異世界に転移したら運命の人の膝の上でした!

鳴海

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 ふう、と天音はため息をついた。
 最近は暇さえあれば、ついつい考えこんでしまうことがある。

 離宮を出て自分の力だけで暮らしていくかどうか。

 それについて、天音は自問自答を繰り返していた。

 ひたすら同じことばかりを考えていて、それになかなか答えが出せないでいると、言いようもなく疲れてしまうものだ。だから天音は、少しの時間だけでいいから悩みから解放されようと、自室を出て図書室に向かった。本を読んで夢中になっている間だけは、他のことを考えずにいられるからだ。

 異世界に転移した者がもらえるスキルなのか、天音にはこの世界のあらゆる言語が理解できる。おかげで図書室にある蔵書のすべてを読むことが可能だ。
 読書好きの天音にとって、とてもありがたいスキルといえる。

(さて、なんの本を読もうかな)

 図書室に着いた天音は、本棚の間をゆっくりと歩き出した。
 特に探している本があるわけでもなく、背表紙に書かれた本のタイトルをぼんやりと目にしながら進む。

 ここ最近は歴史の本ばかり読んでいたから、今度は普通の小説でも読んでみようか。そんなことを思いつつ、いかにも冒険モノっぽいタイトルの書かれた本を手に取った。
 ページをめくって斜め読みすると、すぐにタイトル詐欺にやられたと分かってがっかりする。内容はただの恋愛小説だったのである。

 自分の恋心でさえ持て余している今の状況で、他人の恋愛事情が書かれた本など読む気になれない。
 天音は手に持っていた本を棚に戻そうとした。

 と、その時。

 ぐらりと本棚が揺れた。かと思うと、天音の方に倒れてきたのである。
 本棚と言っても、日本の天音の部屋にあったような小さなものではない。高さは天音の倍ほどもあり、重厚な作りのそれは重さもかなりありそうだ。
 その本棚の下敷きになり、圧し潰されたらどうなるか。考えるまでもない。間違いなく圧死だ。

 倒れかける本棚から大量の本が落ちて、天音へと降りかかる。

 逃げなければと思うものの、恐怖で足が竦んだ。しかし、じっとしていては死が確定してしまう。

 天音は勇気を振り絞って足を動かした。そして、倒れてくる本棚が自分を踏みつぶす直前に、なんとか通路を抜け出すことに成功したのである。

 本棚が床にぶつかる派手な音が響き渡り、埃が大量に舞う。
 倒れた本棚のすぐ傍で、天音は腰を抜かしたようにしゃがみ込んでいた。
 本棚が倒れ始めてから今に至るまで、かかった時間は僅か三秒弱。
 まさに間一髪だった。

 その後、慌てて駆け付けた使用人に助け出されて部屋に戻った天音は、トマスからの報告を受けて納得の息を吐いた。どうやら本棚を固定させるネジがゆるんでいたことが原因らしい。

「申し訳ありませんでした。二度のこのようなことのないように致します!」
「気にしなくていいよ。どんなに気を付けていても事故は起こってしまうものだから」

 平謝りするトマスに、天音は笑ってみせる。

「ただ、同じことが起きないように、図書室の本棚全部のネジの点検はした方がいいかもしれないね」
「はい、既に点検させております」

 有能な使用人たちの手で図書室は即座に整えられ、天音はまたすぐに読書を楽しめるようになった。寿命が縮む思いはしたものの、結果として誰も怪我をしなかったのだから僥倖と言えるだろう。

 そんなことがあった数日後の深夜。ふと目を覚ました天音は、目が冴えて眠れなくなってしまった。

 しばらくベッドでじっと横になっていたが、一向に眠くなる気配がない。退屈を持て余した天音は、部屋から出てを散歩することにした。

 ここが日本であれば、室内の灯りをつけて眠気がくるまで本でも読むところだが、ここは異世界。灯りをつけるにも使用人の手作業でランプに明かりを灯す必要がある。けれど、こんな夜中に使用人を煩わせたくはない。
 だから天音は眠くなるまでの暇つぶしをするため、室外を散歩することにしたのだった。

 月明かりしかない薄暗い廊下を、お化け屋敷を歩くような気分でゆっくりと歩く。目が慣れて夜目がきいてきたおかげで、転んだりぶつかったりすることもなく歩くことができた。

 しばらく歩き回った末、少し眠気が戻ったような気がした天音は、すぐに寝室に戻ることにした。

 天音の寝室は三階にあるが、今いる場所は四階である。
 眠気が消える前に早く部屋に戻ろうと急いで階段を降りかけた時、どん、と背中を押されたような衝撃を感じて天音は体のバランスを崩した。

「?!」

 驚くよりも先に体が反応して手すりを掴んだ。驚きのあまり息もできずに手すりを掴んだまま、その場にしゃがみ込んでしまう。

 上手く手すりを掴めたのは、視界が悪いせいで転ぶことを恐れていた天音が、背仲を押される前から手すりの上に手を置いていたからだ。
 押された瞬間は勢いで手が離れてしまったものの、恐怖を感じた身体が勝手に手すりにしがみ付いた。おかげで転がり落ちずにすんだのである。

