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第二章 感情とはいったい何だったのか
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六月と言えば、昔は梅雨の長雨のイメージだったらしい。けど、近年の六月といえば春が過ぎ初夏といっても差し支えのない暑さだった。もちろん雨なんて降らない。地球の気候がズレたのか、雨が降り始めるのは大抵が七月、早くても六月下旬。六月になったばかりのこの時期は、衣替えをしたとはいえどこかべとつく空気に教室の中も淀んでいた。
あの日から、毎日俺と杏珠の部活動は続いていた。放課後の屋上で、教室で、運動場で。休日の公園で、映画館で。
杏珠はいつだって笑顔だった。何がそんなに楽しいのやら、いつも笑っていた。
「何? 私の顔に何かついてる?」
学校の花壇の前で、嬉しそうに花を見ていた杏珠は、俺の視線に気付いたのか鼻の頭や頬を手で触った。その拍子に手についていた土が頬を汚した。
「今ので逆についた」
「えー、ねえ取ってよ」
ほら、と顔を俺の方に差し出すようにする杏珠にどうしたものかとため息を吐くと、ポケットからハンカチを取り出した。左頬についた土を拭ってやると、目を閉じたままの杏珠が「取れた?」と尋ねる。
なんとなく「まだ」と言うとポケットからスマートフォンを取り出した。カシャッという音が響いて、杏珠は目を開けた。
「今、撮ったでしょ!」
「何のことだか」
「盗撮だー!」
「失礼な」
「もうっ」と頬を膨らませる杏珠に、気付けばもう一度シャッターボタンを押していた。
「え?」
「あ」
撮るつもりなんてなかった。撮ろうとなんて思っていなかった。なのに。
「……もう」
「悪い。消そうか?」
「別にいいよ」
気を悪くしたようではない様子に少し安堵する。そして自分がなぜ二枚目の写真を撮ったのか、俺自身もわからなかった。感情の殆どを失う前であればわかったのだろうか。
相変わらず杏珠は花を見て笑顔を浮かべている。杏珠が笑顔で楽しそうなのは今に始まったことではない。いつだって楽しそうに嬉しそうに幸せそうにいる。
「花、好きなの?」
「好きだよ?」
当たり前でしょ、とでも言うかのように杏珠は言う。その口調に、何故か苛立ちめいた物を覚えた。
感情がほとんどわからなくなった今、自分のことに対しても人に対しても、そして物に対しても俺は無関心だった。
何に対しても興味がもてない。感情があった頃は、人や物に対してもう少しは興味があったように思う。だけど、自分に対しては今も昔も大差ないのかもしれない。嫌い、という感情が無関心に変わっただけだ。
「蒼志君のことも好きだよ?」
だから思いも寄らないことを杏珠が口走ったとき、まるで心の中を読まれたかのような、それでいて同情されたかのような感覚になった。
「な、にを」
言っているんだ、と続けようとした言葉は乾いた喉のせいで上手く音にならなかった。そんな俺の態度を動揺だと思ったのか、杏珠はまるで悪戯が成功した子供のような表情を浮かべて笑った。
「好きって言ってもラブだけじゃなくてライクもあるんだからね」
「……わかってるよ」
からかわれたとわかったがどうでもよかった。どうでもよかったけれど、ライクの意味であっても自分のことを好きだと思ってくれる人間がいるのだと思うと、少しだけ嬉しく思う。それはまるで外の暑さが皮膚を通じて胸の中まで温めてたかのような、不思議な感覚だった。
高二の六月といえば、高校生にとっての一大イベントといえるであろう修学旅行が待っていた。中間テストの返却も終わり、教室の空気は浮ついていた。教室のあちこちで「誰と一緒の班になる?」とか「自由行動はどこに行こうか?」なんて話題が上がっている。
その日の六時間目、LHRの時間を利用して班を決めることになった。特に仲のいい人のいない俺は人数が足りないところに入れてもらえばいいかと席を立つこともなく窓の外を眺めていた。
ようやく席替えがされ、一番前の席だったこれまでとは対象的に、一番後ろの窓際の席になった。何の因果か、隣の席は杏珠だった。
「よし、決まり!」
