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六章 復讐の黒い百合

復讐の黒い百合.1

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 私の言葉を耳にしたリリーは、寸秒、呼吸ができないほどのショックを受けていたように硬直していた。しかし、その後すぐに動き出すと、盛大な高笑いを発してジャンと呼ばれた男の体を血溜まりに放った。

「あはは、あはははっ!何が第一王子よ、呆気ないものね!」

 私にはその声が泣いているように聞こえてしまい、心配から彼女の名前を呼んだ。

「リリーお嬢様」
「あのとき、私の味方をすればよかったのよ、そうすれば、そうしていれば…っ!」

 何かが堰を切ってしまいそうな予感に、私はさらに強くリリーを呼ぶ。

「リリーお嬢様!」

 すると、リリーは動力を失った魔導具みたいに唐突に静かになった。そうして、十秒ほど周囲で巻き怒る戦いの怒号の中で佇んでいたかと思うと、抑揚のない声で言った。

「レイブン」

 リリーに相応しい、美しいアクセントだ。たった四文字の言葉の中に、彼女の気高さと流麗さが宿っている。

「さっきと同じ戦法で行くわ。貴方は私の後ろから呪いを放って、敵の姿勢を崩しなさい。その後は私が殺してしまうから」

 お面の下は見えないが、私には分かる気がする。今のリリーは、きっと無感情な瞳で光を探し、面の穴を覗いているに違いない。

 私が頷いてみせれば、リリーは早速、離れた敵へと駆け出した。

 彼女の動きについていくので精一杯だったが、回数を重ねれば安定していった。魔物のときと同じだ。私が呪いを飛ばし、リリーが近接戦で仕留める。

 私の肩は重くなっていく一方なのに、リリーは違った。彼女は人を斬れば斬るほど、活力を増して美しく戦場を駆け回った。

 まるで、人の命を啜って咲く花みたいだった。

 何度か危ないシーンもあった。後衛である私が狙われてしまった場合だ。しかし、これも魔物で練習していた甲斐があり、リリーの救援が間に合う程度には自力で間合いを離すことができていた。とはいえ、これが重なると疲労も相まってかなり危険な気がした。


 夕日が水平線に沈みかける頃になれば、辺りは死体だらけになった。数で勝るオリエント兵のほうが被害は少なさそうだったが、それでも、多くのオリエント人が死んでいた。その中には、ニライカナイのメンバーもいた。

 だが、それでも別に私には関係ないと思っていた。お嬢様の命を守ること、奥様の最後の命令を守ることには直接的な関係はないからだ。

 多勢に無勢、しかも、指揮系統を容易く失っていたエルトランド兵らは、脱兎のごとく船へと逃げ込んでいった。追撃をしようとした兵もいたが、その鮮やかな引き際の前に手も足も出せなかった。

「腰抜けどもね」と戦火の中でも美しいままの唇で、リリーが彼らを罵った。

 それでも、戦う相手がいなくなったわけではない。

 残りの二隻が、すでにオリエント海軍の追撃を振り切り、水平線の彼方から迫っていた。

 リリーはそれを見て、今か今かと待っているふうだった。実際、他の人間には聞こえない程度の声量で、「殺す」、「ストレリチア」の二つを繰り返し口にしていた。

 鬼気迫るものが、今のリリーにはあった。そのせいか、第一王子を仕留めるという大戦果を上げたにも関わらず、誰もリリーに声をかけなかった。

 いや、誰もというのは間違いだ。唯一、孤月砦の責任者であるイトガワだけは声をかけてくれた。

「おい」

 声をかけてきた彼も血塗れだった。返り血…だけではないだろう。それはリリーも同じだ。大怪我をしていないだけで、あちこちに切創や軽い火傷を負っていた。

 私だけが、リリーの援護のおかげで無傷だった。

 やはり、これではあべこべな気がしたが…馬鹿みたいにリリーの前に飛び出しても邪魔になるだけだとすでに私は学習していた。

 リリーのために命を差し出すことに不満はない。むしろ、消耗品の扱いはそうでなくてはならない。それが普通だ。

 盾を掲げるのに、いちいちその損傷を気にする人間はいないだろう。

「一度下がり、傷の手当をしてこい」

 答えないリリーにイトガワが顔を険しくする。

「おい、エルトランド人、聞いて――」
「鬱陶しい、邪魔をしないで」

 相手の言葉を遮ったリリーが、ぎろり、とイトガワを睨みつけた。

「復讐を始められて、今、最高に気分が良いの…だから、その邪魔をするなら、貴方も殺すわ」

 脅しではない、と思いたくなる鋭さに私は息を呑んだ。

 ――復讐に囚われた、黒い百合。

 リリー・ブラック…その名はまさに、今の彼女のためにある名前だった。

 これにはイトガワも黙るだろうと思っていたが、意外なことに予想は外れた。

「どうせ、あの二隻が来るのにはまだまだ時間がかかる。今のうちに万全の体勢を整えろと言っているだけだ」
「…随分とお優しいのね」
「ふん。功労者には労いがあって当然だ」イトガワは、仮面のせいで表情の読めないリリーの肩を軽く叩いた。「ごほん…リリー・ブラック、貴殿の力、この後も頼りにさせてもらうぞ」



