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第二部

④友人になる

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 反らされた白い喉。キラリと光る銀色の切っ先。
 長い髪を鷲掴んだ手がやけに目の裏に残った。
 速水は慌てて部屋に押し入り、葵から鋏を取り上げた。

「何をしているんだっ!」
「……え? 何って……髪を切ろうと思って」
「……え? 髪?」

 呆然とする速水の顔を葵が眉を寄せて睨み付けた。

「何だと思ったんだよ」
「何ってそれは――」

 速水は葵が発作的に死のうとしたのかと思った。けれども葵は本当に髪を切ろうとしただけだった。
 彼は実験で髪を焦がす度に鋏でジョキンと切り落としていた。随分と乱暴だけれど彼ならばやりかねないし、自殺をはかると考えるよりも余程に無理が無い。

「大体、なんでボクが死ななきゃいけないんだ」
「だって、行く当てが無い事を儚んだかと思って……」
「馬鹿か。そのくらいの事で世を儚んでたまるか。それは、今直ぐに追い出されたら途方に暮れてしまうけど……」

 葵に不安気に見詰められて速水は息苦しさを覚えた。

(彼を追い出すなんて俺に出来る筈が無いのに)

 速水はなるべく誠実に聞こえるように真剣に言った。

「今、君の住むところを探しているから、見付かるまでは此処にいて欲しい」

 それを聞いて葵は少しホッとしたように見えた。
 自分と暮らす事に何の感慨も持たないのだと思っていたが、それでも幾らかは彼の助けになっていたらしい。
 速水は自然と頬が弛んでしまう。

「何を笑ってんの?」
「いや、別に。それより、髪を切ってあげようか」
「いい」

 にべもない葵の返答にも速水は怯まない。

「君が自分で切るよりは俺の方がマシだと思うよ。ほら、貸して」

 速水は葵から鋏を受け取り、幼児の髪を切る要領で少しずつ髪を指に巻き付けて切っていった。

「髪が多いね」

 シャキン、シャキンと鋏の音を軽快に響かせながら速水が話し掛ける。それに対して葵もぽつりぽつりと言葉を返す。

「あんたも多いじゃん」
「でも毛が細いから、その内に薄くなりそうでさ」
「若白髪の奴は禿げにくいって言うぞ」
「あ、白髪ならすっごく多いよ。じゃあ禿げないかな」
「禿げたら剃っちまえよ」
「スキンヘッドかい? 怖がられないかな」
「怖いだろうな」
「じゃあ嫌だよ」
「禿げたら面白そうだな」
「君、何気に失礼だねぇ」

 嘆息を吐いた拍子に速水の指が襟足に触れて、葵がくすぐったそうに肩を竦めた。それを受けて速水は大袈裟なくらいに慌てた。

「ごめん、ワザとじゃないんだ」
「誰もそんな事は思わねーよ」

 触られたってどうって事も無いし、と続けられて速水は面白くない。 
 少しは意識して欲しい。

「葵は俺が恐くないの?」
「は? なんで?」

 葵に目を丸くされて、速水は悔しくて唇を噛んだ。

「俺はゲイだよ。それに君よりもうんと大きくて力も強い」
「それは自慢か? それとも俺が小さいって馬鹿にしてんの?」
「そうじゃなくて、俺に警戒しろって――」
「別にゲイだからって、誰でも良い訳じゃないだろう? 
 ケンヂとかなら分かるけど、俺がそんな心配をするのは滑稽だろうが」
「君ねぇっ、ケンヂを持ち出すのはいい加減にしてくれないか? ケンヂなんかより俺は君が――」
「ケンヂって言うな!」

 怒りの籠る葵の声に、速水の身体がぎくりと竦んだ。
 しまった。友人を貶すのは一番やってはいけない事だった。女は例え相手が親友であっても、自分の方が上だと言われて悪い気はしない。でも男は違う。まるで自分自身を貶されたかのように本気で怒る。
 そんな事は知っていたのに。
 速水は葵に謝った。

「ごめん、ケンヂを馬鹿にした訳じゃない。俺はただ君が自分よりもケンヂを――」
「なに?」
「……いや、なんでもない」
 速水は葵の冷ややかな視線に圧されて口を噤んだ。

 葵の顔を隠していた鬱陶しい髪がすっかり切り落とされ、冴え冴えとした美貌が露わになっていた。
 彼はきっと自分の美貌に気付いていない。周りの誰も気付かなかったか指摘しなかったのだろうし、ケンヂは見た目で葵を気に入った訳では無い。
 でも速水には最初から明々白々だった。葵が稀に見る美しい男だという事は、下手をしたら人に恐怖や違和感を与えてしまうくらいにずば抜けた美形だという事は分かっていた。
 隙の無い美貌は人に緊張感を与える。もしかしたら葵もそれで偏見にさらされ迫害されるような事があったかもしれない。自分の美しさを使いこなすほどの才覚がありそうにも見えないし。
 こうして無頓着に埋もれさせてしまっていたのは自分でも持て余していたか、それか本当に全く外見に興味が無いのだろう。速水は見ているだけでうっとりと耽溺してしまい、至福を覚えたが。

