…今日から、この子をジェンキンス侯爵家の跡取りとして育てる。キミの産んだ娘のシャロンだよ、…キミと、俺の子どもだ。シャロン、おまえの母上だよ」
対面させられたシャロンは、マリアンヌの顔を見て酷く泣き叫んだ。
「こんなとこ、きらい、おうちに、かえりたい、ママ!ママ!どこ!?ママ!」
「おまえのママだよ、」
「ちがう!ママじゃない!」
固く凍った心が、シャロンの言葉に粉々に砕かれて、…そしてマリアンヌは、あの日シャロンを永遠に失ってしまったのだ。
ノーマンの寝顔を見て、あの時のツラく、苦しかった気持ちが甦ってくる。ノーマンを愛してはいるが、シャロンの未来同様、ノーマンとの未来を手放しで信じることはできない。不確かな気持ちに、シャロンの未来を掛けることはできない。
そんなふうに考えていると、ノーマンの瞼がゆっくりと開いた。
「…リア」
「ノーマン様、…よく、眠れましたか?」
うん、と頷いたノーマンは、
「リアもよく眠れたか」
と微笑んだ。その笑顔を見て、マリアンヌは胸がキュッと痛むのを感じた。
「…本当に申し訳ありませんでした」
「謝るのは僕にじゃないだろう。結果的にはうまく運んだのだから文句はないよ。驕り昂る悪癖も若いうちに矯正されて良かったじゃないか。期待してるよ、これからのキミに」
ナディールの容赦ない言葉の鞭に力なく項垂れるノーマンを不思議そうに見たナディールは、
「夕食はこの部屋の隣の部屋になるから。19時になったらマリアンヌちゃんと一緒においで」
と言ってソファから立ち上がった。
「僕、第3部隊隊長室の修繕状況見てくるから。ちなみに修繕費はガイアス君が出してくれるらしいよ。仕事とは言え押しつけて悪かったな、って」
そう言って姿を消したので、ノーマンもマリアンヌの元に戻ることにした。まだ眠っているだろうか。
部屋の扉を開け、さらに寝室に繋がる扉をそっと開くと、マリアンヌはまだ眠っているようだった。近づいて髪の毛を撫でる。柔らかいアッシュグリーンの髪の毛からは、ノーマンが好きなマリアンヌの匂いがした。マリアンヌの心が自分から離れてしまっている今、これからは毎晩一緒にいられて、しかも妊娠中なのはノーマンにとってツラくはあるもののありがたいことだった。カラダだけを欲しているわけではない、自分は(しばらくの間ならば…たぶん)マリアンヌが大事なのだということをマリアンヌがわかってくれるまでセックスも我慢できる(物理的にできないわけだが)ということを証明したかった。
「…今日は、してもらっちゃったけど…ありがとう、リア」
コツン、とマリアンヌの額に自分の額をくっつけたノーマンは、じっとマリアンヌの顔を見つめた。もう絶対に、こんなバカげたことで泣かせたりしない。マリアンヌと腹の子どもの幸せは自分が守ってみせる。その時、フルリと震えて、マリアンヌがうっすらと目を開けた。
「…ノーマンさま」
「おはよう、リア、カラダ大丈夫か?」
マリアンヌはトロリとした瞳のまま、ノーマンを見てフニャリと微笑んだ。
(か、…か、かっわ…!?)
内心悶えているノーマンにはもちろん気付かないマリアンヌは、布団から手を出すとノーマンのカラダに手を回しグッ、と自分に引き寄せた。
「リ、リア、」
「ノーマンさま、さむいですよ、なかに、はいって」
「え」
グイグイ引っ張られて慌てて隣に潜り込むと、マリアンヌはピッタリと抱き付いてきた。触れているところがあったかい。
「ほら、つめたいですね…あっためて、あげま、…」
ノーマンの背中に回ったマリアンヌの手が、二、三度往復してパタリと垂れる。またすぅすぅ寝息をたてるマリアンヌに、ノーマンは自分の顔が赤くなるのを感じた。
(可愛いのは当たり前すぎるくらいにわかってたけど、こんなにも凶悪的に可愛いとは…)
自分の理性の限界値を超えそうで、ノーマンは深くため息をつきマリアンヌを優しく抱き締めた。
「リア、愛してる」
この状態であまり言うと、マリアンヌの心に負担をかけるかもしれない。だから、あまりたくさん、…わざとらしく思われるのもイヤなので、今まで通りの回数で我慢しようと心に決めた。
「でも、…リアが寝てる間は、いいよな…リア、愛してるよ…愛してる。大好きだ」
マリアンヌのほんのり赤く染まる温かな頬に唇を落としたノーマンは、マリアンヌの体温につられていつの間にか眠りに落ちた。
(あれ…?)
