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一章 私にとってのジキルとハイド
私にとってのジキルとハイド.1
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終礼直後で騒がしい教室の片隅、少女はまるで、周囲の人間全てが自分には見えないと言わんばかりに、ぽつんと孤立していた。
いや、正確には逆で、周囲が少女の存在を意識していないようである。
クラスメイトたちは、先ほど先生が話していた転校生の話題で持ちきりだった。
都会の学校から来る上に、ハーフとくればこの騒がれようも無理はない。
あまり珍しがるなと先生は注意していたけれど、それは出来ない相談だろう。
田舎では、その手のことは格好の話の種になる。
少女も、一体どんな人なのだろうと考えていたが、どうせ友達になんてなれない、私には関係ない、と目をつむった。
誰にも見えない程度に肩を落として、学校指定の鞄に引き出しの中の教科書を全て詰め込む。
それから、早々にこの場を立ち去ろうとしていたのだが、彼女が席を立って間もなく、教室の後ろのほうから声が上がった。
「冬原さん、提出物がまだと思うけど」
その声を耳にした途端、諦めと嫌気が混在した感情が、胸の真ん中にドスンと重くのしかかり、心の中でまたかと悪態を吐いた。
無駄だと分かっていながらも、「提出物なんてあったかな」と小さく呟くも、声を発した女は、少女と違ってとても澄んだ音色で滑舌良く、「ごめんなさい、聞こえないから、こっちに来てくれる?」と丁寧に返答した。
圧のある瞳に臆した少女――冬原夕陽は顔を俯け渋々と、教室の一番後ろの端の席で姿勢良く座っている女のそばへと移動した。
ふわりと香る彼女の甘い匂いに、気分が悪くなりそうだと、冬原は思った。
冬原が女に呼び出されたことに、まるで関心がないクラスメイトたちは、二人の方を一瞥することもなく、各々放課後を満喫していた。
冬原はそれを恨めしそうに横目で見送ると、無言で立ち上がった女の後を追い、教室を出た。
彼女の長く伸びたストレートの後ろ髪を、伏し目がちな視線で覗く。
今日は何をされるのだろうか、と冬原はなるべく考えないようにしていたことに頭を使ってしまう。
道中、職員室の近くで担任の先生とすれ違ったものの、先生は彼女を見るや否や、「また勉強を見てやるのか」と、いつか彼女が語った二人の偽りの関係を鵜呑みにした発言をした。
彼女と同じクラスになる前から成績は上位のまま落としていないのに…。
どうせそんなことも先生は知らないんだ。
それもそうだ。自分なんかに興味がある人間なんて一種類しかいない。
彼女のように、自分を玩具扱いして楽しむ人間だ。
冬原は、会話を終えた女の横顔をじっとりと観察する。
誰もが羨む整った顔立ちと、手足のスラリとしたスタイル。
才色兼備なんて言葉は、きっと彼女は聞き飽きるほど耳にしたことだろう。
運動だって勉強だって、大抵のことはさらりとこなしてしまう。
しかし、外側だけ見れば、完璧で欠けている箇所など無いように映る彼女の裏側に、あんな小者臭い狡猾さがのさばっているとは、自分以外誰も知らないことだろう。
彼女は冬原のほうを振り返ることなく、ひたすらに歩みを進めていた。
とても同じ目的地を目指しているとは思えないぐらい、二人の間には静寂と奇妙な距離感がある。
そうして先生以外、ほとんど誰とも出会わないまま、目的地である資料室に到達してしまう。
女は資料室の鍵を制服のポケットから出し、鍵穴に差し込んで、それを軽く回して解錠すると、片手で扉を開けた。
先に中に入った彼女が、視線だけで早く来るようにこちらを促す。それを従順に聞き、早足で資料室へと足を踏み入れる。
その後、女が後ろ手に扉の鍵を掛けたのが分かって、反射的に冬原は身を竦めた。
大げさにため息を吐いた女の機嫌を窺うように、冬原は小さい背をさらに丸める。そして、上目遣いに、彼女の胴体を見つめた。
目が合うのを恐れて、首は常に接着剤か何かで斜め下に固定されているようだった。
女は、先ほどまでのお淑やかな立ち居振る舞いが嘘だったかのように、わざとらしく大きな足音を鳴らして歩き、広い長方形のテーブルに鞄を放り投げると、「苛々する…」と呟いた。
あまりに乱暴に扱ったため鞄の蓋が開き、中に詰め込んでいたノートなどが机の上に散乱してしまう。
そのノートの表紙には、丁寧な細文字で、柊蝶華と名前が綴られている。
「何よ」と怯えた目で柊を見ていた冬原を、刺すような鋭い目つきで威圧する。
「何も、ないよ」
「は、そんなことないでしょ」
柊は、まるで数分前とは、別人のような刺々しい声音を冬原にぶつけると、後ずさりする彼女を、窓際に追い詰めるふうに距離を縮めた。
二人を取り巻く雰囲気には、決して親しげと解釈できる要素は一つも存在していない。
――私にとっての、ジキル博士とハイド氏は、まさに彼女だ。
「ちょっと、窓際に行くなって前も言ったわよね?誰かに見られたらどうするのよ」
「ご、ごめん」呆れ果てたような口ぶりに、冬原は慌てて謝罪を口にする。
柊とは反対の壁際へと身を寄せた冬原の行動に腹が立ったのか、柊は小さく舌打ちするとその手を無理やり掴み、勢いよく引き倒した。
あまりの勢いに、ぶつかった椅子が派手な音を立てて横倒しになってしまう。
それを冬原のせいだ、と揶揄する柊に、そっちのせいじゃない、と冬原は死んだ表情の下で歯噛みした。
