上 下
8 / 38
第二章:晴天の心に雨が降る

2-4

しおりを挟む


 いつもとは違う服装にどこか気恥ずかしさと照れくささを感じながらも、足取り軽く鉄橋へと向かった。
 コツンコツンとアスファルトを鳴らす足音さえいつもより浮かれている気がする。レイ君はどんな反応をするだろうか。似合ってるって言ってくれるかな。もしかして可愛いなんて言われるかも知れない。
 そんな甘い考えが頭をよぎるほど、新しく買った服に心を躍らせていた。でも、鉄橋が近づくにつれドキドキは不安になり、マイナスの感情に襲われていく。そして、それは鉄橋に近づいた瞬間、現実のものとなった。
 ほとんど車が通ることない土手を一人歩く。右手に鉄橋が見えて、橋の一番奥の定位置にレイ君はいた。でも、レイ君は私に気づくことなくボーッとどこか遠くを見つめ続けている。いつ気づいてくれるだろう、いつ気づかれるだろう。ドキドキと不安が混じったまま歩き続けた。けれど結局、気づかれることはないまま橋のたもとへとたどり着いてしまった。

「あ……」

 その瞬間、レイ君がこちらを向いた。
 でも、レイ君は――私を見ても何を言うわけでなく、まるでそこに私なんていないかのように視線をそらした。
 その仕草に、私の心が冷たくなるのを感じた。  ショック、よりも苛立ちを覚えた。昨日はあんなこと言ってたくせに、本当に私が着てきたらこんな態度を取るなんて。

「レイ君!」

 だから私は、わざと大きく足音を立てながら鉄橋を歩くと、苛立ちを込めた声でレイ君を呼んだ。私の声に、レイ君は少し驚いたような表情を浮かべてこちらを見る。そして。

「へー」                                                                 
「なに」
「いや、似合うなって思って」

 小花が散ったスミレ色のワンピースと白のカーディガンに身を包んだ私を、レイ君はジロジロと見てくる。さっきまであんなに怒っていたはずなのに、レイ君に見られただけで恥ずかしいなんてどうかしてる。でも、レイ君の視線が妙に恥ずかしくて、そして先ほどまで苛立ちを感じていたくせにこんなにもドキドキしてしまう自分が腹立たしくて私は顔を背けると、ふんと鼻を鳴らした。

「嘘ばっかり。ホントは似合ってないって思ってるんでしょ」
「なんで嘘つくのさ。よく似合ってるから似合ってるって言ってるんだよ。昨日来てた制服よりもずいぶんと二葉らしい」
「……ホントに?」
「本当だよ。自信を持って。そっちの方が、俺は好きだよ」
「すっ……!」

 レイ君の言葉に、思わずドギマギしてしまう。けれど、そんな私をレイ君はなんにも考えていないような顔で「ん?」と言ってこちらを見る。その姿に私は肩をすくめた。

「なんでもない! ……ありがと」

 私らしいと言ってくれたレイ君の言葉が嬉しくて、私は素直にお礼を言った。そんな私をレイ君は笑顔を浮かべて見つめていた。
 レイ君のその表情がなんだか悔しくて、私はわざとらしく笑顔を浮かべた。

「っ……でも、そんなこと言って私だって気づかなかったんじゃない?」
「どういうこと?」「まあたしかに? 見違えちゃったから気づかなかったのも無理ないかも知れないけど」
「だから何の話?」
「……さっき、私がレイ君の名前を呼ぶ前に目が合ったのに気づかなかったでしょ? だから」

 こんなことを言ってしまうなんて私は意地悪だ。気づかなかったものは気づかなかったんだから仕方ないじゃないか。そう思う心と、それでも気づいてほしかったという気持ちがせめぎ合う。けど、自分でも不思議に思う。今までならきっと気づかれなかったのも目をそらされたのも仕方ないで済ませられていた。私なんかに気づかなくても仕方ない。私なんか、私なんてって。なのに、レイ君にはそう思われたくないと、そう思うのはどうしてだろう。
 けれどレイ君はそんな私の気持ちなんて知るよしもなく、キョトンとした表情を浮かべながら首をかしげた。

「目、合った? いつ?」
「鉄橋のたもとあたり」
「あー、もしかしてそのとき二葉って土手の方にいた? 鉄橋の上じゃなくて」
「え? あ、うん。たしかそうだったと思う」

 そんな些細な違いがなんだと言うのか。そう思いつつも、つい素直に頷いてしまう。そんな私にレイ君は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
 