目を覚ましたマリアンヌは、傍らで寝息をたてるノーマンを見て目をしばたかせた。結婚してからこんなふうに一度も隣で眠ったことがなかったのでとても新鮮に感じ、マリアンヌは自分を抱き込むようにして眠るノーマンの顔をそっと見上げた。
目の下にうっすらと隈ができている。結婚する前も、結婚した後も、ノーマンの仕事について詳しく聞いたことがなかった。つい昨日、ナディールに言われるまで、マリアンヌはノーマンを城に勤める文官だと思っていたのだ。毎朝着用する制服もそうだった。まさか諜報部に所属しているとは夢にも思わなかった。
(私、なんにも知らないで生きてきたんだなぁ…)
前回のあの日、何も行動を起こさずに部屋に戻ったマリアンヌは、次の朝何事もなかったように自分に触れてくるノーマンにとても傷ついた。自分が言わないことは棚に上げて、マリエラを抱きながら平然としているノーマンに対して、信頼する心がなくなった。あの時、「嫌いだ」と思えたら、…ノーマンを完全に見切ることができたら、また未来は変わっていたのかもしれない。しかしマリアンヌは、ノーマンへの気持ちを捨てきれずに苦しんだ。夜、いつものように…当然のようにマリアンヌの寝室を訪れ行為に及ぼうとするノーマンに絶望しつつ、なんとか避けるために妊娠を告げると、ノーマンは何も言わず表情を硬くして出ていき、翌朝、仕事に出ようとしたマリアンヌに「キミは昨日付けで退職した」と告げ、
「今日からはずっと家にいるように」
と短く告げた。
「な、ぜですか、」
「腹の子に何かあったらどうするんだ。キミは、…ジェンキンス侯爵家の跡取りに何かあったら、責任が取れるのか」
マリアンヌの体調を慮る訳でもなく、「跡取り」と言われてマリアンヌはカッ、と頭に血が昇るのを感じた。私が宿した子どもを、跡取りになど思ってもいないくせに…!
「夫であっても、そんな勝手なこと赦されないはずです…!私、自分で取り消して参ります!」
「マリアンヌ!」
いきなり頬に焼けるような痛みが走る。ノロノロと視線を向けると、自分の手を見て呆然とするノーマンが目に入り、自分がいま、ノーマンに叩かれたのだということに気付いた。
「…すまない」
「まあ、マリアンヌさんたら。ノーマンが出掛ける前に何をしているの?邪魔をするなんて妻としてどうなのかしら。ノーマン、だからマリエラを」
「…失礼します」
踵を返したマリアンヌの背に「マリアンヌ…ッ!」とノーマンの焦ったような声がかかったが、それ以上追ってくることはなかった。
部屋に閉じ籠り一日鬱々と過ごしたマリアンヌの耳に、またマリエラの声が聞こえてくる。食事の時間だとわかっていたが、マリアンヌは出ていく気になれずそのまま部屋にいた。その夜、ノーマンは寝室を訪れなかった。そこから溝ができ、マリアンヌはノーマンと顔を合わせるのを意図的に避けるようになった。
話し合いもせずいるうちに、マリエラが妊娠したと告げられた。他ならぬ、ノーマンによって。
久しぶりにマリアンヌの寝室に訪れたノーマンは、真っ青な顔をしていた。
「…マリエラを、抱いてしまって、…子どもが、できた。もう、堕胎もできず、このまま、産むしかない」
「離縁してください」
マリアンヌの言葉に顔を歪めたノーマンは、
「俺は、いつマリエラを抱いたかも覚えていないんだ!…絶対にキミとは離縁しない。離縁したところでキミはその子どもを抱えてどうやって生きていくつもりだ?その子どもはジェンキンス侯爵家の子どもだ、キミが好き勝手できる存在ではないんだ」
