異世界剣豪~侍になれなかった女~

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五章 深夜からの呼び声

深夜からの呼び声.7

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 初め、燐子が何を言っているのか分からなかった。

 疑いようもないほどに真剣な眼差しで告げたので、冗談でないことは確かだ。

(また、とんでもないことを考えてるんじゃないでしょうね……?)

 自分の白シャツを勝手に真っ赤なドレスへとコーディネートした燐子を櫓から見下ろしながら、ミルフィは漠然とそう思った。

 村に戻ってきたミルフィは、一旦エミリオの様子を確認してから、サイモンのお陰で、想像以上に立派になりつつあった砦を散策していた。

 そして、この櫓からなら丘を下ってきた帝国兵を狙い撃ちできるな、と考えていたところ、自分が人を殺す前提になっていることに空恐ろしさを感じた。

 そんなときに、燐子が下でサイモンに告げた言葉が聞こえてきたのだ。

「じょ、冗談ですよね?」
「いや、本気だ」
「そんな馬鹿なことがありますか!」

 穏やかさを保っていたサイモンが、声を荒げて燐子に迫った。

「斥候どころではないのですよ、百人近い兵士が押し寄せてくるのです。たとえ、敵を一箇所に集めて、一対一の戦いを続けられたとしても、十人も相手にすれば限界が来ます!」

 すると、燐子は一度目を閉じて、それからゆっくりとサイモンに言い聞かせるように声を発した。

「騎士団が来たら、そこで私の出番は終わりだ」
「必ず間に合う保証もない!」
「そのときは、そのとき」

 燐子が他人事のように無感情に言い放つものだから、サイモンは呆れたように、あるいは驚いたように額に手を当てて唸り声を上げた。

「なんという方だ……かかっているのは自分の命だというのに……死ぬおつもりですか?」
「侮るな、サイモン。確かに、戦場で死ぬ覚悟はいつでもできているが、勝算のない戦いをしているつもりもない」

 不意に燐子が、シャツのボタンを外して、サラシだけになり始めた。そして、出し抜けにそのシャツを宙に放ると、そっと腰の太刀に手を伸ばした。

 刹那、嫌な予感がしたミルフィは慌てて櫓を駆け下りた。だが、彼女の両足が地面に着陸する前に、燐子は太刀を一閃させて、そのシャツを見事に両断した。

 ……もちろん、シャツはミルフィの物である。

 誰もが鮮やかな太刀筋に目を奪われていたところで、燐子がシャツの切れっ端を拾って告げる。

「見ろ、この布切れに着いた帝国兵の血を」

 布切れにしたのは、あくまで燐子である。

「私はすでに、六人の帝国兵を斬った」

 ミルフィは両断されたシャツには目もくれず、真っ白な上半身を惜しみなくさらす燐子に釘付けになっていた。

「三十秒で五人葬った。五分で五十人、十分で百人だ。……私を信じろとは言わん。だが、みんなが村を守ることを諦めない限り私は、お前たちに指一本触れさせるつもりはない」

 後ろで結い上げた彼女の髪が艶やかに揺れる。

 つい先ほど人を殺めた女とは思えないほどに、真摯さに満ちた凛とした雰囲気に、ミルフィは時折彼女が口にする『気品』、という言葉の意味を垣間見た気がした。

(燐子の言葉は、どうしてこう……)

 圧倒的だった。説得力、というものに満ちていた。

 ……森の中で燐子が言ったことだって、理解できないわけではなかった。

 ただ、頭に心が追い付いてこなかったのだ。

 燐子の発言に賛同してしまえば、徴兵されて死んだ父の魂が、私たちの元から離れていく気がした。

 きっと、エミリオだって離れていく。

 戦う理由なんて認めてしまったら、弟はいつか自分を置いて出て行ってしまうかもしれない。

 だから、燐子の話は到底認められなかった。

 認めれば、父の魂は報われず、弟は燐子のように人の死に無頓着になるかもしれない、そう考えたのだ。

(それなのに、こんなにもこいつの在り方に目を奪われるなんて……)

 燐子の意見を受け入れてしまえば、自分の中の大事なものが失われるかもしれないのに、彼女の手を取って、あの黒曜石が見ているものを理解したいと思ってしまっている。

 彼女の何が自分を引き付けるのか。

(……あぁもう、駄目ね。沼にはまってるわ)

