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二章 鼓動の音に問いかけて

鼓動の音に問いかけて.7

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 カフェ内は思ったよりも人で混雑していたが、幸いなことに一番奥のテーブル席に四人揃って着くことができた。

 流れてくるポップな感じのケルト音楽、コーヒーや紅茶の香りに混じって漂う、パンケーキの甘い匂いとか、噂のチキン南蛮のガッツのある匂い。一見すると混沌としているようで、ある種の調和がそこにはあった…というのは、雑誌の記事に書いてあったことである。ある種の調和ってなに。分からんがな。

 注文を終えた後、私はちょっと緊張していた。目の前にかけた立垣呉羽がさっきから一言もしゃべっていないからだ。

 立垣呉羽…顔の造形はほとんど青葉と一緒だが、表情豊かな姉と違い、妹のほうは機械みたいに無感情な感じだった。青葉のトレードマークであるポニーテールと違い、髪をサイドテールで結っているのが特徴的だ。あと、眠そう。

「三人ともチキン南蛮を注文していたけれど、ここで晩御飯にするつもりなのかしら?」
「私と呉羽はそうだよ。今夜はお母さんもお父さんも遅くなるって言うから」
「そう。祈里は…貴方の匙加減一つだものね」
「え、ま、まあね…」

 青葉はともかく、夜重も呉羽の様子が気にならないらしい。なんというか、私が細かいだけなのだろうか。

 テーブルの上には、いつもどおりブラックコーヒーを頼んだ夜重に、ストレートティーの呉羽と青葉、そして、メロンソーダの私…って、あれ?私だけ属性が違うような…ま、いっか。

「それにしても、夜重もこういうお店に興味あるんだね。ちょっと意外かも」

 斜め向かいに座った青葉が白い歯を見せて笑う。爽やかキャラを地で行く彼女は、どこにいたって青春の輝きを身にまとっているようだ。

「別に興味があるというわけではないのだけれど…」
「え?じゃあ、なんで来たの?」

 ごもっともな問いに夜重が一瞬、言葉を詰まらせ、私を横目で一瞥する。

 なんだよ、と私も無言で夜重の視線に応じたのだが、彼女は羽虫でも払うみたいに鼻を鳴らすと、「たまには貴方たちの趣味に付き合ってみようと思っただけよ」と言った。

 うわぁ、ナチュラルに『私は貴方たちとは違う人種』ですって思ってるやつの発言だよ。腹立つなぁ。こんなんだから、自分を美少女なんて言えちゃうんだな。いや、そのとおりなんだけどね…。

 だが、事実とはいえ黙って認めるつもりはない。

「へへぇ、夜重姫様のお戯れですか」

 嫌味の一つでもぶつけてやったところ、夜重は片眉をひそめたまま目を閉じ、腕を組んだ。

「そうよ」

 ぐぬぬ…適当に流されてしまった。

 そうして夜重の横顔を睨んでいれば、自然と更衣室での一件を思い出してしまう。

 意味も分からずつむってしまった瞳、触れる寸前だった唇。

 不意に、夜重が自分の唇を人差し指でなぞった。

 つぅっと曲線をなぞる指先の動きに、いやらしさを感じてしまうのはなんでなのかな。夜重が、変なことを私に言ったからかな…。

 カリッ、と夜重が自分の指を甘噛みする。その仕草が、狂おしいまでに私の視線を引き寄せて、喉を鳴らさせた。

(なにその感じ、エロいんですけど…)

 不可思議な磁力に導かれ、視線を引き剝がせないままでいるうちに、私は夜重もこちらを見つめていることに気が付いた。

 ほんのちょっとだけ、顔が赤い。でも、私はもっと赤いんだろう。

 青葉や呉羽がいることを思うと、急に赤面している私は奇妙に見えるだろうが、意識したって顔の熱は引かないし、あのブラックホールみたいな瞳の引力から逃れる術も分からなかったから、どうしようもないんだ。

 こてん、と夜重が小首を傾げる。

 何かを問いかけているようだ。

 その仕草を私の脳が勝手に『ドキドキしてる?』と変換してしまって、さらに顔が熱くなった。変な汗までかき始めている。

(あぁ、もう!だからやめてってば、そんな顔!)

「祈里?」と青葉が私の名前を呼んだことで、ハッと我に返った。
「え、どうしたの?」
「どうしたのって…」

 私と夜重を得も言われぬ顔で交互に見比べた青葉は、そのうちからかい半分、真面目半分の調子で言った。

「なになに?二人だけのアイコンタクト?やらしーなぁ」

 二人だけの、アイコンタクト…やらしぃ…。

 突如、全身がかあっと火照った。自分が、なんだかとてつもなく恥ずかしいことを夜重としていたような気になって、いてもたってもいられなくなる。

 それはどうやら夜重も同じ気持ちだったようで、彼女の普段は能面のような顔もバツが悪い感じになっていた。

 否定するか、冗談に乗っからなくちゃ。そうでないと、青葉の言ったことは『本当のこと』になってしまうから。

 でも、やっぱり言葉は出て来ない。頼みの綱の夜重も沈黙を守り、私とは反対のほうを向いていた。

「あ、あはは…」と困った様子で青葉が後頭部をさすっている。

 本当、責任取ってよ、青葉ぁ…!

