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第二部
⑥友達ってどうやるの?
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葵の額が蛍光灯の灯りに仄白く光っていた。
前髪は速水貰った赤い林檎のピンで留められている。
速水がドキドキして見守る中、葵は蝦とターサイの炒め物を箸で挟んで口に入れた。
「ん……旨いよ」
「っしゃあ!」
思わず拳を握った速水を見て葵が呆れる。
「俺が旨いと言ったからって、お前に何の得があるんだ?」
「それは美味しいって言って貰えた方が嬉しいじゃない。作った方としてはさ」
「ふぅん……。言った方がいいのか」
「口に合わない時も言ってよ」
「じゃあシイタケが嫌い」
「それは口に合わないというより好き嫌いだね」
「蕪も、タケノコも、さつま芋も嫌い。あと煮物に入った鶏肉も嫌い。ってか煮物が嫌い。それから――」
「待って!」
速水は思わず葵のお喋りを止めた。
「あのね、教えて貰えるのはありがたいけど、余り嫌い嫌いと連呼されると凹むから好きな物だけ教えてよ」
「好きな物? 好きな――」
「あっ、ちょっと待って!」
速水は再び葵のお喋りを止めて胸元を握り締めてテーブルに突っ伏した。
彼の口からその単語が出ただけで胸がドキドキして平静でいられなくなったのだ。
いい年をして何をやっているのだと思うけれど、葵の言葉は一つ一つがくっきりとした輪郭で自分に届くのだから仕方が無い。彼の言葉は自分にとってはとても特別に響く。
「教えてくれるのは、一日に一つまでにしておいて」
「変な奴だな。まぁいいけど」
葵は溜め息を吐いて炒め物をパクパクと食べ始めた。速水はそれを満ち足りた表情で見詰める。
(食べている姿も可愛いなぁ。無心と言うか、目の前の事に集中してしまう感じが子供っぽくて可愛い。周囲に無関心なあの瞳をこちらに向けたくなる。ねぇ、君は俺に興味が無いの?)
速水に熱心に物欲しそうに見詰められて、他人の感情に疎い葵も流石に興味を持たれている事くらいは感じ取れる。
「何だよ、ボクに何か言いたい事でもあるのか?」
「えっ? いや、そんな……」
“綺麗” だとか “可愛い” とか、速水はこれまで幾らでも言ってきた。相手が恥ずかしがる程に歯の浮くような臭い台詞が口からペラペラと出て来て、すっかりその気になった相手をお持ち帰りするのがいつものパターンだった。なのに葵は不機嫌そうな顔で見詰めてくるから、とても真っ直ぐに問うてくるから、軽い気持ちで口説く事が出来ない。
「君が、俺は……」
速水は言い掛けた切り言葉を失う。それを見て葵は案外と短気なので、話が無ければ知らないとばかりに立ち上がる。そして重ねた皿を手に速水を見下ろして冷ややかに告げた。
「言いたい事があるならはっきりと言いな。ボクは “察する” とか “空気を読む” なんて真似は出来ない。 “普通” は分かるなんて言われても困るんだ」
そう言った葵の瞳が傷付いて見えて、速水は慌てて立ち上がった。
「分かって貰おうなんて思っていない! だって俺だって分からないのに……」
そう、速水は自分の気持ちが分からなかった。葵に強く惹かれている事は確かだが、彼はオカマでは無い。そして女装させたいとも思わない。
(それはつまりは睦月を性的対象と思っていないという事じゃないか?)
速水は欲望の伴わない感情を恋だとは認めない。男ならば、好きならば相手を抱きたいと思うものだ。
葵を好きならば抱きたいと――
「速水?」
首を傾げられて速水の心臓がドキリと音を立てた。
葵のゆったりとした部屋着から覗いた鎖骨が綺麗で、寝起きのまま少し乱れた髪が速水に息を詰めさせ、ゆるく結ばれたふっくらとした唇に目を引かれた。
(なんてこった。俺は睦月そういう目で見ている。あの部屋着を脱がせて肌に触れたいと思っている。そのまま貪り尽くし、滾る情慾をぶつけたいと思っている。なんてこった)
「速水? 本当にどうしたんだ? 顔が赤いけど、具合でも悪いのか?」
額に向けて何気なく伸ばされた手を、速水は咄嗟に弾いてしまった。
「っ!」
葵が目を丸く見開き、吃驚した顔で見返す。
「ごめん、俺は――」
「…………もういい」
葵は静かに言い放つと速水に背中を向けた。速水は勿論この状況で行かせてしまってはいけない事くらい分かっている。分かっているのだけど、どうしても言葉が出て来なかった。
速水は泣きたい気持ちでその場に立ち尽くした。
一方、葵だってらしくもなく苛々してムカムカしていた。
速水は良く分からない事で一人で勝手に喜んだりバタバタと不審な動きをして、そうかと思えば言いたい事でもあるのかやたらとじろじろと自分を見詰めて来た。
何が言いたいのだと聞いてやっても口を濁し、その癖に瞳は明らかに自分に何かを訴えていた。
そんな目で見詰められても困る。普通ならその雄弁な瞳を読み解けるのかも知れないが、自分は普通では無い。しかも自分でも分からないだなんて言って、更に葵を戸惑わせる。
急に赤くなった “友達” が心配で触れようとしたら拒否されたし、葵は本当に訳が分からない。友達になってくれと言ったのは向こうなのに。
同じ友達でもこれがケンヂならきっと自分に不安など与えない。ちゃんと訳を説明して笑わせてくれる。
ケンヂはとても明朗で分かりやすい。速水とは全然違う。
(やっぱりケンヂ以外の友達なんて無理だったんじゃねぇの?)