 ミルフィは一つため息を吐いて、もやもやとした自分の思考を追い払った。

 今、分かっているのは、燐子の力なくしては自分の故郷は守れないということだ。

 ミルフィは、燐子のそばに落ちている両断された赤い布切れをそっと拾い上げた。

 燐子が駄目にした服はこれで二枚目だ。いっそのこと、初めから真っ赤な服を着せていればよかった。



 燐子は近寄ってきたミルフィの姿を確認すると、思い出したかのように、「門の上に弓兵も欲しい。できればミルフィほどの実力があるといいのだが」と言った。

 ミルフィはその言葉を聞いて、弓の腕を認められた、と不覚にも少しだけ嬉しくなってしまった。

 自分の少し上向きになった気分を押さえつけ、布切れを手に燐子の隣に並び立つ。

 その様子を見ていたサイモンが、小さな声で自分を呼ぶのが分かったので、軽く頭を下げる。

 周囲の視線が自分に集中したことで、かすかな息苦しさを覚える。よくこんな中で堂々としていられるな、と呆れたような眼差しで燐子を見つめる。

「そんな人、この村にはいないわよ」
「……そうか」

 微妙な表情だ、どうやら先ほど私と揉めたことを少しは気にしているようだ。

「誰の服だと思ってんのよ」
「すまん」

 意外なぐらい素直に謝罪の言葉が返ってくる。

 燐子にしては殊勝な心掛けだ。

 だが、だからといって、何のお咎めもなしというわけにはいかない。

 ミルフィは露出した燐子の二の腕を強く摘まむと、悲鳴を上げる彼女を脇目にしながら、周りを見渡した。

「無茶な話だけど、村を守るためにはやるしかないわ。どうせ、今からみんなでアズールに逃げても絶対に間に合わないんだから」

 燐子一人で耐え凌ぐにしても、門が完成していなければ無理な話だし、浅瀬を渡られないための防護柵だってまだまだ必要だ。

「みんなでやらないと、どれもこれも中途半端で終わる。そうなれば、絶対に私たちの中から死人が大勢出るし、村も壊される」

 ミルフィはいつになく真剣で、厳しい口調になって村人たちを説得していたかと思うと、唐突に皮肉な笑みを浮かべた。

「幸い上手く行けば、死にそうなのはコイツぐらいで済みそうだし」

 コイツ、と呼ばれた燐子が不機嫌そうに顔を曇らせた傍ら、私もつくづく馬鹿な人間だ、と不安そうにしている村人たちを励ましながら思う。

 こんな数週間前に知り合っただけの、未だに得体の知れない女に、村や自分の命運を賭けるなんて。

 白い顔をこちらに向けて、燐子が小さく口を動かした。

「いいのか」急に真剣だ。「人が大勢死ぬぞ」
「仕方がない、なんて絶対に言わないわよ」

 横目で覗きながら、燐子に合わせて小声で返す。

 それを聞いた燐子も堂々とした顔つきのままだ。

 たまには焦ったり、怯んだりしてくれれば面白いのに、とミルフィは思ったが、それを見られたのは王女と話したときだけだったのを思い出して、急に面白くなくなった。

「でも、みんなやお祖父ちゃん、エミリオの命には代えられない。それに私だって、死にたくはないもの」

 ふ、と燐子が笑ったような気がした。

 くそ、やっぱり顔は良いな、と無意識に敗北感を感じてしまう。

「それでいい」
「何よ、偉そうに」

 未だに納得していなさそうなサイモンだったが、そんな彼に駆け寄って来た女性(多分、燐子と助けたサイモンの妻だったと思う)が「時間を稼ぐ、ということなのでしょう」と告げたことで、ほんの少しだけ眉間の皺が減った。とはいうものの、普段の柔和さは戻っていない。

「やはり、賛同しかねます」

 かといって感情を荒げるわけでもないサイモンの冷静さに、確かに商団の長なだけはある、とミルフィは改めて好感を抱いた。

 しかし、その妻も冷静で、夫に対し、「ならば代案を出すべきでは?」と答えた。

 そんなものあるわけがない、すでに今の案でも苦肉の策なのだ。

 これ以上マシな策など、村を放棄して可能な限り遠くへ逃げることだろうが、それは村と仲間を見捨てられるならの話である。

「しかしだなぁ……とても騎士団が来るまで耐えられるとは思えん」
「貴方は燐子さんの戦いを見ていないからそう言えるのよ」

 そう告げる彼女の言葉には共感せずにはいられなかった。

「燐子さんの戦い方は、まるで……」

 そこで言葉を止めたサイモンの妻は、はっと、燐子がいることに今気がついたと言わんばかりに目を泳がせたのだが、彼女が何を言いたいのかも、これまたミルフィには分かってしまい、代わりにふざけた調子で付け足した。

「イかれてるみたい?」

 滅相もない、と頭を何度も下げる彼女の過剰なまでの反応が、図星だったことを如実に表していた

 頭の動きに合わせて、彼女の後ろ髪を束ねている銀色のリングが、暁光を吸い込んでいく。

「……分かりました。本当は無理にでもお止めしたいですが、本人がそうお望みなら致し方ありません。幸い騎士団も、セレーネ様のお言葉があってはすぐに動かざるを得ないでしょうから、遅くはならないはずです」
「せれーね?」と燐子が首を傾げた。
「アズールで会った、あの王女様のこと」
「……そうか、セレーネというのか……」

 燐子が感慨深そうに、または恋人の名前を呼ぶかのように優しく呟いたので、もう一度二の腕をつねった。

 先ほどつねった場所が青痣になっているのを、良い気味だと笑いながら「決まりね」と私は告げる。
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