下げ渡された婚約者

相生紗季

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新しい婚約者

照らされる真実

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 高揚する気持ちを抱えて、庭園へと向かう。
 僕はツタのアーチをくぐった。
 月光に照らされた白い屋根のテラス。
 彼女はそこにいた。

「ルイーザ嬢!」

 婚約破棄の日を再現しているようだ。僕は思った。
 月の光は、暗い芝のなかからマグノリアローズの花壇を浮かび上がらせる。
 ルイーザ嬢は、正しい姿勢でまっすぐに薔薇を見つめていた。
 こんなときも――僕はハイタッチして喜びを分かち合いたいくらいなのに――彼女は僕を見ない。

「マグノリアローズは、いつ枯れますの?」

 僕は、胸にあふれかえる言葉をいったんせき止める。

「――たぶん、あとひと月ほどで」
「たぶん?」
「ここ数年、マグノリアローズの開花は失敗続きだったんです。だから、もしかしたらもっと早く枯れちゃうかも。でも、ほかの薔薇と同じくらいだったら、ひと月……という意味の、たぶんです」
「ふふっ」

 ルイーザ嬢は口角をあげたようだった。

「本物の庭師のようですわ」
「庭師ですよ。政務はからきしです」
「来月からは、そうはいかないでしょう?」

 成人のことを言っているんだろう。僕は気が重くなる。
 ――考えなくちゃいけないことは増えていく。
 たとえば、花のこととか、兄のこととか、これからのこととか。
 でもまず、いま、たいせつにすべきことは、自分が走って抱えてきた気持ちだと思った。

「お隣に座ってもよろしいですか?」
「どうぞ、婚約者様」
「どうも、ありがとうございます」

 ルイーザ嬢が少し座る位置をずらしてくれる。僕は、近づきすぎないように隣に座る。
 ふたりの視線は、おのずと庭園へ向かう。

「みんな、驚いていましたよ。ルイーザ嬢は婚約解消を望んでいなかったんじゃっていう声も聞こえました。婚約披露パーティーの主役はいまやあなたです」
「ええ」
「うまくやりましたね。あなたの味方は確実に増えた」
「そうですわね」
「僕も。あなたの力になれましたか?」
「……ええ」

 いまのルイーザ嬢は怖くなかった。
 涙を流す姿を見たから? 対面ではなく横並びだから? 暗くて、自分の振る舞いを見られないですむから?

「感謝を申し上げますわ。どうも、ありがとうございます、アルフレッド殿下――今晩、私が主役になれたのは、あなたのおかげです」

 胸をくすぐられるような響きだった。
 僕のおかげだと、ルイーザ嬢は言ってくれた。
 勝算もあった、手ごたえもあった。でも、認められるのはなにより嬉しい。

「どうしましょうか。このまま、国王や、兄上を、立ち直れないくらい懲らしめてやりましょうか」

 思わず顔がゆるんでしまう。
 自分ひとりでは叶わないたくらみを、ルイーザ嬢ならやり遂げてくれる気がして、ワクワクした。
 だが、僕の提案をルイーザ嬢は否定した。

「それではマグノリアに害が及びます。僭越ながらカリオン国王は為政者として優秀ですし、セオドア殿下はいま国家に必要な方ですわ」

 僕は驚く。ルイーザ嬢をひどい目に合わせたのに、ふたりを褒めるようなこと言うなんて、信じられなかった。
 しかし、それでこそと思う自分もいる。
 僕は自覚できていた。冷静な彼女といると安心できる。
 その日に出会った人といきなり恋に落ちるなんて僕にはできない。
 でも、心のなかでゆっくりと、彼女にたいしての敬愛の念が形作られているのが、僕にはわかっていた。

「ルイーザ嬢は、すごいですね。大局の観を持ってるんだな」
「いえ……私は……」
「謙遜はよしてください。僕はあなたとなら、王にだってなれそうな気がしますよ」
「ええ、そう……ですわね」
「セオドア殿下との婚約など忘れて、僕と――あれ?」

 思い余って、僕は彼女へと顔を向ける。
 そこにあるのは、いつもどおり引き結んだ口と、まっすぐな視線を保った横顔だと思っていた。むしろ、仕事をやり遂げた達成感が滲んでいてはくれないか、とさえ。
 ルイーザ・ハリウェル侯爵令嬢は、冷酷でなければならない。
 僕はきっと、そう思っていた。
 だから、見逃していた。
 テラスの屋根の影の下で、彼女が傷つき続けていたことに。

「……っく。ごめんなさい……ハンカチ、置いてきてしまったの」
「僕の、使ってください」
「……ありがとう」

 次から次にはらはらと、彼女の目から涙が流れって頬に筋を作る。
 彼女は、声を出さずに泣いていた。
 いつから? こぼれる涙がドレスを濡らさないよう、受け皿にしていたらしい手のなかがびしょ濡れだ。

「婚約破棄なんて、ひどいわ。一目ぼれなんて、ずるいわ」

 第三王子に涙を見られて、胸の内を隠しとおすことは諦めたらしい。
 ルイーザ嬢は、堰が切れたように泣き出した。
 こぼれる涙が止まらない。

「私は、ずっと、ずっとずっとずっと! ――セオドア様のことを思ってきたのに」

 あー。
 僕に打つ手はなかった。痛々しいくらいに僕って子供だ。
 ハンカチを貸してあげられただけ。
 なんて言葉をかけていいかも分からない、どんなふうに触れてあげたら慰めになるか知らない。
 ただ、彼女の隣に座って、止めてあげられない嗚咽を聞き続ける。
 貴族たちが思惑にのった瞬間の高揚感はどこかに消えた。
 マグノリアローズだけが、変わらず月光に青白く照らされている。
 ウソ泣きかどうかなんて、案外見破れないもんなんだな、と僕は思った。
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