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最終章 折れた翼で鴉は舞う
折れた翼で鴉は舞う.6
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「隣、座ってもいいですか?」
「嫌と言っても、どうせ貴方は私の言うことなど聞かないくせに」
「まぁ、そうですね」
ストレリチアは悪びれた様子もなく小さく笑うと、本当に私の隣に腰を下ろした。
命を狙っている相手の隣によくもまぁ…と横目でストレリチアを見やれば、彼女も同じように自分のほうを見つめてきていた。
相変わらず、綺麗な顔立ちをしていた。あどけなさも残る感じだが、それがまた『神託の巫女』という大仰な名前には相応しい。
「ちょっと意外です」
「何がかしら」
「てっきり、アカーシャ様は私を見つけたら、即座に襲ってくるかと思っていたんですけれど…?」
膝を立てた状態で座り、顔を前に倒して下から覗き込むように彼女がそう言ってくる。愛らしい仕草だが、これもやはり、偽りのものなのだろう。
「ええ、もちろん。すぐにでもそうしたい気持ちはあるわ」
じろりと、ストレリチアを睨みつけながら私は続ける。
「でも、先に聞いておきたいことがあるのよ。お忙しい身とはご存知ですけれど、お時間いいかしら」
「はい。どんな状況でも、アカーシャ様より優先したいことはありません」
皮肉たっぷりに言ってみせたのに、ストレリチアは童女のように笑ってみせる。
悪魔と天使の二つの顔をその身に宿す女だ。そのせいで、彼女の真意はやはり深い闇の底に隠れてしまっている。海底にまで辿り着いた今の私にも、まるで見えないほどの深さに。
その深淵を映す瞳に飲まれてしまわぬよう、私はストレリチアから目を逸らし、海を見つめる。
「…貴方、どうして私を追い詰めるような真似をするの?」
ずっと思っていた疑問をようやく口にできた私は、少しだけ心が軽くなったような気がしていた。だから、続く言葉がどれほど邪悪であろうと、冷静に受け止められると確信していたのだ。
「私はずっと前から、アカーシャ様が努力し、苦しみながらも強くなるお姿を見てきました」
ずっと前から…とはいっても、私たちが出会ったのは、二年ほど前のことだ。それを思えば大げさな表現の気もした。
「みんなが知っている以上に、私はアカーシャ様のことを知っています。良いところも、悪いところも…」
「さっきから、質問の答えになっていないわ。答える気があるの、ないの、どっちなの」
なんだか物悲しい口調で彼女が言葉を紡ぐものだから、私はあえてそれを機械的な感じで切る。そうでもしないと、私まで感化されてセンチメンタルになってしまいそうだったのだ。
ストレリチアは、「ふふっ」と静かに笑うと立ち上がり、波打ち際に歩いていき、両手を広げて海を仰いだ。
「世の中には、順序というものがありますよ、アカーシャ様」
夜天を滑る、美しい響きだ。
「語るべき言葉、あるいは、語られるべき言葉――それはすべて、相応しいときが来たら自ずとベールを脱ぐもの。もしかすると、人はそれを『運命』と呼ぶのかもしれませんね」
「ストレリチア、貴方、何を言って…?」
「ふふっ」と彼女が反転してこちらを見やった。
青と白のスカートの裾を翻すその姿は、夜の妖精さながらの艶やかさと美しさを誇っている。
私は一瞬、その姿に見惚れてしまっていた。しかしながら、すぐにストレリチアがまともな解答をしていないことに気がつくと、眉間に皺を寄せてこう返す。
「貴方、やっぱり答える気なんてないのでしょう」
「今はまだ、言えないことが多すぎるということです」
ストレリチアはそう言うと、ゆったりとした足取りでこちらに向かってきた。そして、私の正面に立つと、青い瞳を閉じて押し黙った。
「分かっていないわね、ストレリチア」
私は腰を上げると、持ってきていた刀を鞘から抜き出して彼女の無防備な首筋に当てて続ける。
「目的を尋ねたのは、私なりのけじめをつけるためよ。貴方がこうしてのこのこと現れた以上、殺すことに変わりはないわ」
「ふふっ」
首筋に死の香りを漂わせてなお、ストレリチアは笑う。
すると彼女は、ゆっくりと青い瞳を見開きながら、先ほどとは打って変わって挑戦的に私へと告げた。
「ご自由に、アカーシャ・オルトリンデ」
「――そう」
瞬間、私は刃を引いた。引く時が一番、死をまとうと学んでいた。
しかしながら、斬られたストレリチアからは出血の欠片もなく、彼女はただ薄ら寒い笑みを浮かべたまま佇むだけだった。
「幻影魔導…」私は無感情にそう呟くと、「まぁ、こんなことだろうとは思っていたわ」と続け、そのまま一閃、ストレリチアの姿をした魔力の塊を横に切り裂いた。
魔力の塊は霧のように粉々に散り、夜の海へと流れていく。
「消えなさい。今度は生身をもって会いに来ることね。ちゃんと殺してあげるから」
『ふふっ』とどこからかストレリチアの忌まわしい笑い声が聞こえた。
『いつか、アカーシャ様の力が必要になるときが来ます』
「なんですって?」
太刀を片手に虚空へと問いを投げる。
「何を藪から棒に、適当なことを…!私の力は、貴方が奪ったんでしょうにっ!」
『信じるかどうかはアカーシャ様次第――ですが、これは予言なんです』
「予言…」
百発百中の預言者、神託の巫女ストレリチアの予言?
