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第二部
⑧不安な夜
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葵は途中で切れた電話を片手に眉を顰めた。
別に電話を途中で切られたくらいは気にしないが、これで聞ける相手がいなくなってしまった。
もうこのまま放って置いても良さそうなものだが、葵は意外と律儀と言うか一度決めた事はきちんと守る。嘘吐きでもないしいい加減でもない。
暫く――三十分くらいだろうか、ベッドに寝転がって音楽を聴いていたが何も良い案など浮かばない。
(仕方がない、言いたい事を言ってみろとそのまま問い質すか)
三崎にも言ったように、葵に人から上手く何かを聞き出すスキルなど無いのだ。
葵が部屋を出ようとしたらタイミングよく電話が掛かって来た。ケンヂかなと期待して出てみたら相手は三崎だった。
『葵さん、さっきはごめんね』
「別にいいけど、ケンヂは?」
『ケンちゃんは疲れて寝てしまったんだ』
「ふぅん」
『さっきの話の続き、して貰えませんか?』
「いいの?」
“友達じゃないのにいいの?”
そんなニュアンスを感じて三崎が軽やかな笑い声を漏らした。
『関係ない人の方が話しやすい事もあるでしょう?』
三崎の優しげで心地の好い声にフッと葵の気持ちが弛む。それでつい前置きも説明も無く言ってしまった。
「手を払われたんだぜ。ボクはただ心配しただけなのに、あいつは友達になろうって言った癖に、拒絶するように手を弾いたんだ。何でだよ?」
拗ねた子供のような声に沈思した気配が返ってくる。そして。
『葵さんは、オーナーにきつく当たられたのがショックだったの?』
「違う、理由が分からなくてムカついて……」
『理由を知りたい?』
「まぁ……」
葵は歯切れ悪く頷いた。
相手が誰とも教えていないのに言い当てられた事に気付きもせず、葵は三崎の問い掛けに戸惑った。
(別に自分が知りたい訳じゃない。友達なら聞くべきだと思ったから。だから――)
葵は何故自分が言い訳めいた事を思っているのか分からなかった。さっきまでは本当に “友達” の務めとして彼を理解する努力をしてみようと思っていたのだ。自分が知りたかった訳では無い。
「……あんたって、今、暇?」
葵の唐突な質問に、三崎が電話の向こうで吹き出した。そしてくつくつと笑いながらも肯定した。
『まぁ、暇ですね。ケンヂは寝ちゃって起きる気配もないし』
「じゃあさ、悪いんだけどちょっと逢ってくれねぇ?」
『……今から?』
やけに甘ったるい響きの声に葵は少しだけ焦った。彼は女装をしてなかったが、ああいう店で働いているからかやたらと色気のある青年だった。自分の様な冴えない男が誘うのは図々しかったのかもしれない。
「悪ぃ、図々しかったな。忘れて」
三崎を頼るつもりだった事も忘れて葵は慌てて自分の言葉を撤回した。しかし彼は気安い口調でそんな事は無いと言ってくれた。
『タクシーを呼んで、俺が今から言う住所を告げて下さい。知り合いがやっているバーですから、時間を気にせず話せます』
「分かった」
葵は言われるままにメモを取り、タクシーの呼び方もよく分からなかったので三崎に手配して貰って車に乗り込んだ。
こっそりと家を出た為、速水には気付かれなかった。
タクシーの中で段々と頭が冷えてきて、よく知りもしない青年と込み入った話をする事に不安を感じたがそんな心配は彼に逢った途端に消えてしまった。
「葵さん、こんばんは」
控え目な笑みと柔らかな声に、他人に興味のない葵ですら気を惹かれた。
そして誘われるがままに足を踏み入れ、堅牢な樫の木で出来たドアを閉めた。
***
ケンヂは目が覚めて直ぐ、隣に三崎がいない事に気が付いた。
滑らかなシルクのシーツは指を滑らせてみても何処までも冷たく、温かな身体に触れる事は無い。
「……みさき? どこ? どこにいるの?」
闇に沈んだしんとした室内で、ケンヂは不安になりながら三崎の名前を呼んだ。けれどもどこからも返事は返らず、人気の無さをはっきりと伝えてくるばかりだった。
(俺が、酷い事を考えていたからいなくなっちゃったの?)
