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それはある日、環天音の身に突然起こった。
近頃アニメや漫画やラノベで話題の、いわゆる異世界転移というやつをしてしまったのである。
なんの変哲もない、いつもと変わらない朝。
目覚ましの音で起床した天音は、ベッドから降りると欠伸をしながら着替えをすませた。
今日は大学の講義が一限目からあるため、早く家を出なければならない。
部屋を出て階段を降り、脱衣室にある洗面台の前に立つ。
鏡に映っているのは十八才という年相応の若さを持つ、どこにでもいそうな普通の男だ。
良くも悪くもない平凡な顔立ち。運動不足が一目瞭然の細い体。
背の低い両親の遺伝子がしっかり受け継がれてしまったらしく、背は低くて百六十三センチしかない。
天音にとって背の低さは、子供の頃からの最大のコンプレックスだ。これのせいで小学生の頃からずっと、体格のいいクラスメイトに劣等感を感じていた。
周囲の友達と身長を見比べるたび、自分が他の誰よりも劣った存在だと思えてならなかった。なにをするにも自信が持てなくなっていった。
身長の低さを笑われているような気がして、人前に出るのが嫌になった。外に出ないから体を動かす機会が少なく、運動が不得意になった。
足は遅いし力も弱く、見るからに頼りない。ますます自信が持てなくなっていく。
結果、表で遊ぶより家の中で静かに本を読むことを好むようになった。誰かと一緒にいて自分のダメさ加減を見せつけられるより、一人でいる方が楽だったからだ。
超がつくほど大人しくて内向的なのにイジメられずにすんだのは、天音が誰にでも親切で優しい性格をしていたからか、それとも極力目立たないように小さく慎ましく生きてきたからか。
天音としては、単に運が良かっただけだと思っているが。
「あーあ、せめてあと五センチでいいから背が高かったらなぁ……」
鏡に映る自分を見ながら、そんなことを呟いてみる。というか毎日呟いている。
目が隠れるほど前髪を長く伸ばしているのは、自信のなさの表れだ。
身長さえ高ければ、人生がまったく違うものになっていたかもしれない。いや、絶対になったに決まっている。
そんな「たられば」考えながら天音が大きなため息を吐いた時である。
ふと足元の床が消えた。
「え?」
途端に全身が暗闇に包まれた。底なし沼に落ちていくような落下感と沸き起こる恐怖心に、天音は無意識に体を縮こませた。両目を強く閉じて息をひそめる。
しばらくすると、座り込むような形でどこかに着地した。今もまだ暗闇の中だったらと思うと、怖くて目を開けられない。
手に触れた柔らかいなにかにしがみついてしまったのは、またどこかに落下することを無意識に防ごうとしたためか。
自分の身になにが起きているのか分からない恐怖に、天音の体がぶるぶる震える。
しばらく震えながらその場でじっとしていると、天音がしがみついているなにかがモゾリと動いた。と同時に、頭の上の方から誰かの声が聞こえてきた。
「おい」
それはどう考えても人の声で。しかも、聞いたことがない男の声で。
驚いた天音は閉じていた目を即座に開いた。顔を上げて声の方に顔を向ける。
驚くことに、そこには外国人の男がいた。
もっと詳しく言えば、その男は頭から蜂蜜色の豪奢な金髪を生やしていて、瞳は美しい翠玉色をしていた。年齢は二十代半ばくらいで、まるで映画俳優のように整った顔をした美丈夫だった。
(え、誰?)