杏珠の楽しそうな声が聞こえ、思わず視線をそちらに向ける。俺とは違い友人の多い杏珠はさっさと班を決め、担任に報告へと向かう。
どうやらいつも一緒に弁当を食べている女子三人で一緒の班になったようだ。男女六人組、ということだったが女子だけ決めて報告に行ってどうするつもりなのかと思ったが、俺には関係のないことだった。どうせ女子に声を掛けられない男子グループができるだろうからそことつっくつのだろう。
「朝比奈君」
「は?」
そんなことを考えていると、杏珠から報告を受けたであろう担任が何故か俺を呼んでいた。隣にはニコニコと笑顔を浮かべる杏珠の姿もある。凄く嫌な予感がする。行かない方がいいとなけなしの感情が叫んでいる。
だけど、担任に呼ばれて行かないわけにはいかない。聞こえないふりをしようかと思うが、あまりに俺が反応しないからか担任は先程よりも大きな声で「朝比奈君、ちょっといい?」と俺を呼んだ。
お節介――もとい、面倒見の良い女子が「朝比奈君、呼ばれてるよ?」とわざわざ俺に声を掛ける。
こうなればもはや逃げることもできない。面倒くさいことになりそうだ、と思いながら席を立つと、教卓の前で待ち構える担任と杏珠の元へと向かった。
「なんですか」
「あのね、今日下部さんから聞いたんだけど、朝比奈君も写真部なんだってね」
「……まあ、一応」
一応、と付けたのはせめてもの抵抗だった。一体何を言われるのか皆目見当も就かないが、俺にとってろくでもない話なのだろうという想像は、杏珠が嬉しそうな顔をしていることからもあきらかだった。
「あのね、写真部の二人に折り入ってお願いがあるの。修学旅行中のクラスの写真係をしてもらえないかしら?」
「嫌です」
「いいですよ!」
俺と杏珠の言葉が重なった結果、担任の耳には都合のいい言葉だけが聞こえたようだった。
「ホント!? そう言ってくれると凄く助かる!」
「私たちこそ、そんな素敵な役目を与えてもらえて嬉しいです! ね、蒼志君」
「いや、俺は」
「あ、でも私は自撮りするけど蒼志君は絶対自分の写真撮らないよね。クラス写真できあがって蒼志君の写真だけないとかいうことになりそう」
「たしかに」
何を担任まで「たしかに」とか言って杏珠と一緒になって腕を組んでいるのか。別に俺の写真がないぐらいどうでもいいことだ。それなのにこの二人と来たら似たような表情を浮かべて、当事者であるはずの俺よりも真剣に悩んでいる。
「あ、先生いいこと思いついちゃった」
「なんです、なんです?」
こういうときの『いいこと』がいいことだったためしがないことを、俺はこの一ヶ月で身に染みていた。主に、杏珠の言う『いいこと』に対してだが、この場合どうやら担任に対しても適合してしまうようだった。
「日下部さんと朝比奈君が同じ班になればいいよの。そうしたら、一緒に行動するから日下部さんが朝比奈君の写真を撮れるでしょう? なんなら朝比奈君が日下部さんの写真を撮ってくれたら、自撮りしなくてもいいわけだし」
ほら、見ろ。ろくな話ではない。げんなりする俺を尻目に、杏珠はナイスアイデアだと言わんばかりに両手をパチンと打ち鳴らした。
「先生、それいい! 私たち、ちょうど女子メンバーしかいなかったし、蒼志君のところの班と合体したらいいんですね!」
当たり前のように俺がどこかの班に入っていることを前提とした話が進んでいく。まだどこの班にも属していない、と言えば二人から気の毒なという表情で見られることはわかりきっていた。いや、気の毒なであればまだいい。言ってはいけないことを言ってしまった、とでもいうかのように申し訳なさそうな表情をされる方が耐えられなかった。
どうするべきかと悩んでいると、誰かが俺の肩を叩いた。振り返ると、そこにはクラスメイトの大谷信也の姿があった。
「朝比奈、やっと見つけた」
「やっとって何を……」
「班のメンバーの名前書かなきゃいけないのにお前いないからさ。もう勝手に書いてしまおうかと思ったよ」
「は、何を……」
大谷とは仲が悪いというわけではないけれど、別に特段仲がいいわけでもない。ただ一年の頃もクラスが同じだったので会話をすることはできる、というぐらいの間柄だ。修学旅行の班を一緒になろうなんて話をするような関係ではないし、こんなふうに馴れ馴れしく話しかけてくるほど親密なわけでもない、のだけれど。
