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⑥幼馴染同士−1

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 慶太郎は春めいてきた川の上、棹を操りながら客に求められて都都逸を謡っていた。

「惚れて通えば千里も一里、逢えずに帰ればぁまた千里」

「恋に焦がれてぇ鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がすぅ」

「三千世界の鴉を殺しぃ、主と添い寝がしてみたい~」

 明るく陽気な慶太郎に艶唄を求める客は少なかったが、朝帰りの浮かれた客などは平気でそれを要求した。
 慶太郎は馬鹿正直に余り上手くないですよと断りを入れてからその喉を鳴らし、確かにいい声だと言われはしても艶だと言われた事は無かったのだが。

「慶さん、いい人でも出来たのかい?」
 毎度相手を替えている遊び人だが気の好い男にそう訊かれ、慶太郎は戸惑いつつも笑顔で首を横に振った。

「そんな気の利いた男じゃありませんよ」
「そうかい? でもねぇ、やけに切実な響きだったよ。まるで誰かを乞うているようだ」
「お客さん……からかって貰っちゃ困ります」
「はは、困らせたかい」
 客は初心な若者をからかうのが楽しいらしく、上機嫌で慶太郎を真似て謡ってみる。
 しかし直ぐに自分で笑い出してしまった。

「ああ、やっぱり私が謡うとちっとも響きやしない。添い寝も朝寝も出来たもんじゃないな」
 それはあんたが不誠実だからだろう、とは苦労人の慶太郎は思わない。
 生きていくと言うのは大変で、様々な雑事や柵に縛られて何事も思うようには行かない。
 想い人とゆっくりと寝ていられるような恵まれた立場の人間はなかなかいないし、それは相手の都合も含めての事だから更に難しい。

「鴉くらい、幾らでも殺すんですがね」
 不意にぽつりと温度の無い声で言われて、客の肝が冷えた。
 目の前の歳若い船頭が上背もあり、腕も足も鍛えられて太いのをまじまじと見て取る。

「慶さんは案外と剣呑な人間か……」
 客を怖がらせてしまったと気が付いて、慶太郎はにこりと大きく笑った。

「鴉を殺して嫁さんが見付かるなら、独身男は皆が目の色を変えて鴉を追っ掛けますよ」
「ああ、そうか。嫁ね……」
 客は胸を撫で下ろして息を吐いた。
 この時代、妻を娶れない男性というのは非常に多かった。妻子を養うだけの稼ぎを得るのは大変だし、時代の変化に付いていけなかった親世代を養わねばならない者もいる。下手をすれば叔父、叔母などの親戚筋までついてきた。

「今は継ぐ家もありませんしね、跡取りの心配をしなくて済むのだけが気楽っちゃ気楽でさぁ」
 こればかりは慶太郎の本音だった。両親は家名を残す事を切に望んでいるが、かといって何処のどんな相手を嫁に迎えれば良いのかさっぱり分からないのだ。価値観の崩壊は彼らには真に大きな打撃だった。

「なら本当に好きな人と一緒になれるね」
 遊び人の男の口から出たとは思えない素朴な言葉に、慶太郎は胸を打たれた。
 本当に好きな人。そう言われて思い浮かぶのはただ一人だ。
 白い肌に茶色い髪の、淋しげに笑う癖に他人に背を向けて誰も立ち入らせない。
 三界の鴉を殺してまでも穏やかな眠りを守りたいと思った人。その人と自分が添う? まさか。

 馬鹿らしい、と直ぐに打ち消すものの彼の隣にいられたらという想いがムクムクと湧き上がってきて消えてくれない。
 一回りも年下の自分なんかが、彼の隣にいさせて貰える筈がない。あの人に触れて、あの人からも触れられて、一つ布団に眠るなど――そんな夜がくる筈も無い。
 けれどそれでも、分かっていても欲ってものは湧き上がってくる。
 あの人と添うて生きたい。

「慶さん? どうしたい?」
 不思議そうに声を掛けてきた男を慶太郎は眉を顰めて苦しげに睨んだ。

「お客さん、恨みますよ」
 よくも俺の欲に気付かせてくれた。どうせ苦しむしかないというのに。
 恨めし気な慶太郎に客は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
 遊び人の客は自分の言葉のどれが若い船頭を苦しめたのか見当がつかず、首を傾げながら不思議に思うのだった。
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