異世界剣豪~侍になれなかった女~

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五章 深夜からの呼び声

深夜からの呼び声.4

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 森の奥のほうに、ゆらゆらと燃える松明の光が見える。

 まるで鬼火のようだ、と上の空で思いながら、それとはまた別のところで、ミルフィを連れてこなければよかったと後悔していた。

 ミルフィは燐子の視線の先を追うと、青白い月を吸い込んだかのような色で頬を染め、半歩だけ後退りした。

 気がつけば、先ほどまでうるさいぐらいに喚いた鳥たちの声が、嘘のように消えていた。

 松明の数からして、敵兵の数は五、六人だろう。

 一人でも十分にやれる。

「下がっていろ、ミルフィ」
「わ、私も……」
「戦うにしろ、下がっていろ。お前は射手なのだから」

 無理をしているのは、震える指先と顔色、そして荒い呼吸でまざまざと伝わってくる。

(ミルフィが本気で共に村のために戦う気なら、そうしてもらおう。無理ならば……それでよい。いや、そのほうがよい、か)

 燐子の口調がやけに鋭く冷たかったからだろうか、ミルフィは文句の一つも告げずに後退していく。

 風の流れ、葉を揺らす音に耳をそばだてながら、燐子は橙色の光がこちらへとやってくるのを眺めていた。

 不思議と緊張はない。心臓の鼓動は少し速まってはいるものの、質の良い緊張感を覚えている明確な証拠でもある。

 人を殺して生きてきた。

 そう語れば、ミルフィは私をどう思っただろうか。

 分からない、分かりようもない。

 ……自分とミルフィとでは、生きてきた世界があまりに違いすぎる。

 同じ女で、同じ年頃なのに、こうも違う生き物になってしまうのは、一体誰の思惑なのか。

 ようやく先頭の松明が茂みを抜けて、顔が見える距離にまで近づいてきた。

 彼らは凛と立ち、自分たちを見つめる幽鬼のような女の姿を確認すると悲鳴を上げて、動揺を示した。

 きっと妖怪か何かと勘違いされたのだな、と冷静な頭脳で分析しつつも、無感情なトーンを意識して燐子がゆっくりと口を開く。

「帝国の兵士だな」

 彼らはわけが分からんといった様子で、燐子を観察していた。そのうち、一人が自分を奮い立たせるかのように大きな声で、「いかにも!」と返事をした。

「して、貴様は何者だ!怪しい奴め!」

 兵士は燐子が答えぬうちから剣の柄に手をかけ、抜き放った。

 鉄の擦れる高い音が夜の森に響く。きっと、事態を見守っていたミルフィの鼓動は、未だかつてないほどに激しく拍動していたことだろう。

(――……抜いたな)

 燐子は胸の中で唱える。

 剣士にとってその行為は、殺されることに同意したに等しい。

「貴様らが知る必要はない」

 その言葉を耳にした男たちは、これまた自分たちを鼓舞するかのように大きな声で笑っていた。

 もしかすると、彼らも察していたのかもしれない。

 今、自分たちの目の前にいる、人の形をした生き物の常軌を逸した獰猛さを。

 自らの腹の中に抱えた静謐を穢された森が、憤りに唸るように大きな音を立てて揺れる。

 それを皮切りにしたかのように、先頭の男が燐子のほうへと悠然と近寄っていく。

「おかしな女だ。どれ、道に迷ったのであれば、我々の野営地まで送ってやろう」

 呑気な様に、燐子は興が冷めるような思いでそっぽを向いた。
 戦いの中、相手から目を逸らすような行いは愚行だ。だが、何の用意もなしに相手の間合いに飛び込むのは、それ以上の愚行である。

