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四章 雨溶
雨溶.5
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雨はやがて、篠突く勢いに変わっていった。
私は半ば無理やり夜重を杉の足元から社の屋根の下に移動させると、ドスン、と夜重の隣に腰を下ろした。
スカートの裾に入れていたシャツを引きずり出す。絞って水を出そうかとも思ったが、キリがない気がしたのでやめる。
「なんであんなところに一人でいたの」
問いを投げるも、反応はない。夜重はずっと石畳の溝に生えた苔を凝視している。
「風邪でもひいたらどうすんのさ」
これも反応なし。
分かっている。今日の夜重は強敵だ。
押すも引くも、そう簡単にこじ開けることはできないだろう。しかしながら、今日を逃せば、きっと未来永劫そのときは来ない。そんな予感が私の中には存在していた。
じろり、と横目で夜重を観察する。髪の先から垂れる雫は、夜重の端正な横顔と組み合わさることでまるでガラス細工のように姿を変える。
雨のせいで透けた下着、浮かび上がるボディライン。煽情的な様子に喉が鳴るも、こんな姿で私のそばから離れて、誰かの目に触れるかもしれない状況を作っていたことを思うと、酷く腹が立った。
「色々と危ないよ。そんな恰好で一人でいるの。しかも、こんな人気のないところにさ」
またも、反応なし。
さすがにムッときて、私は唇を尖らせる。
「ちょっと、聞いてんの」
「…祈里には関係ないわ」
はっ。
ようやく返ってきた言葉に、私は乾いた吐息がこぼれる。
言うに事欠いて『関係ない』、って?
「よく言うよ。夜重だって莉音のことで、呼ばれてもないのに首突っ込んできたくせに」
関係ないなんて、腐っても夜重に言われたくない言葉第一位だ。
夜重は私の言葉の切り返しを受けて、じっと黙り込んでしまった。そのうえ、今の話がつまらないことだったみたいに瞳を閉じてみせるから、私はいつものように意固地になりかけていた。
(――いや、落ち着け、落ち着くんだ、花咲祈里…!)
今回の目的を思い出し、どうにか自身の感情の手綱を握りなおす。
私が伝えたいこと。
それは、日頃のちょっとした鬱憤だとか、下らない意地だとかじゃなくて…もっと、大事なことだ。
心の奥の熱い感情。上手く肉付けしてあげられるか分かんないけど、とにかく、言わなくちゃならない。
ふぅ、はぁ、すぅ、はぁ…。
何度か深呼吸して、心を整える。
今、私の隣にいるのは、喧嘩相手の蒼井夜重でも、幼馴染の蒼井夜重でもない。私が憧れと尊敬と愛情を抱く、大好きな蒼井夜重なんだ。
(よしっ)
心を決めた私は、体の向きを夜重のほうへと向けた。夜重だって、それが視界の隅で見えているだろうに、依然としてこちらに注意を向けるつもりはないらしい。
「夜重。ちょっとだけ聞いてほしいことがあるんだけど」
安定の無視。別にいいよ。私の告白を聞いて腰を抜かすといい、蒼井夜重。
「あのね、私、さっき莉音と話してみて改めて分かったことが――」
「嫌よ」
突如、夜重が私の言葉を遮った。
「え?」
「嫌よ。聞きたくないわ。あっちに行って」
夜重は目を閉じたまま眉間に深い皺を刻むと、こちらを向くどころか反対方向へと体の向きを変えてしまう。
「夜重、いいから私の話を――」
「黙りなさい。あっちに行って、早く」
「え、いや、だから」
「聞きたくないわ。嫌。聞かない。絶対に聞かないわ!」
そのまま両手で両耳を塞いでしまった夜重に、私は呆れを覚える一方、なんだか可愛いものを見つけてしまったような温かい気持ちも覚えていた。
縮こまってしまった夜重は、雨に濡れた黒猫みたいだった。控え目に言っても可愛い。膝に乗せて不安に震える頭を撫でてあげたい…。
じゃなくて!
天岩戸の奥に閉じ籠る、天照みたいな夜重。その心をこじ開けるんだ。今日、ここで!
