異世界剣豪~侍になれなかった女~

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五章 深夜からの呼び声

深夜からの呼び声.1

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 カランツとアズールの境にある湿地帯を抜けたのは、もう日が完全に落ちてしまって、白銀の月が金の輪を持ち上げてからのことだった。

 ぬかるみにはまらぬよう、丁寧に道程を選びながら、馬の手綱を操るよう心掛ける。

 地面をしっかり捉え跳ね上げる馬の蹄の音が、静かな草原に響く。

 死んだように眠っている厳かな静寂を破るのが、どこか憚られる夜だ。

 この草原を抜ければ、そろそろカランツの村が見えて来る。きっとみな、眠りこけているのだろう。

 そして、ミルフィが聞きたいと思っていたことを聞けたのも、ちょうどそのくらいになってからであった。

「なんかさ、王女様とただならぬ雰囲気じゃなかった?」

 ただならぬ、という言葉遣いが彼女らしくなくて、乾いた笑いをこぼしてしまう。

「私の目と髪が珍しかったのであろう」
「本当にそれだけかなぁ?なーんか、王女様の様子がおかしかった気がしたんだけど」
「考えても分かるものではあるまい」
「そうだけどさぁ」ミルフィは燐子の腰に手を回したまま、納得いかない顔をした。「燐子の様子も変だったじゃん」

 なぜか責めるような口調のミルフィを横目で振り返り、逆に非難の視線を向ける。

「なにが言いたい」

 ミルフィも燐子の感情を読み取ったのか、さっと視線を逸らして本音を漏らす。

「ごめん、今はくだらないことを喋ってないと、その……落ち着かなくて」
「……そうか」

 無理もない。自分にとっては日常茶飯事だったわけだが、彼女たちにとってはずっと危惧していた戦乱の火の粉だ。落ち着けと言うほうがどうかしている。

 ふと、燐子の見つめる夜の闇に、燃え尽きる城の影が投影される。

 自分たちの城が落ちるというのに、心のどこかでは、それをすんなり受け入れている自分がいたことを覚えている。

 いつか、そんな日が来ると知っていた。

 むしろ、そうして討ち死にする、あるいは腹を切ることでしか、自分の人生は終わらないとさえ信じていたのだ。

 ……老衰や病死を考えると、恐ろしかった。

 自分が戦火の中で死ねなかったら、どうなるものかと不安だった。

(……そういうふうに生きてきた。それが、私にとって自然の摂理のようなものだったのだ)

 少なくとも、こんな場所で異人を背に馬を駆けている今を思えば、そうなることはよっぽど現実的な話だったはずだ。

 それが戦いの中で生きる人間と、そうでない人間の差かもしれない。

 私たちは、自分の育った場所が打ち滅ぼされる未来を想像できる。

 それは、なぜか。

 理由は非常に簡単で、明快だ。

 ……自分たちが、他人の故郷をそうやって滅ぼしてきたからだ。

 滅茶苦茶に砕けていく国や村を眺めながら、自分の故郷のことを思う。自らの所領を、その灰と炎の中に重ねる。

 いとも容易く滅亡することを知っているから、我々戦士は躍起になって戦うのだ。

 戦う者としての誇り、誉、そして国と民のために。

(だが……それならば、今の私がしていることは何だ。自分の所領でもない村を守るために、寝る間も惜しんで馬を飛ばしているなど)

 くだらぬ独善か、それとも自分にまだやるべきことがあると信じたいのか。

 侍たちのいないこの異世界で、ありもしない誇りのために戦うのか。

 誰も認めてはくれない。もはや自己満足を得られるかどうかも怪しいというのに。

 ――……もしかすると、ただ血の匂いに引き寄せられているだけなのかもしれない。

 獣だ。生死の境に潜む獣。

 自分の命を賭け金にして、他人の命を貪ることに快楽を求める獣。

 自分が望んだ真の侍からは、酷く、遠い。

(そんなものではないはずだ。私は……!)

 これではいけない、と燐子は首を左右に振った。

 どうにも、感傷的になりすぎている。

 何とか気分を紛らわすために、ミルフィの言葉に合わせて軽口を叩く。

「確かに、王女は美しかった。私もおかしくなっていたのかもな」
「はぁ?燐子もああいう、いかにも、『女の子です』っていうほうが好みなわけ?」

 ミルフィがやたらに高い声を出して言うものだから、どこからその声が出ているのか本当に不思議に思った。

「好み、と言われてもな……同じ女だろう」返答に困った燐子は適当に、「まぁ、誰だって、品があるほうがいいのかもな」と返した。

「ふぅん……あっそ」
「ミルフィもあれくらいの気品を身に着けろ。そうすれば――」

 そこまで言って、燐子は言葉を引っ込めた。

(そうすれば、なんだ)

 自分が何を言おうとしていたのかも分からず、とにかく、今思いついた言葉で埋める。

「ドリトン殿も安心する」
「どういう意味よ、それ」
「嫁の貰い手がつくかもしれない、ということだ」と燐子がほんの少し振り返りながら、悪戯っぽく告げると、思いのほか本気で怒ったらしいミルフィが大声を上げた。

