異世界剣豪~侍になれなかった女~

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一章 侍になれなかった女

侍になれなかった女.3

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 他の家よりも少しだけ大きい建物へ導かれる。社のように地面から一段高く建てられたその家は、武家屋敷ほど立派なものではないが、この小さな集落では相当の地位にある人物の家なのだと分かる。

 老人に中へと通され、そこで履物を脱ごうとしたところ、彼は目を丸くして制止し神妙そうに頷いた。

 玄関を抜け、廊下を渡り縦長の部屋に足を踏み入れると、そこには部屋の半分ほどの面積を占める大きな机が置いてあった。

 それは、明らかに自分の知っている机よりも背丈が高かった。目の前に数脚並べられている椅子に座って使うものらしいが、燐子にしては珍しく、どう動いたらいいか分からずにじっと佇んでいた。

 戸惑う燐子を柔和な表情で見つめる老人は、自分が先に座って見せてから、「どうぞ、おかけになってください」と言った。

 彼は燐子が何かを警戒するように慎重に椅子を引いて座ったのを見て、ゆっくりと椅子の背もたれに寄り掛かった。

 どういう絡繰りか想像もつかないが、窓枠にはめられた透明の板の向こう側に、外の景色が透けて見える。風も通さないのに、中に居ながら外の景色を楽しめるとは何とも贅沢な品である。

「何とお呼びすればいいでしょうか」
「ああ、そうですね、ドリトンと、お呼びください」

 恭しく頭を下げたドリトンは、窓から入ってくる朝日に横顔を照らされて、その頬に年季のある皺で陰影をつけた。

「それで、私に聞きたいこととは?」
「まず確認したいのですが、日の本をご存知ですか」
「日の本……?いえ」
「ではなぜ、日の本の言葉を使えるのですか」

 燐子が何かに追い立てられるようにして放った言葉を聞いて、ドリトンは深刻な顔つきで顎を引いた。

「……貴方は、やはり」
「やはり?」とドリトンにオウム返しで問い返すも、彼は目をつむって黙り込むだけである。

 沈黙を守る様子にかすかな苛立ちを覚えて拳に力が入る。

 さっきから、分からないことばかりが増えていく。これでは埒が明かない。どうにか今の状況を整理できる話をしたいものだが……。

 そう考えた燐子は、エミリオが口にしていた言葉を思い出し、口にした。

「それでは『流れ人』というのは?」

 質問を受けたドリトンは、目を丸くして少し考えるような素振りをした後、「エミリオに聞いたのですね」と深刻そうに呟いた。

「知っているのですね。教えて下さい」

 ようやくまともな反応が返ってきたことで、思わず座席から腰を浮かす。

「少し落ち着いてからと思ったのですが」
「何を悠長なことを、すぐに教えて下さい」
「ですが……」
「お願いします。私には、ここがどこだかも分からず、困っているのです」
「ええ、まぁ、それは後日にでも――」

 悠長な態度に、燐子も目くじらを立てる。

「くどい!」

 あまりにダラダラと同じやり取りを繰り返されたことで頭にきた燐子は、思い切り机の上を握った拳で叩いた。

「何かを知っているのに、それを語らないとはどういう了見だ!」

 今にも刀を抜きたくなる衝動に駆られたが、それをしたところで、自分の状況が好転しないことぐらいは燐子にも分かっていた。

 さすがのドリトンもこの迫力には圧されてしまったのか、焦ったように何度も頷き、話をしてくれることを約束してくれた。

 確約を取り付けた燐子は息を整えながら、ゆっくりと再び椅子に腰を下ろした。

 ドリトンは一度咳払いしてから、こちらを上目遣いに覗くと、「心して聞いてください」と前置きして『流れ人』について語り出した。

「端的に言えば、違う世界からやって来た人のことです」
「……違う、世界?」

 燐子は、ぽつりと呟かれた間抜けな声が、よもや自分のものだとは思えなかった。

 しっかりと脳を回転させるために頭を振り、はっきりとした口調で質問を重ねる。

「違う世界、とは何かの比喩ですか?」

 それを聞いたドリトンは一度立ち上がり、窓を開いた。

 舞い込む風に目を細める。風に乗って運ばれてきた桃色の花びらを視界の隅で追いかけて、一瞬桜の花びらを思い出したが、それとは別物のようだった。

 真正面で背を向けたドリトンは、しみじみとした口調で説明を続ける。

「いいえ、正真正銘、違う世界だと言われています」
「意味が分からない……。もしや、からかっておられるのですか」」
「とんでもない。ただ、流れ人はみんな口を揃えてこう言うのです」