思えば、彼女は一度たりとも嘘の予言を吐いたことはない。だったら、これも…?
『私はいつも貴方様を見ています、アカーシャ様』
そう言うと、ストレリチアの気配は跡形もなく消えた。
残ったのは、ただ一輪、咲き始めたばかりの黒百合だけだった。
ニライカナイの拠点に咲いていた桜の木は、とうに葉桜となって青々しく鳥居のそばで風に揺れていた。私はそれを窓の向こうに眺めながら、腕を組み、眉間へと力を込めているところであった。
弧月の入江での戦いが終わって、はや半月。
ジャンのこと、サリアのこと、マルグリットやルピナスのこと…戦いの傷は完全には癒え切らないが、この場所には穏やかな空気感が戻りつつあり、おかげで私も多少なりと落ち着いた日々を送ることができていた。
ストレリチアに会ったことは誰にも話していない。そもそも、幻影魔導で出来た虚像であったため、多くの者にとっては意味を成さないだろう。
もちろん、私にとってはその限りではない。あの邂逅は、ますます彼女の真意の理解が難しいことを私に知らしめるものとなった。
だが、だからといって憎むべき相手であることに変わりはない。彼女が何も語らない以上、それ以外の結論はなく、彼女と相対したときに取る行動にも変わりはないのだ。
突然にして私の前に現れ、そしてまた同じように、忽然と夜の海に消えた彼女の姿を思い出す。いっそ、腹ただしいほど儚げなストレリチアに相応しい舞台だった気がする。
「あのぅ」
小さな部屋の隅から聞こえた声に、私は我に返る。それから、意識して険しい顔を作ると言った。
「何かしら、レイブン」
ベッドに腰掛け、腕と足を組んだ私の前には正座したレイブンの姿があった。
戦いで失われた彼女の左手の指先には、生活に不便が少ないようにとワダツミに用意された、小さな鉤爪状の器具がはめられている。そんな物々しいものを着けたレイブンだったが、今は捨て犬のようにしょんぼりとした顔で私を見上げていた。
「そろそろ、その、お許し頂けると…」
「駄目よ。貴方、何も分かっていないじゃない」
きっぱりと告げれば、レイブンはまた俯いた。庇護欲をそそる面持ちに、私の良心がちくりと痛んだが、私に非はないと思い直し、足を組み変えながら続ける。
「何度駄目だと言っても、私の見ていないところでコソコソと例の呪いの訓練…貴方がこんなにも聞き分けが悪いとは思ってもいなかったわ、レイブン」
あの戦いの後、大きく変わったものがいくつかある。一つは、彼女の、レイブンの様子である。
自身の体を『モノ』と捉えるがゆえに施せる、身体強化の呪い。これはやはり冷静に考えても、あまり乱用するべきではない代物だった。
爆発的な強化量は確かに凄まじいものがあったが、その持続時間は短く、反動でまるで動けなくなるのは大きな欠陥だ。回復にだって数日かかったし、人道的にも看過できない点もある。
だから、レイブンには練習などするなと命令した。だが、普段なら命令遵守の姿勢を示すくせに、今回ばかりは違った。
「ですが、お嬢様…あれは役に立ちます」
「はぁ?」
生意気な従者を睨みつけるも、彼女は意に介さず続ける。
「私のように素養がなく、まともな訓練を受けていないものでも、お嬢様のお力になれるんです」
素養がない?
