さよなら、ダークヒーロー

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二章 白の雪が夏に溶ける

白の雪が夏に溶ける.1

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 北宿雪姫と出会ってから、かれこれ三ヶ月。

 穏やかだった太陽は烈日となり、アスファルトを熱して地を這うもの炙ることに使命感を見出し初めた頃のことだ。

 教室はすでにみんなの装いが変わっていた。鬱屈とした黒を思わせる冬の制服から、澄んだ晴天を、水を、茜色の夕暮れを想起させる白い夏の制服になったのだ。

 元々、僕は袖丈の短い夏の制服が好きではない。

 メキメキと伸びた身長。それに必死で追いつこうと伸びた細い手が、肘から先もさらされてしまうからだ。

 しかし…今年の夏は少し違った。

 僕は頬杖をついた姿勢でなにげなくを装い、視線を斜め向かい、教室の角の席にやった。

 そこでは僕と全く同じ姿勢で窓の外を見つめている北宿雪姫の姿があった。

 退屈そうな、あるいは、何かに苛ついているような面持ちの彼女は、窮屈そうに足を組んでいた。

 僕は、雪姫の曲げた腕やスカートの裾からこぼれる足の白さに心を奪われていた。

 見たこともない、北の雪景色が頭に浮かぶ。

 誰とも言葉を交わさない、孤独な少女。だというのに、彼女の横顔に寂しさは見えなかった。

 雪姫は自分を生きている。

 そうして僕がじっと彼女を盗み見ていたところ、いつの間にか隣の席についていた生徒に声をかけられる。

「夕凪さん、おはよ」

 相手のほうに顔を向ける。隣の席の生徒かと思っていたがそうではなかった。

「おはよう、神田さん」

 神田樹(かんだいつき)――比較的早いうちから僕に話しかけてくれていたクラスメイトの一人である。

「今日も天気が良くて、暑いね」

 会話下手な僕に雪姫が教えてくれた、必殺、天気の話題。

 これで妙な顔をされることは少ないため重宝しているが、乱用しているせいか、この間は樹に『天気の話、好きだね』と見当違いの解釈をされてしまった。

 別に好きではないが、理由を説明することも難しかったため、はにかんでごまかした。昔だったら考えられない、協調性のある態度だ。

「ねー、日に日に暑くなってくね。嫌になっちゃう」

「暑いの嫌いなんだね」相手の言葉を繰り返したところ、樹に、「暑いのが好きな人なんているの?」と不思議そうに返された。

 なかなかどうして、会話とは難しいものである。

 だいたい、神田樹とはこうして当たり障りのない会話しかしない。

 彼女らクラスメイトがこういう浅い会話――もとい、誰とでもできそうな会話を好むことは最近になってようやく理解できたことの一つだ。

 なんでこんな中身のない会話に時間を割くのかと疑問だったが、どうやらこれが彼女らにとってのコミュニケーションツールみたいなものらしく、不可欠の存在であるようだった。

『彼女ら』に溶け込む努力をしている僕も、最近はすっかりこういう会話に慣れ親しんでしまった。そうでないのは雪姫と話をしているときだけだが、どちらに意義を感じるかは愚問である。

 早く雪姫との時間が来ないだろうか、と視線を隣の席に座るクラスメイトから雪姫に移す。

「夕凪さんは夏が好き?」

 そんなことは一言も言っていない…と思いつつも、空っぽの会話に興じる。

「少なくとも、僕は嫌いじゃないかな」
「へぇ」

 短い相槌の後、何を思ったのか、樹が僕の机に片手を置いて覗き込んできた。

「だったら、私も好きになっちゃおうかな?」

 自分で言ったくせにどこか落ち着かない様子で垂れた前髪を払う樹を、僕は怪訝に思って小首を傾げる。

「なにを?」
「んー…さあ、なんだろう」

 要領を得ない会話だ。しかし、これに意味があると雪姫は語る。彼女が言うならきっと真実だ。

「よく分からないけど、誰が何を好きになるかはその人の自由だ、よ。だから、好きにすればいい…と思う」

 最近は言葉遣いにも気を払っている。

 普段使っている男言葉は、僕にとっては一番しっくりくるものだったから変えたくはなかったが…これが『友だち』や『恋人』を作るのに大事だというなら受け入れるべきだと我慢している。

