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第三章:まるでベタ凪ぎの日々
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翌日も、そのまた翌日も伊織さんが帰ってくるのをただただ待つ日々を過ごしていた。あまりにも暇な私のために、ノートを一冊と鉛筆を貸してくれたので日記をつけることにした。とはいえ、家の中にいるだけの私に書くような内容はなかったので真っ白なままだった。
少しでも何かできることをと、洗い物とお掃除をする私をもう伊織さんは止めなかった。もしかしたら、足が治っていることに気付いているのかもしれない。
このまま、話をせずにいてもいいのだろうか。いつ気付かれるのかわからない状況でいるのが嫌だ、というよりは……これだけお世話になっているのに、嘘をつき続けている自分自身が許せなかった。
「伊織さん」
「はい、どうかしました?」
「話があるんです」
その日の夜、晩ご飯の片付けが終わったあと、私は自分の部屋に戻ろうとする伊織さんを呼び止めた。伊織さんは何かあったのか、という表情をしていたけれど、話があると言った私の表情が真剣なのに気付いたのか……静かに今に戻ってきた。
「話とは」
「それ、が……」
でも、いざ話そうとすると、言葉が出てこない。
足が治っていることを言って、ならここから出て行けとそう言われたら……。ううん、伊織さんはそんな人じゃない。それに……この数日、一緒に過ごしただけでもこの人がどんなに優しい人なのか知っているじゃない。その優しさに、これ以上付け込んじゃいけない。
「あの! えっと……」
「……ゆっくりでいいですよ」
「え?」
「ゆっくり、あなたが話せるときで大丈夫です。無理、しないで」
ああ、やっぱり。この人は気付いている。私が、私の足が治っていることに気付いてて、それでも何も言わない私がちゃんと話をするのを待ってくれているんだ。
「足、治療してくれてありがとうございました」
「治療なんて……。薬を塗っただけですから」
「伊織さんのおかげで、すっかりよくなりました」
「それはよかった」
「……それで、これからのことなんですけど……私……」
覚悟を決めて話し始めたはずなのに、上手く喋れない。このままじゃダメなのに、どうして……。
「……初めて会った日」
「え?」
「初めて会った日に、菫は自分のことを未来から来たんだと、そう言ってましたよね」
「はい」
「あれは本当ですか?」
「本当です」
信じてもらえないかもしれない。でも、それでも私が違う時代から来たのは本当で、だからこの時代に居場所がなくて、だから……!
「未来の話を聞かせてもらえませんか?」
「え……?」
「菫の話を疑うわけじゃないんですが、やっぱりなかなか信じられなくて」
それは、そうだろう。私だって自分の身に起きるまではそんなタイムスリップなんて映画や漫画の中にしかない話だと思っていた。でも、今実際に私はタイムスリップしてこの時代に来てしまっているのだ。
「……私が住む時代には」
何があるのだろう。この時代になくて、私の時代にあるもの。私が違う時代から来たのだと信じてもらえるものは……。
「自動車が走っています」
「自動車? それならこの島ではいませんが、東京に行けば走っていますよ」
「その自動車が一家に一台あります。二台あってお父さんとお母さんがそれぞれ乗ってたりもします」
「それは凄い。自動車は我が家も父が所有していますが、高価なものです」
「それから家も二階建てや三階建ての家がたくさん建っていて……。あとは、なんだろ……」
自分の生きている時代のことを話すだけなのに、どうしてこんなにも話せないんだろう。当たり前に過ごしていたことを、ボーッと見過ごしてきたのだと思い知らされる。
「……勉強はどうですか?」
「勉強ですか?」
「はい。今の時代は子どもは一部の人しか中等教育やそれ以上の教育を受けることができません。それでも初等教育を受けられる人の数は圧倒的に増えたのですが……」
「私の生きる時代では、十五歳まで義務教育といって全員が学校に行きます。あ、でも義務教育じゃないけど高校もほとんどの人が行くし……大学だって……」
「それは凄い。女の子もですか?」
「はい。私も来年には高校生になって、たぶん大学も行くんじゃないかと……」
「いい時代ですね。そんなふうに教育を受けたいと思う人がみんな学ぶことができる時代が、このあと訪れるんですね」
そのあとも伊織さんはたくさんのことを聞いた。仕事のことや町のこと、世界についてなど。私に答えられる範囲で答えると伊織さんは喜び、そして目を輝かせた。こんなことならもっとたくさん勉強して答えられるようにしておけばよかったと思うけれど、まあ今更悔やんでも仕方がない。
「あ、そういえば」
私は動かないので仕方なく箱に入れたままにしていたスマホを取り出した。
「それは?」
