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第二章:晴天の心に雨が降る
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しおりを挟むいつもとは違う服装にどこか気恥ずかしさと照れくささを感じながらも、足取り軽く鉄橋へと向かった。
コツンコツンとアスファルトを鳴らす足音さえいつもより浮かれている気がする。レイ君はどんな反応をするだろうか。似合ってるって言ってくれるかな。もしかして可愛いなんて言われるかも知れない。
そんな甘い考えが頭をよぎるほど、新しく買った服に心を躍らせていた。でも、鉄橋が近づくにつれドキドキは不安になり、マイナスの感情に襲われていく。そして、それは鉄橋に近づいた瞬間、現実のものとなった。
ほとんど車が通ることない土手を一人歩く。右手に鉄橋が見えて、橋の一番奥の定位置にレイ君はいた。でも、レイ君は私に気づくことなくボーッとどこか遠くを見つめ続けている。いつ気づいてくれるだろう、いつ気づかれるだろう。ドキドキと不安が混じったまま歩き続けた。けれど結局、気づかれることはないまま橋のたもとへとたどり着いてしまった。
「あ……」
その瞬間、レイ君がこちらを向いた。
でも、レイ君は――私を見ても何を言うわけでなく、まるでそこに私なんていないかのように視線をそらした。
その仕草に、私の心が冷たくなるのを感じた。 ショック、よりも苛立ちを覚えた。昨日はあんなこと言ってたくせに、本当に私が着てきたらこんな態度を取るなんて。
「レイ君!」
だから私は、わざと大きく足音を立てながら鉄橋を歩くと、苛立ちを込めた声でレイ君を呼んだ。私の声に、レイ君は少し驚いたような表情を浮かべてこちらを見る。そして。
「へー」
「なに」
「いや、似合うなって思って」
小花が散ったスミレ色のワンピースと白のカーディガンに身を包んだ私を、レイ君はジロジロと見てくる。さっきまであんなに怒っていたはずなのに、レイ君に見られただけで恥ずかしいなんてどうかしてる。でも、レイ君の視線が妙に恥ずかしくて、そして先ほどまで苛立ちを感じていたくせにこんなにもドキドキしてしまう自分が腹立たしくて私は顔を背けると、ふんと鼻を鳴らした。
「嘘ばっかり。ホントは似合ってないって思ってるんでしょ」
「なんで嘘つくのさ。よく似合ってるから似合ってるって言ってるんだよ。昨日来てた制服よりもずいぶんと二葉らしい」
「……ホントに?」
「本当だよ。自信を持って。そっちの方が、俺は好きだよ」
「すっ……!」
レイ君の言葉に、思わずドギマギしてしまう。けれど、そんな私をレイ君はなんにも考えていないような顔で「ん?」と言ってこちらを見る。その姿に私は肩をすくめた。
「なんでもない! ……ありがと」
私らしいと言ってくれたレイ君の言葉が嬉しくて、私は素直にお礼を言った。そんな私をレイ君は笑顔を浮かべて見つめていた。
レイ君のその表情がなんだか悔しくて、私はわざとらしく笑顔を浮かべた。
「っ……でも、そんなこと言って私だって気づかなかったんじゃない?」
「どういうこと?」「まあたしかに? 見違えちゃったから気づかなかったのも無理ないかも知れないけど」
「だから何の話?」
「……さっき、私がレイ君の名前を呼ぶ前に目が合ったのに気づかなかったでしょ? だから」
こんなことを言ってしまうなんて私は意地悪だ。気づかなかったものは気づかなかったんだから仕方ないじゃないか。そう思う心と、それでも気づいてほしかったという気持ちがせめぎ合う。けど、自分でも不思議に思う。今までならきっと気づかれなかったのも目をそらされたのも仕方ないで済ませられていた。私なんかに気づかなくても仕方ない。私なんか、私なんてって。なのに、レイ君にはそう思われたくないと、そう思うのはどうしてだろう。
けれどレイ君はそんな私の気持ちなんて知るよしもなく、キョトンとした表情を浮かべながら首をかしげた。
「目、合った? いつ?」
「鉄橋のたもとあたり」