こうやって誘ってもらえるというのはどこか嬉しい気がするから不思議だ。
ちなみに、そんな俺の戸惑いに気付くことなく、杏珠は大谷の言葉にパッと顔を輝かせていた。
「大谷君たちの班に蒼志君入るの?」
「お、おう。それがどうかしたのか?」
「今ね、私たちの班と蒼志君の班を一緒にしようって話してて。あ、私たちのところって実奈と雪乃なんだけど」
杏珠が自分の席の方へと顔を向けると、その視線に気付いたのか徳本実奈と沢本雪乃が手を振ってみせた。こちらの会話なんて聞こえているはずがないのに、意思疎通ができている様子だった。
「そ、そうなのか。俺のところは俺と淳也と朝比奈の三人だからちょうどいいな」
何がちょうどいいのか全くわからない。「いや、俺は」と口を挟もうとした俺を押さえ込むように大谷が肩に腕を回した。
「頼む、一生のお願いだ。このまま話を進めてくれ」
「は? いや、別にそれはいいけどなんで……」
「ゆ、雪乃ちゃんと……一緒の班に、なりたい……」
蚊の鳴くような声で俺にだけ聞こえるように大谷は言う。どうやら大谷は沢本に片思いをしているらしく、俺が杏珠達の班と一緒になる、というのを聞きつけ慌てて話に混じってきたようだ。ようは、俺をダシに沢本に近づきたいと。
感情がある頃なら、嬉しく思ったことに悔しくなったり空しく思ったりしたのかもしれない、なんてぼんやりと考える。
「……別にいいよ」
「ホントか!?」
「ああ。だからその手離せよ」
大谷の手を振り払うと、俺はため息を吐いた。
大谷の目的がなにかわからなかったけど、沢本目当てだということがわかれば逆にスッキリする。変だと思ったんだ。突然、一緒の班になりたいだなんて。
「じゃあ、ここに名前書いてくれる?」
担任の言葉に、大谷は三人分の名前を書く。これで修学旅行の班が決まった。決まってしまった。面倒なことにならなければいいが。
「ふっふーん」
「何」
妙に機嫌のいい杏珠に、俺は尋ねる。にんまりとした笑みを浮かべて、杏珠は俺の顔を覗き込むように見上げた。
「修学旅行、楽しみだね。蒼志君」
「……そうだな」
どうでもいいと思いながら言ったはずのその四文字が妙に浮かれて聞こえて、思わず咳払いをする。そんな俺の隣で、杏珠は楽しそうに笑っていた。
あの日から、毎日俺と杏珠の部活動は続いていた。放課後の屋上で、教室で、運動場で。休日の公園で、映画館で。
杏珠はいつだって笑顔だった。何がそんなに楽しいのやら、いつも笑っていた。
「何? 私の顔に何かついてる?」
学校の花壇の前で、嬉しそうに花を見ていた杏珠は、俺の視線に気付いたのか鼻の頭や頬を手で触った。その拍子に手についていた土が頬を汚した。
「今ので逆についた」
「えー、ねえ取ってよ」
ほら、と顔を俺の方に差し出すようにする杏珠にどうしたものかとため息を吐くと、ポケットからハンカチを取り出した。左頬についた土を拭ってやると、目を閉じたままの杏珠が「取れた?」と尋ねる。
なんとなく「まだ」と言うとポケットからスマートフォンを取り出した。カシャッという音が響いて、杏珠は目を開けた。
「今、撮ったでしょ!」
「何のことだか」
「盗撮だー!」
「失礼な」
「もうっ」と頬を膨らませる杏珠に、気付けばもう一度シャッターボタンを押していた。
「え?」
「あ」
撮るつもりなんてなかった。撮ろうとなんて思っていなかった。なのに。
「……もう」
「悪い。消そうか?」
「別にいいよ」
気を悪くしたようではない様子に少し安堵する。そして自分がなぜ二枚目の写真を撮ったのか、俺自身もわからなかった。感情の殆どを失う前であればわかったのだろうか。
相変わらず杏珠は花を見て笑顔を浮かべている。杏珠が笑顔で楽しそうなのは今に始まったことではない。いつだって楽しそうに嬉しそうに幸せそうにいる。
「花、好きなの?」
「好きだよ?」
当たり前でしょ、とでも言うかのように杏珠は言う。その口調に、何故か苛立ちめいた物を覚えた。
感情がほとんどわからなくなった今、自分のことに対しても人に対しても、そして物に対しても俺は無関心だった。
