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二章 白の雪が夏に溶ける
白の雪が夏に溶ける.3
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しばらく、妙な時間が続いた。
お互いに言葉を発さず、ちまちまとコーヒーと昼食を口に運んでいる一方、何度も何度も一瞬だけだが視線は交差していた。
雪姫の顔がずっと赤いままだから、僕のほうも変わらず熱が抜けなかった。
恥ずかしがるくらいなら、そんな格好しなければいいのに…と考えてはみるものの、ドキドキするこの心臓は、決して雪姫に対して呆れのような感情は抱いてはいない。とはいえ、どんな言葉で表せばいいのかは分からない。
何気なく時間を気にしているふりをして時計のほうへと視線をやる。
すでに席に着いてから三十分近くが経過している。店を出ないと迷惑になるだろうかと雪姫に問えば、彼女は、
「喫茶店なんて、一杯のコーヒーで長居する場所なのよ」とあっけらかんに説明した。
互いに顔の赤みが引き始めてからは、再びとりとめもない話を始めた。そうすることが自然な流れだったからじゃない。そうしないと、落ち着かなかったからである。
だから、僕がその話題を出したのは本当にただの気まぐれだった。
「そういえばこの間、よく分からないことを神田さんに言われたんだ」
「神田?」
「そう。あぁ…クラスメイトの」
「知ってる」
途端に険しい顔に変わった雪姫を怪訝に思いつつも、僕は先日、神田樹に言われたことを雪姫に話した。
うろ覚えで語った内容だったから、どこまで正確だったかは分からないが…まあ、概ね間違ってはいないはずだ。
雪姫は僕の話を聞き終わると、むすっとした顔で、「で?」と頬杖をついてみせる。
「で…って?」
「そ・れ・で?そんな話を私に聞かせて、あんたはどういうつもりなのよ」
「なんだ、急に怒るなよ」
「怒ってないわよ。なんで私がそんなことで怒らなきゃいけないのよ」
だったら、誤解を招くような態度を避けるべきだと僕は片眉をひそめる。しかしながら、段々と勢いを増す火柱のように不機嫌さが加速していく雪姫の様子を見て、すぐに矛を収める。
「いや、ただ…結局のところあれはなんだったんだろう…って思っただけだ。忘れてくれ」
「ふぅん」
唇を尖らせた雪姫。猫みたいに大きく、吊り上がった両目が不審そうに僕を捉えて離さない。
気づかないうちに逆鱗に触れてしまったらしい。もしかすると、僕の知らないところで神田樹となにかしらの因縁があるのかもしれない。
僕は言い訳もできず、カップを口に運んで中のコーヒーを飲んでいるふりをした。
二人の間に言葉がなくなる。
雪姫は不機嫌そのものといった顔でそっぽを向いているし、さっきまで美味しい気がしていたコーヒーの味も、なんだか薄ぼんやりとしてしまい、ただの苦い液体に早変わりしてしまっていた。
神田樹の話題など口にしなければよかった、と小さくため息を吐くと、それを聞いたらしい雪姫がようやくこちらを向いて声を発した。
「本気で分からないの、あんた」
「え?なにが?」
待望の言葉に飛びつく。彼女からのパスなんて、普段はほとんどないのだ。
「神田が言ってたことの意味。本当に分からないのかって聞いてんのよ」
「妙なことを聞くなぁ。分からないから雪姫に尋ねたんだろう」
僕がそう答えると、また雪姫は黙り込んでしまった。ただし、今度は僕の胸の内を探るような視線を向けてきている。
綺麗なオニキスに見つめられて悪い気はしないが…どれだけ探ったって、僕のなかには何の他意もないのだから、それはそれで申し訳ないような気もした。
ややあって、不審感の消えない瞳で雪姫が問いかける。
「夕凪、あんた神田のこと知らないの?」
「神田さんくらい知っている。馬鹿にするな」
「そうじゃなくて、あいつがどんな人間なのかよ」
神田樹がどんな人間か?