「あー、もしかしてそのとき二葉って土手の方にいた? 鉄橋の上じゃなくて」
「え? あ、うん。たしかそうだったと思う」
そんな些細な違いがなんだと言うのか。そう思いつつも、つい素直に頷いてしまう。そんな私にレイ君は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そっか、じゃあごめんね。見えてなかったんだと思う」
「でも、私の方からレイ君の姿は――」
「俺、この橋の向こうにいる人のこと見えないんだ」
レイ君は私の言葉を遮ると困ったように笑った。
「どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ」
「バカにしてる?」
私からレイ君が見えていたのに、レイ君から見えていないなんてそんなことあるわけがない。嘘をつくならもう少しマシな嘘をついてほしい。そうしたら二回も傷つかずにすんだのに。
そこまで考えて、私は気づいた。先ほどのレイ君の行動に、私は傷ついていたんだと。レイ君に無視されて、傷ついたんだ。そして今、こんな見え透いた嘘をつかれて。
だから悲しかったし腹立たしかったんだ。出会ってまだ数日しか経っていないのに、思った以上に私の中でレイ君の存在が大きくなっていたことに驚く。
でもレイ君はそんな私に首を振ると諭すように優しく言った。
「バカになんてしてないよ。そのまんまの意味さ。この橋の向こうを歩いている人の存在を俺は認識することができない。景色の中にもやがかかったみたいになってて誰がいるのかわからないんだ」
「ホントに? どうしてそんな……」
「わからない。でも、俺が認識できるのはこの橋の上にいる人だけなんだ。橋の向こうにいる人のことは気づくことすらできない。そして、ここから出て行こうとしても見えない壁のようなものに遮られる。ここに閉じ込められてるようなものだね」
レイ君の言葉に『地縛霊』という単語が思い浮かんだ。死んだ場所から動けない霊。レイ君はそれなのかもしれない。だからこの橋から動くこともできなければ、橋の向こうに干渉することもできないのかもしれない。
「幽霊の俺と、生きている人を遮る壁なのかも知れない。本来ここに存在しちゃいけない俺を遮るための」
「じゃあ、私がこの橋から出て行ったらもう私のことは見えないってこと?」
「そういうこと」
そんなことあり得るんだろうか。……でも、レイ君が嘘をついているようには見えない。と、いうかあり得るあり得ないでいえばレイ君の存在がそもそもあり得ないんだから考えたって仕方がないのかも知れない。
「だから橋の向こうから二葉が手を振ってくれたとしても、俺には見えないんだ」
「そっか。……レイ君に無視されたのかと思っちゃった」
「俺が? 二葉を? そんなことするわけないじゃん」
ふっと笑うレイ君の笑顔に、優しさにほんの少し胸が高鳴るのを感じる。その口調があまりにもそうするのが当たり前のようで、それ以外の答えなんてないというように感じられて……それが凄く嬉しかった。
レイ君はどうしてこんなにも私がほしい言葉をくれるのだろうか。――その言葉をかけてほしかった人たちは、決して与えてくれなかったのに。
「レイ君は優しいね」
「そうかな? 前にここで会った人には『君は今まで出会ったどの人間よりも冷たい』って言われたよ」
「え……?」
「なんでもない。ああ、ほらもう日が暮れるよ。だんだんと日が暮れるのが早くなってきたね」
山の向こうに沈み始めた太陽はどこか寂しげに見える。そして、その光に照らされたレイ君の顔も。
「……明日も来ていい?」
思わず、そう呟いていた。
私の言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべた後、レイ君は嬉しそうに「待ってる」と言って微笑んだ。
私以外のために回っていると思っていた世界で、私のことを見つけてくれたレイ君。死ぬまでの間、彼と過ごすのも悪くないと、改めて私はそう思った。
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