「これはスマートフォンって言って……えっと、電話です」
「これが、電話?」
この時代にそもそも電話というものがあったのだろうか、という不安もあったけれど、意外とすんなり伝わった。私たちの時代にあるものはこの時代にはすでにあったんだなぁと思うとなんだか不思議な感じだ。
「はい。今はつかないんですけど、電源を入れて登録してある番号を押すと電話がかかります。あとメッセージ……手紙も送れます」
「これで手紙を? どこから手紙を入れるのですか?」
「手紙を入れるんじゃなくって、えっと……この機械で文字を打ち込んで、相手が持っているスマホに届けるというか……あ、スマホってスマートフォン、この機械のことです」
当たり前のことを説明するというのが、こんなにも難しいことだとは……。インターネットに接続して検索もできると言おうと思ったけれど、それはもう言わずにおいておくことにした。だってインターネットって何ですか? って聞かれても上手く答えられる自信がない。
「はー、いろいろと僕が理解できないものがあるんですね」
でも、私のつたない説明でも伊織さんは十分楽しんでくれたようで、電源の入らないスマホを不思議そうに眺めていた。
「私が違う時代から来たって、信じてもらえましたか?」
私の問いかけに、伊織さんは優しく微笑んだ。
「疑ってなどはいませんよ」
「え?」
「菫が嘘をつくような子じゃないのは、この数日一緒に生活してきたからわかります」
「伊織さん……」
でも、じゃあどうして未来の話が聞きたいなんて言ったの……? そんな私の疑問が伝わったのか、伊織さんは口を開いた。
「どうやってこっちに来たか、を知りたかったんです。でも、今の菫の話を聞く限りじゃあ、百年先だと言ってもそんな技術はできてなさそうですし」
「そう、ですね……。タイムマシーンはまだ完成していないんじゃないでしょうか」
「たいむま……え、なんですか?」
「あ、いえ。なんでもないです」
思わず呟いた単語に、伊織さんは不思議そうに首を傾げる。でも、ここであの有名なアニメの説明をしたところで絶対に伝わらない。なので私は笑ってごまかすことにした。
「よくわかりませんが……。こちらに来た方法がわかれば菫が元に戻る方法もわかるのではないかと思ったのですが……」
「わからないんです……。すみません」
「菫が謝ることじゃないですよ。でも、帰る方法がわからないとなると……」
伊織さんは何かを考え込むようにブツブツと一人で喋っている。私は……改めて言われた「帰る方法がわからない」という言葉に、胸が痛くなる。
もう二度と、元の時代には戻れないかもしれない。
それがこんなにも不安で、心細いことだなんて知らなかった。
お母さん、椿……。
私は思わず窓の外を見上げた。そこには百年先と変わらない星空が広がっていた。
少しでも何かできることをと、洗い物とお掃除をする私をもう伊織さんは止めなかった。もしかしたら、足が治っていることに気付いているのかもしれない。
このまま、話をせずにいてもいいのだろうか。いつ気付かれるのかわからない状況でいるのが嫌だ、というよりは……これだけお世話になっているのに、嘘をつき続けている自分自身が許せなかった。
「伊織さん」
「はい、どうかしました?」
「話があるんです」
その日の夜、晩ご飯の片付けが終わったあと、私は自分の部屋に戻ろうとする伊織さんを呼び止めた。伊織さんは何かあったのか、という表情をしていたけれど、話があると言った私の表情が真剣なのに気付いたのか……静かに今に戻ってきた。
「話とは」
「それ、が……」
でも、いざ話そうとすると、言葉が出てこない。
足が治っていることを言って、ならここから出て行けとそう言われたら……。ううん、伊織さんはそんな人じゃない。それに……この数日、一緒に過ごしただけでもこの人がどんなに優しい人なのか知っているじゃない。その優しさに、これ以上付け込んじゃいけない。
「あの! えっと……」
「……ゆっくりでいいですよ」
「え?」
「ゆっくり、あなたが話せるときで大丈夫です。無理、しないで」
ああ、やっぱり。この人は気付いている。私が、私の足が治っていることに気付いてて、それでも何も言わない私がちゃんと話をするのを待ってくれているんだ。
「足、治療してくれてありがとうございました」
「治療なんて……。薬を塗っただけですから」
「伊織さんのおかげで、すっかりよくなりました」
「それはよかった」
「……それで、これからのことなんですけど……私……」
覚悟を決めて話し始めたはずなのに、上手く喋れない。このままじゃダメなのに、どうして……。
「……初めて会った日」
「え?」
「初めて会った日に、菫は自分のことを未来から来たんだと、そう言ってましたよね」
「はい」
「あれは本当ですか?」
「本当です」
信じてもらえないかもしれない。でも、それでも私が違う時代から来たのは本当で、だからこの時代に居場所がなくて、だから……!