「マリエラ様を妻になさればいいではありませんか!」
マリアンヌの言葉に「そんなことできるか」と吐き捨てるように言ったノーマンは、
「俺の妻はキミだ。絶対に離縁しない。…マリエラの産む子どもは、我が家で、我が家の子どもとして迎えるしかない」
と言うと、
「マリエラとは今後接触することは許さない。母上にもキツく言っておくから、キミはこの部屋から絶対に出るな。…俺の妻なのだから、そのくらい我慢できるだろ」
と踵を返した。
パタン、と閉まる扉の音に、マリアンヌは自分の視界が滲むのを感じた。ジェンキンス侯爵家の醜聞を隠すために、私という存在が必要だということか。その夜から、マリアンヌは一層頑なになり、ノーマンが部屋を訪ねてきても「出るなと仰いました」と拒絶し続けた。
そのまま、苦しい日々が続き、ついに陣痛が起きたマリアンヌは、自室で子どもを産むことにした。ノーマンにも、義母にも、会いたくなかった。苦しくて痛みに泣き叫びたくとも必死に耐えた。ノーマンに部屋の外から呼びかけられても、絶対に返事をしなかった。
「マリアンヌ、入れてくれ、部屋に、」
何度も繰り返すノーマンに、マリアンヌの心は冷えていくばかりだった。このまま儚くなるならそれでも構わないと思ったのに、結局子ども共々この世に残ってしまった。
娘が生まれて、産婆と入れ違うように部屋に入ってきたノーマンに手を取られ、「マリアンヌ、疲れただろう、ありがとう、」と言われたが、マリアンヌは何も答えなかった。今まで散々時間があったのに、マリアンヌが避けたからと関係の修復に努めようとしなかったノーマンの気持ちをイヤというほど思い知らされたから。誰に取り繕う必要もないのに、わざわざそんなことを言うノーマンを、マリアンヌはその時初めて「イヤだ」と思った。それまで、拒絶の気持ちも嫌いだという気持ちもなく、だからこそ苦しんだのだが、その日からマリアンヌはノーマンのことでも自分のことでも一切感情が動かなくなった。
追いかけるようにマリエラが息子を産んだと知らされ、自分が産んだ娘がもう侯爵家にいないと言われたとき、マリアンヌはすべてを諦めた。マリエラに、義母に、ノーマンに何を言われても、マリアンヌの冷たく凍った心は動かなくなった。
「マリアンヌ、母上が亡くなった。…今日から、この子をジェンキンス侯爵家の跡取りとして育てる。キミの産んだ娘のシャロンだよ、…キミと、俺の子どもだ。シャロン、おまえの母上だよ」
対面させられたシャロンは、マリアンヌの顔を見て酷く泣き叫んだ。
「こんなとこ、きらい、おうちに、かえりたい、ママ!ママ!どこ!?ママ!」
「おまえのママだよ、」
「ちがう!ママじゃない!」
固く凍った心が、シャロンの言葉に粉々に砕かれて、…そしてマリアンヌは、あの日シャロンを永遠に失ってしまったのだ。
ノーマンの寝顔を見て、あの時のツラく、苦しかった気持ちが甦ってくる。ノーマンを愛してはいるが、シャロンの未来同様、ノーマンとの未来を手放しで信じることはできない。不確かな気持ちに、シャロンの未来を掛けることはできない。
そんなふうに考えていると、ノーマンの瞼がゆっくりと開いた。
「…リア」
「ノーマン様、…よく、眠れましたか?」
うん、と頷いたノーマンは、
「リアもよく眠れたか」
と微笑んだ。その笑顔を見て、マリアンヌは胸がキュッと痛むのを感じた。
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