「そっか、じゃあごめんね。見えてなかったんだと思う」
「でも、私の方からレイ君の姿は――」
「俺、この橋の向こうにいる人のこと見えないんだ」

 レイ君は私の言葉を遮ると困ったように笑った。

「どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ」
「バカにしてる?」

 私からレイ君が見えていたのに、レイ君から見えていないなんてそんなことあるわけがない。嘘をつくならもう少しマシな嘘をついてほしい。そうしたら二回も傷つかずにすんだのに。
 そこまで考えて、私は気づいた。先ほどのレイ君の行動に、私は傷ついていたんだと。レイ君に無視されて、傷ついたんだ。そして今、こんな見え透いた嘘をつかれて。
 だから悲しかったし腹立たしかったんだ。出会ってまだ数日しか経っていないのに、思った以上に私の中でレイ君の存在が大きくなっていたことに驚く。
 でもレイ君はそんな私に首を振ると諭すように優しく言った。

「バカになんてしてないよ。そのまんまの意味さ。この橋の向こうを歩いている人の存在を俺は認識することができない。景色の中にもやがかかったみたいになってて誰がいるのかわからないんだ」
「ホントに? どうしてそんな……」
「わからない。でも、俺が認識できるのはこの橋の上にいる人だけなんだ。橋の向こうにいる人のことは気づくことすらできない。そして、ここから出て行こうとしても見えない壁のようなものに遮られる。ここに閉じ込められてるようなものだね」      

 レイ君の言葉に『地縛霊』という単語が思い浮かんだ。死んだ場所から動けない霊。レイ君はそれなのかもしれない。だからこの橋から動くこともできなければ、橋の向こうに干渉することもできないのかもしれない。
 
「幽霊の俺と、生きている人を遮る壁なのかも知れない。本来ここに存在しちゃいけない俺を遮るための」
「じゃあ、私がこの橋から出て行ったらもう私のことは見えないってこと?」
「そういうこと」

 そんなことあり得るんだろうか。……でも、レイ君が嘘をついているようには見えない。と、いうかあり得るあり得ないでいえばレイ君の存在がそもそもあり得ないんだから考えたって仕方がないのかも知れない。

「だから橋の向こうから二葉が手を振ってくれたとしても、俺には見えないんだ」
「そっか。……レイ君に無視されたのかと思っちゃった」
「俺が? 二葉を? そんなことするわけないじゃん」

 ふっと笑うレイ君の笑顔に、優しさにほんの少し胸が高鳴るのを感じる。その口調があまりにもそうするのが当たり前のようで、それ以外の答えなんてないというように感じられて……それが凄く嬉しかった。
 レイ君はどうしてこんなにも私がほしい言葉をくれるのだろうか。――その言葉をかけてほしかった人たちは、決して与えてくれなかったのに。

「レイ君は優しいね」
「そうかな? 前にここで会った人には『君は今まで出会ったどの人間よりも冷たい』って言われたよ」
「え……?」
「なんでもない。ああ、ほらもう日が暮れるよ。だんだんと日が暮れるのが早くなってきたね」
 山の向こうに沈み始めた太陽はどこか寂しげに見える。そして、その光に照らされたレイ君の顔も。

「……明日も来ていい?」

 思わず、そう呟いていた。
 私の言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべた後、レイ君は嬉しそうに「待ってる」と言って微笑んだ。
 私以外のために回っていると思っていた世界で、私のことを見つけてくれたレイ君。死ぬまでの間、彼と過ごすのも悪くないと、改めて私はそう思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

ライト文芸
《5/31 その後のお話の更新を始めました》 私は―― 気付けばずっと、孤独だった。 いつも心は寂しくて。その寂しさから目を逸らすように生きていた。 僕は―― 気付けばずっと、苦しい日々だった。 それでも、自分の人生を恨んだりはしなかった。恨んだところで、別の人生をやり直せるわけでもない。 そう思っていた。そう、思えていたはずだった――。 孤独な男女の、静かで哀しい出会いと関わり。 そこから生まれたのは、慰め? 居場所? それともーー。 "キミの孤独を利用したんだ" ※注意……暗いです。かつ、禁断要素ありです。 以前他サイトにて掲載しておりましたものを、修正しております。