「睦月……可愛い……」

 速水が葵の短くなった髪先を手のひらに掬い上げて口付けた。

「あんた、何やってんの?」

 葵にギョッとしたように言われて、流石に彼も驚いたのだと速水は自分の行いを少しだけ反省する。

「ほら、俺が君を可愛くしてあげたから」

 速水は自分の作品を愛でただけのフリをした。葵はあっさりと騙されて「ああ、髪型か」なんて的外れに納得している。

『いいや可愛いのは君だよ』

 速水もいつもの如くさらりと言ってしまえばいいのに言えない。葵に本気で引かれたくないし、歯の浮くような台詞を彼に言う事が何となく恥ずかしい。

『君は他の誰とも違う』

 恥ずかしいのに次から次へとそんな台詞が頭に浮かぶ。

『だから他の人を引き合いに出してはいけないよ』

 特にケンヂは駄目だ。速水の妬心が煽られてしまう。

 彼は浮気性だから、彼氏三崎がいるのにアンコに遊ばれたりノリと遊んだりするんだ。
 君の事も特別扱いで、俺を閉め出そうとして。
 いっその事、研修の名目で関西店に修行に行かせようか。
 いやしかしただのアルバイトにそれは無理がある。
 どうしたら君とケンヂを引き離せるだろうか?
 君を独り占めにしたいなぁ。

 速水の想いに葵は気付かない。気付かないまま爆弾を落とした。

「ケンヂも可愛いって言うと思うか?」
「…………言うんじゃない(何故君がケンヂの目を気にするっ!)」
「ボクの友人はケンヂだけだからね、どうせなら彼にも可愛いと言って欲しい。早速見せに行ってくるよ」
「ちょっと待って、実験の続きはっ!?」
「機械が壊れた。修理を呼ばないといけない」
「なら尚更家にいないとっ!」
「どうせ今日はもう来ない。ならボクはケンヂと酒が飲みたい」
「酒ならうちで飲めばいいだろう」
「でもケンヂがいない」
「ああもうっ!」

 急にケンヂケンヂ言い出した葵に速水が苛々する。まさかケンヂが速水から葵を遠ざけようと、この間からマメにメールや電話をしている事に気付いていない。
 葵は出逢ったばかりの頃のように自分に構ってくれるケンヂに、月の引力に引かれる満ち潮のように気持ちが盛り上がっていた。

(ああ、面白く無い。友人はケンヂだけだなんて、そんなの、そんなの――)

「葵、俺と友達になろう!」

 速水は殆ど考え無しに、発作的にそう言っていた。

「…………は? あんたと?」

 とても懐疑的に見られて速水の顔が真っ赤に染まった。
 男をベッドに誘う方が余程に簡単だ。でもここはどうしても彼と友達にならなければいけない。

「俺には部下も商売敵も同盟者もいる。でも友人がいない」
「一人も?」
「そうだ。たったの一人もだ」
「それは……ボクよりも酷いな」
「そうだろう? だから君に助けて貰いたいんだよ」
「ふぅん……助けて、ね」

 葵が落ち着かない様子で速水をじろじろと上から下まで眺めた。

「友人はいない?」
「いない。暫く一緒に暮らしたから分かるだろう? 仕事の電話は沢山来るが、誰一人家には訪ねて来ない」
「うん」
「それに掃除とか炊事とか、家事のマメな男は嫌われるんだ」
「ボクは別に気にしない」
「それも友達にして欲しい理由だ」
「なるほど」

 いつの間にか少し気持ちを動かしている葵に速水が更に畳み込む。

「それにケンヂという最初から共通の話題もある」
「おぅ、それはした事が無いな。誰かとケンヂについて語り合えるのか」
「俺は君の知らない彼の話も知ってる(流石に話せない事が大半だけど)」
「オカマバーでのケンヂ?」

 ふわんと笑われて速水は口を開いたまま見惚れた。

(美人の笑顔がこんなに可愛いのは有りだろうか?)

 速水はドキドキする心臓を押さえて頷いた。

「君はオカマの恰好をしているケンヂも嫌いになったりしないだろう?」
「勿論。スカートを穿こうが、化粧をしようが、女言葉を使おうが彼はボクの友人だよ」
「なら俺の友人にもなってくれてもいいだろう?」
「うーん……? まぁ、いけない理由も無いかな」

 一緒に住んでいるので自分を置いて逃げる事はないだろう、とギョッとするような事を言って葵は速水の申し入れを了解した。

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