「未来の話を聞かせてもらえませんか?」
「え……?」
「菫の話を疑うわけじゃないんですが、やっぱりなかなか信じられなくて」
それは、そうだろう。私だって自分の身に起きるまではそんなタイムスリップなんて映画や漫画の中にしかない話だと思っていた。でも、今実際に私はタイムスリップしてこの時代に来てしまっているのだ。
「……私が住む時代には」
何があるのだろう。この時代になくて、私の時代にあるもの。私が違う時代から来たのだと信じてもらえるものは……。
「自動車が走っています」
「自動車? それならこの島ではいませんが、東京に行けば走っていますよ」
「その自動車が一家に一台あります。二台あってお父さんとお母さんがそれぞれ乗ってたりもします」
「それは凄い。自動車は我が家も父が所有していますが、高価なものです」
「それから家も二階建てや三階建ての家がたくさん建っていて……。あとは、なんだろ……」
自分の生きている時代のことを話すだけなのに、どうしてこんなにも話せないんだろう。当たり前に過ごしていたことを、ボーッと見過ごしてきたのだと思い知らされる。
「……勉強はどうですか?」
「勉強ですか?」
「はい。今の時代は子どもは一部の人しか中等教育やそれ以上の教育を受けることができません。それでも初等教育を受けられる人の数は圧倒的に増えたのですが……」
「私の生きる時代では、十五歳まで義務教育といって全員が学校に行きます。あ、でも義務教育じゃないけど高校もほとんどの人が行くし……大学だって……」
「それは凄い。女の子もですか?」
「はい。私も来年には高校生になって、たぶん大学も行くんじゃないかと……」
「いい時代ですね。そんなふうに教育を受けたいと思う人がみんな学ぶことができる時代が、このあと訪れるんですね」
そのあとも伊織さんはたくさんのことを聞いた。仕事のことや町のこと、世界についてなど。私に答えられる範囲で答えると伊織さんは喜び、そして目を輝かせた。こんなことならもっとたくさん勉強して答えられるようにしておけばよかったと思うけれど、まあ今更悔やんでも仕方がない。
「あ、そういえば」
私は動かないので仕方なく箱に入れたままにしていたスマホを取り出した。
「それは?」
「これはスマートフォンって言って……えっと、電話です」
「これが、電話?」
この時代にそもそも電話というものがあったのだろうか、という不安もあったけれど、意外とすんなり伝わった。私たちの時代にあるものはこの時代にはすでにあったんだなぁと思うとなんだか不思議な感じだ。
「はい。今はつかないんですけど、電源を入れて登録してある番号を押すと電話がかかります。あとメッセージ……手紙も送れます」
「これで手紙を? どこから手紙を入れるのですか?」
「手紙を入れるんじゃなくって、えっと……この機械で文字を打ち込んで、相手が持っているスマホに届けるというか……あ、スマホってスマートフォン、この機械のことです」
当たり前のことを説明するというのが、こんなにも難しいことだとは……。インターネットに接続して検索もできると言おうと思ったけれど、それはもう言わずにおいておくことにした。だってインターネットって何ですか? って聞かれても上手く答えられる自信がない。
「はー、いろいろと僕が理解できないものがあるんですね」
でも、私のつたない説明でも伊織さんは十分楽しんでくれたようで、電源の入らないスマホを不思議そうに眺めていた。
「私が違う時代から来たって、信じてもらえましたか?」
私の問いかけに、伊織さんは優しく微笑んだ。
「疑ってなどはいませんよ」
「え?」
「菫が嘘をつくような子じゃないのは、この数日一緒に生活してきたからわかります」
「伊織さん……」
でも、じゃあどうして未来の話が聞きたいなんて言ったの……? そんな私の疑問が伝わったのか、伊織さんは口を開いた。
「どうやってこっちに来たか、を知りたかったんです。でも、今の菫の話を聞く限りじゃあ、百年先だと言ってもそんな技術はできてなさそうですし」
「そう、ですね……。タイムマシーンはまだ完成していないんじゃないでしょうか」
「たいむま……え、なんですか?」
「あ、いえ。なんでもないです」
思わず呟いた単語に、伊織さんは不思議そうに首を傾げる。でも、ここであの有名なアニメの説明をしたところで絶対に伝わらない。なので私は笑ってごまかすことにした。
「よくわかりませんが……。こちらに来た方法がわかれば菫が元に戻る方法もわかるのではないかと思ったのですが……」
「わからないんです……。すみません」
「菫が謝ることじゃないですよ。でも、帰る方法がわからないとなると……」
伊織さんは何かを考え込むようにブツブツと一人で喋っている。私は……改めて言われた「帰る方法がわからない」という言葉に、胸が痛くなる。
もう二度と、元の時代には戻れないかもしれない。
それがこんなにも不安で、心細いことだなんて知らなかった。
お母さん、椿……。
私は思わず窓の外を見上げた。そこには百年先と変わらない星空が広がっていた。
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