Gameの行方

うずみどり

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②藤堂の事情

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 藤堂はもう一生逢う事はないと思っていた相手との再会に酷く衝撃を受けていた。
 手足の長い恵まれた体に、意外な程繊細な美貌。あの頃は王子だなんだと周りに随分と騒がれ、けれど本人は口下手で騒がれるのが苦手なんだと人伝に聞いた。

「なのにアイドルだって? 今更、何を言って――」
 藤堂は皮肉気にふっくらと形の良い唇を曲げたが、そういう自分だってあの頃は自分がアイドルを目指す事になるだなんて思ってもみなかった。
 将来の事などまるで考えて無くて、ただテニスで日本一になる事だけが頭を占めていた。

 藤堂には確かに才能があったし、コーチや親など周囲の環境にも恵まれ、本人も努力をした。
 幾つもの大会で勝ち抜き、やがて大きな大会に出るようになったが――優勝は出来なかった。
 いつも、いつも、悉く自分の前に立ちはだかって決して勝てない相手。
 それが生馬だった。

 生馬の長身から繰り出されるサーブは相手のラケットを弾き飛ばし、長い脚はどんなコースにボールを打たれても追い付き、しなやかで強い背筋を捻って繰り出されるバックハンドはまるでボウガンのようだった。
 優れた身体能力と素直に努力する本人の性質、そして天才的なテニスのセンスが合わさって無敵の帝王とまで言われた。
 それでも藤堂は諦めなかったし、喰い付いて、喰い付いて、実際にいい勝負をするところまで持ち込むようになった。
 あの頃の藤堂にとって、生馬に勝って自分が一番になる事が夢で希望で全てだった。なのに――

「あいつは裏切った」
 高校生活最後のテニスのインターハイ。
 準決勝で生馬と戦い、接戦の末に初めて彼に勝って藤堂は幸福の絶頂にあった。あの瞬間、確かに藤堂は誰よりも幸せだった。
 けれどそれが八百長であった事を知って、天国は地獄に変わった。
 生馬はスポーツ賭博に一枚噛んでいて、藤堂に負ける事で報酬を得たのだ。

 それを知った時、藤堂は生馬を憎悪した。それまで相手をライバルと認めて憧れていた部分すらあったが故に激しく憎悪した。

『俺を馬鹿にして、テニスを馬鹿にして恥ずかしくないのかよ!? お前は最低だ。二度と俺の前に現れるな! その面を見せるな!』
 藤堂の罵声を生馬はただ黙したまま受け止めた。一言の弁解も無かった事が、却って藤堂の傷を深めた。

(何か言い分は無いのかよ!?)
 言い訳すら無い事を酷く歯痒く思い、けれどそれが憎み切れない自分の甘さであるように思えて藤堂は生馬に背中を向けた。
 藤堂はしてもいない怪我を理由に決勝戦を放棄して、それから直ぐにテニスを辞めた。
 予期せぬ生馬の敗退と、藤堂の棄権によって流石に裏を勘ぐる人間が現れ、八百長試合が主催者側にバレた。
 それで藤堂も色々と訊かれたが、『頑張りました』の一点張りで後は口を噤んだ。

 八百長試合は一部の関係者にしか知られず、人知れずひっそりと処理されたようだ。
 その後生馬がどうしたのか藤堂は知らない。ただテニス界からは姿を消した。
 黙ったまま消えて卑怯だ、と藤堂は生馬を心の中で何度も責めたが表立っては何もしなかった。ただテニスと生馬を忘れる事に努めた。

「漸く忘れたと思ったのに……」
 彼を忘れるのに五年掛かった。けれど一目見ただけで、ほんの少し顔を合わせただけで全ては元の木阿弥だった。生馬への強い憎しみと激しい感情は鮮やかに、生々しく胸に渦巻いている。
 こんな調子で仲間としてやっていけるのか。藤堂は不安だった。

「やっぱり、断った方が良かったのか……」
 なんで引き受けてしまったのかと後悔するが、けれど藤堂だって引けない理由があった。
 生活の全てだったテニスを失い、やっと見つけたのが音楽なのだ。音楽で世界と繋がると決めたのだ。

「二度も失う訳にはいかない」
 あんな思いはもうごめんだ。
 テニスをする為に鍛えられた身体が、他の何をしても物足りないと訴える。
 筋肉を捩って捻り出した力の爆発を感じる事も出来ない。
 ボールに追い付いたあの瞬間、時間が止まったかのような永遠の煌めき。
 羽ばたいていると思えるような開放感。
 藤堂はそれらを全て失った。
 そしてここで逃げたらきっと、自分は音楽すら失ってしまう。そんな気がしてこのチャンスを手放すという選択肢は選べなかった。

「割り切ればいい。利用すればいい」
 前は自分が利用された。今度はこっちが利用してやるのだ。
 どうやらあの様子では生馬も忘れていないし、負い目を感じているようだったから自分に逆らったり楯突いたりはしないだろう。そういう相手がグループ内にいたら便利な筈だ。

