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後編
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勝てないと、そう思った。
その日の午前はちょうど授業がなく、提出レポートも済ませてやることがなかったから、たまには弁当でも、なんて思って、御澤の好物を詰めたものを2時間かけてまったりと作ったのだ。
御澤に料理を褒められるとメンタルが安定する。特に、当時は御澤にいい感じの女性がいると聞くようになった頃だったから、そのせいでささくれだった心をどうにかしたいと思ったのだ。
位置共有アプリで居場所を確認すれば、学内カフェのラウンジにピンが刺さっていた。
ラウンジに着いた途端、俺は自分の何気ない思いつきが全くの逆効果だったことをすぐさま悟った。
混雑するラウンジ内で、その一角はまったくの異彩を放っていた。
互いが互いの輝きを高め合うような有様だった。それほどに、その二人が向かい合っている光景は完璧だった。
御澤と、他学部の俺でも知っているくらい有名な、薬学部のマドンナ。そんな二人が、実に和やかな様子で席を囲んでいた。
ため息が出るほどに美しく、非の打ち所がない。けして触れてはいけない、聖域めいた隔絶感。
それを裏付けるが如く、混み合ったラウンジ内でも、彼らの近くの席に誰一人として座っていなかった。どんなに野暮な人間でも、あの二人の息づく空間を踏み荒らしてはいけないと本能的に思うだろう。まさに圧巻だ。
俺は息を飲み、何かを考える前に踵を返して立ち去った。内臓が焼け焦げるように熱く、居た堪れなかったのだ。
ついに、自分という存在が、御澤にとって余分なものに成り下がったのだと痛感した。
「消えてえ……」
その後の授業は自主休講。サークルの部室に駆け込み、フウフウと息を荒げながら涙を必死で堪えるなどという、いかにも無様な時間の使い方をした。
ややあって、そんな俺しかいない深海並みの湿度の部室に入って来た宮藤先輩(先週スロットでアホの金額スッて金欠)に弁当を押し付けた。自分で処理しきれないほど食欲が減退していたからだ。
「ねえ、俺サバ嫌いなんだけど」
「捨てればいいと思うッスよ」
「……なに、凹んでる? さてはお前も今朝の新台入れ替えで負けたクチ?」
「先輩と一緒にしないでくださいよ。てかまた懲りずに打ちに行ったんですか? どこから金出てくるんです?」
「腎臓売った」
「想像を絶するカスだ……人間界から出ていけ、野生に還れ。先月俺が貸した2万だけ置いていけ」
「果たして我らが地球の力を以てしても俺の宇宙よりも広大な射幸心を満たせるのかな? 2万は月末まで待てください」
「もう金返さなくていいから地球から出ていってくれ」
「いや当たり強。何があったん、話してみ? 停電時の冷凍庫よりも役に立たんアドバイスしかできんけど、ゴミ箱くらいにならなってやってもいいぜ」
「まず俺が現在進行形でルームシェアしてる中学からのダチに片想いしてるホモってところから話さなきゃいけないんですけど、聞きます?」
「やァっべ、一ヶ月放置した炊飯器の蓋開けた気分、今」
「でしょうね……」
「まあいいや。2万チャラにしてくれることに免じて聞くわ」
「……そいつに彼女できるっぽくて」
「うわ、ドンマイ」
「ルームシェア気まずいな~~って」
「俺まで吐きそうになって来た。気まずすぎそれは。てかそもそも片想い相手とルームシェアしたことからして判断トチってね?」
「マジそれ~~~~~~、でも恋心自覚してなかった時からの約束だったんスよ、アイツめっちゃ律儀な奴で……今の暮らしもめちゃくちゃ居心地いいから手放せなくてズルズルと続けてたら遂に、みたいな?」
「あ~~~~、相手律儀なやつならさあ、いっそ押し倒しちまえば? ワンチャンあるんじゃね?」
「ハハッ、ガチで犬の糞ほど役に立たねえアドバイス……それが出来てたら今の今でこんなこと悩んでないんスよ」
「正直なとこ言っていい?」
「うい」
「ダルいしキツい。さっさとルームシェア解消しろ」
「ウス」
「新居決まったら報告しろよ、傷心慰める酒くらいなら恵んでやっから」