 無論、雪姫の前では気にはしていない。彼女もそれでいいと言うし、自然体でいられる場所を削るのは忍びないものがある。

「ふふ、夕凪さんって不思議」

 一瞬だけ驚いた顔をした樹は、そのうち満足そうに微笑んでそう言った。

「よく言われる。変わり者だって自覚はあるよ」
「目立つよね、色々と」
「…話し方、変かな?」

 気になっていたことを尋ねれば、彼女は少しだけ真剣な顔をしてから、意地悪そうに口元を曲げた。

「まあ、普通の女の子は『僕』って言わないかな」

 久しぶりに受けた指摘に、僕は心臓が止まりそうになった。

 心臓の回転が速くなり、体温の上昇も感じる。昂揚しているのが自分でもすぐに分かった。端的に言えば怒りを覚えたのだ。

『そんなの僕の勝手だろ』。

 少し前だったら絶対にそう答えただろう言葉を脳内で唱えながら、ぎゅっと机の下で拳を握る。

「そ、うなんだ…」
「うん、みんな『私』でしょ?」

 体中の僕の血が、細胞が、心臓の鼓動に合わせて拡縮して、『言いたいことぐらい口に出せ』と急かしている。

 それができなかった『私』を『僕』は情けないと嫌ったのに、『僕』は今、何をやっているのだろうか。

 これを抑え込むことが、友だちを、パートナーを作ること?

 違うだろう、と僕の中の大事な思い出が顔をしかめる。

 僕だって、そう思った。

 でも、直後によぎった雪姫の顔を思い出し、彼女がしてくれた助言を無為にしたくないとこらえることのほうを選ぶ。

 すると、樹が不思議なことを口にした。

「本当はね?夕凪さんと話したがってる人、多いんだよ」
「僕と?」

 思わず聞き返すと、彼女はにかんでみせた。愛らしい表情だと、僕はなんとなく思った。

「うん。夕凪さん、美人だもん。――でもね、自分のことを『僕』って呼ぶ人は、ちょっとだけ変わってるって思うから、話しかけてもいいのか迷うんだって」

 美人、という単語はお世辞だと直感した。そういう表現は雪姫のような人間にこそ相応しい。

 僕は樹の言葉に我慢できず、顔をしかめた。

「変わってる人だと話しかけてもいいのか分からないって、どういう理屈だ」

 つい、普段の低い地声が出た。

 クラスでは意識して高い声で話しているから、樹は少し驚いた顔をしている。

 しかし、彼女はそれで臆すことはなく、むしろ愉快そうに笑った。

「あはは、みんな集団からはみ出したくないんだろうね。あ、誤解しないであげて。『僕』って、やっぱり目立つから」

 馬鹿にされている、と感じた僕は目元を吊り上げて神田樹を座ったままの姿勢で睨んだが、彼女は相変わらず飄々と笑って、「ごめん、ごめん」と言うばかりだ。

 そんな彼女の顔を見ていると、まともに怒る気持ちも失せ、僕はため息混じりに問いを投げた。

「はぁ…だったらどうして神田さんは、『変わっていて話しかけづらい、普通じゃない』僕に話しかけるんだ」

 皮肉を込めて、つい雪姫にやるみたいにやってしまう。

 すると、樹はその言葉を待っていたとばかりに満足そうに微笑んだ。それから、辺りを見渡し、自分たちに視線が集まっていないことを確認すると、僕の耳に顔を近づけて囁いた。

「私も、普通じゃない女の子だから、かな」
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