「おぉ、ここにおったか」

 怪我の手当てのために砦前のテントにいた私たちに声をかけたのは、ワダツミだった。

「聞いたぞ、目を見張るほどの戦果じゃったらしいではないか。大将首まで取って…同じエルトランド人。勝手知ったる、というところかのぅ?」

 背丈に見合っていない長さの着物を着た彼女は、反応のないリリーを見て怪訝そうにした後、私のほうへと目配せした。

 何があった、と瞳が尋ねてくるが、私はあえて何も答えない。リリーが答えようとしないことを答える権利は私にはないと判断したからだ。

 未だに仮面をつけたままのリリーは、自分の太刀が呪いによって修復されているのを緩慢な動きで眺めると、ふっ、と鼻を鳴らした。

「大将首はこれから取るのよ」
「…ストレリなんとかか」

 リリーは浅く頷くと、「いい加減覚えなさい」と苛立たし気に吐き捨てる。

 小言をぶつけられたわけだが、ワダツミのほうはまるで気にしている様子もなく、肩を竦めた。

「やれやれ、同胞を討つというのは、想像していたよりも業が深い行為じゃったか?」
「…そんなんじゃないわ」

 俯いたままでリリーが答える。その声に力はない。

「疲れておるようじゃの。なんだったら、砦に後退しても構わんぞ。十分、お主は働いた」

「何を言っているの、冗談じゃない」ようやく彼女の顔がワダツミのほうを向く。「これからよ。これから始まるのよ、私の復讐劇は。それなのに、ここでやめて、私に何が残るの?ねぇ、そうでしょう?」

 すでにテントは人でいっぱいだ。誰もが傷つき、疲弊している。そんな中でリリーだけが生の活力に満ちている気がした。いや、違う。生き急いでいるような感じがあったのだ。

 今のリリーは、色々な意味で刹那的だ。復讐のために戦えればそれでいい、という感じもあったし、先のことなどどうでもいいようにも見えた。

 ワダツミも同じ印象を覚えたのか、深いため息を吐くと、リリーが座っている椅子の背もたれになだれかかり、彼女と背中合わせになった。

「何が残るか、のう」

 切れ長の目がすうっと細められる。

「討てば何かが残るというのか、黒百合」
「残るわ」
「何がじゃ」
「生の充足感よ」
「そのために、何を失う」
「何も失わないわ」
「なぜじゃ」
「すでに失っているからよ」

 互いに向きあうことのないまま、間髪入れずに行われるやり取り。私はそれを見ていると、どこか二人は似ているというか、波長が合うのだろうと感想を抱いた。

「…これからまた失うのではないのか、黒百合。喪失の道を、お主はどうして行く」

 それから、太刀を預けていたリリーに遠くから声がかけられた。修理が終わったらしい。

「私自身が喪失の道と思っていないからでしょうね。…ワダツミ、お喋りはここまでよ」

 リリーはすっと立ち上がると、太刀の補強と修理を行ってくれていた呪い師の元へ向かい、それを受け取った。そして、またこちらに戻ってくると、背を向けたままのワダツミを一瞥してから、私に向かって呼び掛ける。

「行くわよ、レイブン」
「はい、お嬢様」

 仮面の下は何も見えない。それでも、私は彼女について行かなければ――いや、今や、ついて行きたいと思った。

 リリーは、恒星みたいな人だ。

 激しく輝き、自分以外の人間の行く道すら照らすことのできる存在。その美しくも鮮烈な光は見る者の心に何かをもたらすわけだが、それは私もまた例外ではなく、彼女の煌めきにブリキのような心を動かされていた。

 反面、強く輝くことはそれだけ力を消耗する。命を燃やすようにして生きるリリーが、いつか、その輝きの強さゆえに押し潰されてしまわないかと心配になった。

 力になりたいと思った。もちろん、その理由の大部分を占めるのは、奥様がそう命令していたからというものだ。

 だが、それだけではないのも事実だ。

 どんなに惰弱でも、剣になり、盾になりたい。

 ――…彼女自身が、自らの眩しさのせいで滅びてしまわないように。

 私はテントを出て行くリリーのすぐ後ろに、いや、隣に並んだ。すると、それを横目で確認したリリーが言った。

「…珍しいこともあるものね。貴方が後ろではなく隣に来るなんて」
「お邪魔でしたか?」

 奴隷が主人の隣に並ぶなんてしない。夫人にだって、こんなことしたことがなかった。

「いえ、構わないわ。ただ、どういう風の吹き回しなのかと疑問に思っただけよ」

 私はそれを聞いて、少し歩調を緩めて考えた。

 こんなことを言って、本当にリリーが気分を害さないかと不安に思ったのだ。

 しかし、結局、私は自分の考えを口にする。なぜなら、リリーがそうしろと命じていたからだ。

「後ろにいては、剣にも盾にもなれないと思いました」
「…そう」

 少しだけ先を行くリリーに追いつくため、走り出そうとしたそのときだ。

 くるり、とリリーは振り返り、足を止めた。

 気品漂う彼女に相応しい衣装の裾が円を描けば、それにつられるようにして、彼女の銀髪が優雅に踊る。

 外からの光が、仮面の穴に降り注ぐ。そうすると、その穴の向こうでガーネットの輝きが瞬いたような気がした。

 美しい人だ。

 夕焼けの光など、この人には追い付けない。

「私の剣と盾なら裏切りは許さないわよ」

 裏切る?この人を?

 そんなもの、この世で最も下らない行為のような気がした。

「心得ております。お嬢様」
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