「クソ~~~~ギャンカスでさえなけりゃ好きになってる」
「おう、金貸してくれるやつは老若男女問わず愛してんぜ」
「地球上で最もカスな博愛じゃねぇか」
そんなことで、俺は宮藤先輩にケツを蹴られて物件探しを始めた。御澤にはバレないよう、慎重に。
どこまでも未練がましい心が、せめてこの仮初の幸福を長引かせたいと思い上がるのだ。
俺が引越しを検討していると知った御澤は、残念がってくれるだろうか、それとも。
きっとあのマドンナは、俺よりもずっと美味しい肉じゃがを作るだろうし、俺みたいににんじんを生煮えにすることもないのだろう。
冷蔵庫の余り物の野菜を焼肉のタレで雑に炒めてご飯に乗っけて、ウインナーと目玉焼きを添えて体裁を整えるような姑息なこともしないだろうし、安い牛肉フィレを黒毛和牛の牛脂で焼いて高級感を演出することも多分しない。
まずいな、高嶺の花子さんじゃないけど、多分俺何一つとして勝ってない。さっさといい物件見つけないと。
御澤の隣にいたいのは今だってそう。でも、それ以上に、御澤の人生の邪魔にだけはなりたくない。
物件探しは現実逃避にはうってつけの時間潰しになった。同時、俺はあまり御澤との家に帰らないようになった。今までは盛んに断っていた飲みの誘いに乗るようにしたし、そうでない、予定がない休みの日なんかは臨時バイトを入れて申し訳程度の引っ越し費用を稼いだ。
あの家にいればいるほど、俺ではなく、あの超絶美女の彼女さんと仲睦まじく過ごす御澤のことを想像しては、居心地が悪くなるのだ。
分かっていたことだ。いつかはこうなるって。それでもなお、身に余る幸せにしがみついていた。そのツケが回って来たタイミングが今だったと言うだけの話。
「ナオキくん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いまいいかな?」
「お、おう。どした?」
「これについて説明が欲しくて」
そんな生活を始めて一カ月ほど経った時だった。今日は講義が終わったら早めに帰ってきてほしい、という御澤からのメッセージを受け取ったので、その通りに家に帰った。御澤からこのような要請を受けるのは本当に珍しいことなのだ。余程の用事があるのだろうと思い、深く考えることなく、3時ごろ帰宅した。
そして、リビングに足を踏み入れた瞬間、御澤は有無を言わせぬ口ぶりで、これ見よがしにテーブルを叩いた。
その手のひらの下には、物件の資料が広げられていた。二の句をつげないまま、おれはその場に立ち尽くした。
御澤はにっこりとよく出来た仮面のような笑みを浮かべていた。感情を押し殺している時の顔だとわかった。
「学生向け、一人暮らし用の物件だね」
「そう、だな」
「ナオキくんのもので間違い無いよね」
「ああ」
「そっかあ、とりあえず座ってよ。ゆっくり話聞きたいな」
言われるまま、テーブルにつく。この時はまだ、今夜がトビキリ長い夜になることなど知る由もなかった。
長い付き合いからくる直感からして、御澤が押し殺している感情の正体は怒りなのだろうと思う。しかし、その怒りと、物件資料が見つかったことの間に関連性を見出すことが出来ない。今の今まで相談もせずに物件探しを進めていたからだろうか。
「その、例えば、どんな話が聞きたい?」
「そうだね、一番は動機だよね」
取り調べか、これは。実際、それくらいの緊迫感に満ち溢れたテーブルだ。表面上、平常心を装ってはいたが、内心ではしっかりパニックである。確かに後ろめたさはある程度あるが、それにしても、こんなにも過敏に取り扱われるべき議題なのだろうか。甚だ疑問だった。
「動機って言うけどな……まだ引っ越しを決めたわけでもない、ちょっとした気分転換くらいの気持ちで物件情報を見漁ってる段階でさ、そんな差し迫ったものがあると思われるなんて想像もつかなかくて。マジで、その資料もそれくらいの軽い気持ちで取り寄せただけだから、そんな真剣に受け取らなくても大丈夫だよ。気にしないでくれ」
「引っ越しを決めてないだけで、結構本腰入れて探してるよね、これ。そもそも、真剣に検討してもいないのに物件資料を取り寄せるなんて、それこそありえない話だと思うけど」
