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第一章
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しおりを挟む帰り道、香澄は猫宮司に言われたことを考えていた。手段と目的を間違えるな。猫宮司はそう言っていた。目的のための手段、なのだから両親に来てもらうために雨を降らせる。それのどこが間違っているというのだろう。
「あ、雪斗君」
「お姉さん」
途中の小さな公園に雪斗君はいた。ブランコと滑り台しかないその公園で、雪斗君は一人滑り台の上から空を見上げていた。
「雨、降るかな。神様、ちゃんとお願い叶えてくれるかな」
それは香澄への問いかけのようであり、独り言のようでもあった。なんと答えていいのかわからない。「きっと降るよ」と言ってしまうのは簡単だ。でも、もしも降らなかったら? そのとき雪斗はどれだけ傷つくか。
『手段と目的を間違えるな』
香澄の脳裏を猫宮司の言葉がよぎる。
雪斗が本当に望んでいることは、何?
「パパとママに、運動会見に来てもらいたいな」
その一言に、香澄はようやく自分の間違いに気づいた。そうだ、最初から雪斗が望んでいるのは雨が降ることなんかじゃない。ただ両親に運動会に来て欲しいだけだ。
雨が降って欲しいのも運動会が延期になってほしいのもただただ両親に運動会に来て欲しいだけ。雨が降って延期になることは手段であって目的じゃない。
それを言葉通りに受け取って表面しか見ていなかったのだ。
香澄は翌日、もう一度フレッシュベーカリー大迫を訪れた。昨日とは違い、店内に客の姿はなかった。言うなら今しかない。
「あ、あの」
「あら。こんにちは」
香澄が声をかけると、雪斗の母は愛想よく返事をしてくれる。何気ない雰囲気を装って、香澄は話を続ける。
「今日は随分と暑いですね」
「そうね。あ、これ今焼きたてなの。どうかしら?」
クリームパンを勧められ、香澄は頷きながら焦った。このまま精算が終われば帰らなくてはいけなくなる。
「も、もうすぐ運動会ですよね」
唐突に言いだした香澄に雪斗の母は少し不思議そうな表情を浮かべる。けれど、仕事中だからかすぐに表情を整えると「ええ、そうね」と頷いた。
「今週ずっと暑いみたいですし当日も暑そうですね」
「そうかも、しれないわね。水筒のお茶、多めに持たせなきゃね」
「その日はお店お休みですか?」
少し白々しかっただろうか。けれど雪斗の母は紙袋に入れたクリームパンを手渡しながら苦笑いを浮かべた。
「運動会ぐらいじゃお店、休めないわ」
この話はこれでおしまい、そう言いたいのかもしれない。けれどこんなところで引き下がれない。
香澄は必死に会話に食らいついた。
「で、でも雪斗君は来て欲しいと思ってるんじゃないですか?」
「それは……。もしかして、雪斗に何か言われたの?」
「そういう、わけじゃないですけど……」
本当は雪斗君の気持ちを言ってしまいたかった。けれど、雪斗君の願いごとを本人のあずかり知らないところで言ってしまうのは違う気がした。口ごもる香澄を、奥から出てきた男性が見下ろした。
「何をごちゃごちゃ言うてんねん」
「あなた……!」
どうやらそれは雪斗の父親のようだった。よく見ると口元が雪斗とよく似ていた。
「あの、私……!」
「親には親の都合があるんや。仕事せえへんかったら生きていかれへんやろ。そんなんあいつやってわかってる。他人がごちゃごちゃ言うな」
「で、でも!」
香澄が反論しようとしたタイミングで店内に客が入ってきた。雪斗の母はにこやかに「いらっしゃいませ」と声をかける。そして。
「ごめんなさいね、これ以上は他のお客さんの迷惑になるから」
言外に帰るように言われてしまい、香澄は頭をお下げるとフレッシュベーカリー大迫をあとにした。ほんのり温かいクリームパンは、甘いはずなのに何故かほろ苦く感じた。
ついに運動会前日が来てしまった。天気予報は今日も明日も快晴。絶好の運動会日和だ。
香澄は重いため息を吐く。結局、雨を降らせることも雪斗の両親を説得することもできなかった。
「ううん、まだあと一日ある」
もう一度、雪斗の母に会いに行ってみよう。また雪斗の父に嫌な顔をされるかもしれない。それでも後悔はしたくないから。
そうは思うものの、その日は土曜日ということもあってレインボウは朝から客で溢れていた。何か市内でイベントがあるのか、初めて来る客でいっぱいだ。雪斗のことは気になりつつも次々と頼まれるモーニングを必死で用意する。
結局、一息つけたのはもうすぐ正午というタイミングでだった。この時間はガッツリ系のメニューのないレインボウより定食屋や雲井のカレー屋に人が集まる。今なら昼休みにしても問題ないだろう。
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