ノンケだけどオカマバーで働いてビッチになりましたが彼氏が出来て幸せです

うずみどり

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第二部

③箱庭で過ごした日々

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 “サウンドロッククレイジー”

 それが学生時代の葵に付けられた渾名だった。 
 いつも大音量で音楽を聴いている。その癖に他人と音楽そのことについて話さない。
 色が白く窪んだ眼窩はいつも眠そうで、食事代わりに得体の知れない毒々しい赤い液体を飲んでいる。その所為で一部では吸血鬼とも呼ばれていた。
 彼は気に入った音楽を繰り返し聴きながら、一人で黙々と火花の飛び散るような危険な実験をする。熱を電気に。それを実用レベルで実現する事はとても難しい。けれど葵は憑りつかれたようにその実現を目指した。彼は卒業した後も就職はせず、一人で孤独に研究を続けた。

 それでも全く出歩かない訳では無く、実験のアイディアが生まれるからと自らは運転出来ないにも関わらず所属していたスポーツカー愛好会には顔を出していて、そこでケンヂと知り合った。
 葵は飲み会で隣りに座ったケンヂにこう言った。

『ボクはマクスウェルの悪魔を信じていない。けれど悪魔の真似事くらいは人間にも出来ると思っている』

 ケンヂは葵とは学部が違ったので――葵は物理学科だがケンヂは情報処理学科にいた――葵が何を言っているのか正確には分からなかった。けれど “悪魔の真似事” をするだけでもとても大変だろう事は察しが付いた。
 だからこう言った。

『葵先輩が悪魔の真似事をするなら、俺は箱庭を作ろうかな』
『箱庭?』
『そう。世俗から隔絶されていて、いつもご機嫌なロックがガンガンに掛かってて、先輩の好きな赤い水しか出さない』
『珈琲は無し?』
『無し。悪魔は珈琲なんて飲まない』
『野菜も食べない』
『きっと肉食だろうね』
『身体を鍛えたりもしないよな?』
『プッ。葵さん、マッチョメンが嫌いなの?』
『嫌いってか……苦手。あいつら見せたがるじゃん』
『あー、確かに』

 心当たりのある何名かを頭に思い浮かべてケンヂが頷いたら、葵がふんわりと笑った。

『お前、変わってるな』
『葵先輩に言われたくありませんー』
『ボクが言うんだから確かだよ。お前は変わってる』
『そんなぁぁぁ!』

 嘆いて見せながらもケンヂは内心でとても嬉しく思っていた。葵に変わっていると言われる事は心を許されているようで、身近に思われているようで嬉しかった。同類だと認められているような気持ちになった。

『先輩、箱庭を作る練習をするからたまに遊びに来てよ』
『練習って何すんの?』
『あなたの好きそうな窪みを作ったり、餌付けしたり』
『ボクは猫じゃない』
『悪魔も猫も同じようなものだよ』
『そうなのか……』

 葵は素直に頷いて目を閉じた。いつの間にか飲み過ぎてしまったらしい。
 酔っ払って背中に覆い被さって来た葵をケンヂは意外に思った。スキンシップなど絶対に嫌うタイプだと思っていたのに。

『葵先輩? 眠いなら送っていくよ?』
『んー、平気。もう少ししたら酔いも醒める』

 葵はそう言うが、ケンヂは彼がこのまま背中で眠ってしまうのではないかと思った。酔っ払いのパターンなど決まっているのだから。
 しかし葵は本当に三十分くらいするとスッと静かに寄り掛かっていた背中から降りて立ち上がった。

『じゃあ帰るわ』
『ちょっと、送っていきますったら』
『いい。またな』

 葵は本当に一人でさっさと帰ってしまった。ケンヂは彼の連絡先を聞いていない事に気が付いて、慌てて他の人に訊いて回ったが誰も彼の連絡先を知らなかった。

『あの人、何度訊いてもケー番もメアドも教えてくれないんだよ。カンパを頼まれるとでも思っているのかね』

 三年の一人が投げ遣りにそう言ったがそうではなかった。ケンヂも暫く経ってからその理由を知ったのだが、葵は教えた番号に連絡が無い事が嫌だったのだ。

『教えたのに掛かって来ない電話。届かないメール。そういうのって、打ち捨てられた気持ちになるから嫌なんだよ。だから教えない事にしてる』
『えっと、先輩から連絡をしたら良いんじゃない?』
『なんて?』
『今何してるー、とか。遊びに行こー、とか』
『他人が何をしているのか知る事に興味は無い。遊びにも行かない』
『そうじゃなくて――』
『分かってる。ボクは人とコミュニケーションを取るのが下手だ』
『葵さん……』

 他人とコミュニケーションを取るのが下手で苦手で、それでも平気なのだが淋しくない訳では無い。傷付かない訳でも無い。
 バッサリと割り切れないところにケンヂは葵の人間らしさを感じた。

