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第六章:小さな月を手にして

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 レイ君の元に行かなくなって5日が経った。けれど行くところのない私は今日も一人、土手に座って鉄橋にいるレイ君を見つめていた。レイ君はここからでもわかるほど、顔色が悪くなっていた。以前よりも透明度が増して、まるでもうすぐ消えてしまいそうなほど――。

「そんなこと、ない」

 自分の考えに、背筋が寒くなる。レイ君が消えるなんて、そんなこと。
 私は首を振ると、何か違うことを考えようと辺りを見回す。そして視線の先に、この間見つけた何かを捉えた。それは相変わらずボルトに引っかかるようにしてそこにあった。でも、この間と違うのは……それが少しずつボルトから落ちそうになって行っていることだった。

「そういえば、似てるかもしれない」

 少し離れたところにあるからよくわからないけれど、この間買ったストラップと似ている気がした。
 もしかしたら、という気持ちがあった。あそこなら、土手の一番下まで降りて手を伸ばせば届くかもしれない。
 そう思ったら、もう止められなかった。私は転げ落ちないようにバランスを取りながら土手を下る。一番下から見たそれは、やっぱり私が持っているストラップとよく似ていた。でも、土手の上から見たときよりも実際の場所は遠かった。あれじゃ、いくら手を伸ばしたところで……。

「ううん、やってみなくちゃわからないよ」
 
 落ちないように、そっと手を伸ばす。もう少し、もう少しだけ……。

「あっ!」

 あと少しだけ――そう思って背伸びをして手を伸ばしたその瞬間、身体がグラッと傾くのを感じ、そしてまるでスローモーションのように水面が近づいてくるのが見えた。
 落ちる! そう思うのと同時に、誰かが私の身体を掴んだ。

「危ない!!」
「あっ……あの時の、お兄さん?」
「どうして君は、僕が通りがかるたびに川に落ちようとしてるんだ。……それに、よりにもよってこの川に。まさかと思うけど、飛び込もうとしたんじゃ」
「あ、いえ。そ、そういうんじゃなくて」

 何がそう言うんじゃなくて、なのか。実際に鉄橋からこの川に飛び込もうとしたことはあったし、なんなら数日後にもそうするつもりなのに。
 でも、焦った様子で私を酷く心配してくれている目の前のお兄さんに、そんなことを言えるはずもなかった。

「なら、いいんだけど。で、飛び込もうとしてたんじゃなければ何をしようとしてたの?」
「あの、あそこに何かが引っかかってるの見えますか?」
「え? あそこ? ……っ!」
「ちょ、ちょっと!? なにして……」

 私が指さす方を見た瞬間、お兄さんの顔色が変わったのがわかった。そして、私が止める間もなくその人は川に足を踏み入れた。ここの川は浅瀬から少し行くとすぐに深くなる。そのせいで、すぐにお兄さんは胸の辺りまで水に浸かってしまう。

「だ、ダメですって! ここ、川の流れが急で危ないから」
「知ってる」
「知ってるんだったら余計に……」
「大丈夫だから」

 転けないように、慎重にお兄さんは進むと、橋脚までたどり着いた。そして手を伸ばし、少し上のボルトに引っかかっていたものを手に取った。
 そしてそれを、大事そうに手に握りしめると行きと同じようにゆっくりと戻ってくる。

「大丈夫ですか?」
「ああ。……ごめん、そこの鞄からハンカチだしてもらっていいかな」
「は、はい」

 土手の途中に放り投げられていた鞄からハンカチを取り出すと、お兄さんに渡す。でも、ハンカチで拭けるようなそんな程度じゃなくて、お兄さんは苦笑いを浮かべた。

「これは一度帰らないと無理だな」
「急に川の中に入っていくからどうしたのかと思いました」
「ビックリさせてごめんね。これを、どうしても取りたくて」
「それって」

 お兄さんの手の中にあったのは、私の持っているストラップとよく似たものだった。私のは空色だったビー玉が、お兄さんが持っているのは銀色で、まるで月のように見える。
 でも、どうしてこれを……?

「これは、僕の親友の、遠矢のものなんだ」
「え……?」

 お兄さんの、親友……?
 まさか、その親友って……。

「修学旅行に行った先で、二人で買ったんだ。僕は太陽を、遠矢は月をモチーフにしたストラップを。願掛けだったんだ。いつか二人の夢が叶いますようにって」
「そ、の人、は……」

 声が震える。もしかして、とまさか、が頭の中をぐるぐるする。
 私の問いかけに、その人は一瞬表情をゆがませたあと、顔を上げて鉄橋を見上げた。

「あそこから――。いじめられていた、僕を庇ってあいつが……」
「そん、な……」
「ああ、ごめん。こんなショッキングな話……」

 私は必死に首を振る。そうじゃない、そうじゃないんです。
 でも、私がショックを受けたと思ったお兄さんは優しく微笑んだ。

「ごめんね……。でも、だからこの川に飛び込もうとしているように見えた君を見てられなかったんだ。あのとき、僕は遠矢を助けることができずに、あの橋から落ちていくのを止められなかったから」

 その通りだと責め立てたかった。レイ君を返してと、どうして助けてあげなかったんだと泣きわめいて責めて責めて、レイ君に向かって跪いて謝らせたかった。
 でも……。
 目の前で、自責の念に駆られ、涙を流すお兄さんを見て、私は首を振った。
 きっと、レイ君自身がそんなこと望んでいないから。
 
「お兄さんの、せいじゃないですよ。悪いのはいじめた奴で、だから……」
「違う、僕のせいだ! 僕が……弱くて……あいつが僕の代わりにいじめられてるのに気づいてたのに、何もできなかった。あの日も、僕がもっと早く気づいていれば! 遠矢はあんなところから冷たい水面に飛び込まずにすんだのに!!」

 レイ君の最期の瞬間を、あまりにもリアルに感じてしまって――気づけば私は泣いていた。
 しばらくお互いに何も言うことなく水面を見つめ続け、そして小さなくしゃみをしたあと、お兄さんが立ち上がった。

「今日はもう帰るよ。……これ、見つけてやってくれてありがとう。明日、遠矢に渡してくる」
「渡し、て……?」

 その言い方が妙に引っかかった。墓前に置いてくると、そういう意味だろうか。いや、でも、まさか。

「あの、遠矢さんって死んじゃったんですよね……? あの橋の上から自殺して……」
「バカなこと言うな! あいつは生きてる。今も、頑張ってるんだ! それに、あれは自殺なんかじゃない!」
「え……」

 お兄さんの言葉があまりにも衝撃的で、私は何も言えなくなった。
 レイ君が、生きている……? 自殺じゃない……? まさか、そんな。
 やっぱり私が知っているレイ君とこの人が言っている人は別人なんだろうか。たまたまたストラップっていう共通点があっただけで。
 でも、もしも、もしも本当にレイ君が生きているのだとしたら……!

「あ、の」
「ん?」
「それ、届けに行くの、私も一緒に行って、いいですか……?」

 目の前でお兄さんが怪訝そうな表情を浮かべるのが見えた。でも、今の私には人にどう思われようがもうどうでもよかった。
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