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四章 レイブン
レイブン.6
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ニライカナイの拠点に戻った私たちを待っていたのは、青天の霹靂のような知らせだった。
「リリー」
日頃仲良くしてくれているニライカナイのメンバーの一人、フウカが、鳥居をくぐって拠点に戻ったリリーへと声をかけた。
「どうしたの、フウカ。血相を変えて」
この場所で世話になり始めてから、すでに一ヵ月以上が経過していた。
最初の一、二週間は賊の征伐の件や、突如にして現れたエルトランド人への対応で騒然とした日々が続いていたが、その後は平和なものだった。
太陽が昇っているうちは、魔物を倒して日銭を稼ぎ、月が輝く頃には、呪いについてワダツミやリリーから指導を受ける。そして、眠る前にはリリーから色々な話を伺い、見聞を広める。
エルトランドで奴隷として働いていた頃には考えられもしなかった状況だ。
そして、リリー自身は、黙々と独学で刀の扱いを身につけていった。
初めは陰で揶揄する者もいたようだが、今となっては誰もそんなことはしない。彼女の成長ぶりは明らかに異質で、それを支えているものは、間違いなくたゆまぬ努力だと誰もが知っていたからだ。
「大変なの。えっと、その」
「落ち着きなさい。何があったの?」
「えっと、領海で戦闘があったみたいで」
「戦闘?」リリーは顔をしかめて問いかける。「エルトランドね?」
「うん。それで、えっと、とにかく、ワダツミ様のところに行って!」
フウカはそう言うと、拠点の外のメンバーにも伝えなければならないから、と階段を駆け下りていった。
風のように去っていくその背中をつい見送ってしまっていた私が顔を元の方向に戻すと、すでにリリーは足早に拠点の奥へと進み始めていた。
慌ててリリーの背中に追いつく。彼女の後ろ姿からは、形容し難い緊迫感が放たれていて、とてもではないが話しかけられそうにもなかった。
きっと、今のリリーの頭の中では、静かに燃え続けていた復讐の炎が強く揺らめいているに違いない。
やがて、拠点中央部の集会所に至ると、そこにはすでに何十人もの人間が会議を行っているところだった。
「黒百合、レイブン。帰ったか」
その中心に立っていたワダツミが私たちに気づき、声をかける。私は丁寧に頭を下げたが、リリーはまるで聞こえなかったみたいに彼女の前に躍り出た。
「状況は?」
「おぉ、やる気満々じゃのぉ」
「早く答えなさい。エルトランドの軍は、今、どうしているの」
ニライカナイの長たるワダツミに対し、こんなふうに不遜な口調を使うのはリリーだけだった。そのせいで、他のメンバーに毛嫌いされているところもあったが、今みたいにワダツミが視線だけでそうした反感をなだめるので、なんとかリリーも上手くやれている。
「本国の海軍を破り、領海を突っ切っておる。とうとうこの日が来たわけじゃ。海戦が得意だからといって無敵ではないと…ようやくお偉方も理解したことじゃろうて」
「…そう。上陸してくる気なのね」
「うむ。海流の影響もあって順風満帆とはいかんが、明日の夕暮れ時にでも孤月の入江に到達する予測じゃ」
「孤月の入江…どこなの、それは」
「おいおい、お主…」
間髪入れずに尋ねてくるリリーに、ワダツミは呆れたふうに眉を曲げた。
「まさか、一人で行くつもりかぁ?」
「それは…」
珍しく何も考えずに発した言葉だったのだろう、リリーは言葉を詰まらせると、バツが悪そうに視線を床の木目へと放った。
「黒百合、お主がエルトランドの連中と因縁めいたものがあることは承知の上しておる。しかしなぁ、ここはオリエントで、お主はすでにニライカナイに雇われの身じゃ。勝手な行動は慎め。のう?」
「私にとっては、なによりも大事なのよ。どこの誰に雇われているかという事実なんかよりもね」
「黒百合…」
傍若無人とも取れるリリーの態度に、ワダツミも目を細めた。これでは自分が周囲をなだめても意味がないと思ったのだろう。実際、エルトランド人やよそ者が嫌いなメンバーたちは、彼女への嫌悪感を表に出して睨みつけていた。
普段のリリーなら、そうした視線を受けるとさすがに反省した様子を見せるのだが、今回ばかりは違った。