 燐子の間合いに軽率に足を踏み入れた瞬間、彼女は、息もつかせぬまま抜刀した。そして、腰を抜かした男へと切っ先を向けて言う。

「安心しろ、不意は打たん」

 ぎらりと光る刀身を斜めに傾け、月光を反射する。

「貴様たちには、全員ここで死んでもらう」

 ぼんやりとした暗闇に浮かぶ三日月が、尋常ではない殺気をもって彼らを睨みつける。

 兵士たちの口の形は薄ら笑いの様相を呈したままであったが、それは単に凍りついてしまったのだろう。

 尻もちをついていた男が慌てて立ち上がったのを見届けた後、燐子は一言、一言、まるで祈りの言葉でも唱えるかのようにして言った。

「一人残らず、漏れなく。誰も――」
「う、うわあああ!」

 彼女の殺気に耐えられなくなったらしい尻もちをついていた男が、慌てて立ち上がり、剣を頭上に振り上げて燐子に斬りかかる。

 ミルフィはそれを見て、声にならない悲鳴を上げたのだが、次の瞬間にはまた絶句することとなった。

 舞い散る鮮血、赤く染まる三日月、稲光のような一閃。

 一人の人間が瞬きをする間もなく、動かない肉塊と化した。

 燐子は、動かなくなった、数秒前までは人だったものを振り返ることもなく、淡々とした口調と面持ちで、先刻の言葉の続きを言い放った。

「――明日の朝日は拝めん」

 そう言い終わるや否や、電撃のように駆け出し、呆然としていた兵士の首筋目掛けて太刀を左薙ぎする。

 奇妙な音がして相手の首が宙を舞い、それが地面に落ちるよりも速く数歩飛び、剣を構えることすらできていない相手に一太刀浴びせる。

 ほぼ同時に二箇所で血飛沫が上がり、十回に満たない呼吸のうちに六人いた兵士が、半分になってしまっていた。

「陣形を組めっ!ぼさっとするな!」隊長らしき男が叫ぶ。

 それをあえて好きなようにさせていた燐子は、自分に向けて構えられた陣形を改めて凝視した。

(どこの世界でも、陣形というのは変わらんようだな)

 ゆっくりと近寄って、間合いからまだ余裕のある場所で立ち止まる。

(試すようで悪いが……本番でも戦力として扱っていいか、確認しておかなければなるまい)

 緩慢な動きで空いていた右手を上げて、その手を静止させた。

 兵士たちはそれを不審げに警戒しながら目で追っていたのだが、唯一ミルフィだけは、その意図を察していた。

 燐子の指が、兵士たちに向かって下ろされる。

 刹那、死の矢が空間を裂いた。

 矢は、一人の男の額に突き刺さった。疑うまでもなく、絶命の一矢だった。

(……見事な覚悟と精度だ。『猟師止まり』という評価は改めよう。間違いなく、ただの猟師にしておくには、惜しい腕をしている)

 ミルフィは今まで無数の矢を放ち、数多くの獲物を仕留めてきたわけだが、今日この一矢ほど、鮮明に残るものはないだろうと、震える指先を握りしめながら感じていた。

 そこから先は、寸秒の出来事だった。

 全く警戒していない闇の中から的確な矢が放たれ、彼らの意識が次の射撃に割かれたところを、数歩駆けて間合いに飛び込んだ燐子が一刀で仕留める。

 背後から最後の一人が袈裟掛けに斬りかかるも、すんでのところで頭をかがめて、燐子はそれを躱す。

 頭上をかすめる凶器の感覚に肌を粟立てながら、体勢を戻す拍子に逆袈裟に鎧の継ぎ目を狙う。

 多少の抵抗感はあったものの、難なく肉以外の部分も断ち切り、血飛沫を巻き上げることに成功する。

 確かな感覚を背に、太刀を空で振り払い血振るいする。

 飛散する血液が地面に溜まる赤い海に飲み込まれて、消える。

 素晴らしい切れ味だ、と燐子は興奮した脳とは別の部分でそう満足そうに思考した。

 やはり、スミスの腕前は自分が見込んだ通りだった。

 燐子は、まるで生き返ったみたいに生命力で満ちあふれた太刀を視界の隅で捉え、不敵に笑った。
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