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一章 侍になれなかった女
侍になれなかった女.4
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刃が激しくぶつかり合う音が、辺りに響き渡る。
一際大きな音が空に高く木霊したかと思うと、間を空けず、ひたすらに鳴り響いていた風切りの声が止み、荒い呼吸音だけが後に残った。
膝をつき、呼吸を整えながら苦々しく表情を歪めた燐子は、息も絶え絶えといった口調で言った。
「参りました」
降参の宣言を受けて、燐子の父は大きな声で笑う。
彼は、まだ十五を越えたばかり娘の健闘を称える言葉と共に、改善点や気概の至らなさを叱った。
叱られた燐子は悔しそうな顔色を浮かべていたものの、それは敗北からくるものとはまた違っていた。
ひらりと桜の花びらが彼女の黒々とした髪の毛に舞い降りる。その黒は彼女の頑固さと、誠実さを表すのに適していると言えよう。
高く後頭部で結った髪が、燐子が肩を上下させて息をする度に、桜の花びらを誘っているように揺れる。
父は燐子がようやく静かに呼吸を始めたのを確認すると、髭の生えた顎に手を当てながら荘厳な口調で尋ねた。
「して、何があったか」
燐子はぴくりと肩を反応させた。だが、すぐに平静を保って、「何のことでしょうか」と返事をする。
「剣筋が乱れておる。お前らしくもない」
「……すみません」
そうして不甲斐なさに肩を落とした燐子へと、先ほどとは全く違う質の声で、父が再度理由を尋ねた。
「言ってみろ。何か道を示せるかもしれん」
勇猛果敢な侍から、父へと変わる時の彼の声が燐子は大好きだった。
甘えるような歳でもないというのに、と内心では赤面しながらも、どうしても父の胸を借りたいという欲求が顔を覗かせてしまう。
「……父上、私は」
「うむ」
「侍の子です」
「左様」
「ですが――」
顔を上げて、逆光でよく見えなくなった父の顔を縋るように見つめる。
自分が言いたいことと、言うべきではないことを頭の中で整理しようと努める。だが、こんな日に限ってそれが上手くいかない。
「侍でも、武士でもありません」
こんなことを言っても父を困らせてしまう。
それが分からない燐子ではないのに、何かに背中を突き飛ばされるように泣き言を喚き散らしてしまう。
「どれだけ鍛錬を積んでも、どれだけ心を研ぎ澄ましても、私は父上のようにはなれない」
「……何か言われたのか」
父親の問いかけに燐子は沈黙をもって答えたのだが、しばらくして彼が「同じ道場の者に、何か言われたのだな」と呆れたように呟いたことで、かすかに頷いた。
彼は憎々しげに何事かを吐き捨てたかと思うと、娘の前に片膝をついてしゃがみ込み、その肩に手を置いた。
黒目がちな瞳を、光を放つ宝石のように潤ませて燐子は首を振る。
自分にとって、何もかもが今は無意味なもののように思えた。
相手を斬り伏せる技も。
逆境を乗り越える魂も。
全て意味がない。
「侍にはなれぬのに、私は、何をしているのでしょう」
自嘲気味に呟く燐子に、彼女の父は強い口調で応じる。
「何をしているのだと思う」
「そ、それが分からないから父上に聞いているのです!」
「甘ったれるな!」
「甘えております!それの何が悪いのですか、娘が、父に甘えて何が悪いのですか!」
こうなれば自棄だと、燐子は父に食ってかかるも、頬に一発平手打ちを食らってしまう。
「……っ」
キーンと耳鳴りがする中、父はもう片方の手を呆然としている燐子の肩に置いて、言い聞かせるように告げた。
「お前は侍となれる器だ」
「初めから割れた器では、何も注ぐことはできません」
「それは見た目だけの器の話」と首を振った父は、重々しく頷いて言葉を付け足す。
父の男らしい喉仏が上下に動くのを、燐子は意識せずに見ていた。
「いいか、真の侍とは――」
あのとき、父は何と言ったのだったろうか。
父との試合の中で弾き飛ばされた自分の刀が、哀れに横たわって地面に投げ出されていた。