 心臓がバクバクと激しく波打つ中、天音はついさっきまで自分が立っていた場所に視線を向けた。
 人影は見当たらない。
 背中を押されたように感じたのは、ただの気のせいだったのだろうか。

 驚きすぎて寿命が縮む思いはしたが、実害は特にない。押されたと思ったのはただの勘違いで、実際は自分が足を踏み外しただけかもしれない。
 そう思った天音は、皆に余計な心配をかけたくない気持ちもあって、そのことをハインツにもトマスにも話さず黙っていることにした。

 しかし、立て続けに二度も死にそうになったことで、気落ちしてしまうのは仕方のないことで……。

 自分でも気付かずに暗い顔をしていたらしく、翌日の夜に離宮にやって来たハインツに怪訝な顔をされてしまった。

「どうしたアマネ。元気がないように見えるが、心配ごとでもあるのか?」
「う、ううん、なんでもない。少し寝不足なだけ。昨日の夜、よく眠れなくて……」
「だったら今夜は早めに寝た方がいいな。わたしも早めに王宮に戻るとしよう」
「あ……うん、そうだね。そうしようかな」

 その後少しだけ話した後、ハインツは天音の額にキスを落とすと、いつもより早い時間に王宮へと戻っていった。

 ハインツの背中を切なく見送った後、天音はすぐに寝室に戻った。そして、そこで驚きのあまり叫び声を上げた。布団をめくってベッドに入ろうとした時、二メートルほどの蛇が隠れていることに気付いたからだ。

 すぐに使用人を呼んで捕まえてもらったが、後からその蛇が猛毒を持つ種類だったと聞かされた天音は、恐怖のあまり背中に悪寒を走らせた。

 悪いことはその後も立て続けに起こった。

 ある時は天音がテラスの手すりに手を置いた途端、老朽化のせいで崩れ落ちたことがあった。またある時は植木鉢が上の階の窓際から落ちてきたし、そしてまたある時には背中に毒グモがへばりついていたこともあった。

 さすがの天音にも分かる。どう考えてもおかしい。

 嫌な予感がする中での昼間の散歩途中、ついに徹底的なことが起こった。庭園を歩いていた時、後ろから弓矢で狙われたのだ。

 命が助かったのは、矢が飛んできたタイミングで偶然にも天音が石につまずいたからだ。それがなけば今頃は頭部を矢で打ち抜かれ、無残な死に様を晒していたに違いない。

 もしかして、と考えたことはあったが信じたくない気持ちで否定してきたそれが、弓矢で狙われたことで確実となった。
 もう疑う余地はない。どう考えても自分は命を狙われている。

 どうしてなんだと天音は首をひねった。
 自分なんかの命を狙うことで、一体誰に得があるというのだ。まったく意味が分からない。

 これまでに天音の身に起きた危険な出来事の数々について、ハインツにはなにも言わずにきている。トマスにも口止めしていた。不確実なことを言って、余計な心配をかけたくなかったからだ。

 けれど、こうなってはもう隠しておけない。

 弓矢で狙われた日の夜、いつものように離宮にやってきたハインツに、天音はこれまでのことを話した。
 もう何度も危険な目にあっていること。そして、それはきっと誰かから命を狙われてのことだと思えること。そのすべてをハインツに話したのだった。

 話し終わった天音は、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。もっと早くに言っておくんだったと反省した。

 それに心配にもなった。
 天音が危険に目に合ったのは自分の不手際のせいだとハインツが考えるのではないか、自責の念に駆られてしまうのではないだろうかと、そう思ったからだ。

 もしそうなら、そんなことはないと声を大にして伝えたい。
 ハインツは悪くない。悪いのは暗殺しようとするやつらであって、ハインツに罪など欠片ほどもないのだ。

 それをどうしても伝えたくて、天音は言うタイミングを計っていたのだけれど。
 そのタイミングがくることはなかった。

 こんなことをハインツが言ったからだ。

「暗殺者の雇い主はわたしの婚約者候補たちか、あるいは他国の王族だろう。飽きも何度も何度もよくやることだ」
「飽きもせずって、え? ハインツ、俺が狙われていること、知って……?」

 愕然とする天音に「当然だ」とハインツは頷いた。

「寵愛する界渡り人をわたしが離宮に囲っているというのは、今や誰もが知る有名な話だ。そして、妃の座を狙う婚約者候補たちにとって、アマネほど邪魔な存在はいない。だから消そうとする」
「そんなのただの勘違いじゃないか。だ、だって俺はただの居候みたいなものなのに。それに、俺が不幸になればこの国は亡びるんだよね。なのに殺そうとするなんて……」
「若い者たちにとって、界渡り人などおとぎ話の世界の住人のようなものだ。伝承についても、ただの言い伝えくらいにしか思っていまい」
「そんな……」
「それと前にも話したが、我がカイネルシア帝国は列強の中でも最も富んだ強国だ。友好国は多いが、非友好国や敵国がいないわけではない。そういった奴らにとって、我が国ウチに落ちた界渡り人ほど都合の良い存在はない。なぜなら界渡り人さえ不幸にしてしまえば、簡単にカイネルシア帝国を滅びに向かわせることができるのだから」

