29 / 51
四章 レイブン
レイブン.5
しおりを挟む
「レイブンっ!そっちに行ったわ!」
リリーが私の名前を叫ぶ声より先に、魔物の咆哮が私の鼓膜を震わせる。
長い毛に覆われた、イタチのような魔物が猪突猛進でこちらに向かってくる。
全身傷だらけで、特に、つい数秒前にリリーの刀の刺突を受けて負った首の傷は深そうだった。
「はい」
こんなときでも私は律儀に返事をする。そうしないと落ち着かないからだ。
ポケットから、何枚かの紙――札を取り出す。ワダツミが私ようにとくれた呪術具である。一見すると何の変哲もない長方形の紙だが、これがあるのとないのとでは全く違った。
訓練においても、実戦においても。
物体には、魔力伝導性というものが存在する。小難しい単語だが、その物体がどれくらい魔力を通しやすいかどうかだ。
そのへんの石ころや棒切でも魔力を通すが、たいした量の魔力を帯びることはない。私程度の魔力では、放物線を描いている間に魔力が抜けてしまうのが関の山だ。これが札との大きな違いだ。
札なら、飛んでいってくれる。
真っ直ぐ、奥様の命令の邪魔をするものの元へ。
息を吸い、一瞬だけ目を閉じる。そうすることで、目蓋の裏側に宿る魔力の川を知覚できた。
きらきらと黒く光る水。私はそれに手を伸ばし、すくい、そして、札に注ぎ込んだ。
弾かれるように目蓋を上げ、札を迫りくるイタチ型の魔物へと向かって飛ばす。
イタチはぴょん、ぴょんと左右に飛んでそれをかわしたが、三投目で顔面に直撃し、小さく黒い閃光を受けて七転八倒、のたうちまわった。
私はそれが少しだけ哀れに見えた。先日のワニは奴隷同然だったと思うが、こいつは自由だ。ただなわばりを守るために私たちを襲ったにすぎない。
やがて、追い付いてきたリリーが、のたうちまわるイタチの首筋目掛けて、鋭く切っ先を突き刺したことで、完全に雌雄は決した。
「ふぅ…やっぱり、思ったよりも使いづらいわね、刀っていうのは」
汗を拭いながら告げたリリーの隣で、私はじっとイタチを見下ろした。
ワダツミらが言うに、この両腕に鎌を携えた魔物はカマイタチといって、オリエントの松林では頻繁に見られる魔物らしかった。
凶悪な見た目に対して意外と臆病で軟弱らしく、数も放っておくと際限なく増えるらしいうえに肉は美味しいから、『訓練相手』にはちょうどよいらしかった。
末期の痙攣があり、カマイタチは動かなくなる。私は最期の瞬間まで、じっとそれを見つめていた。見送る人がいると思ったのである。
「ここ数週間で、随分と使い物になるようになったわね。レイブン」
どうしてか、リリーは嬉しそうだ。私にはその理由が分からなかった。
「ありがとうございます」
視線を魔物から逸らさず、ぺこりと頭を下げる。
(…ごめんなさい。人間の都合で、ごめんなさい…)
見開かれたままの瞳に、死の鳥を彷彿とする黒い影が覗き込んでいるのが映っていた。それがなんだか恐ろしくて、私はそっと魔物の瞳を手で閉ざした。
命を踏み台にして、私は強くなる。
それはあまりに分不相応な気がしたけれど、魔物の血と肉は確かに私に経験という力をくれた。
「何をしているの?」
怪訝な様子でリリーがそう尋ねるから、私は俯いたままで答える。
「送り出してあげようと…」
「送り出す?死出への旅路?」
「…はい」
「ふっ、レイブンの名に相応しい仕事ね」
リリーがそう笑ったのを聞いて、私は胸がかあっ、と熱くなった。
レイブンは、カラスの名前は、死に汚れた名前ではない。
つい、私はじろりとリリーを睨み上げてしまった。奴隷が主人にしていい目つきではないことは間違いなかったが、今日はまるで感情を抑えられなかった。言葉として反感を示さなかっただけマシなぐらいだ。
リリーは私の眼差しに気付くと、呆れたふうに肩を竦めてから、「悪かったわ。そう怒らないで」と言った。
それを聞いて、奴隷に謝る主人とは一体…と私は困惑したが、そもそもそうさせたのは自分だということを思い出し、平身低頭して謝った。
「申し訳ございません、その」