そんなはずがない。彼女は素養の塊だ。物体に上手に魔力を流し込める器用さだとか、そもそもの魔力量、そして、発想力。然るべき経験を積み続ければ、かつての私に及ばずとも十分立派な呪い師になれることだろう。
「とにかく、駄目よ。あぁ、もう…これでまた無茶をする手段が増えたじゃない…」
「無茶などしません。私はただ命令を――」
「はいはい、もう言い訳はいいわ」
「…言い訳なんかじゃ、ありません」
ちょっとだけ不服そうな…いや、傷ついた顔だろうか。とにかく、暗い表情を浮かべたレイブンを見て、私は少し罪悪感を覚える。
彼女の気持ちが嫌なわけではない。ただ、これ以上、私のせいで悪い方向に巻き込みたくないのだ。
「レイブン」私はベッドの縁をトントン、と叩いた。「こっちに来なさい」
レイブンは少しだけ考え込むと、「はい」と短く返事をして私の隣に腰掛けた。
彼女の重みでわずかにベッドのスプリングが軋む。
「貴方は私のものよ。レイブン」
「はい、心得ております」
「それなら、勝手に壊れるような真似を私が許さないのも、分かるわね?」
「…はい」
「よろしい」
私は優しくレイブンの頭を撫でた。なんとも手触りの良い髪を手のひらで往復しているうちに、胸の真ん中辺りが暖かくなっていくような気がして、くすっ、と笑ってしまう。
「どうかしましたか?」
「いいえ、別に」と首を振っていると、レイブンがなんだか物言いたげな様子で私を見つめてきた。
「そっちこそ、何か言いたいことがあるのではなくて?」
「…」
珍しい沈黙。私はゆっくり待つことにした。
そのうち、レイブンが顔を上げた。
「お、お願いがあります」
頬がほんのりと赤くなっていたので、なんとなく、お願いの内容は分かっていた。
「なぁに?」
きっと、私が彼女から奪ったものを求められるのだろう。
「…抱きしめて、頂いても…いいでしょうか?」
私はゆっくりと頷くと、「構わないわ」と告げて、彼女を両腕の中に閉じ込めた。
こうして、私が次の鳥かごになるのだろう。そして、私はそのまま彼女を業深い場所まで連れて行くのだ。
徐々に私の体へとなだれかかってくるレイブンの頭を撫でる。
後悔はしない。私は選んだのだ。
これから先の道を、進み続けるほかない。
――たとえ、この美しい鳥が二度と囀らなくなったとしてもだ。
「嫌と言っても、どうせ貴方は私の言うことなど聞かないくせに」
「まぁ、そうですね」
ストレリチアは悪びれた様子もなく小さく笑うと、本当に私の隣に腰を下ろした。
命を狙っている相手の隣によくもまぁ…と横目でストレリチアを見やれば、彼女も同じように自分のほうを見つめてきていた。
相変わらず、綺麗な顔立ちをしていた。あどけなさも残る感じだが、それがまた『神託の巫女』という大仰な名前には相応しい。
「ちょっと意外です」
「何がかしら」
「てっきり、アカーシャ様は私を見つけたら、即座に襲ってくるかと思っていたんですけれど…?」
膝を立てた状態で座り、顔を前に倒して下から覗き込むように彼女がそう言ってくる。愛らしい仕草だが、これもやはり、偽りのものなのだろう。
「ええ、もちろん。すぐにでもそうしたい気持ちはあるわ」
じろりと、ストレリチアを睨みつけながら私は続ける。
「でも、先に聞いておきたいことがあるのよ。お忙しい身とはご存知ですけれど、お時間いいかしら」
「はい。どんな状況でも、アカーシャ様より優先したいことはありません」
皮肉たっぷりに言ってみせたのに、ストレリチアは童女のように笑ってみせる。
悪魔と天使の二つの顔をその身に宿す女だ。そのせいで、彼女の真意はやはり深い闇の底に隠れてしまっている。海底にまで辿り着いた今の私にも、まるで見えないほどの深さに。
