上 下
11 / 39
第三章:まるでベタ凪ぎの日々

3-2

しおりを挟む
 翌日も、そのまた翌日も伊織さんが帰ってくるのをただただ待つ日々を過ごしていた。あまりにも暇な私のために、ノートを一冊と鉛筆を貸してくれたので日記をつけることにした。とはいえ、家の中にいるだけの私に書くような内容はなかったので真っ白なままだった。
 少しでも何かできることをと、洗い物とお掃除をする私をもう伊織さんは止めなかった。もしかしたら、足が治っていることに気付いているのかもしれない。
 このまま、話をせずにいてもいいのだろうか。いつ気付かれるのかわからない状況でいるのが嫌だ、というよりは……これだけお世話になっているのに、嘘をつき続けている自分自身が許せなかった。

「伊織さん」
「はい、どうかしました?」
「話があるんです」

 その日の夜、晩ご飯の片付けが終わったあと、私は自分の部屋に戻ろうとする伊織さんを呼び止めた。伊織さんは何かあったのか、という表情をしていたけれど、話があると言った私の表情が真剣なのに気付いたのか……静かに今に戻ってきた。

「話とは」
「それ、が……」

 でも、いざ話そうとすると、言葉が出てこない。
 足が治っていることを言って、ならここから出て行けとそう言われたら……。ううん、伊織さんはそんな人じゃない。それに……この数日、一緒に過ごしただけでもこの人がどんなに優しい人なのか知っているじゃない。その優しさに、これ以上付け込んじゃいけない。

「あの! えっと……」
「……ゆっくりでいいですよ」
「え?」
「ゆっくり、あなたが話せるときで大丈夫です。無理、しないで」

 ああ、やっぱり。この人は気付いている。私が、私の足が治っていることに気付いてて、それでも何も言わない私がちゃんと話をするのを待ってくれているんだ。

「足、治療してくれてありがとうございました」
「治療なんて……。薬を塗っただけですから」
「伊織さんのおかげで、すっかりよくなりました」
「それはよかった」
「……それで、これからのことなんですけど……私……」

 覚悟を決めて話し始めたはずなのに、上手く喋れない。このままじゃダメなのに、どうして……。

「……初めて会った日」
「え?」
「初めて会った日に、菫は自分のことを未来から来たんだと、そう言ってましたよね」
「はい」
「あれは本当ですか?」
「本当です」

 信じてもらえないかもしれない。でも、それでも私が違う時代から来たのは本当で、だからこの時代に居場所がなくて、だから……!

「未来の話を聞かせてもらえませんか?」
「え……?」
「菫の話を疑うわけじゃないんですが、やっぱりなかなか信じられなくて」

 それは、そうだろう。私だって自分の身に起きるまではそんなタイムスリップなんて映画や漫画の中にしかない話だと思っていた。でも、今実際に私はタイムスリップしてこの時代に来てしまっているのだ。

「……私が住む時代には」

 何があるのだろう。この時代になくて、私の時代にあるもの。私が違う時代から来たのだと信じてもらえるものは……。

「自動車が走っています」
「自動車? それならこの島ではいませんが、東京に行けば走っていますよ」
「その自動車が一家に一台あります。二台あってお父さんとお母さんがそれぞれ乗ってたりもします」
「それは凄い。自動車は我が家も父が所有していますが、高価なものです」
「それから家も二階建てや三階建ての家がたくさん建っていて……。あとは、なんだろ……」

 自分の生きている時代のことを話すだけなのに、どうしてこんなにも話せないんだろう。当たり前に過ごしていたことを、ボーッと見過ごしてきたのだと思い知らされる。

「……勉強はどうですか?」
「勉強ですか?」
「はい。今の時代は子どもは一部の人しか中等教育やそれ以上の教育を受けることができません。それでも初等教育を受けられる人の数は圧倒的に増えたのですが……」
「私の生きる時代では、十五歳まで義務教育といって全員が学校に行きます。あ、でも義務教育じゃないけど高校もほとんどの人が行くし……大学だって……」
「それは凄い。女の子もですか?」
「はい。私も来年には高校生になって、たぶん大学も行くんじゃないかと……」
「いい時代ですね。そんなふうに教育を受けたいと思う人がみんな学ぶことができる時代が、このあと訪れるんですね」

