異世界剣豪~侍になれなかった女~

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六章 黎明は遥か遠く

黎明は遥か遠く.3

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 ばちばちと弾ける篝火の音が、作業を終えた者たちの間に流れている。そんな中、燐子は労いの言葉をかけながら村の出口まで進んでいく。

 見事なものだ、と数日前まではただ門構えがあっただけの場所を見上げ、感嘆の声を漏らした。

 川が両側に流れている隙間に作られたこの門は、もはや城門、と表現してもいいほどに堅牢なものと化しており、木材でできていることさえ除けば上出来であった。

 もちろん両側の川を抜けられれば意味はないが、そうさせないための策も考えてある。それに、川岸に近づいてみると分かるが、それなりの深さがあり、馬や鎧を着た状態で泳いで渡るには厳しい。

 たとえ、泳いで渡ったとしても、防護柵で隔てているので、そう簡単に浅瀬のほうへは出られない。

 さらには、門の先、丘から下ってくる道中に簡易的な木の柵を作っていて、鋭利な先端を丘の方へ向かって突き出すように設置している。

 別にそれで相手を仕留めることが目的ではなく、相手の侵攻を遅らせ、なおかつ通る道を狭く、一点に絞ることが目的なのだ。

(これだけしていれば、そう簡単には通過できまい)

 もしかすると、丘の上からこちらの設備を見ただけで、一度仕切り直す可能性すらある。慎重な相手なら決してありえない話ではないだろう。

 後は騎士団到着までの時間に全てがかかっている。

 騎士団が先に到着すれば、こちらは一切何もせずに済むだろうし、逆に向こうが先に到着しても、時間次第では耐えきることもできるだろう。

 まあ余程の手練がいればそれも叶わないが、昨日の帝国兵を見た限り、たいした練度ではあるまい。

 ただ、随分と到着時間に差ができてしまった、そのときは……。

 天のみぞ知る、というやつだ。

「燐子」

 物思いに耽っていた燐子の頭上から、自分の名前を呼ぶ声が響いてくる。

 聞き覚えのある声の先には、燐子が想像していたとおりの顔があった。

「ミルフィか」

 梯子を使って城門の高台に上がり、そこで丘の上を監視していたらしいミルフィとドリトン、それからエミリオに声をかける。

 ミルフィは普段とは違って、矢筒を複数腰に括り付けていた。その他にもベルトに、何本かナイフを差している。

「まさか、今まで寝てたの……!?」
「まさかも何もそのとおりだが……、何か問題があるのか?」

 そう素直に返した自分を見て、ミルフィは眉間に皺を寄せた。

「さすが燐子さん、肝っ玉が大きいね!」
「変な言葉を知っているな、エミリオ」と得意げなエミリオを見やる。
「こいつは度胸があるとかじゃなくて、ただネジが飛んでるのよ、二、三本ね。そうじゃなかったら、普通いつ攻めてくるかも分からないのに、眠っていられないわよ」

 まあまあ、とドリトンが苛立たしそうなミルフィをなだめるが、彼女の文句は留まることを知らないようで、エミリオが加わってようやく静かになった。

 自分が能天気だと思われるのも癪だ。面子を保つためにも、一言告げておく必要があると燐子は思った。

「案ずるな、私は戦に寝過ごしたことはない。自慢ではないが、戦いに対する嗅覚は人並み外れている」
「本当に自慢にならないわね……」

 高台の上から丘のほうを見つめると、遠く草木が揺れていることだけが分かった。

 まだ帝国の気配はない。

「あ、そうだ」

 不意に、ミルフィはポケットに手を突っ込んでから何かを取り出すと、固く握りしめたまま拳を燐子の前に突き出した。

「な、何だ?」
「いいから、手、出しなさい」

 大人しく言われたとおりにしたところ、ぽんと自分の掌に昨日、千切れてしまった髪紐が落ちた。

 千切れていた部分は、似たような緑色の糸で結び直されており、前の物と見劣りしないどころか、かえって上質な髪留めに仕上がっていた。

「もう完成したのか、早いな」と燐子が感心したように唸ると、ミルフィは何でもない様子で「別に普通よ」と答えた。

 軽くお礼を告げてから、自分の手に握られている髪紐へと視線を落とす。

(恩を受けているばかりでは、道理が立たん。とはいえ、女中のような真似はどうかと思うし、大事な物だが……まぁ、こいつなら構わないだろう)

