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四章 雨溶
雨溶.4
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時刻はすでに夕方の五時ごろ。雲の隙間から差し込む光も朱色を帯び始めた頃合いに達していたが、訪れた夜重の家に彼女の姿はなかった。
『夜重なら、まだ帰ってきてないわよ』と夜重のお母さんが怪訝な顔でそう言ったから、私はすぐに家を出て、夜重がどこに行ったのかを考えた。
(夜重、学校を出てからそのままどっかに行ったんだ。私の家――なわけない。夜重はこういうとき、絶対に一人になろうとする。本当は独りになんてなりたくないくせに、誰もいない場所を探す)
夜重の行く先。その答えは、夜重との小学校時代の思い出が教えてくれた。
私は町のほうでもなく、学校のほうでもない、青々とした山が連なるほうへと早足で歩き出していた。
目指すは山の麓にある、小さなお寺。大きな杉の木と苔生した階段、人気のない社、いくつか連続で並び立つ鳥居がある、思い出の場所へと向かう。
小学生の頃に夜重と喧嘩したときは、だいたい帰り道にここを探した。そうすれば、先に学校から黙って出て行った夜重と会うことができたのだ。
杉の根の間に蹲っているか、社の賽銭箱の前に座っている幼い夜重の残像が脳裏に浮かぶ。幼馴染の特権だ。きっと今この世に、夜重を見つけ出せる人間は私しかいない。
住宅街を抜けて、農道に出る。田んぼ道の両脇に生えた背の高い草は、風に揺れて美しい音色を響かせている。
暗雲が辺りの空を覆っていた。莉音が言っていたとおり、雨が降るのだろう。耳を澄ませば遠雷の音が聞こえたし、どこからかアスファルトが濡れる匂いもする気がした。
なんだか、嫌な予兆みたいな曇り空だったけど、だからどうした、と私は不安を払いのける。深く考えずに邁進できるのは、私の強みなんだ。
山の麓に到着したときには、ぽつぽつと雨が降り始めていた。段々と暗くなっていく周囲の様子に臆病の虫が顔を覗かせたが、やはり、気力でぶっ飛ばして山際を進む。
雨脚はあっという間に強くなっていく。私が寺の一番下の鳥居をくぐった頃には、すでに夏の制服が体にじっとりと張り付くほど濡れてしまっていた。
(夜重、折り畳み傘持ってたかな…濡れてない、かな)
風邪でも引いたら大変だ、と階段を上り終えるも、社の境内には誰の姿もない。もしかしたら、あてが外れただろうかと不安になったが、得も言われぬ直感に導かれて大きな杉の木をぐるりと半周すると、木の根の間にずぶ濡れの夜重が蹲っていた。
「夜重…」
私のか細い声は、寺の土を打ち付ける雨音にかき消されているのだろう。夜重は一切の反応を見せなかった。
艶が天使の輪となって現れる夜重の長い黒髪も、雨水の重さに輝きを失いつつあるような感じがしたし、宝石と比べても見劣りしない瞳も伏せられているせいで、何の光も反射していない。
なんだか、ボロボロだ。
見た目だけじゃなくて、その、心の感じも。
蒼井夜重。綺麗で、孤高を地で行く女の子。そんな存在をこんなふうに追い詰めて、みすぼらしく貶めたやつは罰せられるべきだ…なんて、それ、私なんだけどね。
「夜重」
今度は彼女に届くよう、もっと大きな声を出す。すると、今まで眠っていたみたいにゆっくりと顔を上げた夜重は、私の顔を見て、亡霊でも目の当たりにしたかのように眉をひそめた。
「祈里…?」
黒曜の瞳は、たしかに私を映した。
ドクン、と鼓動が一つ強く鳴り、息が苦しくなる。
雨で濡れた髪も、雫をつたわせる白い頬も、少しだけ血色が悪くなった唇も…。
立てた膝の間に見える官能的な太ももも、透けて見える水色の下着も、熱を帯びる吐息も。
