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王子の所以
結び付ける
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――だからといって、ロマンチックな雰囲気はなかった。
「父の様子がおかしいのです」
「ハリウェル侯爵の?」
テラスの下で、ルイーザが口を開いた。
「頻繁に貴族の方々と手紙を交わしたり、会合をなさったりしているんです」
ルイーザ嬢と来るのは何度目かのテラスだ。
ふたりで顔をつきあわせる様は、まるで会議だった。
「侯爵としての職務にあたっているわけではないのですか?」
「あきらかに量が増えました。それに――お恥ずかしいはなし――領地での仕事を滞らせているんです」
ルイーザ嬢は唇をまっすぐ引き結んだ。
悔しさのにじむ仕草だった。
「いつ頃からです?」
「……私の、婚約が破棄されてからです」
「…………」
黙ってしまうと、風が葉を揺らす音がよく聞こえた。
悔しいだけではないのだろう、と思った。
自分が父親を変えてしまったのかもしれない、という不安や恐れ。
彼女のするどい表情は、怒っているのではなく、いろいろな感情があふれだすのを抑えようとしているのだ、ということに、僕は気づいていた。
「国王陛下にお変わりはありませんか?」
「陛下に? さあ、どうだろう……」
ルイーザ嬢の問いかけに、僕は答えられなかった。
僕は、父とあまり会話をしない。
父は落ちこぼれの僕に期待をまったくしていない。
謁見の機会があっても、ひとこと、ふたこと、言葉をかけられるくらいだ。
だから、僕も期待をしなくなった。父にも、自分自身にも。
「僕、わかんないんです、政務のこと」
「え?」
「いちおう勉強はしたんですけど、実際……陛下や、母や、兄さんやお姉さまが、どんなふうに仕事をしているのかって、わかんなくて……」
「――あなた、いったい今までどういうおつもりだったんですか!?」
ルイーザ嬢は声を荒げた。
耳が痛い。
「どういうつもりって……」
「仮にも王家の人間でしょう。王位継承権だってあるでしょう。いつ、マグノリアがあなたの背に負われるか! どうするおつもりだったんです」
僕はうろたえてしまう。
僕がマグノリアを背負うなんて、そんな日がくるなんて想像もしていなかったからだ。
「ありえないですよ。だって、セオドア殿下も、アンドレア殿下もいらっしゃるし……」
「いらっしゃらなくなったときのことを、私は、申し上げています」
真剣な表情だった。
ルイーザ嬢に見つめられると苦しくなる。
立派な彼女と向き合うとき、僕は自分の愚かさを思い知らされる。
「……考えてなかった」
「想像以上でした。王太子でいらっしゃる自覚がこんなにもないなんて」
「ごめんなさい」
僕は素直に謝ることにした。
すると、ルイーザ嬢は胸をはって言った。
「ではこれで、今日からは、ご自分を未来の国王陛下だと思っていただけますわね」
「ん?」
「未来の国王陛下たる自覚をもって、今後はお勉強や政務にあたってくださいませ」
「ちょっと待って」
僕は頭のなかでその言葉を反芻した。
「僕が国王陛下?」
「ええ」
ルイーザ嬢はしっかりと頷く。
「いつ、なにがあろうと、マグノリアを治めと民を率いる。そのような覚悟をしてください」
僕は反発したくなった。
どうして僕が。
子供っぽすぎる言葉だというのは分かっていた。
だから、意地悪だと自覚しながらも、言ってしまった。
「ルイーザ嬢は、僕の婚約者なわけですけど……あなたにはその覚悟があるんですか」
国民を背負う責務が王子にあるならば、その妃にだってあるだろう。
僕は試すような気持だった。
そんな僕に、ルイーザ嬢は答えた。
「当然ありますわ」
迷いのない瞳だった。
そうだ、彼女は……ルイーザ・ハリウェルは、10歳になる前から王太子妃として育てられてきたのだ。僕とは歩んできた道のりが違う。
彼女はすでに、覚悟をしたのだ。
「……わかりました」
僕の答えに、ルイーザ嬢はにこ、と満足げに笑った。
「学校にはきちんと通われていますわよね?」
「はい」
友達はできなかったけど。とは言わない。
ルイーザ嬢は口元に手を当てて思案する。
「授業さえ聞いていれば、マグノリアの国史と地理的な状況は学べているはずです」
僕は頭の中で教科書をめくる。
……どうだろう。自信がない。
「それに、アルフレッド様は、マグノリア各地の文化について知らないわけではないと思いますの」
「そうですか?」
「ブドウの話をしましたわよね」
「ああ、はい」
婚約発表パーティーのことだ。
ルイーザ嬢はアルコールを飲んだことがある、と僕が知った。
あれが文化?
