異世界剣豪~侍になれなかった女~

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六章 黎明は遥か遠く

黎明は遥か遠く.5

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 燐子の言葉に呼応するかのように、騎馬隊が数騎と、歩兵が数十人、大地を激震させながら駆け下りてくる。

 残りは高みの見物でも決め込むつもりなのか、未だ丘の上から動く気配を見せない。

「舐められたものだ……すぐに後悔させてやる」

 背後では村人たちが血相を変えて走り回り、怒鳴り散らす声が聞こえる。

 懐かしい、戦の声だ。

 急斜面を勢いよく駆け下りすぎて、そのうちの何騎かが防護柵に詰まって転倒する。

 あまりにも愚鈍な馬の扱いにため息が出そうになるも、いよいよ敵の第一陣がもう十何秒の距離に迫ってきて、燐子は身構えた。

「今です!」そうドリトンの嗄れた声が叫ぶのを聞いて、思わず口元が綻ぶ。

 高台から放たれた数本の矢が、丘から真っすぐ続くように作られた道の脇目掛けて降り注ぐ。

 一見すれば、素人が射った矢があらぬ方向に飛んだように見えるだろうが、そうではない。

 途端に油の嫌な臭いが辺りに充満して、先ほどまで澄み渡っていた夜気を穢す。

 本道の脇に並べてあった油入りの樽に矢が突き刺さって、中身を散乱させたのだ。

 こちらの作戦に気がついたらしい帝国兵は、何とか速度を緩めようとしたものの、それもすでに時遅かった。

 ほとんどの兵が減速に失敗し、横転し、滑り降りてくる。

 一度倒れてしまった馬は、もう起き上がれはしない。

 馬には申し訳ないが、兵隊諸共炭になってもらおう。

 先刻放たれた矢とは明らかに精度が違う一矢が、燐子の頭上を、輝きながら通り過ぎていく。

 ミルフィだろう。

 まるで流れ星のような火矢は、団子になって動けずにいた兵士たちの足元に刺さったかと思うと、たちまち灼炎を巻き上げ、そこにいる全ての命を焼き焦がした。

 人の悲鳴、馬の断末魔、転げ回る真っ黒な炭、髪の燃える臭気。

「これだ、これが、戦場。私のいるべき場所……」

 燐子は、背筋にぞくりとしたものを感じて空を仰いだ。

 そのとき、瑠璃色の夜空を切り裂く流星が目に飛び込んできた。それを見た燐子は、何か確信めいたものに突き動かされ駆け出した。

 丘の上から続いていたらしい後続部隊が、火の弱い箇所を選んで門のそばに迫ってきていた。

 背中に村人たちの声を感じたが、そんなものはもうどうでも良かった。

 第一陣に向かって突入し、先頭を薙いで斬り捨てる。

 致命傷にならずとも、動けなくなった敵兵は高台からの射撃で確実に葬られる。

 夜を切り裂く流星。

 流れ人。

 異世界からやって来た、違う世界の住人。

 駄目だ、笑いが込み上げてきそうだ。

 この世界で、たった一人の、日本人。

 誰も、私を知らない。

 誰も、もう私を縛れない。

 私を縛っていたものは、全てが城と共に燃え尽きたのだから。

 燐子の自分の身を顧みない、特攻じみた勢いに圧されて、兵士の何人かが炎の中に後退する。だが、結局はその熱にやられ、泣く泣く彼女の前に引っ張り出されてしまい、そのまま返す刀で流れるように屠られていく。

 果敢に振り返される両刃の剣をかい潜り、すんでのところで喉元をかき切る。

 こんな戦いを続けていては、いつか紙一重で斬られそうであるが、ずっとこうして生き延びてきたという狂信的な矜持が、燐子を危険な戦闘に駆り立てていた。

 当たる直前で躱して、斬る。

 再び躱して、斬る。

 時には刃で刃を流し、隙間に差し込むように斬る。

 力のない自分が、日本刀という最強の武器を最大限に活かすために習得した――身躱し斬り。

 刃と刃の紙一重。生死の狭間の輝きを最も近くで見ることができる場所。

 敵が圧倒されているのが分かる。

 自分を恐れているのが分かる。

 自分が片腕を切り落とした兵士が、倒れ込んだその先で、矢の驟雨を浴びて絶命するのを視界の隅で見ながら、次の標的に向かって猛進する。

 一閃、一閃、何千、何万回と繰り返した動作で太刀を振るう。

 敵が持つ槍の矛先をいなし、懐に飛び込んで逆袈裟に切り払う。

(刃こぼれがまるで感じられん……やはり、最高の仕上がりだ、スミス……!)

 前に出過ぎているのが自分でもよく分かった。あまり離れすぎると、ミルフィたちの援護が届かない。

 一旦冷静にならなければ、と数歩後ろ向きに下がった次の瞬間、思いがけない方向から槍先が飛んできて、慌てて身をよじる。

「くっ…・・!?」

 しかし、完全に躱しきることに失敗したようで、脇腹の辺りに熱い感覚が奔った。

 どうなっている、と攻撃を受けた方向へ視線を向けると、右側を流れる川に沿って建てられた防護柵の先から、数名の兵士がこちらに向かって来ているのが見えた。

 目の前では、その先駆けらしき帝国兵が決死の形相で再度、槍を振りかぶっていた。

 炎の勢いが強すぎて、防護柵が焼け落ちたのか。

 何と間抜けなことだ。

(今退けば、討たれる……っ!)

 一度押し込まれれば最後、敵兵は濁流のように流れ込んできて、とてもではないが一対一などとは言っていられなくなるだろう。

 実際、今も半ば集団戦に突入しかけている。

 ここからが本番だ、と気合を入れ直し、自分に傷をつけた男の顔を睨みつけたところ、その側頭部に勢いよく矢が突き刺さった。

「燐子!右は私たちに任せて、少し下がりなさい!」

 炎によってあらゆるものがバチバチと弾け散っている中、良く通る聞きなれた声が背後から鼓膜を揺らし、はっと我に返った。

「ああ!」

 気が付けば、ほとんど炎の中にいる。

 それを意識した途端に、肌をチリっと焼けつく感触が襲った。特に左手の甲が熱い。

 顔をしかめ、後ろを振り返らずに素早く門のほうへと戻る。

 空気が多少は澄んだ場所へ出てから高台の上を首だけで振り返ると、村人たちが弓矢の補充に動く中、ミルフィとドリトンだけが、時が止まったかのように静止しているのが見えた。

 その研ぎ澄まされた二射が再び頭上を飛び越えていき、防護柵の崩れた隙間から炎を避けて入り込んでくる兵士に突き刺さる。

 だが、致命傷にはならなかったようで、兵士は構わずに前進を続けた。

「くそっ!」

 狙ったところに当たらなかったのか、ミルフィが悪態を吐き捨てた。

「それで充分だ!」

 向かってくる敵を横薙ぎに一閃して、鎧に守られていない脇腹を斬りつける。

 動きの鈍った兵士など、戦場では木偶に過ぎない。

 続く兵士の一撃を間合いを測って弾き、喉笛を刺突で貫く。

「燐子さん!またたくさん下りて来るよ!」
「ようやくか、遅いくらいだ……!」

 空元気ではあるが、本音でもある。

 どうやら、相手の指揮官は慎重な人種のようだ。

 まだ何か策があるのかもしれないと勘ぐっているのだろう。

 体力的にはありがたい反面、小娘一人が相手でも冷静に戦を進める手法には、嫌な狡猾さを感じる。

 一気に突撃して、何らかの策で全滅するわずかな危険性よりも、石橋を叩きながら、確実に相手を磨り潰すほうを選んだというわけだ。

「もうっ!夜明けに来るんじゃなかったの?」
「そうそう、予想通りいくまい」
「じゃあ、何のために準備したのよ!騎士団が間に合わなかったらどうするの?」
「そんなもの、知るか!」次に備えて、血と脂を拭き取る。「万事が全て思い通りに行くなら、私も今頃は土の下だ!」
「ああそう!あんたって、そういう奴よね!」
「喧嘩してる場合じゃないよ!」エミリオが怒鳴る。怒った声はミルフィにそっくりだ。

