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第一章

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「朝ご飯、ですか? えっと」

 雲井の言葉に思い出そうとするのだけれど、そういえば朝食を食べていないことに気が付いた。いや、朝食だけじゃない。昨夜の夕食も、その前も――。
 黙ってしまった香澄に、雲井は眉をひそめた。

「まさかと思うけど、あの日から食べてへんやいうこと、ないやんな?」

 雲井の言うあの日が、三日前、弥生が死んだ日を差していることは明白だった。香澄はごまかすように笑ってみせるけれど、そんな香澄に二人はため息を吐いた。

「何ぞ食べられるか? 色々買うてきてあるから言うてや」

 雲井はエコバッグを開けると、おにぎりやお粥のレトルトパックが入っているのを見せてくれる。けれど香澄は首を振った。

「お腹、空いてなくて」

 嘘ではなかった。空腹を感じないのだ。不思議な感覚だった。別に具合が悪いわけではない。食欲がない、という感じとも違う。ただお腹が空いていない。それだけだった。
 けれどそんな香澄に雲井は小さく首を振った。

「……香澄ちゃん、それはな空いてないんやなくて食べられへんねや」
「え?」
「大丈夫、元気やって顔してるけどな、ほんまは全然大丈夫と違うんちゃうか? 無理、せんでもええんやで」

 そんなことないです、と否定したかった。大丈夫です、一人でも頑張れますと言いたかった。けれど、口を開いても喉の奥が締まったように苦しくて、上手く言葉が出てこない。それどころか、気づけば頬を涙が伝っていた。

「どう、して……」

 どうしてこんなに心配してくれるのだろう。同じ商店街に住んでいるとはいえ、赤の他人だ。なのに、どうして。
 香澄の問いかけに、雲井は優しく微笑んだ。

「弥生さんから頼まれてたんや。自分に何かあったら香澄ちゃんのことを頼むってな」
「おばあ、ちゃんが」
「そうや」

 弥生の名前に香澄の胸の奥がきゅっと締め付けられる。そんなこと思いもしなかった。
 頬を伝う涙を拭うことも忘れて立ち尽くす香澄の頬に、亜矢はそっとハンドタオルを当てた。

「みんな、心配してんねんで。澤さんも田神さんも他にもみんな、香澄ちゃんのことを心配してんねん」
「ごめ、な……さ、い」
「謝らんでええんよ。そうやないの。私たちはね、みんな香澄ちゃんに頼ってほしいねん。一人じゃないんや。みんながついてるんやで」

 亜矢は香澄の手をギュッと握りしめた。その手のぬくもりがあまりにも優しくて涙が止まらなくなる。一人じゃ、ないのだと、そう思えただけで、真っ暗だった世界にほんの少しだけど色がついたようなそんな気がした。
 ありがとうと伝えたいのに、口をついて出るのは嗚咽ばかりで上手く言葉が出てこない。そんな香澄の背中を、亜矢は優しく撫で続けた。
 その日、香澄は三日ぶりに食事を取った。おにぎりはどうしても胃が受け付けなかったのでレトルトの粥を温めた。具も何も入っていないただの粥のはずなのに、泣けるほど美味しかった。自分は生きているんだと改めて思わされる。

「頑張ろう」

 香澄は小さく呟いた。弥生がいなくなったとしても、香澄は生きていかなければいけないのだ。悲しくても辛くても、弥生が育ててくれた命を大事にしなければいけない。それが今の香澄にできる唯一の恩返しだった。
 そう決めてからの香澄の行動は早かった。翌日は弥生が生きていたときと同じように六時には起きて朝ご飯を作った。一人で食べる朝ご飯はどこか切なかったけれど、それでも顔を上げて最後まで食べきった。
 そのあとはレインボウの掃除をした。四日間放置された店内は、変わらないように見えて埃が溜まっていたり窓が汚れていたりするように見えた。机を一つ一つ拭いて床を掃く。弥生が残してくれたレインボウを自分が受け継ぎ守っていくのだと噛みしめながら。
 四日ぶりに開けたレインボウには、商店街の人達が代わる代わる顔を出してくれた。再開は明日からだと言っているにもかかわらず、弥生が生きていた頃と同じように笑顔が溢れる店内に自然と香澄の表情も緩む。

「私、頑張るから」

 ――だから、見ててね。おばあちゃん
 キッチンに置いた弥生の写真に向かって香澄は小さく、けれどどこか寂しげな笑みを浮かべた。
 何も出せる物はないけれどとりあえず、と香澄が珈琲を入れていると、レインボウのドアが開く音が聞こえた。また商店街の誰かだろうか、そう思い顔を上げると、そこには見覚えのない男性が立っていた。
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