異世界剣豪~侍になれなかった女~

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七章 さよなら、世界

さよなら、世界.1

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 炎はもうほとんど勢いを無くして、ただ地面を這っているだけだというのに全身が酷く熱かった。

 息も絶え絶えな自分の体に、燐子は苦笑いを浮かべる。

(これほどまでに長期戦になるとは……やはり、ままならぬものだ)

 本当は渇いた笑い声の一つでも上げて自分を鼓舞してやりたかったのだが、そんな余裕すら、今のこの体には残っていない。

 周辺には、足の踏み場に困るほど死体が散乱し、その多くが一太刀の元に絶命していた。

 丘の上には、もう兵隊は残っていない。

 だがそれは、燐子が敵兵を鏖殺したわけではなかった。

 その証拠に自分の周りには、沢山の兵士が陣形を組んで広がっていた。

 すると、囲いの中から、紫色の装飾をあしらえた、大きめの馬がぬっと顔を出した。集中も切れ始めた頭でそちらを見やれば、驚くべきことに、騎手は女だった。

「まさか、本当に一人でここまでできるなんて……」自分の仲間の死体を、感心するようにしげしげと眺めている。「見事だわ、貴方」
「ありがたいお言葉だな……」

 周囲の兵士たちに目配せしてから、女が馬から身を降ろす。手には、身の丈以上の大鎌が握られていた。

 女は燐子とあまり変わらない年恰好で、さらに、着物のような服で身を包んでいた。紫、赤、黒の三色が織りなす美しい布地は、かつての故郷を思い出させる。

「お前が大将か」
「まあ、似たようなものかしら」

 年齢は自分より少し上、二十代半ばくらいだろう。着物に負けないくらいの艶やかさが体を覆っている。

 隙のない立ち居振る舞いに、強いな、と燐子は頭の隅で考えた。

(あんな得物、どうやって使う……?ふ、想像もできん)

 すると、女が燐子の太刀をじっと見据えて言った。

「貴方、流れ人ね」
「なぜ、そう思う」
「その武器を見れば分かるもの」
「は、だろうな」視線を刀に落とす。「だったら、どうだと言うのだ」
「……美しい艶のある黒髪、そして闇のように深い黒目、触れれば斬れるような殺気……こんな辺境で思わぬ拾い物だわ」
「何を言っているのか、検討もつかんな」
「ふふ、そうでしょうね」と女は笑った。

 とても上品だった。手にした大鎌すら、ある種の芸術品に見えてしまうほど。

「貴方がどういう人なのか、丘の上から見ていても、よく分かった」

 柔和な面持ちだが、目の奥がぎらぎらした気迫に満ちていた。

 女は大鎌の刃をすうっと地面に向けて、風にそよぐ紫がかった長髪を片手で抑えて言った。

「貴方は、生き死にの狭間をたゆたってきたような人なのね。そう、あの方と同じ。意地っ張りで、高潔で、青い炎のように熱くて、それでいて、孤独を恐れぬ強さを持つ人」

 やたらに色気のある低い声が自分の手元にまで響き、思わず燐子はぐっと歯を食いしばった。

「……誰と重ねているかは知らんが、私は意地っ張りでも激情家でもない。分かったようなことを言うのはやめろ」
「あら、意外と自分のことには無頓着みたいね」
「黙れ。私は、自分のことを他人に決められることが好かんのだ」
「うふふ、ごめんなさい。そう怒らないで?可愛いお顔が台無しよ」