「だったら、勝手に話すから!」
絶対に聞こえるよう、夜重の耳元で叫ぶように話す。夜重は一生懸命頭を左右に振って、イヤイヤしていたが、関係ない。このまま続ける。
「夜重、私ね!」
「いやっ!黙っていて!」
「いつからか分かんないけど!」
「聞かない、聞かない聞かない!」
「夜重のこと、幼馴染以上の存在として!」
「意地悪!黙りなさい!私は、あいつと貴方の話なんて――」
「好きになっちゃってたみたいなのっ!」
「聞きたくなんてないわっ!」
とうとう両耳から手を離した夜重は、鎖から解き放たれるようにして私を振り向き、怒鳴りつける。
対する私はというと、改めて当人を前に自分の感情を言語化することで、羞恥心とか、熱い思いとか、そういうものに胸を締め付けられながらも、ようやく言えたぞ、という達成感からハイになりかけていた。
そんな感じの私たちだったから、夜重の返事は――…と、構えてみたところで…。
「――…え?聞いてた?」
「だから、聞きたくないと言っているでしょう!?帰りなさい。今すぐ!」
こんなふうに、なんとも間抜けな結果になってしまったのだ。
あぁ、人生初の告白。失敗。
「ぐ、ぐぬぬ…」
しかし、何度も言うように今日はめげない。
通ずるまで私の言葉と気持ちを打ちこむ。こういうときばかりは、相手と向き合う強さを持たない蒼井夜重の心に。
「ああそう!でもね、今日は夜重がちゃんと私の話を聞くまで――」
バッ、と私が話している途中にも関わらず、夜重はまた両耳を塞ぐ。
ぶちん。
こっちが真面目に気持ちを伝えようとしているのに、夜重のやつ…!
こうなれば強硬手段だ、と私は飛び掛かるようにして夜重の両手を耳から引き剥がす。
「や、やだっ!」
「あぁもう、大人しくしろ!」
ん…?なんかこれ、遠目から見たら私が夜重を襲ってるみたいじゃない…?いやいや、気にしたら負けだ。
「私ね、夜重のこと」
「あー!」
今度は突然、夜重が叫び始める。いくら私の話を聞きたくないと言っても、いつもクールな蒼井夜重からは想像できない子どもじみた真似に、こっちも臨界点を超えた。
ぶちぶちっ。
「うるさいっ!」
とにかく、夜重を黙らせないと話にならない。永遠に振り出しに戻り続ける。
だから。
だから、私は夜重を無理やり黙らせた。
重なったのは、濡れた唇。
柔らかいな、という感想よりも先に、目と鼻の先で両目を丸々と見開いた夜重のあどけない顔に私は、可愛いなっていう、馬鹿みたいな、でも、なによりも純粋な気持ちを抱くのだった。
私は半ば無理やり夜重を杉の足元から社の屋根の下に移動させると、ドスン、と夜重の隣に腰を下ろした。
スカートの裾に入れていたシャツを引きずり出す。絞って水を出そうかとも思ったが、キリがない気がしたのでやめる。
「なんであんなところに一人でいたの」
問いを投げるも、反応はない。夜重はずっと石畳の溝に生えた苔を凝視している。
「風邪でもひいたらどうすんのさ」
これも反応なし。
分かっている。今日の夜重は強敵だ。
押すも引くも、そう簡単にこじ開けることはできないだろう。しかしながら、今日を逃せば、きっと未来永劫そのときは来ない。そんな予感が私の中には存在していた。
じろり、と横目で夜重を観察する。髪の先から垂れる雫は、夜重の端正な横顔と組み合わさることでまるでガラス細工のように姿を変える。
雨のせいで透けた下着、浮かび上がるボディライン。煽情的な様子に喉が鳴るも、こんな姿で私のそばから離れて、誰かの目に触れるかもしれない状況を作っていたことを思うと、酷く腹が立った。
「色々と危ないよ。そんな恰好で一人でいるの。しかも、こんな人気のないところにさ」
またも、反応なし。
さすがにムッときて、私は唇を尖らせる。
「ちょっと、聞いてんの」
「…祈里には関係ないわ」
はっ。
ようやく返ってきた言葉に、私は乾いた吐息がこぼれる。
言うに事欠いて『関係ない』、って?
「よく言うよ。夜重だって莉音のことで、呼ばれてもないのに首突っ込んできたくせに」
関係ないなんて、腐っても夜重に言われたくない言葉第一位だ。
夜重は私の言葉の切り返しを受けて、じっと黙り込んでしまった。そのうえ、今の話がつまらないことだったみたいに瞳を閉じてみせるから、私はいつものように意固地になりかけていた。
(――いや、落ち着け、落ち着くんだ、花咲祈里…!)