「謝らないでいいわ」とこちらが思っていたことを言われる。「大事なものよね。レイブン、貴方にとって」
穏やかな微笑みを前に私は呆気に取られたが、我に返ると、短く頷いた。
最近のリリーはこんなふうに穏やかな顔をすることが増えた。いや、基本的には仏頂面か皮肉っぽい顔か、苛立っている顔かのどれかなのだが、ふとした拍子に気品あふれる微笑を浮かべるようになったのだ。
何をきっかけにしたかは分からなかったが、こうして落ち着いているときのリリーはバックライト夫人にますます似ていた。だから、私もこのほうが懐かしい気持ちになれて嬉しかった。
「レイブン」
リリーは魔物の死体を回収する担当者を招集するために持ってきていた発煙筒を取り出すと、導線を私のほうに向けた。
「これに火を点けてもらえるかしら」
「え…」
私は困惑した。マッチを持っていなかったからだ。
それを正直に伝えたところ、リリーは愉快そうに笑い、「そんなものより便利なものを、貴方は持っているのよ」とほとんど無理やり私の手に発煙筒を持たせた。
「魔力を使いなさい。このタイプは導線に魔力伝導性の高い素材を使っているはずよ」
「あ、はい」
言われたとおり、やってみる。
目を閉じ、黒く光る川に意識を傾け、それをすくって円柱へと流す…。
しかし、何も起きる気配はなかった。
「お嬢様、やはり駄目です。起こりません」
「んー…イメージの問題かしらね。いいでしょう、少しコツを教えてあげるわ」
お嬢様――アカーシャ・オルトリンデは卓越した魔導士だったと聞く。ずっと幼い頃から魔導の鍛錬に励んだ彼女に教えを請えるのは、多分、力を欲する者としては幸せなことなのだろう。
「魔力をどう捉えようと、根本的な始まりは同じはずよ。まずはそこから自然と引き出せるようにしましょう」
リリーが静かに私の後方へと動く。それから、私を抱くように両腕を回すと、発煙筒を握る私の手をそっと包んだ。
ふわっ、とリリーの甘い香りがした。ワダツミが黒百合、と彼女を呼ぶのを想起するくらいに甘い、花の匂いだ。
つい、体がぎこちなく固まってしまう。
(奥様も、良い匂いがした…)
郷愁は私をひと時の幸福へと誘うが、すぐにそれは虚しさへとつながった。
バックライト夫人の腕の中には、二度と戻れない。
「ほら、目を閉じて」新たな主人は、私の虚無感など知らずに続ける。「集中しなさい。まずは、貴方が魔力と聞いて思い浮かべるものに、意識を傾ける」
それはもうやった、と考えつつも、先ほどと同じことを繰り返す。
「今の私は、もう魔力を感じられないけれど…どう?」
「はい。ここまでは問題ありません」
「へぇ、ワダツミが言っていたようにかなり飲み込みが早いようね。いいわ。じゃあ、次に火を点けたい対象を思い浮かべてみて」
「はい」
私は返事をすると、頭の中に円柱を思い描いた。
「レイブン、今、どんな形を頭の中に描いているかしら」
「…細長い円柱、です」
「よろしい」嬉しそうに彼女は言う。「目を開けてみて」
指示された通りに目を開けると、リリーは実際の発煙筒とイメージ図とで何が違うかを覚えておけとアドバイスした。
黒い導線、赤い色、着火口には白い輪が描かれている…。
「さあ、もう一度。貴方がどこに火を点けるべきかを想像して、そこに火を灯しなさい」
魔導はイメージが大事だと、ワダツミも言っていた。もっと具体的に想像しなければならないのかもしれない。
再び目を閉じる。
魔力を注ぐべき円柱をイメージ。そして、導線を、色を、輪を付け足す。
まずは導線だ。ここに火を点ける。
炎は、どうイメージする?馬鹿みたいに燃える炎ではなく、静かに揺れる蝋燭を想像したほうがいい気がする。
頭の中で、導線に火を点けてみた。すると、どうだろう。あっと言う間に煙の臭いがし始めた。
目を開ければ、発煙筒はしっかり煙を出していた。
「…やれました、お嬢様」
抱いていた虚無感にも火が点いていたようで、少しずつ、自分の成長という大きな炎によって燃やされていた。