だからって、言えるわけないだろ

フドワーリ 野土香
ライト文芸
〈あらすじ〉 谷口夏芽(28歳)は、大学からの親友美佳の結婚式の招待状を受け取っていた。 夏芽は今でもよく大学の頃を思い出す。なぜなら、その当時夏芽だけにしか見えない男の子がいたからだ。 大学生になって出会ったのは、同じ大学で共に学ぶはずだった男の子、橘翔だった。 翔は入学直前に交通事故でこの世を去ってしまった。 夏芽と翔は特別知り合いでもなく無関係なのに、なぜだか夏芽だけに翔が見えてしまう。 成仏できない理由はやり残した後悔が原因ではないのか、と夏芽は翔のやり残したことを手伝おうとする。 果たして翔は成仏できたのか。大人になった夏芽が大学時代を振り返るのはなぜか。 現在と過去が交差する、恋と友情のちょっと不思議な青春ファンタジー。 〈主要登場人物〉 谷口夏芽…一番の親友桃香を事故で亡くして以来、夏芽は親しい友達を作ろうとしなかった。不器用でなかなか素直になれない性格。 橘翔…大学入学を目前に、親友真一と羽目を外しすぎてしまいバイク事故に遭う。真一は助かり、翔だけがこの世を去ってしまう。 美佳…夏芽とは大学の頃からの友達。イケメン好きで大学の頃はころころ彼氏が変わっていた。 真一…翔の親友。事故で目を負傷し、ドナー登録していた翔から眼球を譲られる。翔を失ったショックから、大学では地味に過ごしていた。 桃香…夏芽の幼い頃からの親友。すべてが完璧で、夏芽はずっと桃香に嫉妬していた。中学のとき、信号無視の車とぶつかりこの世を去る。

月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの
ライト文芸
北関東のとある地方都市に住む双子の姉妹の物語。 妹の月姫(ルナ)は父親が経営するコンビニでアルバイトしながら高校に通っていた。彼女は双子の姉に対する強いコンプレックスがあり、それを払拭することがどうしてもできなかった。あるとき、月姫(ルナ)はある兄妹と出会うのだが……。 姉の裏月(ヘカテー)は実家を飛び出してバンド活動に明け暮れていた。クセの強いバンドメンバー、クリスチャンの友人、退学した高校の悪友。そんな個性が強すぎる面々と絡んでいく。ある日彼女のバンド活動にも転機が訪れた……。 月姫(ルナ)と裏月(ヘカテー)の姉妹の物語が各章ごとに交錯し、ある結末へと向かう。

白雪姫は処女雪を鮮血に染める

かみゅG
ライト文芸
 美しい母だった。  常に鏡を見て、自分の美しさを保っていた。  優しい父だった。  自分の子供に対してだけでなく、どの子供に対しても優しかった。  私は王女だった。  美しい母と優しい父を両親に持つ、この国のお姫様だった。  私は白雪姫と呼ばれた。  白い雪のような美しさを褒めた呼び名か、白い雪のように何も知らない無知を貶した呼び名か、どちらかは知らない。  でも私は、林檎を食べた直後に、口から溢れ出す血の理由を知っていた。  白雪姫は誰に愛され誰を愛したのか?  その答えが出たとき、彼女は処女雪を鮮血に染める。

旧・革命(『文芸部』シリーズ)

Aoi
ライト文芸
「マシロは私が殺したんだ。」マシロの元バンドメンバー苅谷緑はこの言葉を残してライブハウスを去っていった。マシロ自殺の真相を知るため、ヒマリたち文芸部は大阪に向かう。マシロが残した『最期のメッセージ』とは? 『透明少女』の続編。『文芸部』シリーズ第2弾!

野良インコと元飼主~山で高校生活送ります~

浅葱
ライト文芸
小学生の頃、不注意で逃がしてしまったオカメインコと山の中の高校で再会した少年。 男子高校生たちと生き物たちのわちゃわちゃ青春物語、ここに開幕! オカメインコはおとなしく臆病だと言われているのに、再会したピー太は目つきも鋭く凶暴になっていた。 学校側に乞われて男子校の治安維持部隊をしているピー太。 ピー太、お前はいったいこの学校で何をやってるわけ? 頭がよすぎるのとサバイバル生活ですっかり強くなったオカメインコと、 なかなか背が伸びなくてちっちゃいとからかわれる高校生男子が織りなす物語です。 周りもなかなか個性的ですが、主人公以外にはBLっぽい内容もありますのでご注意ください。(主人公はBLになりません) ハッピーエンドです。R15は保険です。 表紙の写真は写真ACさんからお借りしました。

デッドライン

もちっぱち
ライト文芸
破壊の先に何があるか 国からの指示で  家電や家の全てのものを没収された とある村での話。 全部失った先に何が出来るか ありそうでなかった リセットされた世界で 生きられるか フィクション ストーリー

それでも日は昇る

阿部梅吉
ライト文芸
目つきが悪く、高校に入ってから友人もできずに本ばかり読んですごしていた「日向」はある日、クラスの優等生にとある原稿用紙を渡される。それは同年代の「鈴木」が書いた、一冊の小説だった。物語を読むとは何か、物語を書くとは何か、物語とは何か、全ての物語が好きな人に捧げる文芸部エンタメ小説。

処理中です...