勢いの強さに反し、上手く転ぶことが出来たのか痛みはほとんどなかった。
情けないことばかりが上達している、と冬原はぼうっと考えた。
いや、正確には逆で、周囲が少女の存在を意識していないようである。
クラスメイトたちは、先ほど先生が話していた転校生の話題で持ちきりだった。
都会の学校から来る上に、ハーフとくればこの騒がれようも無理はない。
あまり珍しがるなと先生は注意していたけれど、それは出来ない相談だろう。
田舎では、その手のことは格好の話の種になる。
少女も、一体どんな人なのだろうと考えていたが、どうせ友達になんてなれない、私には関係ない、と目をつむった。
誰にも見えない程度に肩を落として、学校指定の鞄に引き出しの中の教科書を全て詰め込む。
それから、早々にこの場を立ち去ろうとしていたのだが、彼女が席を立って間もなく、教室の後ろのほうから声が上がった。
「冬原さん、提出物がまだと思うけど」
その声を耳にした途端、諦めと嫌気が混在した感情が、胸の真ん中にドスンと重くのしかかり、心の中でまたかと悪態を吐いた。
無駄だと分かっていながらも、「提出物なんてあったかな」と小さく呟くも、声を発した女は、少女と違ってとても澄んだ音色で滑舌良く、「ごめんなさい、聞こえないから、こっちに来てくれる?」と丁寧に返答した。
圧のある瞳に臆した少女――冬原夕陽は顔を俯け渋々と、教室の一番後ろの端の席で姿勢良く座っている女のそばへと移動した。
ふわりと香る彼女の甘い匂いに、気分が悪くなりそうだと、冬原は思った。
冬原が女に呼び出されたことに、まるで関心がないクラスメイトたちは、二人の方を一瞥することもなく、各々放課後を満喫していた。
冬原はそれを恨めしそうに横目で見送ると、無言で立ち上がった女の後を追い、教室を出た。
彼女の長く伸びたストレートの後ろ髪を、伏し目がちな視線で覗く。
今日は何をされるのだろうか、と冬原はなるべく考えないようにしていたことに頭を使ってしまう。
道中、職員室の近くで担任の先生とすれ違ったものの、先生は彼女を見るや否や、「また勉強を見てやるのか」と、いつか彼女が語った二人の偽りの関係を鵜呑みにした発言をした。
彼女と同じクラスになる前から成績は上位のまま落としていないのに…。
どうせそんなことも先生は知らないんだ。
それもそうだ。自分なんかに興味がある人間なんて一種類しかいない。
彼女のように、自分を玩具扱いして楽しむ人間だ。
冬原は、会話を終えた女の横顔をじっとりと観察する。
誰もが羨む整った顔立ちと、手足のスラリとしたスタイル。
才色兼備なんて言葉は、きっと彼女は聞き飽きるほど耳にしたことだろう。
運動だって勉強だって、大抵のことはさらりとこなしてしまう。
しかし、外側だけ見れば、完璧で欠けている箇所など無いように映る彼女の裏側に、あんな小者臭い狡猾さがのさばっているとは、自分以外誰も知らないことだろう。
彼女は冬原のほうを振り返ることなく、ひたすらに歩みを進めていた。
とても同じ目的地を目指しているとは思えないぐらい、二人の間には静寂と奇妙な距離感がある。
そうして先生以外、ほとんど誰とも出会わないまま、目的地である資料室に到達してしまう。
女は資料室の鍵を制服のポケットから出し、鍵穴に差し込んで、それを軽く回して解錠すると、片手で扉を開けた。
先に中に入った彼女が、視線だけで早く来るようにこちらを促す。それを従順に聞き、早足で資料室へと足を踏み入れる。
その後、女が後ろ手に扉の鍵を掛けたのが分かって、反射的に冬原は身を竦めた。
大げさにため息を吐いた女の機嫌を窺うように、冬原は小さい背をさらに丸める。そして、上目遣いに、彼女の胴体を見つめた。
目が合うのを恐れて、首は常に接着剤か何かで斜め下に固定されているようだった。
女は、先ほどまでのお淑やかな立ち居振る舞いが嘘だったかのように、わざとらしく大きな足音を鳴らして歩き、広い長方形のテーブルに鞄を放り投げると、「苛々する…」と呟いた。
あまりに乱暴に扱ったため鞄の蓋が開き、中に詰め込んでいたノートなどが机の上に散乱してしまう。
そのノートの表紙には、丁寧な細文字で、柊蝶華と名前が綴られている。
「何よ」と怯えた目で柊を見ていた冬原を、刺すような鋭い目つきで威圧する。
「何も、ないよ」
「は、そんなことないでしょ」
柊は、まるで数分前とは、別人のような刺々しい声音を冬原にぶつけると、後ずさりする彼女を、窓際に追い詰めるふうに距離を縮めた。
二人を取り巻く雰囲気には、決して親しげと解釈できる要素は一つも存在していない。
――私にとっての、ジキル博士とハイド氏は、まさに彼女だ。
「ちょっと、窓際に行くなって前も言ったわよね?誰かに見られたらどうするのよ」
「ご、ごめん」呆れ果てたような口ぶりに、冬原は慌てて謝罪を口にする。
柊とは反対の壁際へと身を寄せた冬原の行動に腹が立ったのか、柊は小さく舌打ちするとその手を無理やり掴み、勢いよく引き倒した。
あまりの勢いに、ぶつかった椅子が派手な音を立てて横倒しになってしまう。
それを冬原のせいだ、と揶揄する柊に、そっちのせいじゃない、と冬原は死んだ表情の下で歯噛みした。
勢いの強さに反し、上手く転ぶことが出来たのか痛みはほとんどなかった。
情けないことばかりが上達している、と冬原はぼうっと考えた。
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