見たことのないイケメンがどうして自分のすぐ傍にいるのか。
当然、天音には分からない。
あり得ない、どう考えてもおかしい。
だってついさっきまで自宅の洗面所の前にいたのに。
家には今、両親と妹しかいないはずなのに。
どうして今、自分の目の前に外国人の超絶イケメンがいるのか。
しかも今、そのイケメンの膝の上に自分が横向きに座っていると気付いたものだから、天音はもうとんでもなく驚いてしまったのだ。それだけでなく、そのイケメンの逞しい胸に、自分がまるでへばりつくかのように抱きついている状況に気が付いて、天音はパニクりすぎて声にならない声を上げてしまった。
「〇☆※%#&*??!!!!」
反射的に体が動き、天音はイケメンから距離をとろうとした。その拍子に膝の上から転がり落ちて、顔を床にぶつけてしまう。痛みがあまりひどくないのは、落ちた先の絨毯があまりにもフカフカだったおかげだろう。
高価そうな絨毯だなと下世話なことを思いながら、痛む顔を手でさする。
どうやら出血はしていないらしい。よかった、高い絨毯を汚さなくて。
ホッとしたのも束の間、天音は視線を周囲に巡らせた。
目に入ってきたのは、海外の超一流ホテルのスイートルームと言わんばかりの豪華な部屋だった。言うまでもなく、平凡な家庭で育った天音には馴染みのない部屋である。
天音は大きく目を見開いた。
「え、ここどこ?!」
床に座り込む天音のすぐ後ろには、三人掛けくらいのソファがある。そこには天音が抱きついていた金髪イケメンが座っていた。ローテーブルを挟んだ反対側のソファにも男が腰を下ろしていて、驚いたような表情で天音を見つめている。
その男の髪が黄緑色だったことで、せっかく落ち着きを取り戻しかけていた天音の頭が、またもやパニックを起こしてぐちゃぐちゃになった。
「え、ええっ?! なに、もうなんなんだよ……黄緑色のウィッグ? コスプレーヤー? あなたたちは誰なんですか? 俺、もしかして誘拐された? なんで? だって俺ん家にはお金なんてないのに。攫うなら金持ちの家の子とかなんじゃないの? ほんと、マジでここどこなんだよ。意味が分からないよ……ぐすっ」
あまりにも理解不能なことが自分の身に起きていて、なにがなんだかまったく分からなくて、混乱のあまり天音の目からぽろりと涙が零れ落ちた。そのまま泣きべそをかいてしまう。
ついさっきまで自分の家にいた。洗面台の前に立っていた。そしたら急に床が抜けた。怖くて目を瞑った。次に目を開けた時には知らない場所にいて、見たこともない金髪イケメンの膝の上にいたのである。
(うっ、ぐす、なんなんだよ、これってどういうこと……?)
べそべそする天音の耳に、金髪イケメンと黄緑頭の会話が聞こえてくる。
「なるほど、初めて見たな。これが界渡り人か」
「話には聞いてましたが、本当に突然落ちてくるんですね。驚きましたよ! でもまさか陛下の膝の上に落ちてくるなんて」
「伝承通り、こちらの世界では見たことのない黒髪だな。実に美しい」
「確か瞳も黒のはずですよ。前髪で隠れているのが残念ですね。見てみたいな」
「しかし小さいな。泣いているし、まだ子供か?」
床に両手をついてベソをかいていた天音の体を、金髪イケメンがヒョイと持ち上げた。そのまま向かい合わせになるように、天音を自分の膝の上に座らせる。
「なっ?!」
天音はまたもや反射的に逃げ出そうとした。
それを防ごうとした金髪男が、天音を両腕で抱きしめる。
「突然知らないところに来て、さぞ驚いただろう。だがおまえ自身のために、早く現実を受け入れろ。おまえは異なる世界からここに落ちてきた界渡り人だ」
「こ、異なる世界? 界渡り人ってなに?!」
「ここはカイネルシア帝国。わたしはこの国の皇帝ハインツ・ラメ・グルス・カイネルシアだ。おまえの今後の身の安全はわたしが保証するから安心するがいい。ほら、もういい加減に落ちつけ。このままでは話もできない。いいか、腕を離すぞ? 暴れないな?」
この時点でやっと、男たちと言葉が通じることに天音は気付いた。気持ちがかなり楽になる。