「北東の農地に造酒工場を作ったとお話くださいましたでしょう」
「はい。ブドウジュース、おいしかったですね」
「では、北西の土地とおなじように、北東の海沿いでブドウが育ちますか?」
「いいえ。潮風や塩害の対策をしないと」
「文化や、人も同じです。土地に合わせて生きてきた歴史があります」
教師のような口調だった。
「アルフレッド様がご存じのことを、新しい知識と結び付けていけば、きっと簡単ですわ」
「……やってみます」
「はい。やってみましょう」
僕は納得させられた。知らないことをいちから学ぶのは、途方がなく、億劫だ。でも、植物と結び付けるなら……流通や、軍事のことも、興味を持てるかもしれない。
わかりつつも、おもしろくなかった。
テラスの下、庭を見ながら王子を導くルイーザ嬢と、教えられる僕。
たいして年も変わらないはずの彼女が、あまりに大人びて見えた。
ますます子供っぽいと思いながら、僕は口を閉じることができなかった。
「ルイーザ嬢って」
「はい」
「年はおいくつなんですか? ほら、だって、いろんなことに詳しいから」
「……」
僕の質問に、ルイーザ嬢はすっと視線の温度を下げた。
「父の様子がおかしいのです」
「ハリウェル侯爵の?」
テラスの下で、ルイーザが口を開いた。
「頻繁に貴族の方々と手紙を交わしたり、会合をなさったりしているんです」
ルイーザ嬢と来るのは何度目かのテラスだ。
ふたりで顔をつきあわせる様は、まるで会議だった。
「侯爵としての職務にあたっているわけではないのですか?」
「あきらかに量が増えました。それに――お恥ずかしいはなし――領地での仕事を滞らせているんです」
ルイーザ嬢は唇をまっすぐ引き結んだ。
悔しさのにじむ仕草だった。
「いつ頃からです?」
「……私の、婚約が破棄されてからです」
「…………」
黙ってしまうと、風が葉を揺らす音がよく聞こえた。
悔しいだけではないのだろう、と思った。
自分が父親を変えてしまったのかもしれない、という不安や恐れ。
彼女のするどい表情は、怒っているのではなく、いろいろな感情があふれだすのを抑えようとしているのだ、ということに、僕は気づいていた。
「国王陛下にお変わりはありませんか?」
「陛下に? さあ、どうだろう……」
ルイーザ嬢の問いかけに、僕は答えられなかった。
僕は、父とあまり会話をしない。
父は落ちこぼれの僕に期待をまったくしていない。
謁見の機会があっても、ひとこと、ふたこと、言葉をかけられるくらいだ。
だから、僕も期待をしなくなった。父にも、自分自身にも。
「僕、わかんないんです、政務のこと」
「え?」
「いちおう勉強はしたんですけど、実際……陛下や、母や、兄さんやお姉さまが、どんなふうに仕事をしているのかって、わかんなくて……」
「――あなた、いったい今までどういうおつもりだったんですか!?」
ルイーザ嬢は声を荒げた。
耳が痛い。
「どういうつもりって……」
「仮にも王家の人間でしょう。王位継承権だってあるでしょう。いつ、マグノリアがあなたの背に負われるか! どうするおつもりだったんです」
僕はうろたえてしまう。
僕がマグノリアを背負うなんて、そんな日がくるなんて想像もしていなかったからだ。
「ありえないですよ。だって、セオドア殿下も、アンドレア殿下もいらっしゃるし……」
「いらっしゃらなくなったときのことを、私は、申し上げています」
真剣な表情だった。