「悪いけれど、これには一切の誇張もないのよ。本当に、私が生きていくうえで命よりも大事なことなの。分かるでしょ、みんなも。私もあの国のやり方を忌々しく思っている一人なのよ、落ち着いてなんかいられないわ」
一息にそう言い切った彼女は、深く吐息を漏らすと、その辺りの空いている椅子に腰を下ろし、「ごめんなさい」と短く謝罪した。
あの、いつも偉そうにしているリリー・ブラックが、エルトランド人のよそ者が自分から謝罪を口にしたとあっては、一同は目を丸くして互いに顔を見合わせるほかなかった。
私は別に今のリリーこそ、本当の彼女なのだと思っている。誠実で嘘がない。自分の生き方に真っ直ぐすぎる人。だから、周囲に傷つけられてしまう人。
ワダツミは安心した様子で、「それぞれ、落ち着いていられない理由はあるわな」と感慨深そうに言うと、メンバー全体を見渡し、深く頷いた。
「お主ら、ここでぴーちく、ぱーちく言いよっても仕方がないじゃろう。明日の夕方なぞあっという間に来る。弧月の入江付近の砦まで、さっさと必要な物資を運べ!近くの村におる仲間にはフウカが伝令に行っておるから、そやつらと連携を図りながら可能な限り準備せい」
鶴の一声みたいに、ワダツミの言葉で一同のざわめきが静まる。代わりに生まれたのは、統一感のある、堂々とした返事だった。
それからは、がやがやと騒がしくなりながらも、経験あるもの、人望あるものが先立って個々の統一を図り、分担して作業を開始していた。
統率された兵隊たちみたいだ、と私は何気なく思う。まあ、本物の兵隊など遠くからしかお目にかかったことはないが。
「ワダツミ、私も…」
周囲が動き出すなか、椅子に座ったまま動けずにいたリリーが慌てて腰を浮かせ、ワダツミに声をかける。
他のメンバーと話をしていたワダツミは、じろり、とリリーを見やると、「私も、なんじゃ」と鋭い目つきで言った。
「私も…連れて行って。お願い。魔導はもう使えないけれど、剣術には多少の自信はあるわ。だから――」
「ど阿呆め」
藪から棒に、ワダツミがリリーを非難する。怒っているのだろうかとリリーと揃って彼女を見やれば、ワダツミはこれまた呆れたふうにため息を吐いて、それから大きな声で私たちに告げた。
「お主らは客人ではないのじゃぞ!初めから頭数に入れておるわ!」
「リリー」
日頃仲良くしてくれているニライカナイのメンバーの一人、フウカが、鳥居をくぐって拠点に戻ったリリーへと声をかけた。
「どうしたの、フウカ。血相を変えて」
この場所で世話になり始めてから、すでに一ヵ月以上が経過していた。
最初の一、二週間は賊の征伐の件や、突如にして現れたエルトランド人への対応で騒然とした日々が続いていたが、その後は平和なものだった。
太陽が昇っているうちは、魔物を倒して日銭を稼ぎ、月が輝く頃には、呪いについてワダツミやリリーから指導を受ける。そして、眠る前にはリリーから色々な話を伺い、見聞を広める。
エルトランドで奴隷として働いていた頃には考えられもしなかった状況だ。
そして、リリー自身は、黙々と独学で刀の扱いを身につけていった。
初めは陰で揶揄する者もいたようだが、今となっては誰もそんなことはしない。彼女の成長ぶりは明らかに異質で、それを支えているものは、間違いなくたゆまぬ努力だと誰もが知っていたからだ。
「大変なの。えっと、その」
「落ち着きなさい。何があったの?」
「えっと、領海で戦闘があったみたいで」
「戦闘?」リリーは顔をしかめて問いかける。「エルトランドね?」
「うん。それで、えっと、とにかく、ワダツミ様のところに行って!」
フウカはそう言うと、拠点の外のメンバーにも伝えなければならないから、と階段を駆け下りていった。
風のように去っていくその背中をつい見送ってしまっていた私が顔を元の方向に戻すと、すでにリリーは足早に拠点の奥へと進み始めていた。
慌ててリリーの背中に追いつく。彼女の後ろ姿からは、形容し難い緊迫感が放たれていて、とてもではないが話しかけられそうにもなかった。
きっと、今のリリーの頭の中では、静かに燃え続けていた復讐の炎が強く揺らめいているに違いない。
やがて、拠点中央部の集会所に至ると、そこにはすでに何十人もの人間が会議を行っているところだった。
「黒百合、レイブン。帰ったか」