ケンヂは何があっても三崎は自分を見捨てないと思い込んでいた。例え浮気をしても、他の男と寝たって三崎は許してくれる。だってケンヂが愛しているのは三崎だけで、他の人はただの彩りと言うかお楽しみに過ぎない。
三崎に抱かれたその足で別の男に抱かれに行くのなんてただの妄想だし、想像なら刺激の強い方が興奮するからついエスカレートしてしまったけれどそれを現実に持ち込むつもりは全く無かった。
つまりケンヂにほんの少しの疚しさはあったけれど、それ程悪い事をしたとは思っていない。
(俺が寝ている間にいなくなるなんて酷い! 一体どこへ行ったんだよ?)
「みさき、みさき!」
自分を放って置いて何処へ行ったのか。誰と逢っているのか。まさか浮気しているのじゃないか。
ケンヂは軽く取り乱しつつiPhoneをチェックし、書き置きでもないかと辺りを探した。けれども何も、一言も残されていなかった。
「みさ、き……」
ケンヂは泣きながら三崎にLINEを打った。
“今どこ? どうして俺を置いて行っちゃったの?”
暫くして三崎から返信が入る。
“葵さんと飲んでいるところ。大事な話をしているからまた後でね”
その後はケンヂがどんな言葉を打ち込んでも返信は来なかった。
思い余って電話を掛けたら電源を切られた。
「酷い! 電源まで切るなんて!」
それはとってもとっても酷い裏切りに思えた。自分の浮気なんかより、害の無い妄想よりもずっとずっと酷い仕打ちだ。
「三崎さんなんてもう知らない! 後で謝っても許してやらない!」
そう息巻いてみても沈黙した切りのiPhoneを見ると不安がじわじわと込み上げてくる。
(電源を切るって相当じゃない? 本当に俺が邪魔になったの? 大事な話って何を話してるの?)
ケンヂの脳裏に葵の笑顔を見て頬を染めていた三崎の姿が蘇ってくる。
葵は当人に自覚はないが実はとても綺麗な男だ。身形に構わなかったり伸ばしっぱなしの髪を自分で適当に切ってしまったり、ダサい眼鏡を掛けていて気付き難いが顔の造作が人並み外れて整っている。
ケンヂは和風美人の方が好みだし元々ノーマルだったので何も思わなかったが、三崎からしたら一目で心を奪われるようなタイプだったのではないだろうか。
髪を切って身形を整えた葵はケンヂの想像を超えて、恐いくらいに綺麗だった。
笑顔は白い花のように清楚で美しかった。
セックスが大好きで、恋人以外に挿れられても悦がり狂う自分とはまるで違う。
「やだ……やだよ。盗らないでよ。蛇葵さん、俺から三崎さんを盗らないで。頼むから彼を返して」
もう絶対に浮気なんてしない。他の人にされたらなんて想像もしない。
背は低く出来ないけど、ダイエットをして葵みたいに華奢な体付きになるよう努力するから。
言われた事はないけどオカマバーの仕事も嫌なら辞めるし、女装デートを強請るのも止める。
料理が出来ない三崎に朝ごはんを作ってって無理難題を押し付けるのも止めるし、お風呂で髪を洗わせるのも止める。
自分に出来る事なら何でもするから、捨てないで欲しい。三崎の側にいたい。
「三崎さん……」
ケンヂ泣いていたらiPhoneが鳴り出したので慌てて飛び付いた。けれども電話を掛けて来たのは三崎ではなかった。意外なようでいて今なら一番に掛けて来ておかしくない相手、速水オーナーだった。
別に電話を途中で切られたくらいは気にしないが、これで聞ける相手がいなくなってしまった。
もうこのまま放って置いても良さそうなものだが、葵は意外と律儀と言うか一度決めた事はきちんと守る。嘘吐きでもないしいい加減でもない。
暫く――三十分くらいだろうか、ベッドに寝転がって音楽を聴いていたが何も良い案など浮かばない。
(仕方がない、言いたい事を言ってみろとそのまま問い質すか)
三崎にも言ったように、葵に人から上手く何かを聞き出すスキルなど無いのだ。
葵が部屋を出ようとしたらタイミングよく電話が掛かって来た。ケンヂかなと期待して出てみたら相手は三崎だった。
『葵さん、さっきはごめんね』
「別にいいけど、ケンヂは?」
『ケンちゃんは疲れて寝てしまったんだ』
「ふぅん」
『さっきの話の続き、して貰えませんか?』
「いいの?」
“友達じゃないのにいいの?”