何に対しても興味がもてない。感情があった頃は、人や物に対してもう少しは興味があったように思う。だけど、自分に対しては今も昔も大差ないのかもしれない。嫌い、という感情が無関心に変わっただけだ。
「蒼志君のことも好きだよ?」
だから思いも寄らないことを杏珠が口走ったとき、まるで心の中を読まれたかのような、それでいて同情されたかのような感覚になった。
「な、にを」
言っているんだ、と続けようとした言葉は乾いた喉のせいで上手く音にならなかった。そんな俺の態度を動揺だと思ったのか、杏珠はまるで悪戯が成功した子供のような表情を浮かべて笑った。
「好きって言ってもラブだけじゃなくてライクもあるんだからね」
「……わかってるよ」
からかわれたとわかったがどうでもよかった。どうでもよかったけれど、ライクの意味であっても自分のことを好きだと思ってくれる人間がいるのだと思うと、少しだけ嬉しく思う。それはまるで外の暑さが皮膚を通じて胸の中まで温めてたかのような、不思議な感覚だった。
高二の六月といえば、高校生にとっての一大イベントといえるであろう修学旅行が待っていた。中間テストの返却も終わり、教室の空気は浮ついていた。教室のあちこちで「誰と一緒の班になる?」とか「自由行動はどこに行こうか?」なんて話題が上がっている。
その日の六時間目、LHRの時間を利用して班を決めることになった。特に仲のいい人のいない俺は人数が足りないところに入れてもらえばいいかと席を立つこともなく窓の外を眺めていた。
ようやく席替えがされ、一番前の席だったこれまでとは対象的に、一番後ろの窓際の席になった。何の因果か、隣の席は杏珠だった。
「よし、決まり!」
杏珠の楽しそうな声が聞こえ、思わず視線をそちらに向ける。俺とは違い友人の多い杏珠はさっさと班を決め、担任に報告へと向かう。
どうやらいつも一緒に弁当を食べている女子三人で一緒の班になったようだ。男女六人組、ということだったが女子だけ決めて報告に行ってどうするつもりなのかと思ったが、俺には関係のないことだった。どうせ女子に声を掛けられない男子グループができるだろうからそことつっくつのだろう。
「朝比奈君」
「は?」
そんなことを考えていると、杏珠から報告を受けたであろう担任が何故か俺を呼んでいた。隣にはニコニコと笑顔を浮かべる杏珠の姿もある。凄く嫌な予感がする。行かない方がいいとなけなしの感情が叫んでいる。
だけど、担任に呼ばれて行かないわけにはいかない。聞こえないふりをしようかと思うが、あまりに俺が反応しないからか担任は先程よりも大きな声で「朝比奈君、ちょっといい?」と俺を呼んだ。
お節介――もとい、面倒見の良い女子が「朝比奈君、呼ばれてるよ?」とわざわざ俺に声を掛ける。
こうなればもはや逃げることもできない。面倒くさいことになりそうだ、と思いながら席を立つと、教卓の前で待ち構える担任と杏珠の元へと向かった。
「なんですか」
「あのね、今日下部さんから聞いたんだけど、朝比奈君も写真部なんだってね」
「……まあ、一応」
一応、と付けたのはせめてもの抵抗だった。一体何を言われるのか皆目見当も就かないが、俺にとってろくでもない話なのだろうという想像は、杏珠が嬉しそうな顔をしていることからもあきらかだった。
「あのね、写真部の二人に折り入ってお願いがあるの。修学旅行中のクラスの写真係をしてもらえないかしら?」
「嫌です」
「いいですよ!」
俺と杏珠の言葉が重なった結果、担任の耳には都合のいい言葉だけが聞こえたようだった。
「ホント!? そう言ってくれると凄く助かる!」
「私たちこそ、そんな素敵な役目を与えてもらえて嬉しいです! ね、蒼志君」
「いや、俺は」
「あ、でも私は自撮りするけど蒼志君は絶対自分の写真撮らないよね。クラス写真できあがって蒼志君の写真だけないとかいうことになりそう」
「たしかに」
何を担任まで「たしかに」とか言って杏珠と一緒になって腕を組んでいるのか。別に俺の写真がないぐらいどうでもいいことだ。それなのにこの二人と来たら似たような表情を浮かべて、当事者であるはずの俺よりも真剣に悩んでいる。
「あ、先生いいこと思いついちゃった」
「なんです、なんです?」