「ええ、できたわね。それにしても、本当に飲み込みがいいわ…貴方、実はバックライト夫人に教わっていたのではないの?」
「いえ、奥様はそのようなことは教えてくれませんでした。おそらく、リリーお嬢様の教えが良いのではないでしょうか」
こちらとしてもお世辞のつもりではなかったが、リリーはそれを聞くとやけに嬉しそうに、「ふふっ」と笑ってから、私を抱いたままで首を少しだけ倒し、耳のすぐ後ろで言った。
「よく分かっているわね。そうよ、先生がいいの。覚えておきなさい、レイブン」
私は途中から、リリーが何を言っているのかよく分からなくなっていた。
耳朶を打つ、カナリアみたいに綺麗な声。
背中の柔らかな感触、距離が近くなったことで強くなった甘い香り。
闇の中をたゆたう、バックライト夫人との綺麗な思い出が顔を出す。
不意に、体が熱くなった。胸の奥で炎がゆらめいているみたいだった。
(この熱が、お嬢様に伝わったらどうしよう…)
そんなふうに不安になって、彼女を下から見上げる。私とリリーの身長差はおよそ15センチ弱。リリーは、女性にしてはかなり身長の高いほうだった。
真紅の瞳が上から私を捉える。ちょっと嬉しそうなままの面持ちが、どうしてだろう、酷く胸を揺さぶった。
「…これからも、迷惑でなければ、よろしくお願いします」
するり、と自分の左手の薬指と中指を、リリーの手の隙間から外に出して、弱々しく絡める。
甘えている。
自分でもよく分かった。
奥様にすらしなかった甘え方だ。
「え、ええ…」さっと瞳を逸らされたのが、とても残念だった。「こうして一緒に戦う以上、貴方も強くなってもらわないと…私のためよ。私が復讐を成すためなのよ…」
私の指先は、指輪の硬い感触にぶつかっていた。
リリーが私の名前を叫ぶ声より先に、魔物の咆哮が私の鼓膜を震わせる。
長い毛に覆われた、イタチのような魔物が猪突猛進でこちらに向かってくる。
全身傷だらけで、特に、つい数秒前にリリーの刀の刺突を受けて負った首の傷は深そうだった。
「はい」
こんなときでも私は律儀に返事をする。そうしないと落ち着かないからだ。
ポケットから、何枚かの紙――札を取り出す。ワダツミが私ようにとくれた呪術具である。一見すると何の変哲もない長方形の紙だが、これがあるのとないのとでは全く違った。
訓練においても、実戦においても。
物体には、魔力伝導性というものが存在する。小難しい単語だが、その物体がどれくらい魔力を通しやすいかどうかだ。
そのへんの石ころや棒切でも魔力を通すが、たいした量の魔力を帯びることはない。私程度の魔力では、放物線を描いている間に魔力が抜けてしまうのが関の山だ。これが札との大きな違いだ。
札なら、飛んでいってくれる。
真っ直ぐ、奥様の命令の邪魔をするものの元へ。
息を吸い、一瞬だけ目を閉じる。そうすることで、目蓋の裏側に宿る魔力の川を知覚できた。
きらきらと黒く光る水。私はそれに手を伸ばし、すくい、そして、札に注ぎ込んだ。
弾かれるように目蓋を上げ、札を迫りくるイタチ型の魔物へと向かって飛ばす。
イタチはぴょん、ぴょんと左右に飛んでそれをかわしたが、三投目で顔面に直撃し、小さく黒い閃光を受けて七転八倒、のたうちまわった。
私はそれが少しだけ哀れに見えた。先日のワニは奴隷同然だったと思うが、こいつは自由だ。ただなわばりを守るために私たちを襲ったにすぎない。
やがて、追い付いてきたリリーが、のたうちまわるイタチの首筋目掛けて、鋭く切っ先を突き刺したことで、完全に雌雄は決した。
「ふぅ…やっぱり、思ったよりも使いづらいわね、刀っていうのは」
汗を拭いながら告げたリリーの隣で、私はじっとイタチを見下ろした。
ワダツミらが言うに、この両腕に鎌を携えた魔物はカマイタチといって、オリエントの松林では頻繁に見られる魔物らしかった。
凶悪な見た目に対して意外と臆病で軟弱らしく、数も放っておくと際限なく増えるらしいうえに肉は美味しいから、『訓練相手』にはちょうどよいらしかった。