 愉快そうな笑みが、燐子をさらに苛つかせた。

「口の軽い女だ。気に入らない」
「もう、そう邪険にしないでほしいわ。誰だって、お楽しみの前には気が昂るものでしょう?」

 それには同感だった。強者との斬り合いの前は、確かに心が昂る。

 とはいえ、正直に頷くのも気が乗らない。

「ふん、いつまでも敵とくどくどと話をするつもりはない。用が済んだのなら……、さっさとかかって来い」
「まあ、『待て』ができない子ね」

 鈴が鳴るような声でからかわれ、腸が煮えくり返りそうになるが、女が意味深に続けた言葉を耳にして、それどころではなくなった。

「……本当に、戦いとなると血が騒いでしょうがないのね。――『侍』という生き物は」

 初めは自分の空耳かと疑った。だが、目の前で不敵に笑う女の顔を見て、聞き間違えではないのだと確信し、驚愕した。

 その瞬間、どこからこんな活力が湧いたのかと不思議になるくらい力がみなぎり、燐子は大声を張り上げ、女のそばに詰め寄った。

「貴様、どこでその言葉を――」

 燐子が全てを言い終わる前に、女が機敏な動作で大鎌を振るう。

 刃が自分の喉元に触れていることに一拍遅れて気づいた燐子は、自らの無謀な行動、それから女の攻撃に気配がなかったことに顔をしかめた。

 女は燐子の自制の効いていない行動を見て、愉快そうに喉を鳴らすと、相変わらず何が楽しいのか分からない笑みで言った。

「ほら、激情家でしょう?」
「ちっ……」
「私がその気なら、もう終わっているわ」

 これにはぐうの音も出ない。

 女は、燐子の首筋を傷つけないようゆっくりと大鎌を戻すと、じっと彼女を見つめた。

 値踏みするような視線だ。気に入らない、と燐子は目元を厳しくする。

「どこで聞いた」
「何をかしら?」
「とぼけるな!」今度は燐子が太刀を真っすぐ相手に向けた。「『侍』という言葉だ!」
「私、そんなこと言ったかしら」
「貴様、いい加減に……!」
「もう、冗談よ。怖い人」

 女は今にも爆発しそうなほど真っ赤になった燐子へ軽く謝罪をすると、唐突に真面目な表情になった。

「私たちのところにもいるのよ。貴方と同じ太刀を持つ、黒髪、黒目の剣士が」
「なに……?」

 私と、同じ――流れ人?

 とても信じられないといった様子で拳を握りしめて、燐子が言う。

「そんな都合のいい話……、嘘に決まっている。そもそも、流れ人自体かなり珍しいと聞いた。それが、同時期に侍が二人も現れるなど、不自然だ」
「うふふ」
「何がおかしい……!」
「私、別に同じ時期なんて、言っていないわ」
「何?」
「あのお方はもう、十五年近く前から帝国にいるわ」

 その言葉を聞いて、燐子は愕然とした表情で硬直した。

 そうか、何を勘違いしていたのだ。

 ここに飛ばされて来たからといって、時間まで同じとは限らないのだ。

「そ、そいつは今、何をしている」
「あの方は今、私たち帝国特師団の指揮官をされているわ」
「指揮官だと……?」だらりと、刀を持つ腕が下がる。「馬鹿な」
「本当よ。私が子どもの頃からだから、もう随分と経つわね。こっちの世界でお嫁さん捕まえて、娘だっているわ」

 そんなことがあるのか、と燐子は唖然とした。

 元の世界に戻れはしないかと考えたことがない燐子ではなかった。しかし、それは叶わないことなのだと、直感に近い形でたった今、理解してしまう。

 今の状況も忘れて、ぼうっと魂が抜けたように佇んでいた燐子だったが、女が不意に声をかけたことで、はっと我に返った。

「どう?会ってみたいと思わない?」
「……どういうことだ」

 すると女は、今までの飄々とした口調がまるで嘘だったかのように、真面目腐った感じで続けた。

「あのお方の傘下に入るのよ。いい?降るのではないわ。私たちの仲間になるの。貴方の腕なら誰も文句は言わないわ。安心してちょうだい?貴方が斬ったのはどうせチンピラと変わりない、辺境警備隊の、恥知らずな連中。野盗あがりが死んでも、誰も困らないから」

 女の言っている言葉の意味は分かるものの、それを現実として受け止めるのに多少の時間がかかりそうで、燐子は皮肉を呟いて冷静になろうと努めた。

「恥知らずな連中の頭領がよく言う」
「え?いえいえ、違うのよ?私は別件でここに来ているだけ。貴方が部隊長を殺しちゃったから、しょうがなく指揮を執っているの」

 正直、そんなことは言われなくとも分かっていた。

 どう考えても、彼らとこの女の間には越えようもない壁がある。

「村の安全も保障するわ。もちろん、村人の命と尊厳も。悪い話じゃないでしょう?」

 確かに、破格の条件だ。

 それが真実ならば。

「ふざけるな、貴様らが約束を守る保障などないだろう」
「あら、それなら貴方と交渉する必要はないでしょう?略奪がしたいなら、こんな死にかけの少女なんて相手にせず、さっさと殺して突破すると思わない?」
「……それもそうか」

