異世界剣豪~侍になれなかった女~

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二章 切腹の意味

切腹の意味.4

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「燐子さん」と希望に満ちた瞳で彼女を見上げたエミリオは、その砥ぎ上げた刃物のように鋭い目つきに、かすかな恐れを抱いた。

 ハイウルフが飛びかかる隙を窺うように、燐子の周辺をウロウロしている。だが、彼女は太刀の柄に手を掛けることもなく、眠そうに目を半開きにしていた。

「何をしているの?さっさと、あの刀とかいう武器を抜いてよ……!」

 ただでさえ多勢に無勢の状況なのに、あんなに悠長に構えていては一斉に攻撃を受けて殺されてしまう。

(せっかく、エミリオが助かったと思ったのに……!)

 ミルフィは、他人事のようにぼうっとしている燐子に次第に腹が立ってきて、大声で怒鳴った。

「何をぼさっとしてんのよ!早く戦ってよ!」

 もう獣たちは、こちらに見向きもしない。

 燐子は初め何も聞こえていないかのように、ぴくりともしなかったが、ミルフィが彼女の元へ動き出したところでようやく口を開いた。

「少し、静かにしていろ」

 あまりにも突き放した言いざまに、ミルフィは一気に頭に血が上った。

「あ、アンタねぇ!」

 燐子はミルフィの声を無視して、冷え切った目を一度閉じた。

 それと同時に、ようやく鞘から刀を滑らせる。

 鉄の刃が擦れる音が、緊張で張りつめていた空気を斬りつけるように高く鳴った。

 その場にいた全員が、瞬き一つ出来ず燐子を見ていた。

 獣も、村人も、エミリオも、ミルフィも、おこぼれにあずかろうとしていた鳥も、何もかもが、彼女の優雅な抜刀に見惚れていた。

 燦々と降りつける西日を反射した銀の輝きが、彼女がゆったりと太刀を構えるのに従って、根元から刃先へと生き物のように移動する。

 顔の横に立てて構えた太刀が、ぴたりと動きを止めた。

 その姿はまるで、獰猛な狼が燐子の指示によって、食らいつく対象を見定めているようにも見える。

 刀身から放たれる同胞の死臭を敏感に感じ取った獣共が、一斉にまくしたてるように吠える。

 そして、そのうち二匹が燐子に躍りかかった。

 左右からタイミングをずらして飛びかかってくる相手に対し、すり足で一歩進みながら、刀を振りかぶる。

 まるで、獣のほうから燐子の描く閃光に身を委ねたかのようにして、ぴたりと影が一つに重なる。

(凄い……)

 ミルフィは思わず息を呑んだ。

 それは、目にも止まらぬ剣速のためでも、完璧な合わせのためでもない。

 ただ、その美しさゆえ。

 刹那、血飛沫が舞い、一匹の獣が地面に落ちる。

 まるで鮮血が描く放物線に意思でもあるかのように、返り血は燐子の体にまとわりつき、その美しい顔とシャツを汚した。

 さらに続けて襲いくる獰猛な牙に向けて、先ほどとは逆方向に切り払い、一瞬のうちに二匹を血の海に沈めた。

 誰もが目を見開き驚愕に体を硬直させていたのだが、ハイウルフのほうは同胞を瞬く間に殺された怒りか、見境なく襲いかかり始める。しかし、その一匹も独楽のように体を回転させた燐子の一刀の元に即座に絶命する。

 息を吐く間もなく三匹の獣を葬った燐子は、一度太刀を素早く振って、その刀身に付着した鮮血を払った。

 その手慣れた所作は、彼女が殺めてきた命の数を体現していた。

 仲間を奪われたハイウルフは、たじろぎながらもまだ反抗の光をその瞳に宿し燐子を見つめており、その周囲を囲むようにうろついた。

 初めは眠そうな目つきをしていた燐子も、今ではもう殺意にみなぎった、燃える氷のような鈍い輝きでその瞳を染めている。

 そんな燐子を見つめていたミルフィは、自分が我も忘れて燐子に魅入っていたことに気がつく。

(エミリオが危ないってのに、私ってば……!)