『俺もコミュ障気味って言われてるから丁度良いよ。一緒にリハビリしよっか』
『ボクは一度も水準に達した事が無い』
『ん?』
『だからリハビリも何も、元から付き合いがない』
『ああ、そっか。じゃあ――初めてのお付き合い?』
『ボクとお前で?』
『イヤ?』
『嫌なのはお前だろう?』

 別に卑屈になるでもなく冷静に言った葵にケンヂが笑った。

『俺は嫌じゃないよ。先輩と話すのは面白いし、悪魔の研究だって出来る』
『本物じゃないけどな』
『本物は恐過ぎるから、物真似くらいで丁度良いよ。それか猫』
『ケンヂ、あれから考えたがやっぱり悪魔と猫は違うと思う』
『そう? でも葵さんは悪魔より猫に近いと思うな』
『猫は赤い水なんて飲まない』
『ねぇ、あれって何なの? いい加減に教えてくれてもいいでしょ』
『あれは自家製のエナジードリンクだ。ボクがリポ○を参考に更に強力なのを作った』
『何で赤いの?』
『分からない。作ったら赤くなった』
『ねぇ、どうしてそんなに怪しいものを平気で飲むんですか?』
『あれを飲んでると体調が良いんだ。でもケンヂが止めろと言うなら止めても良い』
『ふぅ……』

 ケンヂは思わず溜め息を吐いた。
 葵は意外と素直でものに拘らない一面もある。

『止めろなんて言いませんよ。でももう少し食事もちゃんと摂って下さいね』
『分かった』

 それ以来、葵は前よりも食べ物を口にするようになったし、ケンヂの握った不格好なおにぎりを喜んで食べた。

『お前の作ったおにぎりはロック魂が入ってるな』
『済みませんね、ところどころしょっぱくて』
『いや、甘いところもあったぜ』
『本当に済みませんっ! きっと塩と砂糖を間違えたんです!』

 今ではそこそこ料理の腕も上がったケンヂだが、葵と知り合ったばかりの頃は上京したてで何も出来ない甘やかされた坊ちゃんだった。

『ボクはお前の作るおにぎりが好きだよ。手作りが嬉しいんだ』
『そう……ですかぁ?』

 懐疑的ながらもケンヂは葵にそう言って貰えて嬉しかった。
 誰かの役に立てるのは嬉しい。初めてそう実感した。

『米だけはいっぱいあるので、そんなもので良ければいつでも作りますよ』
『うん、ボクもお返しに赤い水を……』
『いりませんっ!』

 間髪入れずに叫んだケンヂを見て葵が笑った。
 彼が案外とよく笑う事に、その時ケンヂは気が付いた。

(この人はもしかしたら笑い上戸なんじゃないかな。思っているよりもずっと明るくて、ただ理解され難いから誤解されているだけで……。俺は気付けて良かった)

 でもケンヂはその後で、葵を理解したつもりになったしっぺ返しを食らう事になる。彼を人の輪に入れようとほんの少し強引になり、傲慢になり、事を急いて彼にとって一番に大事なのは自分の研究だという事を失念した。その結果何人かの友人を失って、ケンヂも傷付いたし葵も傷付けた。
 その時に葵に言われた言葉がある。

『ボクはどうしたって “普通” にはなれない。親にもそう言われたし、教師にもそう言われた。でもな、別にそれで構わないんだ。ボクが辛いのは、“普通” にしようとされる事で――その為に誰かに頑張られる事が一番に辛い』
『葵さん……ごめん』

 彼に辛い事を言わせてしまった。
 ケンヂは反省した。そしてそれ以来、葵に深く踏み込めないようになった。
 とても大事なのに、友人として側にいて出来る事はしたいのに、何処かで線を引いてしまう。そこから先に入っては駄目だと二の足を踏んでしまう。
 それは互いに傷付かない為に必要な事とも思えたし、自分の弱さとも思えた。それが無ければケンヂは葵ともっと違った関係になっていたかもしれない。今となっては何を言っても仕方がないけれど。

(普通でない葵先輩はどんな人となら上手く行くのだろう? 相手もやはり普通でないのだろうか)

 ケンヂは自分が踏み込めなかった葵の奥深くまで入る人が現れる事を、願いもしたし懼れもした。そんな人が現れたら応援したいような邪魔したいような、複雑な気持ちだった。

(それがオーナーだとしたら――俺はどうしたらいいんだろう?)

 あの人を信用して葵を預けるのか、それとも邪魔をするのか。
 間違えたくないと思う余り、ケンヂは咄嗟に態度を決め兼ねた。

(速水さんは立派な大人だと思うし、ひょっとしたら葵さんの運命なのかもしれないけど――)

 けれども速水は余りにも手が早過ぎた。葵が食い散らかされる未来しか見えない。

(オーナー、ごめんね。あなたに葵さんは任せられないよ)

 ケンヂは大事な先輩を任せるのに速水は値しないと判断した。彼を守らなければと強く思った。


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