取り合えず話を聞くべきだと訴える理性的に従い、天音は金髪イケメン――ハインツ――にこくりと頷いてみせた。
それを見たハインツが、天音を拘束していた腕をそっと解く。
「では界渡り人について教えよう。その前に、おまえの名は?」
「お、俺は環天音っていいます。よ、よろしくお願います」
ハインツが楽しそうに目を細めた。天音の頭をくしゃくしゃと撫でる。
びくりと天音が体を震わせた。
人と深く付き合ったことのない天音は、これまで赤の他人に体を触れられたことが一度もない。親に頭を撫でられたのさえ、もう何年も前のことだ。
だからハインツに頭を撫でられて、驚いたのと同時に恥ずかしくなってしまった。
ついでにハインツと黄緑頭の会話を思い出し、どうやら自分が子供と思われていることに気付いた。頭を撫でられたのもそのせいだと思うと、なんとも言えない惨めな気持ちになって、それが天音を落ち込ませる。
子供じゃな、と文句の一つも言えればいいが、天音はそんなことのできる性格ではない。
なにより、自分を子供だと勘違いしている相手は、どこからどう見ても立派な大人の男で、座っていても分かるほど背も高ければ体格もいい。その膝の上に自分は子供と勘違いされて座らされている。
惨めだ。ああ、本当に惨めだ。
背がもう少しだけでいいから高ければ、こんな勘違いはされなかっただろうに。
ふと天音が視線を移すと、黄緑頭の男が幼子を心配するような同情的な目で自分を見ている。
(俺ってホント、嫌になるくらいカッコ悪い……)
落ち込みながらも、なんとか気持ちを切り替える。
ともかく今は自分の身になにが起きたのかを知ることが先決だ。そう思い、天音はハインツの話に集中することにしたのだった。
この世界で最も国土が広く繁栄した歴史ある国、それがカイネルシア帝国である。そのカイネルシア帝国の現皇帝の膝の上に、界渡りした天音は落ちたのだという。
界渡りとはすなわち異世界転移のことをいう。そして、天音のように界渡りした人間は、この世界で「界渡り人」と呼ばれている。
昔からごく稀に界渡り人は現れるのだが、一度界を渡った人間が元の世界に戻った記録は残っていない。皆、この世界で人生を終えているという。
「じゃあ俺、もう二度と元の世界には戻れないんだ……」
二度と家族に会えない悲しみとショックで、天音の瞳にまた涙が滲んで零れ落ちた。
「ああ、泣かないで。大丈夫ですよ、寂しい思いはさせませんから。必要なら新しい家族を用意することもできますし、わたしの家でよければすぐにでも喜んで迎え入れますからね」
優しくそんなことを言ってくれる黄緑頭の男の名はマンフレート・フィグ・ロスカー。皇帝ハインツの右腕として宰相を務める帝国の重鎮であるという。
髪はウィッグではなく地毛で、この世界には黄緑色の他にもピンクや紫やオレンジなど、様々な髪色と瞳をした人間が当たり前にいるらしい。
「そんなにたくさんの髪と目の色があるなんて……ここって本当に異世界なんだな……」
「ただし、この世界に黒い髪と瞳の人間は存在しない。黒は界渡り人だけが持つ印の色だからな」
そう言いながら、ハインツが天音の髪を指で摘まんで興味深げに見つめる。
「本当にとても神秘的な色だな。よければ瞳も見せてくれないか」
一瞬だけ戸惑ったものの、天音は両手で前髪をかき上げた。
露わになった天音の顔を見て、ハインツとマンフレートがはっと息を飲む。
「いや、これは……とんでもないですね」
「ああ。とてもじゃないが他の者には見せられん」
天音は慌てて前髪を下ろして顔を隠した。
(とてもじゃないが他の者には見せられん、か……)
この世界において、どうやら自分は人に見せられないくらい醜い顔をしているらしい。
確かにハインツもマンフレートも、思わず見惚れずにはいられないほど整った美しい容姿をしている。髪も瞳もとても色鮮やかで綺麗だ。天音の黒とはまったく違う。
こんなに醜い自分が、この世界で上手くやっていけるのだろうか。
天音の心に安が広がる。
ついさっきハインツが「身の安全を保障する」と言ってくれた。しかし、生活資金は自分で稼がなければならないだろう。
どんな仕事があるのか。それは自分にやれることなのか。