あの時は何となく上手く丸め込まれてしまったが、よく考えたら速水とは余りにも違い過ぎる。
葵はクラブとかバーとか華やかな世界の事はよく分からないし、着るものなど楽ならば何でもいい。
食事は毎日同じものでも構わないし、寝たい時に寝て買い物は二十四時間開いているコンビニで済ませる。
健康の為に運動をしようなどという気はこれっぽっちもなく、煙草を止める気も無い。
速水が一生懸命に食事を作って食べさせてくれても、ろくろく感謝もしていない。でも。
(迷惑とは思ってねぇけどな)
だって速水は何をしても決して研究の邪魔はしなかった。
煙草も取り上げないし、壁が厚くて音が余り漏れないとはいえ間借りした部屋で大音量で音楽を掛けても苦情を言わない。
(それって、凄く珍しいんだぜ?)
世の中にはやりたい事を黙ってやらせておいてくれない人間が多過ぎる。ケンヂですら、良かれと思ってではあったが一時的に研究よりも他の事を優先させようとした。ましてやそれ以外など。
『やりたい事だけをやってればいい人なんていないの。普通は周りに合わせるものよ』
大人は皆、そう言った。でも葵はやりたい事だけをやっていたかった。どうしてもどうしても皆の言う “普通の人” にはなれなかった。
そうして皆に見放され、立ち去られた。
(別にいいけど、楽なんだけど、それでもケンヂが残ってくれた時にはホッとしたんだ)
例え本当は葵をまともにしたいと思っていても、諦めただけだとしてもケンヂが側に残ってくれたのは嬉しかった。
だから研究以外の、自分の歩み寄れるところはケンヂに歩み寄ろうと葵なりに努力をした。
速水に対してはまだ何も努力をしていない。
(仕様がねぇ。 “友達” なら何をするものなのか、ケンヂに訊いてみるか)
葵はケンヂの携帯に電話を掛けた。けれども電話に出たのは三崎だった。
前髪は速水貰った赤い林檎のピンで留められている。
速水がドキドキして見守る中、葵は蝦とターサイの炒め物を箸で挟んで口に入れた。
「ん……旨いよ」
「っしゃあ!」
思わず拳を握った速水を見て葵が呆れる。
「俺が旨いと言ったからって、お前に何の得があるんだ?」
「それは美味しいって言って貰えた方が嬉しいじゃない。作った方としてはさ」
「ふぅん……。言った方がいいのか」
「口に合わない時も言ってよ」
「じゃあシイタケが嫌い」
「それは口に合わないというより好き嫌いだね」
「蕪も、タケノコも、さつま芋も嫌い。あと煮物に入った鶏肉も嫌い。ってか煮物が嫌い。それから――」
「待って!」
速水は思わず葵のお喋りを止めた。
「あのね、教えて貰えるのはありがたいけど、余り嫌い嫌いと連呼されると凹むから好きな物だけ教えてよ」
「好きな物? 好きな――」
「あっ、ちょっと待って!」
速水は再び葵のお喋りを止めて胸元を握り締めてテーブルに突っ伏した。
彼の口からその単語が出ただけで胸がドキドキして平静でいられなくなったのだ。
いい年をして何をやっているのだと思うけれど、葵の言葉は一つ一つがくっきりとした輪郭で自分に届くのだから仕方が無い。彼の言葉は自分にとってはとても特別に響く。
「教えてくれるのは、一日に一つまでにしておいて」
「変な奴だな。まぁいいけど」
葵は溜め息を吐いて炒め物をパクパクと食べ始めた。速水はそれを満ち足りた表情で見詰める。
(食べている姿も可愛いなぁ。無心と言うか、目の前の事に集中してしまう感じが子供っぽくて可愛い。周囲に無関心なあの瞳をこちらに向けたくなる。ねぇ、君は俺に興味が無いの?)
