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第七章:いつか過ごしたさざ波の向こうへ
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退院前に出た高熱のせいで、私はあの当時の記憶があやふやだ。どこの島にいたのか、大正何年のことなのかすら覚えていない。覚えているのは伊織さんのこと、それから島に住んでいた人のこと。でも、そんなの何のヒントにもならなかった。もしかしたら、とスマホやパソコンで検索してみたこともあったけれど『伊織』という名前は大正時代にはよくある名前だそうで、私の知っている伊織さんにたどり着くことはなかった。もっと、あの場所にしかなかったものはないだろうか……。必死に思い出そうとしたけれど、結局何かを思い出せることはなかった。
「なあ、それじゃあさ夏休み入ったら二人でどっか行かない?」
「えー……。海里もさ、いい加減私とじゃなくて他の子と出かけたら? おばさんだってもう別に何も言わないでしょ?」
「それはそうだけど……。でも俺は……」
「何?」
「なんでもねえよ! それよりどっか行こうぜ。例えば……海とか!」
海里は今思いついたとばかりに言うと、スマホで何かを調べ始めた。
「ほら、こことかビーチも綺麗だしどう?」
「どうって言われても……」
「弁当とか持ってさ。俺、菫の作る甘い卵焼き好きなんだよね」
「甘い、卵焼き……」
懐かしい。
伊織さんが好きでよく作っていた甘い卵焼き。私はだし巻きが好きだったけれど、こっちに戻ってきてからはつい甘い卵焼きを作ってしまった。そういえば、私のお弁当に入ってる卵焼きを海里ってばよくつまみ食いしてたっけ。
……お弁当の、卵焼き?
何かを思い出せそうだった。
「なんだっけ……。そう、お弁当を作ったんだ……」
「菫?」
伊織さんのお昼ご飯にお弁当を作って持っていったんだ……。それで海で食べて……。なんで海で食べたんだっけ……。
ああ、もう! もうちょっとで思い出せそうなのに……。
「菫!」
「なに!?」
「や、何じゃなくて……。そっち道違うくないか?」
「あ……」
考え事をしながら歩いていた私は、バス停を降りて大学に向かうための曲がり角を右ではなく左に曲がろうとしていた。海里が声をかけてくれなきゃ道を間違えるところだった。……間違えた?
「そうだ」
あのとき、私は伊織さんのところに行こうと思って迷子になったんだ。それで山の中に入り込んじゃって……。伊織さんはわざわざ私を探しに来てくれたんだっけ。そう、あれは……。
「……オリーブ」
「え?」
「オリーブ園で、働いてたんだ……」
オリーブ園から私のところまで駆け付けてくれた伊織さんと海に向かって、そこで伊織さんはお弁当を食べた。そうだ、オリーブ園だ。
こんな大事なこと、どうして忘れていたんだろう。伊織さんは確かオリーブ園で働いていた。でも、オリーブって外国から来た木の実のはず。それを大正時代に、しかも島で育てているなんて、そんないくつもあるわけない。
私はスマホを取り出すと、検索画面を開いた。――そのとき。
「何するの?」
私のスマホの画面を覆うように、海里がスマホを掴んだ。
「お前、まさか思い出したのか?」
「え?」
「それで、行く気なんだな? やめろよ! 絶対に行くな!」
「なに……? どういうこと……?」
私は海里の言葉の意味がわからなかった。今、海里はなんて言ったの? 思い出した? 行く気? それって、まさか……。
「何か、知ってるの?」
「…………」
「ねえ! 何か知ってるなら教えてよ!」
「知らねえよ! 俺はなんにも知らねえ! お前だって思い出せないぐらいのことならさっさと忘れてしまえよ!」
そう言い捨てると、海里は私を置いて大学とは正反対の方向へと走っていった。
「ちゃんと大学行けよ! 気をつけて帰れよ!」
そう言い残して。
海里は、何か知っているのだろうか。私が覚えていない何かを。でもじゃあ、どうして今まで言ってくれなかったの? ずっと、私が伊織さんに会いたいと、あの島でのことを思い出したいと言っていたことを海里は、海里だけは知っていたのに……。
5年前、退院してから夏休みが終わるまで、私はずっと家で引きこもっていた。その間、海里は毎日家に来てくれて私の話を聞いてくれた。かろうじて覚えているあの島でのことを、ポツリと話したのは何がきっかけだったっけ。もう覚えていないけれど、私は海里に伊織さんのことを話した。
信じてもらえないかもしれないけれど、と言った私に海里は「信じるよ」と言ってくれた。それが凄く嬉しくて、泣きそうなぐらい嬉しくて、話してよかったってそう思ったのに。なのに、どうしてあんな……。
私はさっきの海里の言葉を思い出して、胸の奥が重くなるのを感じた。
「っ……」
ううん、でも今はそんなことよりも。
私は海里の態度は気になるけれど、それはひとまず置いておくことにして、先ほどのキーワードをスマホの検索画面に入力した。
『大正時代』『オリーブ』『島』
そして私の思ったとおり、検索結果の一番上に、その島の名前はあった。
「小豆島……」
ああ、この島の名前を私は知っている。何度も何度も耳にした島の名前。そうだ、小豆島。そこに私はいたんだ。伊織さんとともに。
大学の講義の時間を使って、私は検索結果に出てきたページを読みあさった。けれど、当時の責任者についてや従業員についての記述はない。そりゃあそうだ。なんせ100年以上前のことなんだから残っていなくて当然だ。
でも、それでもよかった。あの島が実在した。それだけで、涙が出るぐらいに嬉しかった。
「行かなきゃ」
小豆島に、行かなきゃ。
行って、それからどうするかなんてまだわからない。行ったところでそこに伊織さんはいないのに。
でも、それでも私はあの島にもう一度行きたかった。伊織さんと一緒に過ごしたあの島に。
「なあ、それじゃあさ夏休み入ったら二人でどっか行かない?」
「えー……。海里もさ、いい加減私とじゃなくて他の子と出かけたら? おばさんだってもう別に何も言わないでしょ?」
「それはそうだけど……。でも俺は……」
「何?」
「なんでもねえよ! それよりどっか行こうぜ。例えば……海とか!」
海里は今思いついたとばかりに言うと、スマホで何かを調べ始めた。
「ほら、こことかビーチも綺麗だしどう?」
「どうって言われても……」
「弁当とか持ってさ。俺、菫の作る甘い卵焼き好きなんだよね」
「甘い、卵焼き……」
懐かしい。
伊織さんが好きでよく作っていた甘い卵焼き。私はだし巻きが好きだったけれど、こっちに戻ってきてからはつい甘い卵焼きを作ってしまった。そういえば、私のお弁当に入ってる卵焼きを海里ってばよくつまみ食いしてたっけ。
……お弁当の、卵焼き?
