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三章 光、駆ける

光.駆ける.6

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「……っ」

 ひりりとする痛みに、思わず苦悶の声が漏れてしまう。

 非難めいた視線を目の前のミルフィに送るが、逆に冷ややかに睨み返されてしまって、情けないことに怯んでしまった。

「もう少し、優し――丁寧にできないのか?」
「は?」

 期待するだけ無駄そうだ、と燐子は肩を落として、自分の傷の手当をしてくれているミルフィから目を逸らした。

 サラシだけになった自分の上半身に無数の生傷が刻まれている。古傷も多いが、昨日の戦いでできた傷もある。

「ぐっ……!」
「我慢しなさいよ、自分が悪いんだから」
「おい、いい加減に――」とあまりに乱雑に包帯を巻き直すミルフィの手を掴むも、もう片方の手で傷の入った肩を握り込まれ、声も出なくなる。

 あの後、助け出した人々を伴って、森の出口に向かった。

 商人たちは仲間たちの無事を目の当たりにすると、飛ぶようにして喜んだ。例の少年だって自分たちの元へやって来て、泣きながら飛びついてきた。

 感謝の言葉をかけられ、悪い気はしなかった。ただ、それは自分ではなくミルフィに捧げられるべきとも思った。

 勇気を出す民草がいたからこそ、自分は太刀を振るったにすぎない。そうでなければ、彼らに土下座されようと力を貸さなかっただろう。

 今は、仲間を助けてくれた礼ということで、馬車の荷台にスペースを用意してもらい、そのままアズールの町まで一緒に運んでもらっているところだ。

 おかげで残りの旅路は楽なものになりそうだったが、戦いの熱が冷めてしまったことで、あの魔物につけられた痛みが疼く。

 何を言っても乱暴な手付きを改めないミルフィにため息を落とし、馬車についた小窓から外の景色を眺める。

 鬱陶しい湿地帯は抜け、すでに広い草原地帯に出ていた。青々とした緑が、目に優しい。

「どうしてあんな無茶をしたの」
「無茶……?」

 そうしてしばらく、こちらを批判的な目で見つめていたミルフィであったが、ややあって、両手を自分の膝の上に置いたかと思うと、途切れ途切れに声を発した。

「偉そうにごめん。この傷、私のせいなのにね」

 体についた傷を労るように優しく指でなぞられ、ぞわりとした感覚で体が震えた。

「み、ミルフィのせいではない。戦場での傷は全て、己の実力不足だ」

 慰めでも何でもなかったのだが、ミルフィは肩を落とすと、「違うわよ」とぼやいた。

 馬車の車輪が街道の石ころを踏みつけにする度に、体が上下に揺れる。

 ある程度は整備された道のようだが、それでもやはり、綺麗さっぱりというわけにはいかない。

 雨が降ればぬかるむし、強風が吹けば砂を巻き上げ荒れ、雪が積もることだってある。

 何だってそんなものだろう、人間だって、きっと。

 燐子は意味が分からない、といった様子で首を傾げて「なぜそう思う?」と問いかける。

「私が行こうって、言ったから……なのに、たいして役に立たなかったし」

 珍しく反省している、というより落ち込んだ雰囲気で呟くミルフィは、とても奥ゆかしい女性のようにも見えた。調子が狂う。

「妙なことを言う。あのような魔物に襲われて、結果的に死人が出なかったのはお前のおかげだろう」
「それは燐子が倒したからよ。私じゃなくて、燐子のおかげ」
「そもそもお前が行くと言ったことが、事の始まりだ」

 それでも納得しないふうに、ぶつぶつとため息交じりに呟くミルフィを見て、燐子は次第に呆れを覚え始めていた。

「お前が行くと言わなかったら、誰も助けに行くこともなく、あのうちの何人かは死んでいただろう」

 ミルフィが言い出したことなのだから、どう考えても彼女が救った命に変わりはないはずである。彼女が何に引っかかっているのか、それが燐子には全く理解できなかった。

 すると、今まで詮無いことをひたすら口にしていたミルフィが、急に真面目腐った声になって言った。

「この間も、今回も、結局、燐子一人に戦わせてる」

 それがどうした、と燐子が口に出しそうになったところ、かすかに瞳を潤ませた彼女と目が合って、燐子はぎょっとした。

「お、おい……」

 ミルフィは膝に置いた両手を固く握りしめている。

 それはまるで、掌中にある何か形のないものを、無理やりにでも押し潰そうとしているかのように燐子には見えた。

 どことなく、そんな彼女が哀れに思える。

「ごめん、最低だ、私。燐子が怪我したことじゃなくて、自分が何もできなかったことがショックなんだ、きっと」

 ミルフィが大きなため息を吐いて項垂れたことで、その臙脂色の瞳が隠れてしまった。

 涙を吸収して輝きを放つ宝石のようなその目を、もうしばらく見ていたい。

 そう考えていた自分に気が付いて、燐子はむず痒い気持ちで顔を背けた。

「何もできなかったわけでもない。この間も、今回も。お前の弓で救われた村人もいたと聞いた。今回だって、ミルフィが放った矢で奴の弱点が分かったのだ」
「それでも、危険を冒したのは燐子よ」

「危険ではない戦いがあるのか?」燐子は少し笑いながら言った。
「少なくとも今回みたいに、一歩間違えれば死ぬような真似はせずとも済んだはずでしょう」

「何を言う。戦いとは死の閃光が連綿と続いて出来ている。どのようなものであっても、一歩間違えれば死ぬものだ」
「だけど、あんなの……まともな人間の戦い方じゃないわよ」

 また批判されているのかと目を細めてミルフィを睨んだが、彼女は相変わらず荷台の床を見つめたままである。

「まともな人間の戦い方じゃない、と言われてもな……」

 昔からああして戦ってきた。

 女の私では腕力では男には敵わないと、戦場に出れば嫌でもすぐに学んだ。

 しかし、だからといって落胆はしなかった。

 ならばどうすればいいのか、それをすぐに学んだからだ。

 活かせるものを活かす。

 持ち前の身軽さと動体視力を武器に、相手の攻撃を紙一重で躱し、心血を注いで磨き上げた剣の腕で斬る。

 それを戦場で繰り返しているうちに、自分の戦い方はある程度の高みに達したと自負している。

 ミルフィはああ言うが、更なる高みに至るためにも、今回の一件があったことには、むしろ感謝すらしている。

(――……まだ、私は強くなれる)

 この程度で満足はしない。自分より強い者など数えきれないほどいるのだから。

「私は、どうせあのやり方しか知らん」

 そう告げた燐子の言葉を冗談か、気遣いと捉えたらしいミルフィは、少し上目遣いになって燐子を見据えながら、「とにかく、悔しいのよ」と身を切るように吐き出した。

 どうやら、今は何を話そうと無駄なようだ。

 そう判断した燐子は、ミルフィから窓の外へと視線を移して、「お前は猟師なのだから、戦えずとも気にすることはない」と呆れたように再び告げた。

 その言葉はミルフィを慰めたり、元気づけたりするどころか、かえって落ち込ませてしまったようであったが、それが分からない燐子は、あの魔物に止めを刺したようにもう一言付け足す。

「そうして生きてきたのだろう。これからも、そうすればよい」

 荷台の隅にいた鼠が、二人に怯えたようにして一つ鳴き声を上げた。
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