 状況をかき乱した当人である青葉が、悪びれた様子で黙り込んでしまうから、事態はますます悲惨なことに。こんな居心地の悪い静寂、授業中にお腹の音が響き渡ったとき以来だ。

 すると、救いの声は思わぬところからやってきた。

「お姉ちゃん、無神経すぎますよ」

 そこで私は初めて、呉羽がまともにしゃべったのを聞いた。

「こういうのは、気づいても気づかないフリをするのがマナーです」

 こ、こういうのって、どういうの?

「まあ、いや、そうなんだけどさぁ」
「問答無用」

 ズバン、と一太刀で姉の言葉を斬り捨てた呉羽は、上目遣いで私と夜重を覗いた後、この混沌とした店内に相応しい調子で私たちに告げた。

「蒼井さんと花咲さんは、どうかお気になさらず。思う存分にイチャイチャして下さい」

 瞬間、目の前の死んだ魚の目みたいな瞳をした少女が発した言葉を聞いて、頭の中にエラーコードが浮かび上がる。

(い、イチャイチャ…?いや、いやいや…)

 聞き間違いに決まっている。だって、普通、こんな顔でそんなからかうようなこと言わないもんね。

 でも…もしも、マジで聞き間違いじゃなかったらヤバイから、念のために聞き返しておこう。

「く、呉羽ちゃん?今、なんて…」
「あー!いや、気にしなくていいの!うちの子、たまに頭がおかしく――」
「イチャイチャして下さい、と言いました」

「ぐえー!」と声にならない声を発したのは、懸命に私と呉羽の間に割り込もうとしていた青葉だ。

 彼女は机に突っ伏すと、「呉羽ぁ?お姉ちゃんとの約束覚えてるぅ?」とやたらと間延びした口調で妹に尋ねたが、呉羽はけろりとした様子で――というか、相変らずの無表情で続ける。

「覚えています。だから、途中まではちゃんと黙って眺めるだけにしていたじゃないですか。約束を破ったのはお姉ちゃんのほうですよ」
「いや、それはそうかもしんないけどさぁ」
「だいたい、お姉ちゃんこそ人が悪いです。こんな素敵なカップルがいるなら、どうしてもっと早く私に教えてくれなかったのですか?」
「わ、ちょっ」

 がばっ、と青葉が呉羽の口を押さえるも、時すでに遅し。聞き捨てならない言葉は、もう盆から零れた水の如く、戻りはしないところまで来ている。

「か、カップルって、何のこと?」
「忘れていい。うん、忘れていいから、夜重も祈里も」

 笑って誤魔化そうとする青葉に、私は夜重と顔を見合わせる。すると、やおら青葉が悲鳴を上げて呉羽から手を離した。青葉の態度からして、どうやら呉羽の口を押さえていた手を舐められたらしい…。いや、呉羽ちゃんクレイジー…。

「蒼井さんと花咲さん、カップルなんですよね?」

「カッ――…」と私より速く反応し、絶句したのは夜重だ。すさまじい衝撃は、どうやら彼女の回線を断絶したらしく、微動だにしなくなっていた。

「ち、違うよっ!?なにを言ってるのかなぁ、呉羽ちゃんは!」

 私はここが店の中であることを忘れて大声を上げてしまう。そのせいで、店員さんや他のお客さんに白い目を向けられたが、もはやそれどころではない。

「わ、私と夜重はただの幼馴染で――」
「あぁ、そういうことにしているのですね。承知しました。大丈夫です、私は理解がありますし、口も堅いですから」
「いや、ちがっ」
「それにしても、幼馴染ですか…うん、素敵ですね。私も好きです、幼馴染百合」
「お、幼馴染百合…?」

 百合って、たしか、女性同士の同性愛のことだよね…ん?やばい、脳の処理が追い付かない。ちょっと待って、呉羽ちゃんは、私と夜重がそういう関係にあるように見えるって言ってんの?やばくない?え?この子、もしかしなくてもやばい子?

「私はもっぱら、お姉ちゃんと違ってフィクション派ですが…こうしてみると、存外生ものも悪くはないですね」

 …本当に、この子は何を言っているんだろう…。

 でもでも、待って。誤解を与えるようなことを一切してないって、胸張って言える?私。

 手もつないだし、なんか、すごい距離の近さで見つめ合うし、さっきだって、夜重の唇とか、指とか見て、え、えろいとか考えちゃったし…ってか、ガン見だったのバレてたんだよね、やっぱり…!

「お姉ちゃんがよくお二人のことを話してくれるんです。私のクラスに尊すぎるケンカップルがいるって。だから私、会話に混じらずともすぐそばで二人を眺めてみたいと――」
「ストップッ!」

 突如として、机に突っ伏しながら片手を上げたのは青葉である。

 彼女は、上げた手をだらりと垂らすと、寝言みたいにして言った。

「…呉羽、もうやめて…お姉ちゃんのHPはゼロだよ…」
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