何かを思い出せそうだった。
「なんだっけ……。そう、お弁当を作ったんだ……」
「菫?」
伊織さんのお昼ご飯にお弁当を作って持っていったんだ……。それで海で食べて……。なんで海で食べたんだっけ……。
ああ、もう! もうちょっとで思い出せそうなのに……。
「菫!」
「なに!?」
「や、何じゃなくて……。そっち道違うくないか?」
「あ……」
考え事をしながら歩いていた私は、バス停を降りて大学に向かうための曲がり角を右ではなく左に曲がろうとしていた。海里が声をかけてくれなきゃ道を間違えるところだった。……間違えた?
「そうだ」
あのとき、私は伊織さんのところに行こうと思って迷子になったんだ。それで山の中に入り込んじゃって……。伊織さんはわざわざ私を探しに来てくれたんだっけ。そう、あれは……。
「……オリーブ」
「え?」
「オリーブ園で、働いてたんだ……」
オリーブ園から私のところまで駆け付けてくれた伊織さんと海に向かって、そこで伊織さんはお弁当を食べた。そうだ、オリーブ園だ。
こんな大事なこと、どうして忘れていたんだろう。伊織さんは確かオリーブ園で働いていた。でも、オリーブって外国から来た木の実のはず。それを大正時代に、しかも島で育てているなんて、そんないくつもあるわけない。
私はスマホを取り出すと、検索画面を開いた。――そのとき。
「何するの?」
私のスマホの画面を覆うように、海里がスマホを掴んだ。
「お前、まさか思い出したのか?」
「え?」
「それで、行く気なんだな? やめろよ! 絶対に行くな!」
「なに……? どういうこと……?」
私は海里の言葉の意味がわからなかった。今、海里はなんて言ったの? 思い出した? 行く気? それって、まさか……。
「何か、知ってるの?」
「…………」
「ねえ! 何か知ってるなら教えてよ!」
「知らねえよ! 俺はなんにも知らねえ! お前だって思い出せないぐらいのことならさっさと忘れてしまえよ!」
そう言い捨てると、海里は私を置いて大学とは正反対の方向へと走っていった。
「ちゃんと大学行けよ! 気をつけて帰れよ!」
そう言い残して。
海里は、何か知っているのだろうか。私が覚えていない何かを。でもじゃあ、どうして今まで言ってくれなかったの? ずっと、私が伊織さんに会いたいと、あの島でのことを思い出したいと言っていたことを海里は、海里だけは知っていたのに……。
5年前、退院してから夏休みが終わるまで、私はずっと家で引きこもっていた。その間、海里は毎日家に来てくれて私の話を聞いてくれた。かろうじて覚えているあの島でのことを、ポツリと話したのは何がきっかけだったっけ。もう覚えていないけれど、私は海里に伊織さんのことを話した。
信じてもらえないかもしれないけれど、と言った私に海里は「信じるよ」と言ってくれた。それが凄く嬉しくて、泣きそうなぐらい嬉しくて、話してよかったってそう思ったのに。なのに、どうしてあんな……。
私はさっきの海里の言葉を思い出して、胸の奥が重くなるのを感じた。
「っ……」
ううん、でも今はそんなことよりも。
私は海里の態度は気になるけれど、それはひとまず置いておくことにして、先ほどのキーワードをスマホの検索画面に入力した。
『大正時代』『オリーブ』『島』
そして私の思ったとおり、検索結果の一番上に、その島の名前はあった。
「小豆島……」
ああ、この島の名前を私は知っている。何度も何度も耳にした島の名前。そうだ、小豆島。そこに私はいたんだ。伊織さんとともに。
大学の講義の時間を使って、私は検索結果に出てきたページを読みあさった。けれど、当時の責任者についてや従業員についての記述はない。そりゃあそうだ。なんせ100年以上前のことなんだから残っていなくて当然だ。
でも、それでもよかった。あの島が実在した。それだけで、涙が出るぐらいに嬉しかった。
「行かなきゃ」
小豆島に、行かなきゃ。
行って、それからどうするかなんてまだわからない。行ったところでそこに伊織さんはいないのに。
でも、それでも私はあの島にもう一度行きたかった。伊織さんと一緒に過ごしたあの島に。
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