余命三ヶ月、君に一生分の恋をした

望月くらげ

文字の大きさ
上 下
17 / 24
第四章 この感情を人は何と呼ぶのだろう

4-1

しおりを挟む
 放課後、エレベーターに乗り杏珠の入院している病棟へと向かう。真っ白のドアに貼られた『日下部杏珠』という名前を確認すると、ノックをしてからドアを開けた。
「失礼します」
「あ、蒼志君。もう学校終わったの?」
「補習だけだからね」
 ベッドをリクライニングさせ身体を起こした杏珠が、病室へと足を踏み入れた俺に手を振っていた。
 七月も終わりということもあり、学校は一学期が終わり夏休みに突入していた。とはいえ、毎日のようにある補習と模試のせいでいつも通りの時間に起きて学校に通っていた。一つ違うのは午後からの補習はないため、昼ご飯を食べることなく下校できることだった。部活のある生徒は、そこから昼ご飯を食べ部活に行くらしい。
 ベッド横の椅子に座ると、床に背負っていたリュックを置いた。
「でも今日から補講が始まったから大谷なんかは『野球する時間が減る!』って泣いてたよ」
「大谷君、赤点取ったんだ」
「三科目もあったらしい」
「悲惨だ」
 言葉とは対照的におかしそうに杏珠は笑う。その表情に俺は安堵する。救急車で運ばれた一週間前よりもここ数日は随分と落ち着いたように思う。余命宣告なんて所詮は当てにならずこのまま三ヶ月目が終わっても杏珠が笑っているように思えてしまう。
 けれど、それが願望でしかないのかもしれないと杏珠の身体を見ると思わされる。
 パジャマから覗く腕は一か月前に比べると随分と痩せ細った。元々細い方ではあったけれど、今のように骨が浮き出るほどの細さではなかった。
「それじゃあ今日の一枚、撮ってもいい?」
 杏珠はベッドの上に置いたスマートフォンを手に取った。入院してから、杏珠は一眼レフを使わなくなった。理由を聞くと「病院には不釣り合いでしょ?」と笑っていた。そんなものか、と思っていたが……。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
 お互いの写真を撮り合うと、夕方が来る前に俺は立ち上がった。杏珠は不服そうに声を上げた。
「もう帰るの?」
「もうって。何? 寂しいの?」
 からかうように言うと、杏珠は口を尖らせた。『そんなわけないでしょ』と言われると思っていたからそんな反応をされるとどうしていいか困る。
「あー……明日もまた来るよ」
「……うん、またね」
 俯いたあと、すぐに顔を上げ杏珠は笑顔を向けた。その笑顔に安堵すると俺は病室をあとにした。そろそろ杏珠の母親が仕事終わりに顔を出す時間だ。家族の時間を邪魔する訳にはいかない。
 エレベーターの前に立つと下に行くボタンを押した。エレベーターは一階から上ってくるようで暫く時間が掛かる。俺は廊下の壁にもたれかかった。ふうと息を吐いた俺の耳にバチバチと何かがぶつかる音が聞こえた。何の音だ? と辺りを見回し、すぐに音の正体に気付いた。雨だ。大粒の雨が窓にぶつかるように打ち付けている。そして自分が手ぶらなことに気付いた。
「あー……」
 持ってきていた傘を杏珠の病室に忘れてきてしまった。荷物を置いたときに一緒に床に置いたのだけれど、どうやらそのまま置いてきてしまったようだった。ここ数日、夕方になるとまるでスコールのような夕立が降る。そのため、念のためにと持ち歩いていたのだが、今日はあまりにもいい天気で降りそうになかったから油断していた。
「仕方ない、取りに戻るか」
 杏珠が馬鹿にして笑うだろうなと思うと苦笑いが浮かぶ。だが、俺のくだらないミスで杏珠が笑ってくれるならそれはそれでいいかという気持ちになった。
 エレベーターに背を向けて杏珠の病室へと戻る。もしかすると上がってくるエレベーターに杏珠の母親が乗っているかもしれないから手早く傘を回収してこよう。
 急ぎ足で杏珠の病室まで戻る。ノックをしようとしたそのとき、中から声が聞こえた。
「う……うぅっ……」
 杏珠……?
 苦しそうなうめき声に、俺はそっと病室のドアを開けた。隙間から見えたのは、身体をくの字に折り曲げ、胸を押さえる杏珠の姿だった。その姿に、ようやく気付く。笑っていた杏珠は、楽しそうにしていた杏珠は、俺に心配を掛けないようにと平気なフリをしていただけだったのだと。勿論全てが嘘だったとは思わない。けれど……。
 不意に、スマートフォンで写真を撮る杏珠の姿が思い出された。本人はきっと認めないだろう。けれど、なんとなくもうあのずっしりとした重さを支えることも構えることもできないのではないかと思ってしまう、
「……っ」
 俺は杏珠に気付かれないようにドアを閉めると、病室をあとにした。きっと今、俺が病室に入れば杏珠はまた平気な顔を見せるだろう。どれだけ苦しくても笑って見せるだろう。俺のために。そんなこと、させたくない。
 雨に濡れるぐらいどうだっていい。それよりも、今杏珠が抱えているであろう苦しみの方がずっと、ずっと大きいのだから。

