さよなら、ダークヒーロー

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二章 白の雪が夏に溶ける

白の雪が夏に溶ける.2

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 あれは一体、どういう意味があったんだろう…。

 そんなことを考えながら僕は、夏の容赦ない日差しから逃れるべく、商店街の分厚い屋根の下で人を待っていた。

 その場で樹に言葉の意味を尋ねたが、彼女はただ恥ずかしそうに、嬉しそうにはにかむだけで答えという答えは口にしなかった。

 話す機会が多い、というだけで特段仲が良いわけではない。それでも、耳朶を打った囁きは心の隅に居座り続けている。彼女が吐いた、『僕』という一人称が普通じゃない、という久しぶりの呪言も忘れかけるほどにその言葉を気にしていた。

 しかし、それから五分ほどが経ち、待ち人が現れたときにはそのことすらもどうでもよくなるほどの衝撃を受けてしまった。

「早いのね、夕凪」

 背後からの一声。すぐに雪姫だと気づいた。

「あ、おはよう、雪姫…」

 振り返りながら、片手を上げる準備をしていた僕は、彼女の姿に目を丸くして言葉を失う。

 ゴシック調の黒のミニスカートに、黒のオフショルダーを身にまとう雪宿雪姫は、初夏を含みきれなかったアスファルトの熱の中、幻みたいに立って僕のほうをじろりと見つめていた。

 てっきり、雪姫の私服はもっとボーイッシュなものとばかり思っていたので、僕は思わず言葉を失って、彼女のつま先からつむじまでを観察してしまう。

 陽光が焼くかもしれないと考えると、それをさらし続けていることが罪深いことなのではないかと思わせる、白い肌。

 そう、白だ。新雪を彷彿とさせる、白。

「人のことをジロジロと…なに、あんた、人間のメスが珍しいの?」
「え、あ、嫌、僕は…」

 失礼なことをしていた自覚があったので、つい言い淀んでしまう。

「た、ただ、思ったより女の子らしい格好をするもんだな、って…驚いただけで…」

 言葉を紡いでいても、肌に浮いた鎖骨が気になって仕方がない。

 最近、ただでさえ雪姫から視線を逸らすことに四苦八苦するのに…こんなふうではどうにもならない気がする。

「ふぅん」

 受け取りようによっては怒られかねない僕の言葉を、雪姫はどこかふてぶてしく笑う。

「ま、あんたは想像どおりって感じね。夕凪」
「…それ、どういう意味だ」

「そのままの意味よ」と彼女は僕のことを指さした。「適当なTシャツにジーパン。人の貴重な休日を使わせておいて、そのへんのコンビニにでも行くわけ?」

「べ、別にいいだろう」
「ふん。まあいいわ」

 挑戦的な笑みで鼻を鳴らす雪姫だったが、機嫌が悪いわけではなく、むしろ、上機嫌であるように僕の目には映った。

 彼女のようなひねくれた人間は、調子が良いときほど皮肉を放ったり、口が悪くなったりするものなのである。

「それで?今日はどこに行くのよ」

 雪姫が僕を追い越しながらそう尋ねた。

 風を切って彼女の足が前後する度に、スカートの裾が揺れる。蠱惑的な白い輝きが、僕の心を惑わすせいで一瞬だけ反応が遅れた。

 僕は雪姫が怪訝な顔をしていることに気づくと、ごまかすように首を回し、「それは雪姫が決めてくれるんじゃないのか」と当たり前のように問い返した。

「は?」
「は、ってなんだ。はって」
「…いや、あんた、本気?」
「なにがだ」
「どこに行くか、私が決めるって」
「もちろんだ。『友人役』として、僕に一般的な友人関係のなんたるかをいつものように教授してくれるんだろ。そういう話だったじゃないか」
「そういう話だったじゃないかって…」