僕はその問いを受けて、不覚にも口元を綻ばせてしまった。
どんな人間なのか、知っているといえば知っているが、知らないと言えば知らない。そもそも、何をもってして表現できれば、その個人を的確に説明していると言える?基準があまりにも不明確ではないか。
肩を竦めつつ、「クラスメイトとして、知ってることくらいは知ってるさ」と返す。
「なにそれ。神田とは、たまにあんたも話してるでしょ。だいだいは知ってるんじゃないの?」
「雪姫、その言い分はまかり通らないな」
「はぁ?なんでよ」
僕は良い機会だ、と思い、自分のことはあまり語りたがらない雪姫を指差す。
「家族を除けば――いや、除かなくても、僕が一番長く時を共にしているのは雪姫。君だ。だけど僕は、雪姫のことはほとんど何も知らない」
まさか自分が引き合いに出されるとは思ってもいなかったのだろう。雪姫は口をぽかんと開けて僕の顔を見つめていた。
「言葉を交わす量と、その人に対する知識量は必ずしも比例しない。つまり、僕は神田樹についてほとんど何も知らないし、雪姫についてだって聞かされてない」
だから、僕個人としてはもう少し雪姫のことを知りたいと思っている。
これをチャンスにそう伝えてみようか、と頭が一瞬だけ悩んだところ、次の瞬間には雪姫は腹立たしそうに顔を歪め、口を開いていた。
「うっさいわね、気障ったらしく、ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ。このナチュラルぼっち」
ぶすり、と言葉のナイフで一刺しされて、僕は表情を強張らせる。
「ぼ、僕は…」
弁明をしようと思った。
前口上が長い自覚はあるが、それは雪姫に普段はお願いしづらいことを自然な流れで言うためであって、断じて、気障ったらしくお説教したかったわけではないのだ。
しかし、僕が口を開きかけた刹那、雪姫が聞き捨てならないことを口走った。
「…神田樹は、自分がレズビアンだとカミングアウトしてるわ」
お互いに言葉を発さず、ちまちまとコーヒーと昼食を口に運んでいる一方、何度も何度も一瞬だけだが視線は交差していた。
雪姫の顔がずっと赤いままだから、僕のほうも変わらず熱が抜けなかった。
恥ずかしがるくらいなら、そんな格好しなければいいのに…と考えてはみるものの、ドキドキするこの心臓は、決して雪姫に対して呆れのような感情は抱いてはいない。とはいえ、どんな言葉で表せばいいのかは分からない。
何気なく時間を気にしているふりをして時計のほうへと視線をやる。
すでに席に着いてから三十分近くが経過している。店を出ないと迷惑になるだろうかと雪姫に問えば、彼女は、
「喫茶店なんて、一杯のコーヒーで長居する場所なのよ」とあっけらかんに説明した。
互いに顔の赤みが引き始めてからは、再びとりとめもない話を始めた。そうすることが自然な流れだったからじゃない。そうしないと、落ち着かなかったからである。
だから、僕がその話題を出したのは本当にただの気まぐれだった。
「そういえばこの間、よく分からないことを神田さんに言われたんだ」
「神田?」
「そう。あぁ…クラスメイトの」
「知ってる」
途端に険しい顔に変わった雪姫を怪訝に思いつつも、僕は先日、神田樹に言われたことを雪姫に話した。
うろ覚えで語った内容だったから、どこまで正確だったかは分からないが…まあ、概ね間違ってはいないはずだ。
雪姫は僕の話を聞き終わると、むすっとした顔で、「で?」と頬杖をついてみせる。
「で…って?」
「そ・れ・で?そんな話を私に聞かせて、あんたはどういうつもりなのよ」
「なんだ、急に怒るなよ」
「怒ってないわよ。なんで私がそんなことで怒らなきゃいけないのよ」
だったら、誤解を招くような態度を避けるべきだと僕は片眉をひそめる。しかしながら、段々と勢いを増す火柱のように不機嫌さが加速していく雪姫の様子を見て、すぐに矛を収める。