 そのあとも伊織さんはたくさんのことを聞いた。仕事のことや町のこと、世界についてなど。私に答えられる範囲で答えると伊織さんは喜び、そして目を輝かせた。こんなことならもっとたくさん勉強して答えられるようにしておけばよかったと思うけれど、まあ今更悔やんでも仕方がない。

「あ、そういえば」

 私は動かないので仕方なく箱に入れたままにしていたスマホを取り出した。

「それは?」
「これはスマートフォンって言って……えっと、電話です」
「これが、電話?」

 この時代にそもそも電話というものがあったのだろうか、という不安もあったけれど、意外とすんなり伝わった。私たちの時代にあるものはこの時代にはすでにあったんだなぁと思うとなんだか不思議な感じだ。

「はい。今はつかないんですけど、電源を入れて登録してある番号を押すと電話がかかります。あとメッセージ……手紙も送れます」
「これで手紙を? どこから手紙を入れるのですか?」
「手紙を入れるんじゃなくって、えっと……この機械で文字を打ち込んで、相手が持っているスマホに届けるというか……あ、スマホってスマートフォン、この機械のことです」

 当たり前のことを説明するというのが、こんなにも難しいことだとは……。インターネットに接続して検索もできると言おうと思ったけれど、それはもう言わずにおいておくことにした。だってインターネットって何ですか? って聞かれても上手く答えられる自信がない。

「はー、いろいろと僕が理解できないものがあるんですね」

 でも、私のつたない説明でも伊織さんは十分楽しんでくれたようで、電源の入らないスマホを不思議そうに眺めていた。

「私が違う時代から来たって、信じてもらえましたか?」

 私の問いかけに、伊織さんは優しく微笑んだ。

「疑ってなどはいませんよ」
「え?」
「菫が嘘をつくような子じゃないのは、この数日一緒に生活してきたからわかります」
「伊織さん……」

 でも、じゃあどうして未来の話が聞きたいなんて言ったの……? そんな私の疑問が伝わったのか、伊織さんは口を開いた。

「どうやってこっちに来たか、を知りたかったんです。でも、今の菫の話を聞く限りじゃあ、百年先だと言ってもそんな技術はできてなさそうですし」
「そう、ですね……。タイムマシーンはまだ完成していないんじゃないでしょうか」
「たいむま……え、なんですか?」
「あ、いえ。なんでもないです」

 思わず呟いた単語に、伊織さんは不思議そうに首を傾げる。でも、ここであの有名なアニメの説明をしたところで絶対に伝わらない。なので私は笑ってごまかすことにした。

「よくわかりませんが……。こちらに来た方法がわかれば菫が元に戻る方法もわかるのではないかと思ったのですが……」
「わからないんです……。すみません」
「菫が謝ることじゃないですよ。でも、帰る方法がわからないとなると……」

 伊織さんは何かを考え込むようにブツブツと一人で喋っている。私は……改めて言われた「帰る方法がわからない」という言葉に、胸が痛くなる。
 もう二度と、元の時代には戻れないかもしれない。
 それがこんなにも不安で、心細いことだなんて知らなかった。
 お母さん、椿……。
 私は思わず窓の外を見上げた。そこには百年先と変わらない星空が広がっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

僕とメロス

廃墟文藝部
ライト文芸
「昔、僕の友達に、メロスにそっくりの男がいた。本名は、あえて語らないでおこう。この平成の世に生まれた彼は、時代にそぐわない理想論と正義を語り、その言葉に負けない行動力と志を持ち合わせていた。そこからついたあだ名がメロス。しかしその名は、単なるあだ名ではなく、まさしく彼そのものを表す名前であった」 二年前にこの世を去った僕の親友メロス。 死んだはずの彼から手紙が届いたところから物語は始まる。 手紙の差出人をつきとめるために、僕は、二年前……メロスと共にやっていた映像団体の仲間たちと再会する。料理人の麻子。写真家の悠香。作曲家の樹。そして画家で、当時メロスと交際していた少女、絆。 奇数章で現在、偶数章で過去の話が並行して描かれる全九章の長編小説。 さて、どうしてメロスは死んだのか?

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈 
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

処理中です...