ルイーザ嬢に見つめられると苦しくなる。
立派な彼女と向き合うとき、僕は自分の愚かさを思い知らされる。
「……考えてなかった」
「想像以上でした。王太子でいらっしゃる自覚がこんなにもないなんて」
「ごめんなさい」
僕は素直に謝ることにした。
すると、ルイーザ嬢は胸をはって言った。
「ではこれで、今日からは、ご自分を未来の国王陛下だと思っていただけますわね」
「ん?」
「未来の国王陛下たる自覚をもって、今後はお勉強や政務にあたってくださいませ」
「ちょっと待って」
僕は頭のなかでその言葉を反芻した。
「僕が国王陛下?」
「ええ」
ルイーザ嬢はしっかりと頷く。
「いつ、なにがあろうと、マグノリアを治めと民を率いる。そのような覚悟をしてください」
僕は反発したくなった。
どうして僕が。
子供っぽすぎる言葉だというのは分かっていた。
だから、意地悪だと自覚しながらも、言ってしまった。
「ルイーザ嬢は、僕の婚約者なわけですけど……あなたにはその覚悟があるんですか」
国民を背負う責務が王子にあるならば、その妃にだってあるだろう。
僕は試すような気持だった。
そんな僕に、ルイーザ嬢は答えた。
「当然ありますわ」
迷いのない瞳だった。
そうだ、彼女は……ルイーザ・ハリウェルは、10歳になる前から王太子妃として育てられてきたのだ。僕とは歩んできた道のりが違う。
彼女はすでに、覚悟をしたのだ。
「……わかりました」
僕の答えに、ルイーザ嬢はにこ、と満足げに笑った。
「学校にはきちんと通われていますわよね?」
「はい」
友達はできなかったけど。とは言わない。
ルイーザ嬢は口元に手を当てて思案する。
「授業さえ聞いていれば、マグノリアの国史と地理的な状況は学べているはずです」
僕は頭の中で教科書をめくる。
……どうだろう。自信がない。
「それに、アルフレッド様は、マグノリア各地の文化について知らないわけではないと思いますの」
「そうですか?」
「ブドウの話をしましたわよね」
「ああ、はい」
婚約発表パーティーのことだ。
ルイーザ嬢はアルコールを飲んだことがある、と僕が知った。
あれが文化?
「北東の農地に造酒工場を作ったとお話くださいましたでしょう」
「はい。ブドウジュース、おいしかったですね」
「では、北西の土地とおなじように、北東の海沿いでブドウが育ちますか?」
「いいえ。潮風や塩害の対策をしないと」
「文化や、人も同じです。土地に合わせて生きてきた歴史があります」
教師のような口調だった。
「アルフレッド様がご存じのことを、新しい知識と結び付けていけば、きっと簡単ですわ」
「……やってみます」
「はい。やってみましょう」
僕は納得させられた。知らないことをいちから学ぶのは、途方がなく、億劫だ。でも、植物と結び付けるなら……流通や、軍事のことも、興味を持てるかもしれない。
わかりつつも、おもしろくなかった。
テラスの下、庭を見ながら王子を導くルイーザ嬢と、教えられる僕。
たいして年も変わらないはずの彼女が、あまりに大人びて見えた。
ますます子供っぽいと思いながら、僕は口を閉じることができなかった。
「ルイーザ嬢って」
「はい」
「年はおいくつなんですか? ほら、だって、いろんなことに詳しいから」
「……」
僕の質問に、ルイーザ嬢はすっと視線の温度を下げた。
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