 燐子が俯きがちになって漏らす。

「ね?だから、村の人たちに話を通してくれるかしら」

 そう言うと、女は燐子の正面に立った。

 深い知性を感じさせる、紫水晶の瞳。

 彼女は本気だ。本気で私を同胞に加えようとしている。

(――また、仕えるべき相手を見つけて生きる……か)

 燐子は、ゆっくりと瞬きをし、それから、ゆっくりと息を吐いた。

「確かに、会ってみたい」

 その言葉に、女が嬉しそうに微笑む。

 しかし、次に燐子が言い放った言葉を聞いて、女は表情を変えた。

「だが、それは貴様を斬ってから、自分でそうさせてもらう」

 じぃっと、女は瞬き一つせずこちらを見据える。

 風が強く吹き、とうとう最後の燃えかすのような炎を消し去った。

 それによって、火の明かりが無くても周囲が十分明るくなり始めていることに気が付く。

 夜明けが近いのだ。

 もしかすれば、もう少し会話を引き延ばせば、騎士団の救援が間に合うかもしれない。

 しかし、それでは困ることが一つだけあるのだ。

 ふうっ、と女がため息を吐いて肩を竦めた。そして、くるりと背を向けると、無感情な調子で告げる。

「よく考えたほうがいいわ。貴方の選択は、救える命全部を溝に流し込むような、つまらない選択になるわ。下らない意地と、本来守るべき命と村、きちんと天秤にかけてはどうかしら?」

 ここまで言う以上、きっとこの提案には何の裏もないのだろう。実際、女の言う通り、騙すくらいなら、初めから力で征服したほうが手っ取り早かったはずだ。

 燐子はそれを理解したうえで、首を縦に振らないことを選んでいた。

「下らない、か」

 女の背中に呟きかける。心なしか、女の殺気が増しているようだった。

「本当にそう思うか」

 くるりと、女が振り向く。

 その顔つきには、先ほどまでの微笑みはない。

 無感情で、もはや、鋼鉄の仮面だ。

「ここで私が『はい、そうですか』と従って、貴様はそれでいいのか」
「……どういう意味かしら?」

 その問いに答えずに、燐子は淡々と付け足した。

「私には分かる。よくないはずだ」

 太刀を引き抜く。

 死の間合いには、まだ半歩ほど遠い。

 体力は随分と回復した。万全の状態とは言い難いが、それでも退屈させない自信はある。

 女は少し顎を持ち上げて、燐子の話を興味深そうに聞いていた。

「生き死にの狭間で瞬く光に、手を伸ばす昂り……決して、無下にはできまい」

 その言葉は、まるで自分に向けて言っているように思えた。

 生まれ変わった自分の誕生を祝福する、祈りの言葉だ。

「斬り合わずにはいられない。そうだろう、貴様も……!」

 女は燐子の言葉を黙って聞いていた。かと思うと、唐突に破顔し、大きな笑い声を上げた。

 鈴の鳴るような、美しいさえずりだった。

「ふふ、うふふ!そうね、私もあんなものを見せられて、お腹が空いてしょうがなかったもの!いいわ、お誘いに乗ってあげる!」

 女はそう告げると、一度だけ後ろを振り返り、他の者たちに絶対に手出ししないように伝えて、大鎌を振るった。

「貴方、お名前は?」
「知ってどうする」
「つれないわね。貴方たちの国のしきたりでは、一騎討ちのときは、名を名乗るものなのでしょう?」

 なるほど、その流れ人とやらに聞いたのか。

 頷き、名前を口にする。

「燐子だ」
「そう、燐子……。綺麗な名前」
「世辞はいらん。貴様も名乗れ」

 そう促された女は、美しい声で名乗りを上げた。

「シュヴァルツ帝国特師団所属、紫陽花。さぁ、燐子、踊りましょう?」

 紫陽花か、と故郷の花を思い出して、燐子は場違いにも笑った。

「ふっ……――六文銭を忘れるなよ、三途の川が渡れんからな」

 構えた太刀の銀月のような刃が、暁を反射してきらりと輝いた。
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