末期の痙攣があり、カマイタチは動かなくなる。私は最期の瞬間まで、じっとそれを見つめていた。見送る人がいると思ったのである。
「ここ数週間で、随分と使い物になるようになったわね。レイブン」
どうしてか、リリーは嬉しそうだ。私にはその理由が分からなかった。
「ありがとうございます」
視線を魔物から逸らさず、ぺこりと頭を下げる。
(…ごめんなさい。人間の都合で、ごめんなさい…)
見開かれたままの瞳に、死の鳥を彷彿とする黒い影が覗き込んでいるのが映っていた。それがなんだか恐ろしくて、私はそっと魔物の瞳を手で閉ざした。
命を踏み台にして、私は強くなる。
それはあまりに分不相応な気がしたけれど、魔物の血と肉は確かに私に経験という力をくれた。
「何をしているの?」
怪訝な様子でリリーがそう尋ねるから、私は俯いたままで答える。
「送り出してあげようと…」
「送り出す?死出への旅路?」
「…はい」
「ふっ、レイブンの名に相応しい仕事ね」
リリーがそう笑ったのを聞いて、私は胸がかあっ、と熱くなった。
レイブンは、カラスの名前は、死に汚れた名前ではない。
つい、私はじろりとリリーを睨み上げてしまった。奴隷が主人にしていい目つきではないことは間違いなかったが、今日はまるで感情を抑えられなかった。言葉として反感を示さなかっただけマシなぐらいだ。
リリーは私の眼差しに気付くと、呆れたふうに肩を竦めてから、「悪かったわ。そう怒らないで」と言った。
それを聞いて、奴隷に謝る主人とは一体…と私は困惑したが、そもそもそうさせたのは自分だということを思い出し、平身低頭して謝った。
「申し訳ございません、その」
「謝らないでいいわ」とこちらが思っていたことを言われる。「大事なものよね。レイブン、貴方にとって」
穏やかな微笑みを前に私は呆気に取られたが、我に返ると、短く頷いた。
最近のリリーはこんなふうに穏やかな顔をすることが増えた。いや、基本的には仏頂面か皮肉っぽい顔か、苛立っている顔かのどれかなのだが、ふとした拍子に気品あふれる微笑を浮かべるようになったのだ。
何をきっかけにしたかは分からなかったが、こうして落ち着いているときのリリーはバックライト夫人にますます似ていた。だから、私もこのほうが懐かしい気持ちになれて嬉しかった。
「レイブン」
リリーは魔物の死体を回収する担当者を招集するために持ってきていた発煙筒を取り出すと、導線を私のほうに向けた。
「これに火を点けてもらえるかしら」
「え…」
私は困惑した。マッチを持っていなかったからだ。
それを正直に伝えたところ、リリーは愉快そうに笑い、「そんなものより便利なものを、貴方は持っているのよ」とほとんど無理やり私の手に発煙筒を持たせた。
「魔力を使いなさい。このタイプは導線に魔力伝導性の高い素材を使っているはずよ」
「あ、はい」
言われたとおり、やってみる。
目を閉じ、黒く光る川に意識を傾け、それをすくって円柱へと流す…。
しかし、何も起きる気配はなかった。
「お嬢様、やはり駄目です。起こりません」
「んー…イメージの問題かしらね。いいでしょう、少しコツを教えてあげるわ」
お嬢様――アカーシャ・オルトリンデは卓越した魔導士だったと聞く。ずっと幼い頃から魔導の鍛錬に励んだ彼女に教えを請えるのは、多分、力を欲する者としては幸せなことなのだろう。
「魔力をどう捉えようと、根本的な始まりは同じはずよ。まずはそこから自然と引き出せるようにしましょう」
リリーが静かに私の後方へと動く。それから、私を抱くように両腕を回すと、発煙筒を握る私の手をそっと包んだ。
ふわっ、とリリーの甘い香りがした。ワダツミが黒百合、と彼女を呼ぶのを想起するくらいに甘い、花の匂いだ。
つい、体がぎこちなく固まってしまう。
(奥様も、良い匂いがした…)
郷愁は私をひと時の幸福へと誘うが、すぐにそれは虚しさへとつながった。
バックライト夫人の腕の中には、二度と戻れない。
「ほら、目を閉じて」新たな主人は、私の虚無感など知らずに続ける。「集中しなさい。まずは、貴方が魔力と聞いて思い浮かべるものに、意識を傾ける」