 翌日も、俺は何食わぬ顔で病室を訪れた。杏珠も昨日苦しんでいたのが嘘のように笑っている。けれど、あの姿を見たあとでは、俺がこうやって来ることで杏珠に無理をさせているのではないかと不安になる。
 杏珠が言い出したこととはいえ、残された三ヶ月の大部分を俺が貰ってきた。振り回されつつも、それなりに騒がしい日々を送ることができた。きっと杏珠がいなければただ無感情のままに過ごす日々を送っていただろう。
 何か俺が杏珠にできることはないだろうか。ずっとそればかり考えていた。

 さらに翌日、相変わらず午前中は補習のため俺は教室にいた。授業の準備をしていると、後ろの席で大谷が深いため息を吐いた。
「もう、ホントダメ。心折れた」
「大丈夫だって。もう一回誘ってみなよ。伝わってないのかもしれないよ?」
「いや、でも次もう一回言ってスルーされたら俺、立ち直れないし」
 励ますように言うのは飯野だろうか。大谷はいつもの十分の一ほどのテンションで言う。どうやら誰かを何かに誘ってスルーされたらしい。以前は沢本のことを気に掛けていたようだったが、今もそうなのだろうか。そういえば沢本は杏珠と仲が良かった。沢本の話を聞ければ喜ぶだろうか。
「誰を誘って断られたんだ?」
「断られてねえよ!」
 振り返り尋ねると、勢いよく訂正された。大谷の席の横に立つ飯野は苦笑いを浮かべていた。
「断られてはいないよね。聞いても沢本さんにスルーされてるだけで」
「それは、その……」
 やはり沢本だった。修学旅行のあとしばらく仲良くしているように思えたのだが違ったのだろうか。
「あー……なんで駄目なんだろう。一緒に高槻まつりに行こうって誘ったんだけどなぁ」
「なんて言われたの?」
「『ちょっとまだ予定がわかんなくて』だって。これってやっぱり遠回しに断られてるよなー。つい先々週までは普通にデートしてさ、よしじゃあ祭りで告白だ! って思ってたのにさ」
「先々週……」
 引っかかりを覚えた。――もしかしたら。
「明日さ」
「え?」
「明日、もう一度誘ってみるといいよ。そしたらきっと上手くいくから」
「なんでわかるんだよ」
「なんとなく」
 それだけ言うと俺は前を向いた。大谷は後ろから何度も「何でだよ」とか「ホントにいけるのか?」とか言い続けていたが、無視することにした。上手くいくかもしれない。いかないかもしれない。けれど、勝率は高いような気がしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

何でも出来る親友がいつも隣にいるから俺は恋愛が出来ない

釧路太郎
青春
 俺の親友の鬼仏院右近は顔も良くて身長も高く実家も金持ちでおまけに性格も良い。  それに比べて俺は身長も普通で金もあるわけではなく、性格も良いとは言えない。  勉強も運動も何でも出来る鬼仏院右近は大学生になっても今までと変わらずモテているし、高校時代に比べても言い寄ってくる女の数は増えているのだ。  その言い寄ってくる女の中に俺が小学生の時からずっと好きな桜唯菜ちゃんもいるのだけれど、俺に気を使ってなのか鬼仏院右近は桜唯菜ちゃんとだけは付き合う事が無かったのだ。  鬼仏院右近と親友と言うだけで優しくしてくれる人も多くいるのだけれど、ちょっと話すだけで俺と距離をあける人間が多いのは俺の性格が悪いからだと鬼仏院右近はハッキリというのだ。そんな事を言う鬼仏院右近も性格が悪いと思うのだけれど、こいつは俺以外には優しく親切な態度を崩さない。  そんな中でもなぜか俺と話をしてくれる女性が二人いるのだけれど、鵜崎唯は重度の拗らせ女子でさすがの俺も付き合いを考えてしまうほどなのだ。だが、そんな鵜崎唯はおそらく世界で数少ない俺に好意を向けてくれている女性なのだ。俺はその気持ちに応えるつもりはないのだけれど、鵜崎唯以上に俺の事を好きになってくれる人なんていないという事は薄々感じてはいる。  俺と話をしてくれるもう一人の女性は髑髏沼愛華という女だ。こいつはなぜか俺が近くにいれば暴言を吐いてくるような女でそこまで嫌われるような事をしてしまったのかと反省してしまう事もあったのだけれど、その理由は誰が聞いても教えてくれることが無かった。  完璧超人の親友と俺の事を好きな拗らせ女子と俺の事を憎んでいる女性が近くにいるお陰で俺は恋愛が出来ないのだ。  恋愛が出来ないのは俺の性格に問題があるのではなく、こいつらがいつも近くにいるからなのだ。そう思うしかない。  俺に原因があるなんて思ってしまうと、今までの人生をすべて否定する事になってしまいかねないのだ。  いつか俺が唯菜ちゃんと付き合えるようになることを夢見ているのだが、大学生活も残りわずかとなっているし、来年からはいよいよ就職活動も始まってしまう。俺に残された時間は本当に残りわずかしかないのだ。 この作品は「小説家になろう」「ノベルアッププラス」「カクヨム」「ノベルピア」にも投稿しています。

処理中です...