見た目が不細工だと、なかなか雇ってくれる人が見つからないかもしれない。
体は小さいし力は弱いし、碌な取り柄がない。もしも仕事が見つからなかった、どうやって生きていけばいいのだろう。
最悪、野垂れ死ぬことになるかもしれない。
そんなことを考えて天音が悲しくなっていると、その心を読んだかのようにハインツが言った。
「衣食住はすべてわたしが用意するから心配するな」
「え! ほ、本当ですか」
「界渡り人が落ちた国で幸せになれば、その国は栄えると言われていてな。だから、どの国でも界渡り人は大切にされるのが普通だ。もちろんわたしもできる限りおまえが幸せになれるよう手を貸すつもりでいる。だからそう不安そうな顔をするな」
ハインツが天音の頭を優しく撫でた。
またもや子供扱いされたことに落ち込みはするが、しかし、衣食住の心配がなくなったことで、天音は少しだけ気持ちに余裕を持つことできた。
「ありがとうございます、お世話になります」
心を込めて頭を下げながら、天音は礼を言ったのだった。
近頃アニメや漫画やラノベで話題の、いわゆる異世界転移というやつをしてしまったのである。
なんの変哲もない、いつもと変わらない朝。
目覚ましの音で起床した天音は、ベッドから降りると欠伸をしながら着替えをすませた。
今日は大学の講義が一限目からあるため、早く家を出なければならない。
部屋を出て階段を降り、脱衣室にある洗面台の前に立つ。
鏡に映っているのは十八才という年相応の若さを持つ、どこにでもいそうな普通の男だ。
良くも悪くもない平凡な顔立ち。運動不足が一目瞭然の細い体。
背の低い両親の遺伝子がしっかり受け継がれてしまったらしく、背は低くて百六十三センチしかない。
天音にとって背の低さは、子供の頃からの最大のコンプレックスだ。これのせいで小学生の頃からずっと、体格のいいクラスメイトに劣等感を感じていた。
周囲の友達と身長を見比べるたび、自分が他の誰よりも劣った存在だと思えてならなかった。なにをするにも自信が持てなくなっていった。
身長の低さを笑われているような気がして、人前に出るのが嫌になった。外に出ないから体を動かす機会が少なく、運動が不得意になった。
足は遅いし力も弱く、見るからに頼りない。ますます自信が持てなくなっていく。
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天音としては、単に運が良かっただけだと思っているが。
「あーあ、せめてあと五センチでいいから背が高かったらなぁ……」
鏡に映る自分を見ながら、そんなことを呟いてみる。というか毎日呟いている。
目が隠れるほど前髪を長く伸ばしているのは、自信のなさの表れだ。
身長さえ高ければ、人生がまったく違うものになっていたかもしれない。いや、絶対になったに決まっている。
そんな「たられば」考えながら天音が大きなため息を吐いた時である。
ふと足元の床が消えた。
「え?」
途端に全身が暗闇に包まれた。底なし沼に落ちていくような落下感と沸き起こる恐怖心に、天音は無意識に体を縮こませた。両目を強く閉じて息をひそめる。
しばらくすると、座り込むような形でどこかに着地した。今もまだ暗闇の中だったらと思うと、怖くて目を開けられない。
手に触れた柔らかいなにかにしがみついてしまったのは、またどこかに落下することを無意識に防ごうとしたためか。
自分の身になにが起きているのか分からない恐怖に、天音の体がぶるぶる震える。
しばらく震えながらその場でじっとしていると、天音がしがみついているなにかがモゾリと動いた。と同時に、頭の上の方から誰かの声が聞こえてきた。
「おい」
それはどう考えても人の声で。しかも、聞いたことがない男の声で。
驚いた天音は閉じていた目を即座に開いた。顔を上げて声の方に顔を向ける。
驚くことに、そこには外国人の男がいた。
もっと詳しく言えば、その男は頭から蜂蜜色の豪奢な金髪を生やしていて、瞳は美しい翠玉色をしていた。年齢は二十代半ばくらいで、まるで映画俳優のように整った顔をした美丈夫だった。
(え、誰?)