 ドリトンは緩慢な動きで振り向くが、その仕草からは思いも寄らないほどの早口で言葉を並べた。

「そんな国は聞いたこともない、違う国の人間がみんな自然に自分の国の言葉を使っている、見たこともない獣が周辺をうろつき、そして、自分の知り合いがこぞって姿を消していると」

 彼の矢継ぎ早の説明を聞き、燐子はゾッとしたものを背筋に感じた。なぜなら、彼の言葉は全部、自分がここに来て感じたことだったからだ。

(そんな、馬鹿なことがあるはずない……)

 そう頭で考える自分と、薄々似たようなことを感じていた、と納得しかけている不気味な自分とが現れて、ただでさえ混乱している自身の頭の中をかき乱した。

 やがて燐子は、感情のままに太刀を抜刀し、切っ先をドリトンに向ける。

「世迷い言を……!この世は一つだ!それぐらいも分からないと思うのか!」

 彼は多少驚いた顔はしていたものの、今度は怯えることはなかった。

 まるで、こちらの行動を予測していたかのような落ち着きようが、より彼の言ったことの正しさを証明しているように感じて、燐子は舌を打つ。

「違う世界だと……?そのようなことが、信じられるか」

 すると、唐突に扉が開かれた。

 扉の向こうには、驚きに目を丸くしたミルフィ立っていた。

「ちょ、ちょっと!お祖父ちゃんに何してるのよ!」

 彼女は燐子が手にした太刀の煌めきに気づくと、すぐに激昂し、慣れた手付きでナイフを抜いて、順手に構えた。

「ミルフィ、やめんか」仲裁に入ったドリトンを無視して、ミルフィが「ちょっとアンタ!剣を下ろしなさい!」と怒鳴る。

 今にも飛びかかってきそうなミルフィの存在に、たった今気がついた、と言わんばかりに、燐子は大儀そうに瞳だけ動かして相手を見据えた。

 その冷酷さと激情が同居した――目の合った相手に、ある種の畏れを感じさせる瞳に捉えられ、ミルフィは一瞬気圧されたように後ずさる。

 だが、一瞬で元の勝ち気さを取り戻すと、同じことを次はゆっくりとした口調で警告した。

「下ろしなさい。このよそ者」

 よそ者、という言葉に、今は酷く苛立つ。

「口を出すな、女。邪魔立てすれば容赦はしない」
「アンタだって女でしょ。こっちだって、そいつを下ろさないと容赦しないわ」
「……やめておけ」
「いいから、下ろしなさいって!」

