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第一章:青く輝く月明かりの下で

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 真っ暗な夜空に、青い月だけが光り輝いている。夏はもう終わるというのにじっとりと汗ばむような気温。それとは対照的に、手のひらが掴む手すりはひんやりと冷たかった。
 さあ、ここから飛び降りて終わりにしよう。
 鉄橋から下を覗き込むと、ずいぶんと流れが速い川が見えた。数日前に過ぎ去った台風のせいで増水し、流れも激しくなっているとテレビで甲高い声のアナウンサーが言っていたのを思い出す。これならきっと、助け出されることもなく逝けるはず。
 私の胸元まである鉄橋の手すりに、まるで鉄棒にするかのように勢いをつけてのり上がると、街の明かりが見えた。マンションやビルに混じって、薄気味悪いほど真っ白で――そして何かを飲み込むように真っ暗なあの病院も。
 吐き気がする。でも、それももう終わりだ。ここから飛び降りれば楽になれる。
 足をかけて手すりの上にのぼるとそのまま、身を――。

「ねえ、何をしてるの?」
「っ……」

 その声に心臓が止まるかと思った。そして……。

「あっ……」

 バランスを崩した私は、そのまま落ちた。鉄橋の向こう側、ではなく先ほどまで立っていたコンクリートでできた橋の上に。

「いったぁ」
 
 尻餅をついて顔を上げると、その人は私を見下ろすようにそこにいた。真っ黒の学生服のズボンに白いシャツを着た男の子は、少し茶色の髪の毛が月明かりに照らされて向こう側が透けて見えた。
 ……透けて?

「え? 何? どういうこと?」
「ああ、君は俺が見えるんだね」

 にっこりと笑うと、その子は透けた手を私に差し伸べる。思わずその手を取ろうとした私の手は宙を掻いた。
 確かにその手を取ったはずなのに、どうして? まさか、そんな……。

「もしかして、ゆう、れい?」
「大正解」
「嘘……」

 思わず口をついて出たその言葉を、すんなりと肯定されてしまうと私はどうしていいかわからなくなる。だって、幽霊なんてそんなのいるわけない。いるわけないのに……。
 目の前に立つその子は相変わらず透けていて、その身体の向こうにあるはずのビルや街明かりが遮られることなく私の目に映る。これはいったいどういうトリックなのだろう。もしかしたらあの服に何か仕掛けがあって、そういうふうに見えているのかもしれない。でも……。
 私は、目の前の男の子の指先を凝視する。さっき、確かにあの手に触れたと思った。なのに、私の手は何を掴むことなく――宙を掻いた。あれは、いったいどういうこと?

「ね、君って自殺しようとしたの?」
「……あなたに関係ないでしょう」

 なんとなく気まずくて視線をそらす私に、目の前の――透けた男の子は小さく笑った。
 とはいえ、ここは有名な自殺スポットだ。そんな場所でこんな時間に鉄橋から身を乗り出している、なんて自殺しようとしてましたと言わんばかりなのはわかっている。でも、それを見ず知らずの男の子に言う必要なんてどこにあるというのだ。
 
「否定しないんだね。まあ、たしかに君がここで自殺しようがしまいが俺には関係ないんだけど。でも、ここで自殺すると俺みたいになるよ」
「え?」
「幽霊ってこと」
「本当に幽霊なの?」
「君だってさっきそう言ったでしょ」
「それは……!」

 そんなふうにヘラヘラと笑うから信じられないんだと、喉まで出かかったけれどやめた。
 改めてまじまじと目の前の男の子を見る。確かに身体が透けていて、その手に触れることはできなかった。でもだからって、幽霊なんてそんな非科学的なこと……。

「あっ、今、幽霊なんて非科学的だ、とか思っただろ」
「ど、どうしてわかったの?」
「ここで会うやつのなかで俺の姿が見えたり声が聞こえたりするのが100人中5人ぐらい。その中ですんなり信じるのが一人、君みたいに非科学的だって思うのが一人」
「あとの三人は?」

 興味本位で思わず尋ねてしまったことを後悔したのは、目の前の男の子が私の反応にやけに嬉しそうな反応をしたから。

「一人は無視して飛び込む。あとの二人はびっくりして逃げ帰っちゃう」
「そう」

 逃げ帰るだなんて、その人たちの自殺しようとした意思はその程度のものだったってことだ。私は違う。私は……。

「でも、こんなふうに俺のことを怖がるでもなくしゃべり続けてくれる子は珍しいよ」
「別に。あなたなんて怖くないもの」
「そうなの?」

 幽霊なんかよりも怖いものがあることを私は知っている。だから、怖くなんかない。

「ねえ、なんで自殺なんてしようとしたの?」
「それ、あなたが言う?」
「俺だから言うんだよ。ちなみにここで自殺する人の中で一番多いのはね、やっぱりいじめかな。女の子だと失恋なんて子もいたけど」
「馬鹿にしないで。そんなんじゃない。私は、そんなちっぽけな理由じゃないの」
「ちっぽけ、ね」
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