「信用はしない。油断もしない。見張って、利用するだけだ」
 例え事前に聴いた彼の歌声を好きだと思ったとしても、そんなのは気の所為だ。
 画像をチェックするのが漏れて、唯一知らなかった動画配信者の声だけを聴いて藤堂は思わず微笑んだ。
 一緒にやれたらきっと楽しいと思ったのだが、それは相手が誰かを知らなかったからだ。
 知っていたら耳を塞いだだろう。

「俺はあいつを許さない」
 自分自身に誓うように藤堂は重々しく言った。
 復讐のチャンスなんだ、と自分に言い聞かせて痛む胸には気付かないフリをした。
 再会してからずっと、生馬の事ばかりを考えている事には全く気付いていなかった。 

 ***

 本格的に活動をスタートさせる前に、五人を少しでも打ち解けさせる為に懇親会が開かれた。
 藤堂は丁度よいから生馬にグループ内での立場を教え込んでやろうと思っていた。
 ところが秋物のコートをサラリと羽織った生馬の姿を見て、胸に去来したものに言葉が詰まった。

(あの頃は、十代だった……)
 よく鍛えられ、しなやかな身体つきは若い獣のようだった。
 あれから五年が過ぎ、ほっそりとした姿はそのままにより洗練された大人の雰囲気を醸し出している。
 ちょっと儚いような、色気まで漂わせているのは五年の間に色々な経験をしたからだろう。
 自分の知らない五年間……と思うと、藤堂はなんだか胸がモヤモヤした。

「お前、俺の隣には並ぶなよな」
 気が付いたら伯爵が腕を組んで生馬を斜めに見上げていた。
 伯爵というハンドルネーム通り、妙に偉そうな仕草の似合う男だった。

「えっと、潰したりしないよ?」
 自分が大きくて邪魔なのかと心配する生馬に向かって、伯爵は怒ったままそうじゃないと言う。

「お前が隣に並んだら、俺の身長がバレるだろっ!」
「ん?」
「公式では百七十センチって事になってるけど、本当は百六十七しか無いんだよ。お前が隣りにいたら、十センチ差じゃないなってバレるだろ?」
「そんな、三センチくらい気付かないよ」
「馬鹿野郎、三センチったらでっかいんだよ!」
 プンスコと怒っている伯爵に生馬が困っていたら、ぬぼーっとしたマネージャーが現れて伯爵の手を恭しく取った。

「君はこっちの椅子に座ったらいい」
「椅子ぅ?」
 胡散臭げな顔をした伯爵が、豪華に装飾された椅子を見てピコンと耳を立てた。

「ゴージャスな椅子ぅ~。俺にぴったりじゃない」
「他のメンバーは君の家来だとでも思ってなさいよ」
「おっけー、そうしよう」
 ご機嫌になった伯爵を見て、生馬が胸を撫で下ろした。
 そして感謝の目でマネージャーを見たので、藤堂はなんだか面白くなくて生馬に後ろから声を掛けた。

「相変わらず、人の気持ちがわかんない奴だな」
「藤堂……」
 傷付いたように揺れる生馬の眼の色を見て、藤堂はホッとした。
 そうだ、お前は俺の顔色を窺ってれば良いんだよ。

「そんなんでアイドルなんて出来るの?」
「……変わりたいと、思ってる」
 ギュッと握った生馬の拳がぷるぷると震えている。
 きっと自分の事を真っ直ぐに見るのだって、言い返すのだって生馬には相当な勇気が必要な事だろう。

「だったら見せてみろよ。どうせお前は変わってなんていないって所を」
 そう言って藤堂が目を眇めたら、なけなしの勇気を砕かれてしまったように生馬が傷付いた顔を俯かせた。

「どうした? もう降参か?」
 藤堂がつまらなそうな口調でそう訊いたら、生馬が必死に顔を上げて喰い付いてきた。

「ううん、まだだよ。俺は諦めないって決めたんだ。きっと、藤堂に認められてみせる」
「あっそ。そんなのどうでもいいけど――歌を裏切ったら、他のメンバーを裏切ったら許さねーから」
 覚えておけ、と念を押してから藤堂は背を向けた。
 自分はもう二度と裏切られるつもりはないと、最初から信じていないと言ったつもりだった。
 その時、小さな声が聴こえた。

「ありがと」
「ッ!」
 藤堂は慌てて振り向く。
 まさか『ありがとう』って言ったのか? 今の会話の何処にそんな事を言われる要因があった?

「ありがとう。チャンスだと思って頑張る」
 にっこりと笑った生馬は唖然とする藤堂を置き去りに他のメンバーのところに行ってしまった。

(なんだよあれ!)
 藤堂はしてやられたようで面白くない。
 惨めに俯いていればいいのに、あんな顔で笑うなんて。

「お前は、俺を裏切ったんじゃないのかよ」
 生馬の笑顔と藤堂の中の彼は裏切り者だというイメージが、どうにも結びつかずに胸がザワザワと騒いだ。
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