そんなニュアンスを感じて三崎が軽やかな笑い声を漏らした。
『関係ない人の方が話しやすい事もあるでしょう?』
三崎の優しげで心地の好い声にフッと葵の気持ちが弛む。それでつい前置きも説明も無く言ってしまった。
「手を払われたんだぜ。ボクはただ心配しただけなのに、あいつは友達になろうって言った癖に、拒絶するように手を弾いたんだ。何でだよ?」
拗ねた子供のような声に沈思した気配が返ってくる。そして。
『葵さんは、オーナーにきつく当たられたのがショックだったの?』
「違う、理由が分からなくてムカついて……」
『理由を知りたい?』
「まぁ……」
葵は歯切れ悪く頷いた。
相手が誰とも教えていないのに言い当てられた事に気付きもせず、葵は三崎の問い掛けに戸惑った。
(別に自分が知りたい訳じゃない。友達なら聞くべきだと思ったから。だから――)
葵は何故自分が言い訳めいた事を思っているのか分からなかった。さっきまでは本当に “友達” の務めとして彼を理解する努力をしてみようと思っていたのだ。自分が知りたかった訳では無い。
「……あんたって、今、暇?」
葵の唐突な質問に、三崎が電話の向こうで吹き出した。そしてくつくつと笑いながらも肯定した。
『まぁ、暇ですね。ケンヂは寝ちゃって起きる気配もないし』
「じゃあさ、悪いんだけどちょっと逢ってくれねぇ?」
『……今から?』
やけに甘ったるい響きの声に葵は少しだけ焦った。彼は女装をしてなかったが、ああいう店で働いているからかやたらと色気のある青年だった。自分の様な冴えない男が誘うのは図々しかったのかもしれない。
「悪ぃ、図々しかったな。忘れて」
三崎を頼るつもりだった事も忘れて葵は慌てて自分の言葉を撤回した。しかし彼は気安い口調でそんな事は無いと言ってくれた。
『タクシーを呼んで、俺が今から言う住所を告げて下さい。知り合いがやっているバーですから、時間を気にせず話せます』
「分かった」
葵は言われるままにメモを取り、タクシーの呼び方もよく分からなかったので三崎に手配して貰って車に乗り込んだ。
こっそりと家を出た為、速水には気付かれなかった。
タクシーの中で段々と頭が冷えてきて、よく知りもしない青年と込み入った話をする事に不安を感じたがそんな心配は彼に逢った途端に消えてしまった。
「葵さん、こんばんは」
控え目な笑みと柔らかな声に、他人に興味のない葵ですら気を惹かれた。
そして誘われるがままに足を踏み入れ、堅牢な樫の木で出来たドアを閉めた。
***
ケンヂは目が覚めて直ぐ、隣に三崎がいない事に気が付いた。
滑らかなシルクのシーツは指を滑らせてみても何処までも冷たく、温かな身体に触れる事は無い。
「……みさき? どこ? どこにいるの?」
闇に沈んだしんとした室内で、ケンヂは不安になりながら三崎の名前を呼んだ。けれどもどこからも返事は返らず、人気の無さをはっきりと伝えてくるばかりだった。
(俺が、酷い事を考えていたからいなくなっちゃったの?)