今回の目的を思い出し、どうにか自身の感情の手綱を握りなおす。
私が伝えたいこと。
それは、日頃のちょっとした鬱憤だとか、下らない意地だとかじゃなくて…もっと、大事なことだ。
心の奥の熱い感情。上手く肉付けしてあげられるか分かんないけど、とにかく、言わなくちゃならない。
ふぅ、はぁ、すぅ、はぁ…。
何度か深呼吸して、心を整える。
今、私の隣にいるのは、喧嘩相手の蒼井夜重でも、幼馴染の蒼井夜重でもない。私が憧れと尊敬と愛情を抱く、大好きな蒼井夜重なんだ。
(よしっ)
心を決めた私は、体の向きを夜重のほうへと向けた。夜重だって、それが視界の隅で見えているだろうに、依然としてこちらに注意を向けるつもりはないらしい。
「夜重。ちょっとだけ聞いてほしいことがあるんだけど」
安定の無視。別にいいよ。私の告白を聞いて腰を抜かすといい、蒼井夜重。
「あのね、私、さっき莉音と話してみて改めて分かったことが――」
「嫌よ」
突如、夜重が私の言葉を遮った。
「え?」
「嫌よ。聞きたくないわ。あっちに行って」
夜重は目を閉じたまま眉間に深い皺を刻むと、こちらを向くどころか反対方向へと体の向きを変えてしまう。
「夜重、いいから私の話を――」
「黙りなさい。あっちに行って、早く」
「え、いや、だから」
「聞きたくないわ。嫌。聞かない。絶対に聞かないわ!」
そのまま両手で両耳を塞いでしまった夜重に、私は呆れを覚える一方、なんだか可愛いものを見つけてしまったような温かい気持ちも覚えていた。
縮こまってしまった夜重は、雨に濡れた黒猫みたいだった。控え目に言っても可愛い。膝に乗せて不安に震える頭を撫でてあげたい…。
じゃなくて!
天岩戸の奥に閉じ籠る、天照みたいな夜重。その心をこじ開けるんだ。今日、ここで!
「だったら、勝手に話すから!」
絶対に聞こえるよう、夜重の耳元で叫ぶように話す。夜重は一生懸命頭を左右に振って、イヤイヤしていたが、関係ない。このまま続ける。
「夜重、私ね!」
「いやっ!黙っていて!」
「いつからか分かんないけど!」
「聞かない、聞かない聞かない!」
「夜重のこと、幼馴染以上の存在として!」
「意地悪!黙りなさい!私は、あいつと貴方の話なんて――」
「好きになっちゃってたみたいなのっ!」
「聞きたくなんてないわっ!」
とうとう両耳から手を離した夜重は、鎖から解き放たれるようにして私を振り向き、怒鳴りつける。
対する私はというと、改めて当人を前に自分の感情を言語化することで、羞恥心とか、熱い思いとか、そういうものに胸を締め付けられながらも、ようやく言えたぞ、という達成感からハイになりかけていた。
そんな感じの私たちだったから、夜重の返事は――…と、構えてみたところで…。
「――…え?聞いてた?」
「だから、聞きたくないと言っているでしょう!?帰りなさい。今すぐ!」
こんなふうに、なんとも間抜けな結果になってしまったのだ。
あぁ、人生初の告白。失敗。
「ぐ、ぐぬぬ…」
しかし、何度も言うように今日はめげない。
通ずるまで私の言葉と気持ちを打ちこむ。こういうときばかりは、相手と向き合う強さを持たない蒼井夜重の心に。
「ああそう!でもね、今日は夜重がちゃんと私の話を聞くまで――」
バッ、と私が話している途中にも関わらず、夜重はまた両耳を塞ぐ。
ぶちん。
こっちが真面目に気持ちを伝えようとしているのに、夜重のやつ…!
こうなれば強硬手段だ、と私は飛び掛かるようにして夜重の両手を耳から引き剥がす。
「や、やだっ!」
「あぁもう、大人しくしろ!」
ん…?なんかこれ、遠目から見たら私が夜重を襲ってるみたいじゃない…?いやいや、気にしたら負けだ。
「私ね、夜重のこと」
「あー!」
今度は突然、夜重が叫び始める。いくら私の話を聞きたくないと言っても、いつもクールな蒼井夜重からは想像できない子どもじみた真似に、こっちも臨界点を超えた。
ぶちぶちっ。
「うるさいっ!」
とにかく、夜重を黙らせないと話にならない。永遠に振り出しに戻り続ける。
だから。
だから、私は夜重を無理やり黙らせた。
重なったのは、濡れた唇。
柔らかいな、という感想よりも先に、目と鼻の先で両目を丸々と見開いた夜重のあどけない顔に私は、可愛いなっていう、馬鹿みたいな、でも、なによりも純粋な気持ちを抱くのだった。
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