 天音が狙われる理由の主なものはその二つだと、ハインツは淡々と語った。

 天音は声が出ないほど驚いた。
 自分の命が狙われることに、それなりの理由があることが信じられなかったからだ。

「そんな……あ、そうだ。婚約者候補の人たちに本当のことを話せばいいんじゃないかな。ハインツが俺に親切にしてくれるのは、俺が界渡り人で庇護対象と思っているからだって。本当のことを説明しさえすれば、誤解も解けて殺そうとなんてしなく――」
「誤解ではない」

 これまで聞いたことのないハインツの低い声に、天音はハッと口を噤んだ。

「アマネ、おまえはわたしの想い人だ。ただの庇護対象などではない。出会ってすぐから、わたしはアマネに惹かれていた。ずっと想いを寄せていた」
「?!」

 傷ついた顔でハインツが苦笑した。

「その様子だと、本当に気付いていなかったのだな」

 天音は大きく目を見開いたまま、勢いよく口元を両手で押さえた。そうでもしなければ、驚きすぎて口から勝手に変な言葉が出てしまいそうだったからだ。

 ハインツが特別な意味で自分を好きになってくれるなど、天音はこれまで考えたこともなかった。

 美しい翠玉エメラルドの瞳と蜂蜜色の髪を持ち、言葉では言い表せないほどの美貌を持つハインツ。この国の最高権力者でもある。
 そんなハインツがまさか自分に想いを寄せてくれているなんて。

 確かに、天音にはハインツから大切にされてきた自覚がある。
 でもそれは天音が界渡り人であり、国の未来を左右する特別な人間だからだ。
 そこに恋愛感情があるとは考えたこともない。

 だから自分の片想いだと思っていた。
 その片想いが辛いがゆえに、ハインツの元を去ろうかと天音は思い悩んでいたくらいなのだから。

「好きだ、アマネ。誰よりも愛している。わたしのものになれ」

 愛していると言われ、天音の心臓が跳ね上がる。
 嬉しい、嬉しい。
 早く返事をしなければと思うのに、嬉しすぎて過ぎて言葉がすぐに出てこない。

 すると、黙ったままの天音を見ていたハインツが、やがて口を開いた。

「返事がないのは嫌だからか」

 ハインツが優しく天音の頬を撫でる。

「ならば潔くわたしはおまえを手放そう。離宮を出たいのならば、そうすればいい。しかし、いいのか? わたしの庇護を失った途端、おまえはこれまで以上に命を狙われることになる」

 婚約者候補たちの暴挙を止めることは可能だ。しかし、カイネルシア帝国の滅亡を企む他国の王たちは、今後も天音を狙い続けるに違いない。あるいは天音を攫ってどこかに監禁し、あらゆる手段を講じて不幸のどん底に陥れようとすることも考えられる。

「界渡り人の持つ容姿は無二のものであり、とても希少価値の高いものだ。おまえが市井で無防備に暮らしてみろ、すぐに奴隷商にでもかどわかされて、どこぞの下種に高値で売りつけられるに決まっている」
「そ、そんな……」
「それが嫌ならわたしの傍に留まれ。わたしならあらゆる危険からおまえを守ってやれる。実際、おまえが離宮を出るなどと言いだすまでは完璧に守っていただろう? 自分の命が狙われているなど、天音に微塵も気付かせなくらいにな」

 確かに、ここ最近になっ立て続けに危険な目に合うまでは、自分が狙われているなど想像もしなかった天音である。ハインツの言うことが本当なら、天音が気付かないよう配慮しながら、ずっと守ってくれていたに違いない。
 そこに感謝をしながらも、天音はあることに気付いた。

 さっき、ハインツはなんと言っていたか。
 離宮を出ると言いだすまでは完璧に守っていた……?

 それはつまり、ある時期からの天音は守られていなかったということだ。
 だから危険な目に何度も合った。そしてこの先、天音が離宮を出る決断をして市井で暮らすことを選ぶなら、もっと多くの危険に晒されることになると、そうハインツは言っているのである。
 それが嫌なら自分のものになれと、そう言って天音を脅しているのだ。

 それに気付いた時、ドクン、と天音の心臓が嫌な音をたてた。

 信じられなかった。

 優しくて良い人だと思っていた。
 いつも気づかってくれて、親切にされて、生まれて初めて天音は幸せだと思うことができた。

 でも違ったのか。
 自分の目は節穴だったのか。騙されていたのか。


 あまりの絶望感に、天音の胸が激しく軋んだ。


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