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第一章 甘い卵焼きと秘密のデザインノート

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 そわそわとしているうちに、気づけばあと五分で十二時だった。
 お昼になったら瞬君は昨日みたいにご飯を食べに行ってしまうかもしれない。
 私は少しドキドキしながら、鞄から取り出したお弁当箱を手に一階へと向かった。
 そこには、財布を手に外に出ようとしている瞬君の姿があった。
「あっ、待って」
「何?」
 不思議そうに尋ねる瞬君の腕を掴むと、私は工房の方をと歩いて行く。
「お、おい。俺は昼飯を」
「そのお昼ご飯のことだって。ね、ちょっとこっち来て」
 食べるんだったら二階じゃないとまずいよね。
 腕を引っ張ったまま階段を上がる私に、瞬君が声を荒らげる。
「おい! いったいなんなんだよ」
「いいからこっちに」
「よくねえだろ」
 ばっと腕を払われて、私は仕方なく振り返った。
「お前、いったいなんなわけ? こっちは優一さんのプライベート空間だろ。お前は親戚だからいいとしても、俺まで勝手に入るわけにはいかねえんだけど」
 そう言われてしまうと、そうかもしれない。
 おじさんに断ってから来た方がよかったのかも。
 思わずうなだれた私の頭上から、焦ったような声が聞こえた。
「あ、いや。怒ってるわけじゃなくて、そのバイトだから俺はここに来てるわけで、お前と同じじゃないんだってことを伝えたかっただけなんだ。……その、大きな声出して悪かったよ」
「ううん、私こそ考えなしでごめん。じゃあ、ここでならいい?」
 階段を指さす私に、仕方ないなと瞬君は苦笑いを浮かべた。
「ギリギリセーフ、かな。で、なんだよ。俺に何か用か?」
「うん。その、あのね」
 私は手に持っていたお弁当箱を瞬君に差し出した。
「……え?」
「その、私の分を作るついでに瞬君のも作ってきたの。お昼、外に食べに行ってばっかりじゃ身体によくないし、だから」
 瞬君はどういう反応をするだろう。驚くかな、喜んでくれるかな。そう思って顔を上げた私は、表情をなくした瞬君の顔に、思わず声を失った。
「どういうつもり?」
「え?」
「ああ、もしかして優一さんから俺んちのこと聞いたの? それで同情して? 手料理に飢えてるだろうって? こういうの作ってあげた私ってなんて優しいのって? 馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」
「っ……!」
 そんなつもりじゃない、そう言いたいのに、目の前の瞬君の顔に何も言えなくなってしまう。
 そんな顔、させたかったわけじゃない。
 ただ喜んでほしかっただけで、私は、私は。
「ちが……う」
 首を振ってそう言うけれど、言葉は涙と一緒に流れていってしまう。
「っく……ひっく……」
「……ああ、もう。くそっ」
 必死に涙を止めようとする私の隣で、瞬君は頭を掻いた。
 そして、ポツリと呟いた。
「悪い、言い過ぎた」
 私はその言葉に必死に首を振る。
 最初に瞬君の心に土足で踏み込んで、嫌な想いをさせたのは私だから。
「私、こそ、ごめんなさい」
「……もういいよ。で、何が違うんだ?」
「え?」
「さっき俺の言葉に違うって言っただろ」
 そこにいたのは、さっきまでの感情的に怒鳴る瞬君ではなく、いつもの困ったように微笑む瞬君の姿だった。
「……瞬君、昨日私の作った卵焼き、美味しいって言ってくれたでしょ」
「ああ、そうだな」
「私、作ったお料理を誰かに美味しいって言ってもらったのあれが初めてだったんだ。だから、凄く嬉しくて。もっと喜んでほしいなって」
「そっか」
「……でも、もしかしたら瞬君の言うとおり、おうちのことを聞いちゃって、それで心のどこかでかわいそうって思っちゃったのかもしれない。けど、それってすっごく失礼なことだよね。瞬君が怒るのも無理ないよ。ごめんなさい」
 頭を下げた私の頭上で、瞬君がふっと笑う声が聞こえた。
「お前って素直なのな」
「瞬君?」
「俺なら、自分が間違ってたってわかってもそんな素直に言えねえわ。……俺も、怒鳴って悪かったよ。母さんが死んでから腫れ物みたいに扱われることが多くて、勝手にかわいそうな子扱いされたり気の毒にって目で見られたりするのが嫌でさ。でも、憐れまれてるのと心配されてるのは全然違うのにな」
 傷ついたような表情を浮かべる瞬君に、いったいこれまでどんな扱いをされてたのか、想像しただけで胸の奥がキュッと痛くなった。
「私もね、パパがお仕事で海外に行って、ママもお仕事が忙しくて家になかなか帰ってこないから、周りの大人たちは好き勝手言うの。家族がバラバラでかわいそうに、お母さんはそんなに家にいたくないのかしら、本当はどっちも外に恋人を作ってるんじゃないの、なんてね」
「酷いな」
「ね。大人なんて、みんな勝手に自分たちの枠にはめて子どもを見てる。私たちにだって気持ちがあって、そんな枠の中にみんながみんな入るわけじゃないのにね」
 ギュッと、手に持ったお弁当箱を握りしめる。このお弁当箱にお弁当を入れて、パパがお仕事に行っていたときは、こんな想い感じたことなかった。
「そんな顔すんなよ」
 そう言って私の頭を、瞬君は優しく撫でた。
「お前、偉いよ。頑張ってる。でもさ、無理に大人になろうとしなくていいんだよ」
「どういう……」
「そんな泣きそうな顔して、寂しい気持ちを全部押し込んで、それで無理して平気な顔しなくていいんだって言ってるんだ。たまには、寂しいってお母さんに言ってもいいんじゃないの? だって、言える相手がいなくなったら本当に言えなくなるんだぜ」
「あ……」
 寂しそうに微笑む瞬君に、私は言葉が出てこなかった。
 瞬君が伝えたい相手はもう、この世にいないんだ……。
「うん、わかった」
 瞬君の言葉に、私は素直に頷いた。 
 寂しいなんて、伝えちゃダメだと思ってた。
 本当は真っ暗な家に帰るのも、誰もいない家で一人過ごすのもずっとずっと嫌だった。 でも、パパもママもそれぞれが自分のお仕事に誇りを持って家族のために、自分のために働いているんだから、私が寂しいなんて思っちゃいけない。
 ずっとずっとそう思ってた。
 でも、そっか。伝えてもいいんだ。
「ってことで、さ。その、それ食ってもいい?」
 瞬君はバツが悪そうに頬を掻きながら、私が持っているお弁当箱を指さした。
「うん、一緒に食べよう」
 ニッコリと笑った私に、瞬君はホッとしたように微笑んだ。
 そんな私たちの階下から、おじさんの声がした。
「話はまとまったか?」
「え? おじさん?」
「悪い、気になってつい、な」
 いつの間に階段の下に来ていたのか、ひょっこりとおじさんが顔を出した。
「盗み聞きするつもりはなかったんだけどな。ところで、美琴、瞬君。これは提案なんだけど、土日の昼飯はうちで食うっていうのはどうだ?」
「おじさんのところで?」
「それはどういう」
 私たちは話の展開について行けず、思わず顔を見合わせた。
「なあ、美琴。朝、家で弁当を作ってくるよりうちで飯を作る方が楽だと思わないか?」
「まあ、そりゃあそうだけど」
「瞬君も、賄い付きって感じで土日の昼飯があれば助かるだろう?」
「それは、そうですけど」
「俺も、美琴が飯を作ってくれたら昼飯を食いに行く手間が省ける。ああ、もちろん材料費は俺が出すけどな。どうだ?」
「それは……。でも、美琴さんの負担が大きくないですか?」
 瞬君が心配そうにこっちを見たから、私は慌てて首を振った。
「そんなことないよ! もし瞬君が嫌じゃないなら私、作りたい!」
 そう言った私に、瞬君は優しく微笑んだ。
「なんで俺が嫌なんだよ。むしろ嬉しいぐらい」
 はにかんで笑う瞬君に、私の心臓がドキドキと苦しいぐらいに音を立てる。
 ど、どうしちゃったの? 私の心臓……。
 でも、ドキドキしてる私とは対照的に、瞬君は何でもない様子でニッと笑った。
「じゃあ、よろしく」
 その笑顔がなぜかキラキラと輝いて見えて、私は頷くことしかできなかった。

 その日から、土日のお昼は私が作って、瞬君と二人で食べるようになった。おじさんも一緒に食べれば? って聞いたけど、お店を閉める時間を作りたくないとか、若い二人で食べた方がいいだろうとか意味のわかんないことを言うの。
 でも、ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ二人でご飯を食べる時間が嬉しかった。
 自分でも理由はよくわかんないんだけどね。 
 いつも味気なかったご飯なのに、そのときだけはとびっきり美味しく感じた。
 お昼ご飯のリクエストなんかも聞くようになった。
 瞬君と過ごす時間が増えるにつれて、どんどん瞬君と仲良くなっていく。
 私の中で瞬君の存在が大きくなっていくのに、そう時間はかからなかった
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