 すぐさま矢筒に手を伸ばし、弦に矢を番えようとした。しかし、そんな彼女に燐子がぞっとするほど無感情な声で命じる。

「手出しは無用」
「え」

 意外な言葉に、ミルフィは弓矢を下ろした。そして、再び剣先を顔の横で水平に構えた燐子と目が合って、思わず息を呑んだ。

「この程度、一人で十分だ」

 一匹が大きく吠えたのを皮切りに、ハイウルフが次から次へと牙を向いて燐子に襲いかかる。しかしながら、例外なく一太刀の元にその生命を散らしていく。

 回避とほぼ同時に行われる、流麗無比な太刀筋。それにより、ほとんどのハイウルフが痙攣しながら骸と化す。

 屍の数が二桁を越えたところで、残った数匹のハイウルフが尻尾を巻いて丘の方へと走り去っていった。

「……惰弱な」と燐子がつまらなさそうに呟く。

 獣たちの背中を見送ると、ミルフィは今回の立役者ともいえる燐子へと視線を向けた。

 おびただしいほどの返り血を浴びた燐子は、刀から血を振り払うと、胸元に手を突っ込んで何かを探すような仕草を取った。だが、どうやら目的のものは見つからなかったようで、動きを止めた。

 かと思ったら、急にシャツを脱いで上半身サラシ一枚になると、その血濡れたシャツを使って太刀の汚れを拭った。

 惜しみなくさらされた、燐子の真っ白の肌。シャツや顔から滴る鮮血で、白かったサラシはあっという間に真紅に染まる。

(……なんて、綺麗な人……)

 ミルフィは、燐子がエミリオを伴って、周囲からの熱気と恐れに満ちた歓声を浴びながら自分の目と鼻の先に来るまで、何かに取り憑かれたかのように彼女から目が離せなくなっていた。

 こんなにも綺麗な戦いは、今まで見たことがなかった。

 命を奪う争いというのは、ミルフィにとって、どれもこれも意地汚く泥臭くて、まともな人間ならば目を背けたくなるほど醜悪なものでしかなかった。

 それなのに、今の燐子はどうだ。

 獣の返り血に全身を染めて、着ている服さえも刀のために脱ぎ散らかす、怪物同然の女。

 真っ白な肌を美しく火照らせ、血を絢爛に纏い、舞うように命を攫っていく無慈悲な天使のような女。

 そうして、コインの裏と表のように、怪物と天使をその内側に飼っている女。

(これが、流れ人……)

 不自然に高鳴る胸の鼓動が自分自身にも理解できず、いざ燐子に声を掛けられたときは、思わず飛び上がってしまうほど困惑していた。

「おい」
「えっ、え?あ、なに」
「借りは返した」
「か、借り?借りって、なんの……」

「飯だ」とぶっきらぼうに返した燐子の言葉を聞いて、エミリオがしたり顔で「お姉ちゃんのご飯は美味しいもんね!」と笑う。

「あ、そ、そう。いや、そうじゃなくて、アンタ……本当に何者なのよ?」

 燐子はその問いには答えず、眉間に皺を寄せてから、「その呼び名、いい加減無礼だぞ」と不愉快そうに口にした。

 返り血で染まった顔を歪ませて呟く姿は、ほとんど人間を捨てているという気がしてならない。

「そうだよ、お姉ちゃん。いい加減、燐子さんに失礼だよ」
「最初に呼び捨てにしてきたエミリオが言うな」

 次第に事態は落ち着きを取り戻しつつあって、周囲の人々も、獣の死骸や壊れた物の片付けに専念し始めていた。そして、燐子の近くを通り過ぎる人間のほとんどが、立ち止まって彼女にお礼を告げていた。

『また後でお礼を持って行く』と言い残して去っていく村人を、不思議そうな目で見送った燐子は、無言で首を捻っていた。

「燐子さんのお陰でみんな無事だったんだから、お姉ちゃんもちゃんとお礼言いなよ!」
「あ、うん」と珍しくエミリオの勢いに飲まれたミルフィは、何も考えずに頷いた後に後悔するも、弟の無言の圧力のために渋々口を開いた。

「ど、どうも」
「……お姉ちゃんまだ意地張ってるの?」

 エミリオの茶化したような、でもしっかりと咎めるような言葉に、「分かったわよ」とミルフィは燐子へ体を向けた。

「あ、ありがとう、燐子」

 燐子、とこっそりもう一度だけ心のなかで、指でなぞるように呟く。

 白い肌を剥き出しにした燐子を、正面から見据えようとすればするほど、自分の顔が真っ赤になっていくのが分かる。

 それでも、何とかして伝えるべきことを伝えたミルフィは、燐子の次の言葉を待った。

「ミルフィ」燐子の凛とした、歳不相応の声音が耳朶をくすぐった。「は、はい?」

 生まれて初めて名前を呼ばれたみたいに、胸が鳴った。

 私と変わらないぐらいの歳のくせに。

 さっきから鳴り止まない不自然な拍動のせいで、気持ちが落ち着かない。

「水浴びをして、服を着替えたい」

 真剣な顔をして告げる燐子の手に握られた、真紅のシャツに視線が定まる。

「っていうかそれ、私のシャツなのよ!なんてことしてくれるの!」
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