それはもうやった、と考えつつも、先ほどと同じことを繰り返す。
「今の私は、もう魔力を感じられないけれど…どう?」
「はい。ここまでは問題ありません」
「へぇ、ワダツミが言っていたようにかなり飲み込みが早いようね。いいわ。じゃあ、次に火を点けたい対象を思い浮かべてみて」
「はい」
私は返事をすると、頭の中に円柱を思い描いた。
「レイブン、今、どんな形を頭の中に描いているかしら」
「…細長い円柱、です」
「よろしい」嬉しそうに彼女は言う。「目を開けてみて」
指示された通りに目を開けると、リリーは実際の発煙筒とイメージ図とで何が違うかを覚えておけとアドバイスした。
黒い導線、赤い色、着火口には白い輪が描かれている…。
「さあ、もう一度。貴方がどこに火を点けるべきかを想像して、そこに火を灯しなさい」
魔導はイメージが大事だと、ワダツミも言っていた。もっと具体的に想像しなければならないのかもしれない。
再び目を閉じる。
魔力を注ぐべき円柱をイメージ。そして、導線を、色を、輪を付け足す。
まずは導線だ。ここに火を点ける。
炎は、どうイメージする?馬鹿みたいに燃える炎ではなく、静かに揺れる蝋燭を想像したほうがいい気がする。
頭の中で、導線に火を点けてみた。すると、どうだろう。あっと言う間に煙の臭いがし始めた。
目を開ければ、発煙筒はしっかり煙を出していた。
「…やれました、お嬢様」
抱いていた虚無感にも火が点いていたようで、少しずつ、自分の成長という大きな炎によって燃やされていた。
「ええ、できたわね。それにしても、本当に飲み込みがいいわ…貴方、実はバックライト夫人に教わっていたのではないの?」
「いえ、奥様はそのようなことは教えてくれませんでした。おそらく、リリーお嬢様の教えが良いのではないでしょうか」
こちらとしてもお世辞のつもりではなかったが、リリーはそれを聞くとやけに嬉しそうに、「ふふっ」と笑ってから、私を抱いたままで首を少しだけ倒し、耳のすぐ後ろで言った。
「よく分かっているわね。そうよ、先生がいいの。覚えておきなさい、レイブン」
私は途中から、リリーが何を言っているのかよく分からなくなっていた。
耳朶を打つ、カナリアみたいに綺麗な声。
背中の柔らかな感触、距離が近くなったことで強くなった甘い香り。
闇の中をたゆたう、バックライト夫人との綺麗な思い出が顔を出す。
不意に、体が熱くなった。胸の奥で炎がゆらめいているみたいだった。
(この熱が、お嬢様に伝わったらどうしよう…)
そんなふうに不安になって、彼女を下から見上げる。私とリリーの身長差はおよそ15センチ弱。リリーは、女性にしてはかなり身長の高いほうだった。
真紅の瞳が上から私を捉える。ちょっと嬉しそうなままの面持ちが、どうしてだろう、酷く胸を揺さぶった。
「…これからも、迷惑でなければ、よろしくお願いします」
するり、と自分の左手の薬指と中指を、リリーの手の隙間から外に出して、弱々しく絡める。
甘えている。
自分でもよく分かった。
奥様にすらしなかった甘え方だ。
「え、ええ…」さっと瞳を逸らされたのが、とても残念だった。「こうして一緒に戦う以上、貴方も強くなってもらわないと…私のためよ。私が復讐を成すためなのよ…」
私の指先は、指輪の硬い感触にぶつかっていた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~
矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。
隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。
周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。
※設定はゆるいです。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる