33 / 41
六章 黎明は遥か遠く
黎明は遥か遠く.4
しおりを挟む
「以上が、我々帝国第三陸上部隊からの勧告である!」
そう言って書状を読み終えた男は、余裕たっぷりという顔つきであった。
「我らが隊長の慈悲だ、有り難く思え!」
降伏勧告の書状を手に降りてきた男の口調は傲慢で、野卑で、なおかつ滑舌の悪い聞き取りにくい喋り口であった。
燐子はその滅茶苦茶な要求を聞いて、慄くようにあちらこちらでざわめき声を上げている村人を横目にしてから、男の一番すぐそばに立って様子を窺っていた。
「当然、これに従わねば、今すぐにでもこの村を焼け野原に変える所存である!」
悩む必要などあるまい、などと付け足した男の顔からは、邪悪な笑みが絶え間なくこぼれ出していた。
ちらりと、村の全権を委ねられているドリトンが燐子のほうへと視線を送った。
その目つきから、自分の意見を求められていることが察せられたが、燐子はあえてそれを無視した。
(村の命運は、村の者たちが決めるべきだ。所詮はよそ者である自分の出るべき幕ではない。……少なくとも、今は、まだ)
しかし、そのドリトンの目線を追った兵士は、じぃっとこちらに焦点を当てると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして言った。
「ふん、女風情が剣など差して男の真似事をしよって」
瞬間、全身の血液が沸騰しているのかと錯覚するほどの怒りが込み上げて、燐子のこめかみに青筋が走った。
灼熱の激憤が、今すぐ抜刀して目の前の男を斬り捨てろと命じるが、どうにか一歩踏み止まり、重い息を静かに漏らす。
燐子がその激情を抑えたことが、いかに奇跡的かを知る者たちは、固唾を飲んで彼女の動きを見守っており、燐子が、ギラギラと光らせていた瞳を閉じたことで、ぐっと怒りを堪えきったことを悟った。
周囲は剣呑とした雰囲気で、高台の上には下からは見えないが、無数の矢と、いくつかの弓、それから予備の剣が置かれている。
弓矢はミルフィだけではなく、ドリトンの足元にも置かれていた。
篝火に誘われた羽虫たちが、自ら身をその火中に投げ出し命を散らす。
塵も残らず燃え尽きた仲間たちを追って、次から次へと虫たちが飛び込んでいく。
「帝国のお方」重々しい声である。「何だ、ご老人」
「故郷は、遠いのですか?」
「何を言うか、気でも狂ったか」
ドリトンは小さく首を振る。
「生まれ育った故郷を失う辛さ、どうかご想像頂きたい」
「ふん。降伏すれば、別に殺しはしないし、焼きもしない」
そう吐き捨てた後、男は愉快そうに笑いながら、「ただ、帝国の将兵たちの『手伝い』をしてほしいと言っているだけだ」
村人たちみなは、一様に顔をしかめて男の話を聞いていたのだが、何とか誰も足並みを乱さず、村長であるドリトンの言葉を粛々と待っていた。
ドリトンは、男の横柄ぶりにも落ち着いた声で応じていたのだが、とうとう断固たる口調で降伏拒否の意思を告げる。
「私たちの家族はここで育ち、ここで生きているのです。断じて、そのような暴力に屈するわけにはいきませんな」
これには男のほうも驚きを隠せず、吃りながら何度もその返答を確認したが、結局返ってくる答えは全て拒否だった。
そのため男は、屈辱に顔を赤らめ、口汚く唾を吐き散らしながら相手を罵った。
「お、お前たち!後悔するぞ、俺が合図をすれば丘の上の隊が駆け下りてくる!そうなったら、すぐにでもみな殺しだ!こんな木の柵や門が何になるか!」
「とっと帰れ!クソ野郎!」
一際幼い声が罵声を浴びせると、村人たちが口々に男を罵る言葉を吐いた。
「見とれよ!お前ら!」
そう言って男が丘の方を振り返った瞬間、彼の眼前に、憤激を放つときを今か今かと待っていた燐子が、亡霊のように立ち尽くしていた。
思わず男は間抜けな声を上げて後ずさったところ、彼女は氷のように冷たく、無感情な声で言った。
「その必要はない」
「え、お?」
「私が、『手伝ってやる』」
「なにを――」
男が言葉の全てを発し終わる前に、頭上に煌めく月にも似た白い軌跡が描かれて、静かに彼の首が地面へとずり落ちていく。
首と胴が離れ離れになって、血の噴水を巻き上げながら土に倒れ込むのを見向きもしない燐子が、小さく、しかし、はっきりと言った。
「お前が触れたものは、いわば、竜の逆鱗」
刀を振り払い、付着した血と脂を飛ばす。
「一太刀で死ねたことを、むしろ、喜ぶといい」
ほんの少しだけ溜飲の下がった燐子は、明らかに空気が変わりつつある丘の上を見上げ、不敵に微笑んだ。
激しく拍動する心臓は、まるで歓喜に打ち震えているかのようだ。
白月と星々が煌めく天空は、この戦を讃えている。
私は、私が戦う理由が欲しかった。
腹を切れない本当の理由を知りたかった。
それが、この戦いの中でなら確信を持って得られる気がした。
行こう。
それを今すぐにでも確かめなくては気が済まない。
私はここにいると、叫ばなければ。
たとえ、この異世界が私を村八分にしようとも。
抜き放った切っ先を、丘の上に向けて構える。
「戦華絢爛――さぁ、来い。血の華を咲かせてやる」
そう言って書状を読み終えた男は、余裕たっぷりという顔つきであった。
「我らが隊長の慈悲だ、有り難く思え!」
降伏勧告の書状を手に降りてきた男の口調は傲慢で、野卑で、なおかつ滑舌の悪い聞き取りにくい喋り口であった。
燐子はその滅茶苦茶な要求を聞いて、慄くようにあちらこちらでざわめき声を上げている村人を横目にしてから、男の一番すぐそばに立って様子を窺っていた。
「当然、これに従わねば、今すぐにでもこの村を焼け野原に変える所存である!」
悩む必要などあるまい、などと付け足した男の顔からは、邪悪な笑みが絶え間なくこぼれ出していた。
ちらりと、村の全権を委ねられているドリトンが燐子のほうへと視線を送った。
その目つきから、自分の意見を求められていることが察せられたが、燐子はあえてそれを無視した。
(村の命運は、村の者たちが決めるべきだ。所詮はよそ者である自分の出るべき幕ではない。……少なくとも、今は、まだ)
しかし、そのドリトンの目線を追った兵士は、じぃっとこちらに焦点を当てると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして言った。
「ふん、女風情が剣など差して男の真似事をしよって」
瞬間、全身の血液が沸騰しているのかと錯覚するほどの怒りが込み上げて、燐子のこめかみに青筋が走った。
灼熱の激憤が、今すぐ抜刀して目の前の男を斬り捨てろと命じるが、どうにか一歩踏み止まり、重い息を静かに漏らす。
燐子がその激情を抑えたことが、いかに奇跡的かを知る者たちは、固唾を飲んで彼女の動きを見守っており、燐子が、ギラギラと光らせていた瞳を閉じたことで、ぐっと怒りを堪えきったことを悟った。
周囲は剣呑とした雰囲気で、高台の上には下からは見えないが、無数の矢と、いくつかの弓、それから予備の剣が置かれている。
弓矢はミルフィだけではなく、ドリトンの足元にも置かれていた。
篝火に誘われた羽虫たちが、自ら身をその火中に投げ出し命を散らす。
塵も残らず燃え尽きた仲間たちを追って、次から次へと虫たちが飛び込んでいく。
「帝国のお方」重々しい声である。「何だ、ご老人」
「故郷は、遠いのですか?」
「何を言うか、気でも狂ったか」
ドリトンは小さく首を振る。
「生まれ育った故郷を失う辛さ、どうかご想像頂きたい」
「ふん。降伏すれば、別に殺しはしないし、焼きもしない」
そう吐き捨てた後、男は愉快そうに笑いながら、「ただ、帝国の将兵たちの『手伝い』をしてほしいと言っているだけだ」
村人たちみなは、一様に顔をしかめて男の話を聞いていたのだが、何とか誰も足並みを乱さず、村長であるドリトンの言葉を粛々と待っていた。
ドリトンは、男の横柄ぶりにも落ち着いた声で応じていたのだが、とうとう断固たる口調で降伏拒否の意思を告げる。
「私たちの家族はここで育ち、ここで生きているのです。断じて、そのような暴力に屈するわけにはいきませんな」
これには男のほうも驚きを隠せず、吃りながら何度もその返答を確認したが、結局返ってくる答えは全て拒否だった。
そのため男は、屈辱に顔を赤らめ、口汚く唾を吐き散らしながら相手を罵った。
「お、お前たち!後悔するぞ、俺が合図をすれば丘の上の隊が駆け下りてくる!そうなったら、すぐにでもみな殺しだ!こんな木の柵や門が何になるか!」
「とっと帰れ!クソ野郎!」
一際幼い声が罵声を浴びせると、村人たちが口々に男を罵る言葉を吐いた。
「見とれよ!お前ら!」
そう言って男が丘の方を振り返った瞬間、彼の眼前に、憤激を放つときを今か今かと待っていた燐子が、亡霊のように立ち尽くしていた。
思わず男は間抜けな声を上げて後ずさったところ、彼女は氷のように冷たく、無感情な声で言った。
「その必要はない」
「え、お?」
「私が、『手伝ってやる』」
「なにを――」
男が言葉の全てを発し終わる前に、頭上に煌めく月にも似た白い軌跡が描かれて、静かに彼の首が地面へとずり落ちていく。
首と胴が離れ離れになって、血の噴水を巻き上げながら土に倒れ込むのを見向きもしない燐子が、小さく、しかし、はっきりと言った。
「お前が触れたものは、いわば、竜の逆鱗」
刀を振り払い、付着した血と脂を飛ばす。
「一太刀で死ねたことを、むしろ、喜ぶといい」
ほんの少しだけ溜飲の下がった燐子は、明らかに空気が変わりつつある丘の上を見上げ、不敵に微笑んだ。
激しく拍動する心臓は、まるで歓喜に打ち震えているかのようだ。
白月と星々が煌めく天空は、この戦を讃えている。
私は、私が戦う理由が欲しかった。
腹を切れない本当の理由を知りたかった。
それが、この戦いの中でなら確信を持って得られる気がした。
行こう。
それを今すぐにでも確かめなくては気が済まない。
私はここにいると、叫ばなければ。
たとえ、この異世界が私を村八分にしようとも。
抜き放った切っ先を、丘の上に向けて構える。
「戦華絢爛――さぁ、来い。血の華を咲かせてやる」
10
読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!ご意見・ご感想、ブックマーク、評価が私の力になりますので、応援よろしくお願いします!
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説



ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。

【完結】神スキル拡大解釈で底辺パーティから成り上がります!
まにゅまにゅ
ファンタジー
平均レベルの低い底辺パーティ『龍炎光牙《りゅうえんこうが》』はオーク一匹倒すのにも命懸けで注目もされていないどこにでもでもいる冒険者たちのチームだった。
そんなある日ようやく資金も貯まり、神殿でお金を払って恩恵《ギフト》を授かるとその恩恵《ギフト》スキルは『拡大解釈』というもの。
その効果は魔法やスキルの内容を拡大解釈し、別の効果を引き起こせる、という神スキルだった。その拡大解釈により色んなものを回復《ヒール》で治したり強化《ブースト》で獲得経験値を増やしたりととんでもない効果を発揮する!
底辺パーティ『龍炎光牙』の大躍進が始まる!
第16回ファンタジー大賞奨励賞受賞作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる