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第一章
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しおりを挟むとはいえ、信仰の取り戻し方なんてそう簡単には思いつかない。その日レインボウの営業をしながら香澄はどうすればいいのかを考え続けた。そして考え続けるうちに、あの猫が本当に喋っていたのか、誰かにからかわれただけではないのかという考えが頭を過る。
あのときは確かに猫が喋っていると思っていた。おにぎりも食べていたし宙返りまで見せてくれた。けれどあれが全て仕込まれた芸だったとしたら? どこかに人がいて猫に指示を出していたのだとしたら? 新手の詐欺か何かであのまま引っかかっていれば壺を買わされたり、怪しい事務所に連れて行かれたりしたのではないか。
「……でも」
現実的に考えてありえない。有り得ないと思いつつも香澄はあの靄の向こうに見えた弥生の姿を思い出す。あれは確かに弥生だった。香澄が弥生の姿を見間違えることなどあるわけがない。だとしたら、やっぱり……。
堂々巡りになってしまい結論は出ない。
「……いいや、騙されても」
もしも何かされそうになったりどこかに連れて行かれそうになったりしても逃げればいい。スマホだってあるんだから通報してもいい。それよりも今はもしかしたらに賭けたい。駄目で元々、もし本当に弥生に会えたら儲けものだ。
「うん、やってみよう」
香澄に残された時間は二ヶ月もない。それなら今できることを何でもやってみた方が言い。遺言書を家の中や店内で探すのと並行してやってみよう。
――けれど、信仰を取り戻すと一口に言ってもどうすればいいのだろう。そもそも神社を訪れる人とは。と考えたところで香澄は笑ってしまう。
「私のことだよ、それ」
神様でもなんでもいいからどうにかしてほしい。そう思って猫神社を訪れたのは香澄自身だ。つまり、どうにもならない何かを抱えていて困っている人ということになる。
「よし、困っている人を見つけよう」
そう決めた香澄は次の日から困っている人を探すことにした。けれど、困っている人なんてそう簡単に見つからない。それが神頼みするような内容だと余計にだ。せいぜい落とし物をして探している人を見かけるぐらい。そんな人に猫神社のことをアピールしようものなら「つべこべ言うとらんと探すん手伝うてや」と言われてしまう。
「はぁ」
落ち込みながらもその日の営業を終え、香澄は晩ご飯の買い物のために商店街の中を歩いていた。今日のご飯はコロッケでも買ってそれを食べよう。そんなことを思っていると、商店街の脇道に男の子が座っているのが見えた。
それは数ヶ月前、ほほえみ商店街の外れにできた『フレッシュベーカリー大迫』の一人息子、大迫雪斗だった。ランドセルをしていないところを見ると、学校帰りという訳ではないようだ。
まだ日は暮れきっていないので外は明るい。だとしても夕方の五時を回っているこの時間に小学生、ましてや一年生がこんなところに一人でいるのはあまりいいとは言えない。
自分でもお節介だな、と思う。けど、放っておくことはできなかった。
「こんにちは。雪斗君だよね」
香澄はなるべく雪斗を怖がらせないようにしゃがみ込むと、目線の高さを合わせ優しく微笑んだ。雪斗はビクッと肩を振るわせると恐る恐る顔を上げる。けれどそこにいたのが見覚えのある人間で安心したのか、強ばった表情が少しだけ緩んだ。
「えっと、たしか喫茶店の……」
「香澄だよ。私のこと知ってくれてるんだね」
「うん。少し前に救急車が来てたところでしょ」
そういう覚え方か、と思わなくもなかったけれど、大通りに面した側に店を構える雪斗の家と、少し奥まった位置にあるレインボウでは接点もないし仕方ないのかもしれない。
生前の弥生曰く、あまり商店街の集まりなどにも出てこないから、困ったことなどないか心配していると言っていたけれど。
お節介なのは弥生譲りなのかもしれないなぁと香澄は苦笑いを浮かべる。。悲しそうに俯く雪斗の姿に、香澄はつい尋ねてしまっていた。
「何かあったの?」
香澄の言葉に、雪斗の大きな目には涙が滲んだ。
「え、ま、待って?」
香澄は慌てて辺りを見回した。このままでは小学生の男の子を泣かせている大人、という見る人が見れば通報されかねない状況だ。慌ててハンカチを手渡すと雪斗は涙でぐちゃぐちゃになった顔をそれで拭いた。
「ごめ、な……さい」
「ううん、それはいいんだけど。でも泣いちゃうぐらい辛いことがあったってことだよね?」
香澄の問いかけに雪斗は頷いた。そして躊躇いがちに口を開く。
「来週ね、運動会があるの」
「運動会」
思わず雪斗の言葉を復唱してしまう。そうか、運動会。たしかにもう十月になっているしそろそろ運動会の時期だと言われても不思議ではない。
そういえば、運動会が嫌で泣いている友人がいたことを思い出す。足が遅くて徒競走に出るのが嫌だと、クラス対抗リレーも自分のせいで負けてしまうから辛いと言っていた。もしかしたら雪斗が悲しそうなのもそういうことなのかもしれない。
「運動会、嫌なの? 走るのが苦手とか?」
「違う。練習で僕がいつも一番だよ」
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