「いや、ただ…結局のところあれはなんだったんだろう…って思っただけだ。忘れてくれ」
「ふぅん」
唇を尖らせた雪姫。猫みたいに大きく、吊り上がった両目が不審そうに僕を捉えて離さない。
気づかないうちに逆鱗に触れてしまったらしい。もしかすると、僕の知らないところで神田樹となにかしらの因縁があるのかもしれない。
僕は言い訳もできず、カップを口に運んで中のコーヒーを飲んでいるふりをした。
二人の間に言葉がなくなる。
雪姫は不機嫌そのものといった顔でそっぽを向いているし、さっきまで美味しい気がしていたコーヒーの味も、なんだか薄ぼんやりとしてしまい、ただの苦い液体に早変わりしてしまっていた。
神田樹の話題など口にしなければよかった、と小さくため息を吐くと、それを聞いたらしい雪姫がようやくこちらを向いて声を発した。
「本気で分からないの、あんた」
「え?なにが?」
待望の言葉に飛びつく。彼女からのパスなんて、普段はほとんどないのだ。
「神田が言ってたことの意味。本当に分からないのかって聞いてんのよ」
「妙なことを聞くなぁ。分からないから雪姫に尋ねたんだろう」
僕がそう答えると、また雪姫は黙り込んでしまった。ただし、今度は僕の胸の内を探るような視線を向けてきている。
綺麗なオニキスに見つめられて悪い気はしないが…どれだけ探ったって、僕のなかには何の他意もないのだから、それはそれで申し訳ないような気もした。
ややあって、不審感の消えない瞳で雪姫が問いかける。
「夕凪、あんた神田のこと知らないの?」
「神田さんくらい知っている。馬鹿にするな」
「そうじゃなくて、あいつがどんな人間なのかよ」
神田樹がどんな人間か?
僕はその問いを受けて、不覚にも口元を綻ばせてしまった。
どんな人間なのか、知っているといえば知っているが、知らないと言えば知らない。そもそも、何をもってして表現できれば、その個人を的確に説明していると言える?基準があまりにも不明確ではないか。
肩を竦めつつ、「クラスメイトとして、知ってることくらいは知ってるさ」と返す。
「なにそれ。神田とは、たまにあんたも話してるでしょ。だいだいは知ってるんじゃないの?」
「雪姫、その言い分はまかり通らないな」
「はぁ?なんでよ」
僕は良い機会だ、と思い、自分のことはあまり語りたがらない雪姫を指差す。
「家族を除けば――いや、除かなくても、僕が一番長く時を共にしているのは雪姫。君だ。だけど僕は、雪姫のことはほとんど何も知らない」
まさか自分が引き合いに出されるとは思ってもいなかったのだろう。雪姫は口をぽかんと開けて僕の顔を見つめていた。
「言葉を交わす量と、その人に対する知識量は必ずしも比例しない。つまり、僕は神田樹についてほとんど何も知らないし、雪姫についてだって聞かされてない」
だから、僕個人としてはもう少し雪姫のことを知りたいと思っている。
これをチャンスにそう伝えてみようか、と頭が一瞬だけ悩んだところ、次の瞬間には雪姫は腹立たしそうに顔を歪め、口を開いていた。
「うっさいわね、気障ったらしく、ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ。このナチュラルぼっち」
ぶすり、と言葉のナイフで一刺しされて、僕は表情を強張らせる。
「ぼ、僕は…」
弁明をしようと思った。
前口上が長い自覚はあるが、それは雪姫に普段はお願いしづらいことを自然な流れで言うためであって、断じて、気障ったらしくお説教したかったわけではないのだ。
しかし、僕が口を開きかけた刹那、雪姫が聞き捨てならないことを口走った。
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