ケンヂは何があっても三崎は自分を見捨てないと思い込んでいた。例え浮気をしても、他の男と寝たって三崎は許してくれる。だってケンヂが愛しているのは三崎だけで、他の人はただの彩りと言うかお楽しみに過ぎない。
三崎に抱かれたその足で別の男に抱かれに行くのなんてただの妄想だし、想像なら刺激の強い方が興奮するからついエスカレートしてしまったけれどそれを現実に持ち込むつもりは全く無かった。
つまりケンヂにほんの少しの疚しさはあったけれど、それ程悪い事をしたとは思っていない。
(俺が寝ている間にいなくなるなんて酷い! 一体どこへ行ったんだよ?)
「みさき、みさき!」
自分を放って置いて何処へ行ったのか。誰と逢っているのか。まさか浮気しているのじゃないか。
ケンヂは軽く取り乱しつつiPhoneをチェックし、書き置きでもないかと辺りを探した。けれども何も、一言も残されていなかった。
「みさ、き……」
ケンヂは泣きながら三崎にLINEを打った。
“今どこ? どうして俺を置いて行っちゃったの?”
暫くして三崎から返信が入る。
“葵さんと飲んでいるところ。大事な話をしているからまた後でね”
その後はケンヂがどんな言葉を打ち込んでも返信は来なかった。
思い余って電話を掛けたら電源を切られた。
「酷い! 電源まで切るなんて!」
それはとってもとっても酷い裏切りに思えた。自分の浮気なんかより、害の無い妄想よりもずっとずっと酷い仕打ちだ。
「三崎さんなんてもう知らない! 後で謝っても許してやらない!」
そう息巻いてみても沈黙した切りのiPhoneを見ると不安がじわじわと込み上げてくる。
(電源を切るって相当じゃない? 本当に俺が邪魔になったの? 大事な話って何を話してるの?)
ケンヂの脳裏に葵の笑顔を見て頬を染めていた三崎の姿が蘇ってくる。
葵は当人に自覚はないが実はとても綺麗な男だ。身形に構わなかったり伸ばしっぱなしの髪を自分で適当に切ってしまったり、ダサい眼鏡を掛けていて気付き難いが顔の造作が人並み外れて整っている。
ケンヂは和風美人の方が好みだし元々ノーマルだったので何も思わなかったが、三崎からしたら一目で心を奪われるようなタイプだったのではないだろうか。
髪を切って身形を整えた葵はケンヂの想像を超えて、恐いくらいに綺麗だった。
笑顔は白い花のように清楚で美しかった。
セックスが大好きで、恋人以外に挿れられても悦がり狂う自分とはまるで違う。
「やだ……やだよ。盗らないでよ。蛇葵さん、俺から三崎さんを盗らないで。頼むから彼を返して」
もう絶対に浮気なんてしない。他の人にされたらなんて想像もしない。
背は低く出来ないけど、ダイエットをして葵みたいに華奢な体付きになるよう努力するから。
言われた事はないけどオカマバーの仕事も嫌なら辞めるし、女装デートを強請るのも止める。
料理が出来ない三崎に朝ごはんを作ってって無理難題を押し付けるのも止めるし、お風呂で髪を洗わせるのも止める。
自分に出来る事なら何でもするから、捨てないで欲しい。三崎の側にいたい。
「三崎さん……」
ケンヂ泣いていたらiPhoneが鳴り出したので慌てて飛び付いた。けれども電話を掛けて来たのは三崎ではなかった。意外なようでいて今なら一番に掛けて来ておかしくない相手、速水オーナーだった。
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