 エミリオの忠告通り、再び兵士がなだれ込んできた。

 挟み撃ちされるのも辛いが、こうして真正面からぶつかられるのも辛い。

 自分がしたいのは、反応速度に頼った電撃戦だ。

 こうも距離があると、向こうにも心の準備ができてしまう。

 不意を突きたいわけではないが、多対一の戦いではこれが一番避けたかった。

 だが、今出来ることは良くも悪くも普段通りに戦うほかない。

 自分には、これしかないのだ。

 幸い援護射撃によって、先頭に続いていた数人の足並みが乱れた。

 三人同時に斬りかかって来られなければ、何とかなるはずだ。

 万全の体勢でぶつかってくる兵士の唐竹を避け、返す刃で胴を左から右へと薙ぐ。しかし、初段を剣の腹で防がれ、その衝撃で体が後ろに押し戻される。

 不味い、とゆったり流れる時の中で燐子が考えていると、後方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「燐子っ!」

 もう一度攻撃を、いや、それでは間に合わない。

 一旦下がるか、馬鹿な、それも無理だ。

 不意に、燃え盛る炎が落城の日を脳裏に蘇らせた。

 全てを終えることができると信じ込んでいた、あの日の煙が目に染みた。

 左手の甲に焼き付いた火傷が、思い出と共に疼く。

 絶え間ない鍛錬の日々。

 かけられる、父の慰めの言葉。

 軽蔑と侮蔑、無理解の言葉と眼差し。

 女であることを呪う毎日。

 全てを洗い流すために、戦場を駆け抜けた。

 そこで得られるものだけは、どのような詭弁にも染まっていなかった。

(そうか、私は……)

 眼前の男が剣を横に構え直す。その背後に、矢傷を受けた男たち二人が見える。

 その後方からだって、何十人といった数の敵兵が迫っている。

「……ふふっ」

 誰かが、笑うように息を漏らした。

 炎を反射しているのか、火傷の痕が、灼熱を帯びて輝きを放っている。

 それを、不自然なほど冷静な自分が遠くから観察していた。

 魂が躍動する喜びに満ちたその薄笑いが、自分のものだと理解すると同時に、燐子の右手が腰に佩いた小太刀に伸びた。

 それは決して、意図して起こした行動ではなかった。

 ただ単に、燐子の中の闘争生物としての本能が、迫りくる死に反応して起こした、いわば獣同然の反射的行為であった。

 自分の胴体目掛けて振り抜かれた一撃を、小太刀の抜刀に合わせて受け流し、回転する。

 驚愕に目を見開いた男の喉仏に、逆手に持ったままの小太刀で風穴を空ける。

 続いて、後方から同時に斬りかかってきた二人の刃を、左手の太刀と、右手の小太刀で逸らし、受けたほうとは逆の手で喉元を切り裂く。

 ――生きている……。

 ぞっとするほど、私は生きているのだ。

 一つしかない命を、擦り減らすようにしてこの場所で生きている。

 ずっと、そうしてきた。

 私にとって本当の『生』とは、誇りや誉などとは遠く離れた場所にあったのだ。

 血と、泥と、生き死にの狭間に宿る光……。

 気づいてしまった。

 違う、本当は気づいていた。気づかないフリをしていた。

 父の口にする言葉が、侍にはなれない娘への優しさと慈悲、そして残酷に満ちた詭弁だということに。

 それが分かっていたから、私は太刀を振るい続けた。

 女だからといった理由で、夢を黙殺され続けた自分が求めた、最高にして最後の居場所。

 強くなるため、ただ、強く。

 そうすれば、侍には成れずとも、何かには成れた。

 村を守るため、人を守るため、この美しい景色を守るため。

 それも確かに、嘘ではない。

 だがそれ以上に、戦うことで自分が満たされていくのをすでに知っていた。

 だから、命懸けだろうが何だろうが、無謀な戦いの矢面に立てた。

(そうだ……もう、ごまかしはいらない)

 自分の中の本当の衝動を受け入れた時、今度は見間違いなどではなく、確かに左手の火傷の痕が爛々と輝いた。

 不可思議な力が脳の皺の一筋、一筋に行き渡っていく。

 強く、両手の太刀を握りしめる。

 ああ、そうだ。

 ――私は今日、初めて本当の私になれるのだ。
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