異世界剣豪~侍になれなかった女~

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六章 黎明は遥か遠く

黎明は遥か遠く.7

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 ミルフィは、自分がここで引き下がっては駄目だと強く感じて、決然と立ち上がった。それから、燐子の肩を強く掴んで後方に押しのける。

「問題大有りでしょうが、馬鹿。アンタの腕一つに、みんなの命がかかってるのよ」

 少し前のほうで燃え盛る炎が、徐々に弱まっていくのを見て、ミルフィはこのままでは不味いと唇を噛んだ。

 正面から全軍で当たられては、兵力に劣るこちらはすぐに圧殺されてしまうだろう。

 つい先ほどまで、餓狼のような形相を四方に向けていた燐子だったが、ようやく落ち着きを取り戻したようで、一度両手の太刀を振り払うと、鞘にゆっくりと納めた。

 それから静かな足取りでこちらへ寄ると、小さな声で謝罪した。

「すまん。冷静さに欠いていた」
「……あんまり、心配かけないで。ばか」

 周囲には、こちらの様子を窺っている兵士が十人近くいるものの、ミルフィの精緻な射撃への警戒と、それを阻止しようとすれば、自然と間合いに入らなければならない燐子の剣術を恐れて、硬直状態が続いていた。

 不意に風の向きが変わり、瞬く間に煙がその場にいた全員の姿を覆い隠した。

 最初に動き出したのはミルフィだった。

 矢を放ち、相手に当たったことを音で察すると、さらに聴覚を研ぎ澄まして、人の気配が感じられるほうへ矢を連射した。

 同時に誰かの呻き声が響く。またもや命中したようだ。

 自分は夜目も多少は効くが、それよりも耳が良い。だから、視界が悪くても、獣の動きを読むみたいに相手の動きを予測することができる。

「燐子、右!」

 先ほどから、全く動かずにいる燐子に伝える。

 すると彼女は、一切の迷いなく、左手で太刀を抜刀し、その鎧ごと相手の胴体を斬りつけた。

「次、後ろ!」

 ミルフィの声に合わせて体の向きを変えた燐子が、逆袈裟に太刀を一閃させる。

 その風圧で煙が流れ、こちらに向かってきていた二人の兵士の姿がはっきりと目視できた。

 見える敵は、燐子に任せる。

 そう判断したミルフィはやや距離のある気配に向けて、音を頼りに狙いを澄まし、勢いよく矢を放つ。直撃だ。

 普通なら、敵味方入り乱れての乱戦になってしまうはずの煙が、今は自分たちに幸運を運んできている。

 自身の耳の良さがこんなところで役に立つなんて、ミルフィは夢にも思っていなかった。

 煙に向かって飛び込むように太刀を振るう燐子の死角に弓を構えて、放つ、といった同じ作業を繰り返す。

 見えないのだから避けようも、防ぎようもない彼らは、ミルフィにとっては止まっている的に等しかった。

 燐子が敵を倒す気配を感じつつ、目の前に迫っている音の主に神経を集中させる。

 しかし、相手は想像していたよりもずっと近くにいたらしく、男の振り回した両刃の刃先が飛び退いた自分の衣類を表面だけ切り裂いた。

 死の間隙で瞬く光にぞっとして、構えていた弓を落としてしまう。

「くっ……!」
「貴様、よくも!」

 激情に身を任せた兵士がもう一薙ぎ剣を横に振るったが、腰から抜いたナイフで身を守り、なんとか後退する。

 しかし、相手の踏み込みが深く、あっという間に懐に飛び込まれてしまった。

 こんな狩猟用のナイフでは、あの両刃剣を受け止めることは絶対に不可能だ。

 エミリオの泣き顔が走馬灯のように浮かぶ。

(まだ、死ねない)