その中心に立っていたワダツミが私たちに気づき、声をかける。私は丁寧に頭を下げたが、リリーはまるで聞こえなかったみたいに彼女の前に躍り出た。
「状況は?」
「おぉ、やる気満々じゃのぉ」
「早く答えなさい。エルトランドの軍は、今、どうしているの」
ニライカナイの長たるワダツミに対し、こんなふうに不遜な口調を使うのはリリーだけだった。そのせいで、他のメンバーに毛嫌いされているところもあったが、今みたいにワダツミが視線だけでそうした反感をなだめるので、なんとかリリーも上手くやれている。
「本国の海軍を破り、領海を突っ切っておる。とうとうこの日が来たわけじゃ。海戦が得意だからといって無敵ではないと…ようやくお偉方も理解したことじゃろうて」
「…そう。上陸してくる気なのね」
「うむ。海流の影響もあって順風満帆とはいかんが、明日の夕暮れ時にでも孤月の入江に到達する予測じゃ」
「孤月の入江…どこなの、それは」
「おいおい、お主…」
間髪入れずに尋ねてくるリリーに、ワダツミは呆れたふうに眉を曲げた。
「まさか、一人で行くつもりかぁ?」
「それは…」
珍しく何も考えずに発した言葉だったのだろう、リリーは言葉を詰まらせると、バツが悪そうに視線を床の木目へと放った。
「黒百合、お主がエルトランドの連中と因縁めいたものがあることは承知の上しておる。しかしなぁ、ここはオリエントで、お主はすでにニライカナイに雇われの身じゃ。勝手な行動は慎め。のう?」
「私にとっては、なによりも大事なのよ。どこの誰に雇われているかという事実なんかよりもね」
「黒百合…」
傍若無人とも取れるリリーの態度に、ワダツミも目を細めた。これでは自分が周囲をなだめても意味がないと思ったのだろう。実際、エルトランド人やよそ者が嫌いなメンバーたちは、彼女への嫌悪感を表に出して睨みつけていた。
普段のリリーなら、そうした視線を受けるとさすがに反省した様子を見せるのだが、今回ばかりは違った。
「悪いけれど、これには一切の誇張もないのよ。本当に、私が生きていくうえで命よりも大事なことなの。分かるでしょ、みんなも。私もあの国のやり方を忌々しく思っている一人なのよ、落ち着いてなんかいられないわ」
一息にそう言い切った彼女は、深く吐息を漏らすと、その辺りの空いている椅子に腰を下ろし、「ごめんなさい」と短く謝罪した。
あの、いつも偉そうにしているリリー・ブラックが、エルトランド人のよそ者が自分から謝罪を口にしたとあっては、一同は目を丸くして互いに顔を見合わせるほかなかった。
私は別に今のリリーこそ、本当の彼女なのだと思っている。誠実で嘘がない。自分の生き方に真っ直ぐすぎる人。だから、周囲に傷つけられてしまう人。
ワダツミは安心した様子で、「それぞれ、落ち着いていられない理由はあるわな」と感慨深そうに言うと、メンバー全体を見渡し、深く頷いた。
「お主ら、ここでぴーちく、ぱーちく言いよっても仕方がないじゃろう。明日の夕方なぞあっという間に来る。弧月の入江付近の砦まで、さっさと必要な物資を運べ!近くの村におる仲間にはフウカが伝令に行っておるから、そやつらと連携を図りながら可能な限り準備せい」
鶴の一声みたいに、ワダツミの言葉で一同のざわめきが静まる。代わりに生まれたのは、統一感のある、堂々とした返事だった。
それからは、がやがやと騒がしくなりながらも、経験あるもの、人望あるものが先立って個々の統一を図り、分担して作業を開始していた。
統率された兵隊たちみたいだ、と私は何気なく思う。まあ、本物の兵隊など遠くからしかお目にかかったことはないが。
「ワダツミ、私も…」
周囲が動き出すなか、椅子に座ったまま動けずにいたリリーが慌てて腰を浮かせ、ワダツミに声をかける。
他のメンバーと話をしていたワダツミは、じろり、とリリーを見やると、「私も、なんじゃ」と鋭い目つきで言った。
「私も…連れて行って。お願い。魔導はもう使えないけれど、剣術には多少の自信はあるわ。だから――」
「ど阿呆め」
藪から棒に、ワダツミがリリーを非難する。怒っているのだろうかとリリーと揃って彼女を見やれば、ワダツミはこれまた呆れたふうにため息を吐いて、それから大きな声で私たちに告げた。
「お主らは客人ではないのじゃぞ!初めから頭数に入れておるわ!」
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