 じっと髪紐を見つめている燐子に、不思議そうな眼差しを送るミルフィ。燐子はそんな彼女に視線を移すと、静かに口を開いた。

「ミルフィ」
「ん、何?お礼ならいいわよ」
「少し後ろを向いてくれ」

 燐子がそう言うと、ミルフィは訝しんだ様子を見せながらも、大人しく背中を向けた。

 この辺りか、とミルフィの濃い赤の三編みを優しく掴むと、彼女は燐子が何をしようとしているのか分かったらしく、大きな声を出して身をよじって逃れようとした。

 暴れられるとミルフィの力には敵わない。

 燐子は、組手の如き手さばきで素早くミルフィの体を引き寄せると、抱きかかえる恰好になって、余った片手で作業を進めた。

「ちょ、ちょっと!待って、待ってってば!」
「そんな大声を出すな、すぐ終わる」

 喚き散らすミルフィを無視して、臙脂色の髪の毛を改めて結び直す。

 ミルフィの三つ編みは本来、髪留めなどいらないくらい綺麗に結んであるため、輪を二重にして通すぐらいで済んだ。

「終わったぞ」
「ち、違う、違うってば!本当にそういうんじゃなくて!」
「……一体、何を言っているのだ」

 必死で何かを否定し始めたミルフィを、今度は燐子が正気を疑うように見つめる。

 どうやら彼女は自分ではなく、ドリトン等に対して、釈明を図っているようだ。

 状況が飲み込めない燐子は横に一歩移動して、何とも言えない顔をしているドリトンに視線を送った。

 しかし、彼は表情を変えずに目を逸しただけで、何も答えはしない。そんな中、エミリオだけがニヤニヤと笑っている。

「へぇ、燐子さんとお姉ちゃんってば、そういう感じなんだぁ」
「何だ、そういう感じとは……。もう少し、私にも分かるように話せ」

 エミリオを叱るような口調で咎めた燐子だったが、突然、隣でミルフィが大声を上げたことで目を丸くして顔の向きを変えた。

「あ、あ、あんたのせいよ!よくも、人前でこんな、こんなこと!」

 わけも分からぬうちに激昂を始めたミルフィに、一歩後ずさりした燐子は、その理由を問いかけたのだが、顔を真っ赤にした彼女には馬耳東風だ。

 掴みかかってきたミルフィの手を受け止めるが、やはり、彼女の馬鹿力には叶わず押し倒される。

「おい、戦いの前に燐子さんが怪我したらどうするんだ」

 ドリトンが慌ててミルフィを制止したことで、ようやく彼女は動きを止めた。だが、酷く息の荒いミルフィは、両手の力を一向に緩めなかった。

「いい加減、説明しろ!いや、それよりもどけ!馬鹿力め、こんなときに余計な力を浪費させるな」

 ミルフィは、どれだけ怒鳴られても、じっとこちらを睨み続けていた。だが、エミリオが陽気に挙手したことで、ばっと素早くそちらを振り返った。

「あのね、若い女の人が髪を結ばせるってのはね、『貴方の愛を受け入れます』ってことなんだぁ」
「子どもは黙ってなさい!」



「ほぅ、それは珍妙な風習だ」と燐子は感心したように頷く。

 女性が髪を結わせただけで求婚の受け入れになるとは……。自分の元居た場所では、女性が女性の髪を整えるなど、日常的な風景であったというのに。

 しかし、郷に入りては郷に従えだ。

 知らなかったとはいえ、自分の行動が軽率であったために、ミルフィに恥をかかせたのであれば、形だけでも謝罪が必要だろう。

 こう見えても嫁入り前の生娘だ。そういう恥で苦しめるのはこちらとしても心苦しい。

 まだギャーギャーうるさいミルフィのほうを向き直る。怒りで顔が茹でられたように真っ赤だ。

 謝罪しようと口を開きかけたが、それをミルフィが素早く遮った。

「『ほぅ』、じゃないわよ、馬鹿燐子!――これだから流れ人は嫌なのよ、ほんと、常識ってのがなってないんだから」

 その言葉を聞いて、燐子も黙っていられなくなる。

「おい、黙って聞いていれば、随分と好き勝手に言うな。そもそも、昨日お前が自分の髪紐で私の髪を結ったのだろう」

 ミルフィはその事実に今更思い至ったのか、口をぽかんと開けてこちらを見つめた。だが、すぐに挙動不審に瞳を右往左往させると、燐子の上から慌てて飛び退いた。

 耳まで真っ赤に染まったミルフィの顔を、下から見上げる。

 星の瞬く夜空を背景に、純な少女を描き出したようなミルフィの姿がとても印象的だ。

 そんな姿を見ていると、どうしてか、こちらまで顔が熱くなりそうだった。

「お姉ちゃん……さすがに謝ったほうがいいよ。控えめに言っても、正直最低だよ」
「う、うるさいわね……」

 いつも正論で叱っている弟に、正論で返されてしまったのがよほど悔しいようで、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 しかし、ドリトンがいよいよ真剣な調子でミルフィを責めたので、萎れ始めた花のように小さくなって、燐子を一瞥した。

「ご、ごめんなさい」

 分かればいいのだが、と喉まで出かかったが、まだその目に反抗的な光が灯っているのに気が付いた燐子は、一つこれ見よがしにため息を吐いた。

「分かっているとは思うが、別にお前に求婚したわけではない」
「馬鹿!そんなことは言われなくとも、分かってるわよ!」
「大声を出すな……」

 大げさに肩を落とすドリトンと、大笑いしているエミリオを一瞥して、軽く首を振る。

「全く、緊張感のない……」
「あんたに言われたかないわ!」

 不意に、強い風が燐子の頬を撫でつけた。

(……あぁ、いつもの風が吹いている)

 一陣の風に対して、自分の心は凪いでいる。

 燐子はゆっくりと瞳を閉ざしながら、漠然と考える。

(やはり私は、生まれながらにして戦士なのかもしれない)

 この予感を外したことはない。

 自分の細胞は、戦火の予兆を感じて眠りから覚めるようにできているのだ。

「もう、こんなの返すわよ!」

 最後になるかもしれない会話がこれは嫌だな、と多少感傷的になり、燐子は静かな声で言った。

「いいから持っていろ」
「だから、いらないって!」
「全てが終わったとき、返したければ、そうしてくれ」燐子はそう言うと、梯子を使わずに高台から飛び降りた。「汚すなよ」

 燐子は、遠く丘の上を見ていた。

 それにつられるようにして、みんながその視線の先を追った。

 丘の上に、数本の旗印が見える。

 旗には十字架が描き出されており、その中に黒い星が輝いている。
「……あれが帝国の旗印か」

 一頭の馬が、斜面を流星のように駆け下りてくる。

 丘の上に群れを成す、人の形をした影から必死で逃げてくるようだ。

 東の夜空を振り返る。

 夜明けは、まだ遥か彼方だ。
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