あなたを守りたい

蜜柑マル

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マリアンヌ編

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悶々としたまま朝食を終えたところに、ナディールが入ってきた。

「マリアンヌちゃん、おはよう。よく眠れたかい」

「お、おはようございます、エイベル長官、朝食、美味しくいただきました」

緊張してガチガチになりながら答えるマリアンヌを見て、ふ、と笑ったナディールは、

「僕はそんな偉くもなんともないんだから、緊張しなくていいんだよ」

と言うと、マリアンヌの向かい側に腰を降ろした。

「マリアンヌちゃん、とりあえず午後になったらノーマン君をここに連れてくる」

グッ、と息が詰まったようになるマリアンヌに「ごめんね」と頭を下げたナディールは、

「ノーマン君がもう限界に近くて。マリアンヌちゃんに会わせてもらえないなら母親も従妹も二人の実家の人間も全員ぶっ殺して幕引きにする、なんて言い出してさ。これから証拠と突き合わせてすべて間違いなく事実を明らかにしなくちゃならないのに…僕とハルト君とジェライト君あたりなら彼を押さえ込んでおけるんだけど、他の人間にはちょっと無理なレベルなんだよね、ノーマン君、ぶちギレちゃってるから。今はライト君に代わってもらったんだけど、昨夜みたいに離れてる状態でのシールドは破られちゃいそうで、でも僕もハルト君もライト君も家に帰らないっていう選択肢はよほどの事案じゃない限りあり得ないから…申し訳ないけど、ノーマン君の理性を取り戻すために会ってやって欲しいんだ」

淡々と「どうでもいい案件」と言われて、しかしながらナディールにはまったく悪気がないと気付いてしまっているからマリアンヌは笑うしかなかった。昨日からヴェルデをはじめ、いろんな人を巻き込んでしまっている。単なる離縁話で終わるはずだったのにこうなってしまった以上、当事者である自分が逃げるわけにはいかないだろう。ただ、なぜそんなにも、…理性を失うほどにノーマンが自分を求めるのかは理解ができなかった。確かに大切に扱われてはいたが、そんなにマリアンヌに執着している様子は感じられなかったのに。

「会えばわかるよ」

とニコリと微笑む無機質な赤い瞳に、マリアンヌは頷くしかなかった。

ジェンキンス侯爵家は犯罪の現場として証拠保全の対象になっており、しばらくは立ち入ることができないと言われ、ナディールには「しばらくこの家でノーマン君と生活しなさい」と告げられた。

「…ノーマン様と、ですか?」

「うん。ノーマン君はマリアンヌちゃんから離れるとおかしくなるから、おかしくならないように側にいてあげて」

と言われる。

「あの、私は、ノーマン様と離縁を、」

「うん、わかるんだけど、いま離縁って言ったらたぶんこの家吹き飛んじゃうから少しだけ我慢して」

…なんだかいろいろなものを人質(モノ質?)に取られて脅されているように思えてきたが、マリアンヌは大人しく頷くしかなかった。当初の予定ではしばらく魔術師団の団員宿舎で生活させてもらいながら外に新しく部屋を借りるつもりでいたのだが。

「あの、生活費などはどうしたら」

「この家には高級取りがたくさんいるの。生活費なんて必要ないんだよ。生活費を出す代わりにノーマン君の面倒を見てくれればいいから」

と言われて、もうどうしようもなくマリアンヌは諦めることにした。今すぐ離縁しなくても、昨日ナディールが言ったようにシャロンが生まれてすぐ養子に出されるような心配はまずない。もしかしたらノーマンに取り上げられるかもしれないが、その時こそ逃げればいい。

(カーディナルにはいられないだろうけど…)

そうなったら他国に新しい道を探さなくてはならない。シャロンが生まれるまでの約10カ月で、ノーマンと話し合いで済ませられることを願うしかないだろう。

午後1時を回ったと同時に、ジークハルトが戻ってきた。グルグルと縄で拘束された上に魔力封じの腕輪を嵌められたノーマンを連れて。

「ナディール叔父上、最初からこの腕輪使えば良かったじゃないですか!」

「貸し出しの許可出るまで時間かかるし、前にハルト君もぶっ壊したじゃん。いまのノーマン君もぶっ壊しそうだからさぁ。弁償するのは魔術師団だからね」

「なぜ!?なぜですか!?ノーマン君は魔術師団の団員ではありません!」

「でも腕輪申請したのハルト君だから」

二人のやり取りの間にも、フーッ、フーッ、と荒い息を吐いて身を捩るノーマンの目は血走っており、唇からは涎が垂れていた。その目が一点を捕らえギラリと煌めく。

「リアッ!!」

叫んだノーマンはマリアンヌに向かおうとするが、平然とするジークハルトから離れることができない。

「は、なせぇ…っ!」

「ノーマン君、離したらキミ、マリアンヌさんを襲う気だろ?ダメだよ。マリアンヌさん、ノーマン君に大事な話があるだろう?」

大事な、話…?

さっきナディールには「離縁の話はしばらくするな」と言われたばかりだ。戸惑うマリアンヌに、「まだ、ノーマン君に告げてないんだろう?キミのカラダのことだよ」と言われてハッとする。

「で、も、」

「ごまかして逃げようとしてもまず無理だし、ほら、見てごらん、ノーマン君を。訳がわからない状態なんだよ、ノーマン君の頭にあるのは、キミを犯したい、閉じ込めてもうどこにも逃がさないってことだけだよ。無茶苦茶にされていいの?」

相変わらず血走った目でマリアンヌだけを見据えるノーマンの口からは、肉食獣のような唸り声が洩れている。犯す、なんて、ノーマンにはまったく似つかわしくない言葉だが、目の前のノーマンはまったく知らない男に見えた。ギラギラと獲物を狙う獣のような雄の圧。

「…ノーマン、さま、」

「リア、こっちに、こっちに来い、…違う、来てくれ、俺が、俺が悪かったんだ、だけど、離縁なんてイヤだ、離縁するくらいなら一緒に死ぬ!早く、早くこっちに、…俺のところに来い!逃げないでくれ、頼むから!キミに捨てられたら俺は生きていけない!間違いを犯した、謝っても謝りきれない、だけど、だけど、赦さなくていいから、俺を側に置いてくれ!いなくならないでくれ、リアッ!!」

マリアンヌを見据えるノーマンの青い瞳からボタボタと涙が零れ落ちる。

「ノーマン様、私、」

「リアッ!来てくれ、俺に、触ってくれ、リア!」

震える足で近づくと、更に息が荒くなり涙とともに涎が零れ落ちるのが見える。

「リアッ」

「ノーマン様、私、子どもができたんです」

ジークハルトからなんとか逃れようと暴れていたノーマンが、マリアンヌの言葉でピタリと動きを止めた。

「…子ども?」

「はい。昨日わかったんです。私、妊娠しました。ノーマン様と、私の子どもです」

固まったようになるノーマンから縄を外したジークハルトは、

「わかるか、ノーマン君、いまキミが突っ込んだらマリアンヌさんのお腹に宿った子どもは死ぬ。自重できるか」

と耳元で囁いた。ノーマンのカラダから力が抜けて崩れ落ちるのを見ると、「じゃあ、二人で話しておいで」とジークハルトが呟いた。

景色が変わり、マリアンヌが借りている客間にノーマンと二人で飛ばされる。まだ呆然として床を凝視しているノーマンにそっと触れると、ビクリとカラダを震わせマリアンヌを見た。

「、あ、」

震えるノーマンの手が自分に伸びてくるのをマリアンヌはただじっと見ていた。あんなに暴れて叫んでいたのに、ノーマンが頬に触れた手はひんやりと冷たかった。

「リア、」

「ノーマン様、私をリアと呼ぶのは初めてですね」

そう言うと、ノーマンはグッ、と詰まったようになり、

「…本当は、ずっと、呼びたかった。だけど、あいつらが、…仕事が、絡んでしまって、新婚なのに新婚らしく過ごすこともできなくて、旅行すらできないし、いまはひたすら我慢だ、いまは結婚の予行演習の期間なんだ、そう言い聞かせて、なんとか、我慢するために、呼び方もマリアンヌのままにしたんだ、…俺、ごめん、あんなところ見せて、マリアンヌに、傷をつけた、だけど、死にたくない、リアとまだなんにもできてない、セックスだって」

「あの、ノーマン様、」

「まだ150回しかしてない」

「…は?」

まさかの回数が出てきてマリアンヌは心底驚いた。情交の回数なんて、どうやったら覚えているんだろう?

「子ども、できたのか」

呆然としてしまっている間に、ノーマンにギュッ、と抱き寄せられた。

「触るの、赦して、リア。…お腹、触って、いいか」

いいか、と言いながらマリアンヌの答えを聞く前に手が伸びてくる。そっと触れたノーマンの手は気づくと震えていた。

「昨日、伝えようと思って」

「う、ん」

「部屋に行ったら、あんなふうな最中で」

「…うん」

「遅くなってすみませんでした。離縁するなら話さなくてもいいかと思って」

「やだ、やだ、イヤだ、離縁しない、イヤだ、リア、イヤだ!」

またボタボタ涙を零したノーマンは、マリアンヌの唇に噛みつくように口づけた。

「…んっ、ノ、…ノーマン、さ、」

「離縁しない」

口を開いたところに舌を捩じ込まれ、吸い上げられる。背中を叩いても胸を押してもまったく離してくれず、息が苦しくなってぼんやりしてきたあたりでノーマンがハッとしたように口を離した。

「リア、ごめん、赦さなくていいから離縁しないでくれ…俺、の、顔を、見るのも、イヤか?ワガママだって、わかってる、でもキミと、離れたくないんだ」

マリアンヌを見下ろす青い瞳が怯えているようで、マリアンヌはそっとノーマンの頬を擦った。

「私、もうひとつ話があるんです、ノーマン様」

怯えた顔のまま頷くノーマンに、マリアンヌは前回の記憶について話した。

「…私は、この子を守りたいんです」

「わかった。女王陛下には事故で亡くなっていただこう。腹の子どもごと死んでくれれば」

「ノーマン様!?」

「…いや、ふたつの命を捧げるのはさすがにまずいか…じゃあ、生まれたらすぐに」

「ノーマン様、あの、やめてください!」

きょとんとしたような顔でマリアンヌを見たノーマンは、ヘラリと笑うと、「大丈夫だよ、バレないようにやるから」と平然とした調子で言う。目がいつものノーマンではない。

「ノーマン様、ご自分が死ぬとか、他人を殺すとか、そういう物騒な話はやめてください!」

「…リアがいなくなるならどうしようと同じだ」

…そういうレベルの問題ではない、とマリアンヌはまた意識を飛ばしそうになり慌てて堪えた。
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