見たことのないイケメンがどうして自分のすぐ傍にいるのか。
当然、天音には分からない。
あり得ない、どう考えてもおかしい。
だってついさっきまで自宅の洗面所の前にいたのに。
家には今、両親と妹しかいないはずなのに。
どうして今、自分の目の前に外国人の超絶イケメンがいるのか。
しかも今、そのイケメンの膝の上に自分が横向きに座っていると気付いたものだから、天音はもうとんでもなく驚いてしまったのだ。それだけでなく、そのイケメンの逞しい胸に、自分がまるでへばりつくかのように抱きついている状況に気が付いて、天音はパニクりすぎて声にならない声を上げてしまった。
「〇☆※%#&*??!!!!」
反射的に体が動き、天音はイケメンから距離をとろうとした。その拍子に膝の上から転がり落ちて、顔を床にぶつけてしまう。痛みがあまりひどくないのは、落ちた先の絨毯があまりにもフカフカだったおかげだろう。
高価そうな絨毯だなと下世話なことを思いながら、痛む顔を手でさする。
どうやら出血はしていないらしい。よかった、高い絨毯を汚さなくて。
ホッとしたのも束の間、天音は視線を周囲に巡らせた。
目に入ってきたのは、海外の超一流ホテルのスイートルームと言わんばかりの豪華な部屋だった。言うまでもなく、平凡な家庭で育った天音には馴染みのない部屋である。
天音は大きく目を見開いた。
「え、ここどこ?!」
床に座り込む天音のすぐ後ろには、三人掛けくらいのソファがある。そこには天音が抱きついていた金髪イケメンが座っていた。ローテーブルを挟んだ反対側のソファにも男が腰を下ろしていて、驚いたような表情で天音を見つめている。
その男の髪が黄緑色だったことで、せっかく落ち着きを取り戻しかけていた天音の頭が、またもやパニックを起こしてぐちゃぐちゃになった。
「え、ええっ?! なに、もうなんなんだよ……黄緑色のウィッグ? コスプレーヤー? あなたたちは誰なんですか? 俺、もしかして誘拐された? なんで? だって俺ん家にはお金なんてないのに。攫うなら金持ちの家の子とかなんじゃないの? ほんと、マジでここどこなんだよ。意味が分からないよ……ぐすっ」
あまりにも理解不能なことが自分の身に起きていて、なにがなんだかまったく分からなくて、混乱のあまり天音の目からぽろりと涙が零れ落ちた。そのまま泣きべそをかいてしまう。
ついさっきまで自分の家にいた。洗面台の前に立っていた。そしたら急に床が抜けた。怖くて目を瞑った。次に目を開けた時には知らない場所にいて、見たこともない金髪イケメンの膝の上にいたのである。
(うっ、ぐす、なんなんだよ、これってどういうこと……?)
べそべそする天音の耳に、金髪イケメンと黄緑頭の会話が聞こえてくる。
「なるほど、初めて見たな。これが界渡り人か」
「話には聞いてましたが、本当に突然落ちてくるんですね。驚きましたよ! でもまさか陛下の膝の上に落ちてくるなんて」
「伝承通り、こちらの世界では見たことのない黒髪だな。実に美しい」
「確か瞳も黒のはずですよ。前髪で隠れているのが残念ですね。見てみたいな」
「しかし小さいな。泣いているし、まだ子供か?」
床に両手をついてベソをかいていた天音の体を、金髪イケメンがヒョイと持ち上げた。そのまま向かい合わせになるように、天音を自分の膝の上に座らせる。
「なっ?!」
天音はまたもや反射的に逃げ出そうとした。
それを防ごうとした金髪男が、天音を両腕で抱きしめる。
「突然知らないところに来て、さぞ驚いただろう。だがおまえ自身のために、早く現実を受け入れろ。おまえは異なる世界からここに落ちてきた界渡り人だ」
「こ、異なる世界? 界渡り人ってなに?!」
「ここはカイネルシア帝国。わたしはこの国の皇帝ハインツ・ラメ・グルス・カイネルシアだ。おまえの今後の身の安全はわたしが保証するから安心するがいい。ほら、もういい加減に落ちつけ。このままでは話もできない。いいか、腕を離すぞ? 暴れないな?」
この時点でやっと、男たちと言葉が通じることに天音は気付いた。気持ちがかなり楽になる。
取り合えず話を聞くべきだと訴える理性的に従い、天音は金髪イケメン――ハインツ――にこくりと頷いてみせた。
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「では界渡り人について教えよう。その前に、おまえの名は?」
「お、俺は環天音っていいます。よ、よろしくお願います」
ハインツが楽しそうに目を細めた。天音の頭をくしゃくしゃと撫でる。
びくりと天音が体を震わせた。
人と深く付き合ったことのない天音は、これまで赤の他人に体を触れられたことが一度もない。親に頭を撫でられたのさえ、もう何年も前のことだ。
だからハインツに頭を撫でられて、驚いたのと同時に恥ずかしくなってしまった。
ついでにハインツと黄緑頭の会話を思い出し、どうやら自分が子供と思われていることに気付いた。頭を撫でられたのもそのせいだと思うと、なんとも言えない惨めな気持ちになって、それが天音を落ち込ませる。
子供じゃな、と文句の一つも言えればいいが、天音はそんなことのできる性格ではない。
なにより、自分を子供だと勘違いしている相手は、どこからどう見ても立派な大人の男で、座っていても分かるほど背も高ければ体格もいい。その膝の上に自分は子供と勘違いされて座らされている。
惨めだ。ああ、本当に惨めだ。
背がもう少しだけでいいから高ければ、こんな勘違いはされなかっただろうに。
ふと天音が視線を移すと、黄緑頭の男が幼子を心配するような同情的な目で自分を見ている。
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そう言いながら、ハインツが天音の髪を指で摘まんで興味深げに見つめる。
「本当にとても神秘的な色だな。よければ瞳も見せてくれないか」
一瞬だけ戸惑ったものの、天音は両手で前髪をかき上げた。
露わになった天音の顔を見て、ハインツとマンフレートがはっと息を飲む。
「いや、これは……とんでもないですね」
「ああ。とてもじゃないが他の者には見せられん」
天音は慌てて前髪を下ろして顔を隠した。
(とてもじゃないが他の者には見せられん、か……)
この世界において、どうやら自分は人に見せられないくらい醜い顔をしているらしい。
確かにハインツもマンフレートも、思わず見惚れずにはいられないほど整った美しい容姿をしている。髪も瞳もとても色鮮やかで綺麗だ。天音の黒とはまったく違う。
こんなに醜い自分が、この世界で上手くやっていけるのだろうか。
天音の心に安が広がる。
ついさっきハインツが「身の安全を保障する」と言ってくれた。しかし、生活資金は自分で稼がなければならないだろう。
どんな仕事があるのか。それは自分にやれることなのか。
見た目が不細工だと、なかなか雇ってくれる人が見つからないかもしれない。
体は小さいし力は弱いし、碌な取り柄がない。もしも仕事が見つからなかった、どうやって生きていけばいいのだろう。
最悪、野垂れ死ぬことになるかもしれない。
そんなことを考えて天音が悲しくなっていると、その心を読んだかのようにハインツが言った。
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「え! ほ、本当ですか」
「界渡り人が落ちた国で幸せになれば、その国は栄えると言われていてな。だから、どの国でも界渡り人は大切にされるのが普通だ。もちろんわたしもできる限りおまえが幸せになれるよう手を貸すつもりでいる。だからそう不安そうな顔をするな」
ハインツが天音の頭を優しく撫でた。
またもや子供扱いされたことに落ち込みはするが、しかし、衣食住の心配がなくなったことで、天音は少しだけ気持ちに余裕を持つことできた。
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