その深淵を映す瞳に飲まれてしまわぬよう、私はストレリチアから目を逸らし、海を見つめる。
「…貴方、どうして私を追い詰めるような真似をするの?」
ずっと思っていた疑問をようやく口にできた私は、少しだけ心が軽くなったような気がしていた。だから、続く言葉がどれほど邪悪であろうと、冷静に受け止められると確信していたのだ。
「私はずっと前から、アカーシャ様が努力し、苦しみながらも強くなるお姿を見てきました」
ずっと前から…とはいっても、私たちが出会ったのは、二年ほど前のことだ。それを思えば大げさな表現の気もした。
「みんなが知っている以上に、私はアカーシャ様のことを知っています。良いところも、悪いところも…」
「さっきから、質問の答えになっていないわ。答える気があるの、ないの、どっちなの」
なんだか物悲しい口調で彼女が言葉を紡ぐものだから、私はあえてそれを機械的な感じで切る。そうでもしないと、私まで感化されてセンチメンタルになってしまいそうだったのだ。
ストレリチアは、「ふふっ」と静かに笑うと立ち上がり、波打ち際に歩いていき、両手を広げて海を仰いだ。
「世の中には、順序というものがありますよ、アカーシャ様」
夜天を滑る、美しい響きだ。
「語るべき言葉、あるいは、語られるべき言葉――それはすべて、相応しいときが来たら自ずとベールを脱ぐもの。もしかすると、人はそれを『運命』と呼ぶのかもしれませんね」
「ストレリチア、貴方、何を言って…?」
「ふふっ」と彼女が反転してこちらを見やった。
青と白のスカートの裾を翻すその姿は、夜の妖精さながらの艶やかさと美しさを誇っている。
私は一瞬、その姿に見惚れてしまっていた。しかしながら、すぐにストレリチアがまともな解答をしていないことに気がつくと、眉間に皺を寄せてこう返す。
「貴方、やっぱり答える気なんてないのでしょう」
「今はまだ、言えないことが多すぎるということです」
ストレリチアはそう言うと、ゆったりとした足取りでこちらに向かってきた。そして、私の正面に立つと、青い瞳を閉じて押し黙った。
「分かっていないわね、ストレリチア」
私は腰を上げると、持ってきていた刀を鞘から抜き出して彼女の無防備な首筋に当てて続ける。
「目的を尋ねたのは、私なりのけじめをつけるためよ。貴方がこうしてのこのこと現れた以上、殺すことに変わりはないわ」
「ふふっ」
首筋に死の香りを漂わせてなお、ストレリチアは笑う。
すると彼女は、ゆっくりと青い瞳を見開きながら、先ほどとは打って変わって挑戦的に私へと告げた。
「ご自由に、アカーシャ・オルトリンデ」
「――そう」
瞬間、私は刃を引いた。引く時が一番、死をまとうと学んでいた。
しかしながら、斬られたストレリチアからは出血の欠片もなく、彼女はただ薄ら寒い笑みを浮かべたまま佇むだけだった。
「幻影魔導…」私は無感情にそう呟くと、「まぁ、こんなことだろうとは思っていたわ」と続け、そのまま一閃、ストレリチアの姿をした魔力の塊を横に切り裂いた。
魔力の塊は霧のように粉々に散り、夜の海へと流れていく。
「消えなさい。今度は生身をもって会いに来ることね。ちゃんと殺してあげるから」
『ふふっ』とどこからかストレリチアの忌まわしい笑い声が聞こえた。
『いつか、アカーシャ様の力が必要になるときが来ます』
「なんですって?」
太刀を片手に虚空へと問いを投げる。
「何を藪から棒に、適当なことを…!私の力は、貴方が奪ったんでしょうにっ!」
『信じるかどうかはアカーシャ様次第――ですが、これは予言なんです』
「予言…」
百発百中の預言者、神託の巫女ストレリチアの予言?
思えば、彼女は一度たりとも嘘の予言を吐いたことはない。だったら、これも…?