こういうときの『いいこと』がいいことだったためしがないことを、俺はこの一ヶ月で身に染みていた。主に、杏珠の言う『いいこと』に対してだが、この場合どうやら担任に対しても適合してしまうようだった。
「日下部さんと朝比奈君が同じ班になればいいよの。そうしたら、一緒に行動するから日下部さんが朝比奈君の写真を撮れるでしょう? なんなら朝比奈君が日下部さんの写真を撮ってくれたら、自撮りしなくてもいいわけだし」
ほら、見ろ。ろくな話ではない。げんなりする俺を尻目に、杏珠はナイスアイデアだと言わんばかりに両手をパチンと打ち鳴らした。
「先生、それいい! 私たち、ちょうど女子メンバーしかいなかったし、蒼志君のところの班と合体したらいいんですね!」
当たり前のように俺がどこかの班に入っていることを前提とした話が進んでいく。まだどこの班にも属していない、と言えば二人から気の毒なという表情で見られることはわかりきっていた。いや、気の毒なであればまだいい。言ってはいけないことを言ってしまった、とでもいうかのように申し訳なさそうな表情をされる方が耐えられなかった。
どうするべきかと悩んでいると、誰かが俺の肩を叩いた。振り返ると、そこにはクラスメイトの大谷信也の姿があった。
「朝比奈、やっと見つけた」
「やっとって何を……」
「班のメンバーの名前書かなきゃいけないのにお前いないからさ。もう勝手に書いてしまおうかと思ったよ」
「は、何を……」
大谷とは仲が悪いというわけではないけれど、別に特段仲がいいわけでもない。ただ一年の頃もクラスが同じだったので会話をすることはできる、というぐらいの間柄だ。修学旅行の班を一緒になろうなんて話をするような関係ではないし、こんなふうに馴れ馴れしく話しかけてくるほど親密なわけでもない、のだけれど。
こうやって誘ってもらえるというのはどこか嬉しい気がするから不思議だ。
ちなみに、そんな俺の戸惑いに気付くことなく、杏珠は大谷の言葉にパッと顔を輝かせていた。
「大谷君たちの班に蒼志君入るの?」
「お、おう。それがどうかしたのか?」
「今ね、私たちの班と蒼志君の班を一緒にしようって話してて。あ、私たちのところって実奈と雪乃なんだけど」
杏珠が自分の席の方へと顔を向けると、その視線に気付いたのか徳本実奈と沢本雪乃が手を振ってみせた。こちらの会話なんて聞こえているはずがないのに、意思疎通ができている様子だった。
「そ、そうなのか。俺のところは俺と淳也と朝比奈の三人だからちょうどいいな」
何がちょうどいいのか全くわからない。「いや、俺は」と口を挟もうとした俺を押さえ込むように大谷が肩に腕を回した。
「頼む、一生のお願いだ。このまま話を進めてくれ」
「は? いや、別にそれはいいけどなんで……」
「ゆ、雪乃ちゃんと……一緒の班に、なりたい……」
蚊の鳴くような声で俺にだけ聞こえるように大谷は言う。どうやら大谷は沢本に片思いをしているらしく、俺が杏珠達の班と一緒になる、というのを聞きつけ慌てて話に混じってきたようだ。ようは、俺をダシに沢本に近づきたいと。
感情がある頃なら、嬉しく思ったことに悔しくなったり空しく思ったりしたのかもしれない、なんてぼんやりと考える。
「……別にいいよ」
「ホントか!?」
「ああ。だからその手離せよ」
大谷の手を振り払うと、俺はため息を吐いた。
大谷の目的がなにかわからなかったけど、沢本目当てだということがわかれば逆にスッキリする。変だと思ったんだ。突然、一緒の班になりたいだなんて。
「じゃあ、ここに名前書いてくれる?」
担任の言葉に、大谷は三人分の名前を書く。これで修学旅行の班が決まった。決まってしまった。面倒なことにならなければいいが。
「ふっふーん」
「何」
妙に機嫌のいい杏珠に、俺は尋ねる。にんまりとした笑みを浮かべて、杏珠は俺の顔を覗き込むように見上げた。
「修学旅行、楽しみだね。蒼志君」
「……そうだな」
どうでもいいと思いながら言ったはずのその四文字が妙に浮かれて聞こえて、思わず咳払いをする。そんな俺の隣で、杏珠は楽しそうに笑っていた。
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