あの日の夕焼けが放った灼光を受けて、刃が赤白く輝いている。
まるで燐子の潤んだ瞳で輝く、涙の玉のように。
一際大きな音が空に高く木霊したかと思うと、間を空けず、ひたすらに鳴り響いていた風切りの声が止み、荒い呼吸音だけが後に残った。
膝をつき、呼吸を整えながら苦々しく表情を歪めた燐子は、息も絶え絶えといった口調で言った。
「参りました」
降参の宣言を受けて、燐子の父は大きな声で笑う。
彼は、まだ十五を越えたばかり娘の健闘を称える言葉と共に、改善点や気概の至らなさを叱った。
叱られた燐子は悔しそうな顔色を浮かべていたものの、それは敗北からくるものとはまた違っていた。
ひらりと桜の花びらが彼女の黒々とした髪の毛に舞い降りる。その黒は彼女の頑固さと、誠実さを表すのに適していると言えよう。
高く後頭部で結った髪が、燐子が肩を上下させて息をする度に、桜の花びらを誘っているように揺れる。
父は燐子がようやく静かに呼吸を始めたのを確認すると、髭の生えた顎に手を当てながら荘厳な口調で尋ねた。
「して、何があったか」
燐子はぴくりと肩を反応させた。だが、すぐに平静を保って、「何のことでしょうか」と返事をする。
「剣筋が乱れておる。お前らしくもない」
「……すみません」
そうして不甲斐なさに肩を落とした燐子へと、先ほどとは全く違う質の声で、父が再度理由を尋ねた。
「言ってみろ。何か道を示せるかもしれん」
勇猛果敢な侍から、父へと変わる時の彼の声が燐子は大好きだった。
甘えるような歳でもないというのに、と内心では赤面しながらも、どうしても父の胸を借りたいという欲求が顔を覗かせてしまう。
「……父上、私は」
「うむ」
「侍の子です」
「左様」
「ですが――」
顔を上げて、逆光でよく見えなくなった父の顔を縋るように見つめる。
自分が言いたいことと、言うべきではないことを頭の中で整理しようと努める。だが、こんな日に限ってそれが上手くいかない。
「侍でも、武士でもありません」
こんなことを言っても父を困らせてしまう。
それが分からない燐子ではないのに、何かに背中を突き飛ばされるように泣き言を喚き散らしてしまう。
「どれだけ鍛錬を積んでも、どれだけ心を研ぎ澄ましても、私は父上のようにはなれない」
「……何か言われたのか」
父親の問いかけに燐子は沈黙をもって答えたのだが、しばらくして彼が「同じ道場の者に、何か言われたのだな」と呆れたように呟いたことで、かすかに頷いた。
彼は憎々しげに何事かを吐き捨てたかと思うと、娘の前に片膝をついてしゃがみ込み、その肩に手を置いた。
黒目がちな瞳を、光を放つ宝石のように潤ませて燐子は首を振る。
自分にとって、何もかもが今は無意味なもののように思えた。
相手を斬り伏せる技も。
逆境を乗り越える魂も。
全て意味がない。
「侍にはなれぬのに、私は、何をしているのでしょう」
自嘲気味に呟く燐子に、彼女の父は強い口調で応じる。
「何をしているのだと思う」
「そ、それが分からないから父上に聞いているのです!」
「甘ったれるな!」
「甘えております!それの何が悪いのですか、娘が、父に甘えて何が悪いのですか!」
こうなれば自棄だと、燐子は父に食ってかかるも、頬に一発平手打ちを食らってしまう。
「……っ」
キーンと耳鳴りがする中、父はもう片方の手を呆然としている燐子の肩に置いて、言い聞かせるように告げた。
「お前は侍となれる器だ」
「初めから割れた器では、何も注ぐことはできません」
「それは見た目だけの器の話」と首を振った父は、重々しく頷いて言葉を付け足す。
父の男らしい喉仏が上下に動くのを、燐子は意識せずに見ていた。
「いいか、真の侍とは――」
あのとき、父は何と言ったのだったろうか。
父との試合の中で弾き飛ばされた自分の刀が、哀れに横たわって地面に投げ出されていた。
あの日の夕焼けが放った灼光を受けて、刃が赤白く輝いている。
まるで燐子の潤んだ瞳で輝く、涙の玉のように。
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