『私はいつも貴方様を見ています、アカーシャ様』
そう言うと、ストレリチアの気配は跡形もなく消えた。
残ったのは、ただ一輪、咲き始めたばかりの黒百合だけだった。
ニライカナイの拠点に咲いていた桜の木は、とうに葉桜となって青々しく鳥居のそばで風に揺れていた。私はそれを窓の向こうに眺めながら、腕を組み、眉間へと力を込めているところであった。
弧月の入江での戦いが終わって、はや半月。
ジャンのこと、サリアのこと、マルグリットやルピナスのこと…戦いの傷は完全には癒え切らないが、この場所には穏やかな空気感が戻りつつあり、おかげで私も多少なりと落ち着いた日々を送ることができていた。
ストレリチアに会ったことは誰にも話していない。そもそも、幻影魔導で出来た虚像であったため、多くの者にとっては意味を成さないだろう。
もちろん、私にとってはその限りではない。あの邂逅は、ますます彼女の真意の理解が難しいことを私に知らしめるものとなった。
だが、だからといって憎むべき相手であることに変わりはない。彼女が何も語らない以上、それ以外の結論はなく、彼女と相対したときに取る行動にも変わりはないのだ。
突然にして私の前に現れ、そしてまた同じように、忽然と夜の海に消えた彼女の姿を思い出す。いっそ、腹ただしいほど儚げなストレリチアに相応しい舞台だった気がする。
「あのぅ」
小さな部屋の隅から聞こえた声に、私は我に返る。それから、意識して険しい顔を作ると言った。
「何かしら、レイブン」
ベッドに腰掛け、腕と足を組んだ私の前には正座したレイブンの姿があった。
戦いで失われた彼女の左手の指先には、生活に不便が少ないようにとワダツミに用意された、小さな鉤爪状の器具がはめられている。そんな物々しいものを着けたレイブンだったが、今は捨て犬のようにしょんぼりとした顔で私を見上げていた。
「そろそろ、その、お許し頂けると…」
「駄目よ。貴方、何も分かっていないじゃない」
きっぱりと告げれば、レイブンはまた俯いた。庇護欲をそそる面持ちに、私の良心がちくりと痛んだが、私に非はないと思い直し、足を組み変えながら続ける。
「何度駄目だと言っても、私の見ていないところでコソコソと例の呪いの訓練…貴方がこんなにも聞き分けが悪いとは思ってもいなかったわ、レイブン」
あの戦いの後、大きく変わったものがいくつかある。一つは、彼女の、レイブンの様子である。
自身の体を『モノ』と捉えるがゆえに施せる、身体強化の呪い。これはやはり冷静に考えても、あまり乱用するべきではない代物だった。
爆発的な強化量は確かに凄まじいものがあったが、その持続時間は短く、反動でまるで動けなくなるのは大きな欠陥だ。回復にだって数日かかったし、人道的にも看過できない点もある。
だから、レイブンには練習などするなと命令した。だが、普段なら命令遵守の姿勢を示すくせに、今回ばかりは違った。
「ですが、お嬢様…あれは役に立ちます」
「はぁ?」
生意気な従者を睨みつけるも、彼女は意に介さず続ける。
「私のように素養がなく、まともな訓練を受けていないものでも、お嬢様のお力になれるんです」
素養がない?
そんなはずがない。彼女は素養の塊だ。物体に上手に魔力を流し込める器用さだとか、そもそもの魔力量、そして、発想力。然るべき経験を積み続ければ、かつての私に及ばずとも十分立派な呪い師になれることだろう。
「とにかく、駄目よ。あぁ、もう…これでまた無茶をする手段が増えたじゃない…」
「無茶などしません。私はただ命令を――」
「はいはい、もう言い訳はいいわ」
「…言い訳なんかじゃ、ありません」
ちょっとだけ不服そうな…いや、傷ついた顔だろうか。とにかく、暗い表情を浮かべたレイブンを見て、私は少し罪悪感を覚える。
彼女の気持ちが嫌なわけではない。ただ、これ以上、私のせいで悪い方向に巻き込みたくないのだ。
「レイブン」私はベッドの縁をトントン、と叩いた。「こっちに来なさい」
レイブンは少しだけ考え込むと、「はい」と短く返事をして私の隣に腰掛けた。
彼女の重みでわずかにベッドのスプリングが軋む。
「貴方は私のものよ。レイブン」
「はい、心得ております」
「それなら、勝手に壊れるような真似を私が許さないのも、分かるわね?」
「…はい」
「よろしい」
私は優しくレイブンの頭を撫でた。なんとも手触りの良い髪を手のひらで往復しているうちに、胸の真ん中辺りが暖かくなっていくような気がして、くすっ、と笑ってしまう。
「どうかしましたか?」
「いいえ、別に」と首を振っていると、レイブンがなんだか物言いたげな様子で私を見つめてきた。
「そっちこそ、何か言いたいことがあるのではなくて?」
「…」
珍しい沈黙。私はゆっくり待つことにした。
そのうち、レイブンが顔を上げた。
「お、お願いがあります」
頬がほんのりと赤くなっていたので、なんとなく、お願いの内容は分かっていた。
「なぁに?」
きっと、私が彼女から奪ったものを求められるのだろう。
「…抱きしめて、頂いても…いいでしょうか?」
私はゆっくりと頷くと、「構わないわ」と告げて、彼女を両腕の中に閉じ込めた。
こうして、私が次の鳥かごになるのだろう。そして、私はそのまま彼女を業深い場所まで連れて行くのだ。
徐々に私の体へとなだれかかってくるレイブンの頭を撫でる。
後悔はしない。私は選んだのだ。
これから先の道を、進み続けるほかない。
――たとえ、この美しい鳥が二度と囀らなくなったとしてもだ。
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