「大きなお世話よ!」

 背中を強烈な力で叩かれた燐子は、鈍い悲鳴を上げながらも、これでいいと、どこかほっとしていた。

 萎んでいるミルフィは見ていてどこか落ち着かない。

 こちらの背中を叩くぐらいの元気があるほうが、彼女らしいに決まっている。

 もちろん、できれば叩かないでほしいわけだが。

 街道の両脇に広がった緑の絨毯が、互いに擦れ合い、安らかな音を奏でている。

 夜の静謐に存在を許された数少ない音色たち。

 虫の声、風の響き、空と山の境界の先で鳴る遠雷……。それを耳にしながら、美しい瑠璃色の空の下で背筋を正した。

(そうだ。私も、私らしくしていればいい。戦いの中で得られるものだけは、嘘を吐かないのだから)



 数分して村の門をくぐると、中央通りのほうに村人が集まっていた。その中には、ドリトンとエミリオの姿も見える。

 馬が速度を緩めると、完全に止まってしまうよりも早くミルフィが馬上より飛び降りた。

 危険な行為だが、今それを咎められるほど冷たい人間でもない。

「エミリオ、お祖父ちゃん!」
「お、お姉ちゃん……」

 疾風の様に彼らに走り寄ったミルフィに、村の者たちが一斉に声をかけたことで、エミリオの小さな声はかき消されてしまう。

「おお、ミルフィ、よく帰ってきてくれた」
「一体どうしたの?帝国が来たの?」
「それが……」と困ったように眉をしかめたドリトンの代わりに、老齢の男性が忌々し気な顔をして言った。
「お前の弟が、とんでもないことをしでかしたんだよ」

 それを聞いたミルフィが、「え」と目を丸くし、一拍遅れて、彼らの中心で肩を丸めていたエミリオを見つめた。

 とんでもないことか、と馬を引きながら集団に近寄った燐子は、ドリトンのほうへと顔を向けた。

 同様にこちらを見据えたドリトンの顔には大きな疲労感と、焦燥感、そして小さな安堵が刻まれていた。

 可能であれば聞きたくはないといった口ぶりで、「あんた、一体何をしたの」と俯いたままのエミリオに尋ねるも、彼は悔しそうに拳を握りしめたまま何も答えない。

「エミリオ!」
「殺してしまったんだ」無感情な調子で、ドリトンがぽつりと言った。「帝国の兵を」

 ミルフィは唖然とした表情で、信じられないことを口走った祖父を見つめ、それから何度も何度もドリトンとエミリオへと視線を交互に向けた。

 殺した、この純朴な少年がか?

 到底信じられるものではない。

 ぱちんと弾けた篝火の音を合図に、ミルフィが寝言のようにはっきりとしない口調で、「嘘よ」と呟いた。

「本当だ」
「そんなの嘘よ」

 村人が様々な感情をたたえた表情で、ミルフィのほうへと目を向けている。

 ある者は哀れみ、またある者は怒り、だが多くの者は憔悴しきったような絶望だった。

 燐子はつい最近似たような顔つきを見たことを思い出し、内心苛立ちを募らせていた。

 サイモンたちのときと似ている。

 自分では何もせず、誰かを責めることもなく、諦めきっただけの瞳が酷く目障りだ。

 まるで死人だ、と誰にも聞こえないように口の中で吐き捨てる。

「嘘よね、エミリオ」

 しかし、少年は何も答えない。

「何とか言いなさい、エミリオ!」

 とうとう村中に響き渡る大声を放ったミルフィを、エミリオが弾かれたように見上げた。

 てっきり村中から責められて沈んでいるのだと思っていたのだが、その瞳に宿った強固な意志の輝きを見て、それが間違いなのだと分かった。

 今にも炸裂しそうな種火が、水晶体の中で渦巻いているのを確かめたとき、ミルフィとエミリオの間に繋がる、疑いようのない連綿とした血脈を感じずにはいられなかった。

「嘘じゃないよ!」

 息を呑んだ自分の姉に、追い打ちをかけるように続ける。

「アイツらがまた丘の森にいたから、谷底に突き落としてやったんだ!」

 良く通るエミリオの声が虚空を打って響き渡る。

 エミリオを怒鳴りつけようとしていたはずのミルフィは、険しい顔のまましゃがんで弟の肩を握った後、唇を震わせた。

 まるで、呼吸ができないみたいに口を開閉させたが、しばらくすると涙声で言った。

「何で、そんな馬鹿なことをしたの……」

 風を失った凧のように、途端に勢いを失ったミルフィを見つめて、エミリオも彼女と同じで墜落するように声を萎ませた。

「馬鹿なことなんかじゃ、ないもん。お父さんの仇を討ったんだもん」

 ミルフィはエミリオの言葉を聞いて、いっそう瞳を潤ませると、赤い宝石から雫を漏らした。

 その軌道を目で追っていた燐子は、彼女の嗚咽混じりの声を聞きたくなくて耳を塞ぐように目を背け、目蓋を閉じた。

「馬鹿なことよ……馬鹿な……」

 そのすすり泣く声を聞きながら、燐子はエミリオのあどけない笑顔を思い出そうとしたが、何度試みても上手くはいかなかった。
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