速水に熱心に物欲しそうに見詰められて、他人の感情に疎い葵も流石に興味を持たれている事くらいは感じ取れる。
「何だよ、ボクに何か言いたい事でもあるのか?」
「えっ? いや、そんな……」
“綺麗” だとか “可愛い” とか、速水はこれまで幾らでも言ってきた。相手が恥ずかしがる程に歯の浮くような臭い台詞が口からペラペラと出て来て、すっかりその気になった相手をお持ち帰りするのがいつものパターンだった。なのに葵は不機嫌そうな顔で見詰めてくるから、とても真っ直ぐに問うてくるから、軽い気持ちで口説く事が出来ない。
「君が、俺は……」
速水は言い掛けた切り言葉を失う。それを見て葵は案外と短気なので、話が無ければ知らないとばかりに立ち上がる。そして重ねた皿を手に速水を見下ろして冷ややかに告げた。
「言いたい事があるならはっきりと言いな。ボクは “察する” とか “空気を読む” なんて真似は出来ない。 “普通” は分かるなんて言われても困るんだ」
そう言った葵の瞳が傷付いて見えて、速水は慌てて立ち上がった。
「分かって貰おうなんて思っていない! だって俺だって分からないのに……」
そう、速水は自分の気持ちが分からなかった。葵に強く惹かれている事は確かだが、彼はオカマでは無い。そして女装させたいとも思わない。
(それはつまりは睦月を性的対象と思っていないという事じゃないか?)
速水は欲望の伴わない感情を恋だとは認めない。男ならば、好きならば相手を抱きたいと思うものだ。
葵を好きならば抱きたいと――
「速水?」
首を傾げられて速水の心臓がドキリと音を立てた。
葵のゆったりとした部屋着から覗いた鎖骨が綺麗で、寝起きのまま少し乱れた髪が速水に息を詰めさせ、ゆるく結ばれたふっくらとした唇に目を引かれた。
(なんてこった。俺は睦月そういう目で見ている。あの部屋着を脱がせて肌に触れたいと思っている。そのまま貪り尽くし、滾る情慾をぶつけたいと思っている。なんてこった)
「速水? 本当にどうしたんだ? 顔が赤いけど、具合でも悪いのか?」
額に向けて何気なく伸ばされた手を、速水は咄嗟に弾いてしまった。
「っ!」
葵が目を丸く見開き、吃驚した顔で見返す。
「ごめん、俺は――」
「…………もういい」
葵は静かに言い放つと速水に背中を向けた。速水は勿論この状況で行かせてしまってはいけない事くらい分かっている。分かっているのだけど、どうしても言葉が出て来なかった。
速水は泣きたい気持ちでその場に立ち尽くした。
一方、葵だってらしくもなく苛々してムカムカしていた。
速水は良く分からない事で一人で勝手に喜んだりバタバタと不審な動きをして、そうかと思えば言いたい事でもあるのかやたらとじろじろと自分を見詰めて来た。
何が言いたいのだと聞いてやっても口を濁し、その癖に瞳は明らかに自分に何かを訴えていた。
そんな目で見詰められても困る。普通ならその雄弁な瞳を読み解けるのかも知れないが、自分は普通では無い。しかも自分でも分からないだなんて言って、更に葵を戸惑わせる。
急に赤くなった “友達” が心配で触れようとしたら拒否されたし、葵は本当に訳が分からない。友達になってくれと言ったのは向こうなのに。
同じ友達でもこれがケンヂならきっと自分に不安など与えない。ちゃんと訳を説明して笑わせてくれる。
ケンヂはとても明朗で分かりやすい。速水とは全然違う。
(やっぱりケンヂ以外の友達なんて無理だったんじゃねぇの?)
あの時は何となく上手く丸め込まれてしまったが、よく考えたら速水とは余りにも違い過ぎる。
葵はクラブとかバーとか華やかな世界の事はよく分からないし、着るものなど楽ならば何でもいい。
食事は毎日同じものでも構わないし、寝たい時に寝て買い物は二十四時間開いているコンビニで済ませる。
健康の為に運動をしようなどという気はこれっぽっちもなく、煙草を止める気も無い。
速水が一生懸命に食事を作って食べさせてくれても、ろくろく感謝もしていない。でも。
(迷惑とは思ってねぇけどな)
だって速水は何をしても決して研究の邪魔はしなかった。
煙草も取り上げないし、壁が厚くて音が余り漏れないとはいえ間借りした部屋で大音量で音楽を掛けても苦情を言わない。
(それって、凄く珍しいんだぜ?)
世の中にはやりたい事を黙ってやらせておいてくれない人間が多過ぎる。ケンヂですら、良かれと思ってではあったが一時的に研究よりも他の事を優先させようとした。ましてやそれ以外など。
『やりたい事だけをやってればいい人なんていないの。普通は周りに合わせるものよ』
大人は皆、そう言った。でも葵はやりたい事だけをやっていたかった。どうしてもどうしても皆の言う “普通の人” にはなれなかった。
そうして皆に見放され、立ち去られた。
(別にいいけど、楽なんだけど、それでもケンヂが残ってくれた時にはホッとしたんだ)
例え本当は葵をまともにしたいと思っていても、諦めただけだとしてもケンヂが側に残ってくれたのは嬉しかった。
だから研究以外の、自分の歩み寄れるところはケンヂに歩み寄ろうと葵なりに努力をした。
速水に対してはまだ何も努力をしていない。
(仕様がねぇ。 “友達” なら何をするものなのか、ケンヂに訊いてみるか)
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