 燐子は、彼女の毅然とした態度と言葉を微動だにしないまま聞いていたかと思うと、一度息をつき、それから間を置いて、氷のように冷たい声音で告げた。

「そうか」

 少し離れた場所から、ドリトンが何か大声を上げた。だが、燐子はそれを完全に無視し、殺気をみなぎらせる。

 異様な空気感に、ミルフィはごくりとつばを飲み、さらに一歩後ずさったものの、やはりその目元に力を入れ直し、徹底抗戦の構えを取った。

 焼けついた鉄板のような空気が室内に立ち込め、外から流れ込む穏やかな薫風も一瞬で蒸発してしまうふうだった。

「恩知らずな奴め。斬って捨てる」

 燐子は抑揚もなく呟くと、相手の構えに注意を傾けた。

 度胸はあるようだが、自分と相手の力量差を計ることもできない未熟者のようだ。

 全身の筋肉を弛緩させ、いつでも飛び込める体勢を整える。

 一触即発の空気の中、何の前触れもなく、燐子が相手へと強く踏み込んだ。

 地面に向けられていた刃先が、半円の軌道を描くように下から前方に振るわれる。

 あまりに的確で、あまりに一瞬で振るわれた刃を、ミルフィは身動き一つできないまま眺めていた。

 しかし、その刃先は、彼女の喉元に食いつく前にぴたりと動きを止めた。

 初めミルフィはその理由が分からず、目をぱちぱちさせるだけだったが、そうしているうちに背後から聞こえてきた声に、慌てて振り向く。

「ちょっと、二人とも何してるの?」
「え、エミリオ……」ミルフィが唖然とした様子で呟く。

 やがてミルフィは、たった今、人を殺そうとしていたとは思えないほど淡々とした瞳の燐子を見て、その人間離れしたおぞましさ、冷徹さに、本能的に喉を震わせた。

「エミリオ、危ないから下がってなさい!」

 しかし、ミルフィの心配をよそに、エミリオの年の割に聡明そうな視線を受けた燐子は、じっと、視線を返した後、小さくため息を吐いて刀を引いた。

 自分の喉元に突き付けられていた刃先が離れていくのを、わけも分からず見送ったミルフィの隣をエミリオがすり抜けて行く。

「ちょ、待ちなさい」ミルフィは急いでそれを止めようとしたのだが、指先がわずかに彼の背中に触れただけであった。

「燐子さん、何でお姉ちゃんを斬ろうとしたの」真っ直ぐ問いを投げてくるエミリオに、燐子は淡白な返事をする。「うるさかったからだ」
「まさかそんな理由で、本気で斬る気だったの?」
「冗談で刀は振らん」

 そう冷たく言い放った燐子を見て、エミリオは何かを考え込むように黙り込んだ。

 狭すぎるこの一室において、その沈黙は実際以上に重々しく感じられる。

「何だ。言いたいことがあるなら、言え」
「多分、お姉ちゃんがガサツだから、何か燐子さんの気に障ることをしたんだと思うけど、そんなに簡単に人を殺しちゃったら駄目だと思うよ」

 至極まともなことを子どもに諭された燐子は、不愉快そうに眉をひそめたのだが、彼の悲愴に染まった幼い顔を見て、思わず目を逸らした。

「斬らなかっただろう」
「それは、僕が来たからでしょ」
「だが、侮蔑を受けて黙っているというのも、武士の名折れではないか」

 それは燐子としては、生まれたときから自然と口にしてきた言葉で、世間一般においても知らない者はいない言葉のはずだった。

 だからこそ、エミリオが不思議そうに首を傾げて呟いた言葉が、にわかには信じられなかった。

「ぶし?何それ」
「何?そんなことも知らんのか」

 燐子は、この村では身分の話も子どもに教えていないのか、と大人たちの至らなさを嘆きながら、ドリトンのほうへと視線を投げた。だが、彼はまたも無言を貫いただけであった。

 その柔らかくも知性に満ちた顔つきが、かえって彼女の不安を駆り立てる。

(まさか……)

 藁にも縋る思いで、先ほど斬りかかった相手の顔を見つめた。

「な、何よ」察しが悪いのか、ミルフィは驚いた顔つきになっただけだ。
「武士だぞ、いや侍と言えば分かるか?それくらいはいかに辺境の村と言えど知っているだろう」
「悪かったわね、辺境の村で!知らないわよ!」

 そう強く言い返された燐子は、ふらりとよろめき、片手を机の上について俯いた。

 燐子は、自分が信じている、いや、もはや崇拝していると言っても過言ではない概念が、この世から泡沫のように脆く消え去っていたことにとても大きな戸惑いを覚えていた。

(そんなまさか、このようなことがあるのか)

 侍や武士のいない世界。
 違う、そうしたものによる、誇りや誉がない世界。
 そのような世の中が認められるのか?

「侍の、いない、世界」

 思わず呟いた言葉に、エミリオが過敏に反応し大声で騒ぎ立てる。

「やっぱり、燐子さんは流れ人なんだ!」

 煙の見せた夢幻のほうが良かった。
 地獄のほうがマシだった。

 ここが仮にドリトンの言った『別の世界』なのだとしたら。

 武士道の芽吹いていない、荒涼の大地なのだとしたら……。

 がくりと膝が折れ、地面が近くなる。

 焼け落ちる城の、敗北の狼煙の臭いがどこからか漂ってくる気がした。

 それは、朦朧とする脳髄が燐子に与えた錯覚だったのだろうが、とても生々しく彼女には感じられた。

(そういえば、しばらく寝ていない……)

 眠れば、全てが醒めるのだろうか。

 体に半端に身に着けていた鎧が、地面にぶつかり派手な音を立てる。

 腰にぶら下げた太刀だけが、床の継ぎ目に引っ掛かり真っすぐと屹立していた。
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