上 下
47 / 51
最終章 折れた翼で鴉は舞う

折れた翼で鴉は舞う.2

しおりを挟む
(――足りない)

 苦悶する激痛の中、私の頭は不足したものをどう補うかばかり考えていた。

 不足したものとは、失われた五本の指のことではない。あれはもう失ったもの、いわば、消耗されたものだ。使い潰されていくことは、むしろ奴隷の私にとってなによりも理に適っている。

 だから、そこじゃない。不足したものとは、今、明らかに自暴自棄になっているリリーを守るための力だ。

 リリーはシスター服の女、サリアとかいう相手をその手にかけてから、錆びついたブリキみたいに色々と鈍くなってしまっている。まだ戦えるのに、それを投げ出しているのだ。

 声はかけた。だが、無駄に思える。今の彼女には何も届かない。

 それならばと私があの女騎士マルグリットを倒そうかと思ったが、これは思い上がりだった。リリーと対等に渡り合える人間というだけあって、非常に手強い。まともなやり方では私には無理だ。

 ワダツミに頼ることも考えてはみたが、彼女はあの雷光の魔導士との戦いに自分たちを巻き込まないためか、遠く離れて見えなくなってしまっている。

 つまり、やっぱり自分でなんとかするしかないわけだ。

(でも…お嬢様が言ったとおりだ…。弱いと、守ることもできない。この身を盾にすることもできないんだ…)

 思考を巡らせていると、頭上から声が聞こえた。

「早く、殺しなさい。もう疲れたわ」

 星が、降ってくるみたいな声。

 あぁ…駄目だ。この人を死なせることは、やっぱり駄目だ。

 あの真っ赤な瞳から光が失われる。それを黙って見ているなど、罪悪以外の何者でもないのではないだろうか?

 だけど、それなら私はどうすればいい?どうすれば、あの女騎士を止められる?

 力がいる。

 足りない溝を埋めるための力が。

 具体的に考えてみる。

 やはり、肉体が脆弱すぎる。鍛えてもいないから当然だが、リリーたちみたいに俊敏に動かない。簡単に刃を受けて殺されてしまう。

 私に足りないのは強靭さだ。

 脆弱さと強靭さ、この二つの言葉を脳裏に浮かべたとき、ふと、ワダツミに教わったことを思い出した。

『こうして魔力を注いでやれば、脆弱な木の枝が一転、金属の剣のように強靭になる』

 脆弱な木の枝が、強靭な剣に…。

 ワダツミは、魔導と呪いの違いは認識の問題だといった。

『放出するエネルギー』か、それとも、『注ぎ込むモノ』か。

 呪いは、『モノ』に魔力という燃料を注ぎ、強化する力。

 ワダツミの言葉は、裏を返せば、『モノ』として認識することができる存在であれば、呪いによる強化ができるということを意味する。

 瞬間、天啓が私の心臓を貫いた。

(あぁ…どうして…)

 瞳を閉じて、目蓋の裏側に宿る暗闇を見つめる。

 そこには黒く輝く魔力の川が流れていた。

(どうしてこんな簡単なこと、誰も教えてくれなかったんだろう)

 両手に川の水をすくい、飲み込むイメージを作る。そうすると、体がぐわっ、と熱くなった。

(ま、だ…足りてない)

 呼吸ができなくなるくらいに加速する脈動に飲まれかけるも、私はひたすらに黒い水を飲み続ける。

 体が溶けていくような感覚がした。そのせいで四肢は熱いのか冷えているのか分からなくなっていったが、私はそれも無視して、頭の中のキャンバスに思考の筆先を向ける。

 イメージしろ。

 強靭な体を。脆弱を塗り潰す強さを。

 バチッ、と体の表面で何かが弾ける。その力は失われた指先に宿ると、五本の鋭い鉤爪を象って顕現する。

「ふ、ぐっ、う…!」

 痛みに喘ぎながらも、魔をまとう体を両腕で抱きながら、膝立ちになってみせる。

「れ、レイブン、貴方、一体…?」

 誰かが何かを言っていたが、とにかく私は、私の中に深く潜り込んだ。

(もっと、もっとだ…)

 人の体を描いただけでは、マルグリットとの大きな溝を埋めることはできない。

 だから、私はさらに『強さ』を描こうとする。

『強さ』とは私と真反対のものだ。

 自分では自分の運命を決められない私とは、対局に位置するもの。

 ――いつか、その翼が自由の空を舞えることを祈っているわ。

 愛おしい人の声が、脳髄の隙間で響く。

 自由を忘れた飛べない私(カラス)。
 自由な、空。
 それはどこにある?
 それはどんな色をしている?

 ――イメージしろ。

 バチッ、バチッ、と目蓋の裏で閃光が瞬く。

 そこには、美しい夕暮れに染まる、紅蓮の空があった。

(――綺麗だ。あの人の瞳と、同じ色をしている)

 何があれば、この空を舞えるだろうか?

 簡単だ。

 私は、それを知っている。

 私の名前が、それをすでに宿しているのだ。

 イメージする。
 それは、一対の、大きな影を地面に落とすようなもの。

 イメージする。
 それは、美しく、純黒に染まるもの。

 イメージする。
 それは、私をあるべき場所へと導けるもの。

 描いたイメージは、魔力という色彩をもって形を成した。

 体の周りでバチバチと弾けていた黒雷の魔力は、私の背中に一対の翼を生やした。

 華奢な私の体に不釣り合いな巨大な翼が、バサッ、と大きく広がった。

 刹那、駆け巡るのは全能感。

 今なら、溝はないに等しかった。

 こんな深さ、翼を使えば簡単に飛び越えられる。

「私は、レイブン…」

 バチッ、バチッ…。

 眼前の女騎士が目を丸くして私を見ている。

 バチッ…。

 コントロールしきれていない魔力が、私の背中に翼のようにして生えた魔力の結晶からこぼれ落ちていく。

 ゆらゆらと…黒い羽の如く。

 脆弱な剣や盾では、あの人を、あの人の望む場所へ運んでいけない。

 ならば…。

「私は、レイブン…お嬢様の――翼…」

 そのためには。

 行く先も分からなくなった、暴走寸前のエネルギーは私がここに留まることを許さない。それなのに、意識だけは朦朧としているままだ。

 それでも目の前の『これ』が、リリーお嬢様の命を、奥様の命令を守ることの邪魔をしていることだけはハッキリと分かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

処理中です...