 体勢をさらに低くして、ほとんど倒れ込むような形でその一撃を躱すが、すぐにトドメの一撃が迫った。

「あ……」

 頭上に掲げられる両刃剣。

 これは、避けられない。

 その瞬間、ミルフィと男の間にさっと燐子が割り込んだ。

 彼女は、振り下ろされた一撃を斜めに構えた太刀でいなしてから、さっと横に動くと、男の下がった首を狙って太刀を振り下ろした。

 そのまま、男に背を向けた姿勢で血振るいし、眼前に鞘と太刀を構えて納刀する。

 その鮮やかさに、物語のワンシーンみたいだと思った。

「無事か」と燐子がすました顔で言う。
「おかげさまで」

 燐子が強がる自分に手を差し出してきたので、躊躇なく握り返して立ち上がる。

 示し合わせたかのように風が吹き、辺りの煙を霧散させた。

 キラキラと輝く星空が見える。

 今になって思えば、この村から見えるものなんて、水と、古い建築様式の住居と、森と、この星空ぐらいしかない気がする。

 緻密に並べ立てたような、ほとんどいつもと変わらない星々は変化を遠ざけているようだ。

 何も変わらないままのほうがいい、自分はそう思っていた。

 そうすれば、これ以上、誰もいなくならない。

 エミリオも祖父も、村の人たちも。

 そんな毎日の中、突然、空から星が落ちてきたみたいに彼女が現れた。

 私の周りをズタズタにかき乱したその星は、夜の濃い闇よりも黒い星だった。

 それなのに、その輝きはどんな恒星よりも強く、激しく、見上げるしか能のない私の瞳に眩しく刺さった。

 その光の強さに一時は顔を背けたけれど、やはり、暗闇で光を放つものは人を魅了するもので、私もそれから逃れることはできなかったようだ。

「燐子」とその星の名前を呼ぶ。

 彼女は不思議そうに首を傾げ、少し高い位置から私を見下ろした。

 二人で勝ち取った束の間の静寂に影響を受けたのか、自分の心は風のない湖面のように静かだった。

「ありがとう」

 今なら素直に口にすることができた。

「二度もエミリオを守ってくれたこと、私のわがままを聞いてくれたこと、村のために誰よりも危険な役目を請け負ってくれたこと。全部、全部、ありがとう」

 ミルフィとしては、渾身の思いを込めて伝えたつもりだったのだが、燐子は眉一つ動かさずに握っていた手を放した。

「どうした。まだ何も終わっていないぞ、気を抜くな」

 そのぶっきらぼうな様子にミルフィは、この朴念仁め、と心の中で不満を漏らしたのだが、自分に背を向けた燐子の耳が赤く染まっていることに気が付き、吹き出しそうになる。

「照れちゃって」ナイフを鞘に納め、落とした弓を拾い上げる。「素直じゃないのね」
「違う、そもそも私は自分のために動いただけだ。結果的にお前たちのためになっただけで、それ以上でも、それ以下でもない」
「顔、赤いわよ」彼女の横に回り込んでそう意地悪く呟く。
「炎のせいだ」
「へぇ」馬鹿にしたような声に、燐子がムキになって言う。「何だ」
「別に」

 チッと彼女が舌打ちをしたのが聞こえたが、それもきっと照れ隠しだ。

 ほどなくして、再び敵が斜面を駆け下りて来る音が聞こえ始めた。

「……夜明けはまだ先か」

 東の空を見つめる。しかし、まだ黎明の輝きは見えず、山の頂は暗黒に染まっているばかりだ。

「もう少しだとは思うけど」
「だといいがな」

 燐子は太刀の柄に手を伸ばし、凛とした目つきで抜き放つ。

「こちらの消耗が先か、騎士団の到着が先か、いい勝負になりそうだ」

 空気中に響き渡った、刃が鞘を滑る独特の音が消える頃には、燐子の息も整っていた。

 しかし、その横顔には疲労の色が如実に表れており、彼女にだって限界があることを示している。

「とにかく準備をしなきゃ」とミルフィが矢筒から矢を抜いて、それを弦に番えた瞬間だった。

 門の向こう側、つまり村の中のほうから悲鳴が聞こえた。

 反射的に振り返った二人の視線の先に、村の中に向けて弓を構えているドリトンの姿があった。

 つまりそれは、村の中に敵兵が侵入しているということだ。

 エミリオが、お祖父ちゃんが、みんなが危ない。

「何をしている、早く行け」
「で、でも」

 燐子のほうだって、これ以上一人で凌ぐのはきっと限界だ。

「村の者たちに死なれたら、何のための戦いか分からなくなるだろうが」

 燐子の言い分は正しい。だが、ここで燐子を見殺しにできるほど冷徹ではなかった。

 しかし、ミルフィの逡巡を無視して、燐子が早口で告げる。

「今朝も、ミルフィの飯を食った」
「は?」
「生きるための飯だ。……違うか」
「燐子……」
「ふん、さっさと行け。時は金だ」

 確かに、死ぬために飯を作ってやっているわけではないと伝えたが。

 この緊迫した状況を考えたら、あまりにも不似合いな発言だった。だが、その言葉でミルフィの覚悟は決まる。

「馬鹿じゃないの」と呟いたミルフィは、全力で門のほうまで駆け出した。「死なないでよ、馬鹿燐子!」

 同時に、炎の壁の向こうから敵兵が飛び込んでくるのが分かる。

 だが、ミルフィはもう振り返るつもりはなかった。

 剣戟の音が木霊する中、一気に門の下まで駆け付け、縄梯子を下ろすように声を上げる。

 しばらくして、村人の一人が青い顔で梯子を下ろした。

 それに足を掛けながら、「何があったの」と尋ねる。

「帝国兵が一人だけ、中に入ってきてたんだ」
「嘘、入り込む隙間なんてなかったはずよ!」ミルフィが責めるような口調で言ったからか、相手も「知らんよ!」と強い語気で返してきた。

 高台の上に立って、ドリトンのそばまで行く途中で、村の中を素早く観察する。

 一人の男が、村のど真ん中で剣を片手に振りかざしながら、怒鳴り声を上げている。しかも、もう片方の腕には、村の若い女性が首を絞められ捕まっていた。

 ここから帝国兵までの距離は、おおよそ100メートルといったところ。隙を見て矢を放ち、一撃で仕留めるにはリスクが大きすぎる。

 他に仲間はいない様子だが、どうしてこの男だけが村の内側に入り込んでしまったのか。

 不思議に思い、相手を爪先からつむじまでチェックしたところ、ふと、あることに気づいた。

(こいつ、鎧も体も傷だらけだ)

 もしかすると、エミリオが突き落として殺したと言っていた帝国兵なのではないか?

(だとしたら……!)

 ミルフィの胸の中に、筆舌に尽くしがたい気持ちが込み上げてきて、彼女は何度か深呼吸を行った。

 エミリオは、弟は、人を殺していない。

 その事実が、彼女の中で渦巻いていた後悔を解き放ち、場違いにも救われたような気分になった。

 ならば、間違いなく敵兵は一人だ。

 念の為にエミリオに顔を確認してもらっておこう。

 そう考えてエミリオの姿を探し始めたミルフィは、視線をあちこちにさまよわせた。しかしながら、恐ろしいことにエミリオの姿はどこにもなかった。
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