 雪姫はしばし唖然とした顔で僕を見たかと思うと、そのうち嘆息を漏らして肩を竦め、うわごとのように、「これだからナチュラルぼっちは…」と呟いた。

 雪姫曰く、彼女自身は人工のぼっちで、僕は天然物のぼっちらしい。つまり、自分は好き好んで独りでいるが、僕のほうはなるべくして独りになっているということだ。

 なんとなく理屈は通っている気がしたが、どうにも僕は気に入らなくて、目くじらを立てることが続いている。

 結局、僕らの行く先は雪姫が決めてくれた。もちろん、余計としか思えない小言とセットではあったが、ご機嫌な様子ではあるので良しとした。

「喫茶店にでも行くわよ」と吐き捨てるように言った雪姫の隣を歩く間も、僕は彼女より高い目線から覗いてしまう、白い肌の隙間に注意が逸れてばかりだった。



『喫茶店』とかいう実態の明らかではない――もっと言うと、本当にそんなものがあるのかと疑っていた店の中は、僕が小説や漫画、アニメなんかで想像していたより普通だった。

 馬鹿みたいにファンシーな装飾も、目が回るような値段の飲み物もない。まぁ、ちょっと割高とは思うが、人に作ってもらって、片付けまでしてもらうのだから仕方がないのだろう。

 メニューを読んで、ものの数秒で注文を決めた雪姫とは対照的に、僕はコーヒー一つ決めるのに時間を要してしまった。

 不慣れ、というのもあるが…こうして色々と選択肢があると迷ってしまう性が僕にはあった。

 雪姫が頼んだパンケーキと僕が頼んだサンドイッチ、それから、二人分のコーヒーがテーブルに並ぶ。

 インスタントとは違う風味がするが、この味の違いに何倍もの値段差に相当する価値があるのかは甚だ疑問だった。しかし、それを口にすると雪姫が怖い顔をしたので素早く別の話題に切り替えた。

 当たり障りのない会話が続いた。別に、屋上でもできるような会話だ。

 だけど僕は、それで十分楽しむことができていた。

 普段とは違う装いをした雪姫との、普段とは違う場所での会話。

 中身は同じのくせに、新鮮な感じがする。

 僕は『幸せ』というものがどんな箱に詰まっているかは知らない。だけど、雪姫との時間は間違いなく、乾いていた僕の心を潤してくれている。

 サンドイッチを口に運びながら、そんなセンチメンタルなことを考える。

(これが、『友だち』なんだろうか…)

 舌が感じ取る卵とマヨネーズの味わいにも集中できず、上の空で雪姫の白い面持ちを見つめていると、不意に彼女は身を乗り出して左手を伸ばしてきた。

「ちょっと、夕凪。マヨネーズついてるわよ」

 オフショルダーの胸元から艶やかな白い谷間が見えそうになって、僕は弾かれたように顔を背けた。

 空振った指先に雪姫は面食らったふうな顔つきになる。

「なに。どうしたのよ」
「…」

 僕が無言でいるせいで、彼女はますます怪訝そうに顔を歪める。

 顔が熱い。

 北宿雪姫の白が、僕の心を惑わせている。

「…夕凪?大丈夫?」

 普段は聞けない、雪姫の心配そうな声。

「あ、いや…」

 友だちが少し露出の多い服を着ていて、たまたまきわどい角度で視界に入っただけだ。

 それなのに、どうしてこんなにも平静ではいられなくなるのだろう。

 僕の充足感とは縁遠かった心は、何を感じたのだろうか。

「どうしたのよ?体調が悪いなら、そう言って」

 声と表情に宿る不安が段々と強まっていく様子に申し訳無さを覚えつつあった僕は、正直に言うべきか悩んだ。

 彼女に叱責されるか、侮蔑の眼差しを向けられるかすることを考えると気が引けた。しかし、このまま姿勢も変えずに覗き込まれることも落ち着かなったので、僕は素直に考えを口にする。

「雪姫、その…」
「なに?」

 こてん、と小首を傾げる仕草。

 角度も相まって非常にあざとい。彼女にそのつもりはないと分かっていても、ごくりと喉が鳴るほどだ。

「そ、そういう服装で、あまり無防備に上体を倒すものじゃない。目のやり場に困ってしまう」
「は?――あ…」

 雪姫は自分の胸元に視線を落とすと、ハッとした顔つきになって慌てて身を引いた。

 叱られそうだと思った。だけど、こちらの予想とは裏腹に、雪姫は顔を真っ赤にして両腕で自分の体を抱くと、上目遣いでこちらをじっと睨むだけ睨んで、やがて、視線を逸らすのだった。
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