何もかもが私の琴線に触れ、心と体を熱くさせた。
蒼井夜重――私の好きな女の子。
みすぼらしくなった、なんて馬鹿なことをほざいたのは誰だ。
雨と失望に濡れたって、私の幼馴染は誰にも負けないくらい綺麗でかわいいんだから。
『夜重なら、まだ帰ってきてないわよ』と夜重のお母さんが怪訝な顔でそう言ったから、私はすぐに家を出て、夜重がどこに行ったのかを考えた。
(夜重、学校を出てからそのままどっかに行ったんだ。私の家――なわけない。夜重はこういうとき、絶対に一人になろうとする。本当は独りになんてなりたくないくせに、誰もいない場所を探す)
夜重の行く先。その答えは、夜重との小学校時代の思い出が教えてくれた。
私は町のほうでもなく、学校のほうでもない、青々とした山が連なるほうへと早足で歩き出していた。
目指すは山の麓にある、小さなお寺。大きな杉の木と苔生した階段、人気のない社、いくつか連続で並び立つ鳥居がある、思い出の場所へと向かう。
小学生の頃に夜重と喧嘩したときは、だいたい帰り道にここを探した。そうすれば、先に学校から黙って出て行った夜重と会うことができたのだ。
杉の根の間に蹲っているか、社の賽銭箱の前に座っている幼い夜重の残像が脳裏に浮かぶ。幼馴染の特権だ。きっと今この世に、夜重を見つけ出せる人間は私しかいない。
住宅街を抜けて、農道に出る。田んぼ道の両脇に生えた背の高い草は、風に揺れて美しい音色を響かせている。
暗雲が辺りの空を覆っていた。莉音が言っていたとおり、雨が降るのだろう。耳を澄ませば遠雷の音が聞こえたし、どこからかアスファルトが濡れる匂いもする気がした。
なんだか、嫌な予兆みたいな曇り空だったけど、だからどうした、と私は不安を払いのける。深く考えずに邁進できるのは、私の強みなんだ。
山の麓に到着したときには、ぽつぽつと雨が降り始めていた。段々と暗くなっていく周囲の様子に臆病の虫が顔を覗かせたが、やはり、気力でぶっ飛ばして山際を進む。
雨脚はあっという間に強くなっていく。私が寺の一番下の鳥居をくぐった頃には、すでに夏の制服が体にじっとりと張り付くほど濡れてしまっていた。
(夜重、折り畳み傘持ってたかな…濡れてない、かな)
風邪でも引いたら大変だ、と階段を上り終えるも、社の境内には誰の姿もない。もしかしたら、あてが外れただろうかと不安になったが、得も言われぬ直感に導かれて大きな杉の木をぐるりと半周すると、木の根の間にずぶ濡れの夜重が蹲っていた。
「夜重…」
私のか細い声は、寺の土を打ち付ける雨音にかき消されているのだろう。夜重は一切の反応を見せなかった。
艶が天使の輪となって現れる夜重の長い黒髪も、雨水の重さに輝きを失いつつあるような感じがしたし、宝石と比べても見劣りしない瞳も伏せられているせいで、何の光も反射していない。
なんだか、ボロボロだ。
見た目だけじゃなくて、その、心の感じも。
蒼井夜重。綺麗で、孤高を地で行く女の子。そんな存在をこんなふうに追い詰めて、みすぼらしく貶めたやつは罰せられるべきだ…なんて、それ、私なんだけどね。
「夜重」
今度は彼女に届くよう、もっと大きな声を出す。すると、今まで眠っていたみたいにゆっくりと顔を上げた夜重は、私の顔を見て、亡霊でも目の当たりにしたかのように眉をひそめた。
「祈里…?」
黒曜の瞳は、たしかに私を映した。
ドクン、と鼓動が一つ強く鳴り、息が苦しくなる。
雨で濡れた髪も、雫をつたわせる白い頬も、少しだけ血色が悪くなった唇も…。
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何もかもが私の琴線に触れ、心と体を熱くさせた。
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