御澤のつり上がった口角がピクリと痙攣する。そうとうな苛立ちがひしひしと伝わってきて、喉の奥が引き攣るようだった。長い付き合いになるが、温厚な御澤がこれほどまでに怒りを滾らせているところを目の当たりにしたのはこれが初めてだった。
「悪い、こういう大事なことはまず相談するべきだった。マジで、本気で今すぐ引っ越しとかしようなんて考えてやってたわけじゃなくってさ。いざという時のための備えって言うか……相談するにしても、ちゃんと自分である程度イメージとか固めた後が良いって思ってただけなんだ。コソコソしてるみたいに見えて気分悪かったよな、本当にごめん」
「……相談する予定自体はあったんだね。そっか。まず僕の認識を共有させてもらうけど、引っ越しを検討する前に、その決断に至る原因が発生した時点で相談してほしかったんだよね。これでも僕、ナオキくんがこの生活に対して間違っても不満なんか抱かないように努力は惜しまないつもりでいるよ。勿論、ナオキくんのやさしさに甘えていた部分だってあったかもしれないけど、それを少しでも負担に感じたときはためらわず共有してくれるくらいの信頼関係を期待してた」
待て待て待て、やさしさに甘えてた? それは俺のセリフだ。俺の方がずっと御澤のやさしさに甘えっきりだった。あろうことか、なおもこの御澤という男は、自分自身に対して問題を見出そうとしているらしい。御澤に問題なんかあるはずないのに。
全部、俺が悪いのだ。だからこそ、俺は御澤から離れないといけない。
「相談することなんてない。あるはずない。要らない心労をかけちまったんだな。俺がお前との共同生活に不満なんか抱くはずないじゃんか。実家の数十倍は居心地いいし、快適だし、最高だよ。お前はいつも完璧以上に気遣ってくれるしさ……でもな、だからこそだよ。だからこそ、俺には勿体ないなって、思う瞬間が何度もある」
「なに、それ。もったいない? 何が?」
微塵も納得していない顔で、御澤は苛立ちを誤魔化すような半笑いを滲ませながら首を傾げてみせる。半笑いとは言ったが、どこか泣きそうな顔にも見えた。
「何が、って言われたらちょっと困るけど、なんだろうな……恵まれすぎてるんだよ。こんな俺には相応しくない、過ぎたる暮らしだなって。だから、いつ取り上げられても仕方ないと思うし、その時が来ても潔く割り切れるように、準備だけはしておきたくなった。それだけ。俺から同居を解消しようって言いだすことは……うん、ごめん、ありえない。意気地なしだから、俺」
「アハ、ふふ、変なの。僕に追い出される可能性なんてものを考えてこんなことしたって言うんだ。どうして?」
「どうして、って……」
「どうしてそう思ったんだろうね。何か、後ろめたいことでもあるとか?」
息を飲んだ。図星である。後ろめたいことしかない。
そうだ、御澤のことだ。その卓越した頭脳を以てすれば、俺の内面なんていとも容易く見通せるだろう。
ああ、まさか、もう、とっくにバレてる? 俺が、お前のこと、昔からずっと好きだったって。俺がどんな魂胆で物件探しをしていたかを、既に承知の上で、敢えて問いただそうと?
スウ、と息を吸った。息を吐きがてら、いやあ、と、掠れた声で取り繕ってみる。分かってはいたが、全くの逆効果だ。
「後ろめたい、後ろめたいって、いうか……普通に、俺、邪魔なんじゃねえかなって」
自然、か細く、隙間風のように突拍子もない声が零れ落ちる。ああ、俺の馬鹿。こんなの、まるきり肯定してるも同然じゃないか。もしかして、同居だけじゃなくて、御澤との関係も終焉を迎えようとしていないか? 流石にそこまでは心の準備できてないぞ。
「うーん……ごめんね、ナオキくんが邪魔だなんて言葉を使う意図がイマイチつかめなくって。でも、何かしら後ろめたいことがあることはよく分かった。それに、邪魔って言葉。咄嗟に自分に転嫁したけど、本心じゃ、思い浮かべてるところは違うでしょ」
まさか、俺が、御澤の彼女のことを邪魔だと思ってるなんてことを言いたいのか? そんなこと、あってはならない。例えそう思う心があったとしても、俺が許さない。
「違う、待て。ちょっと、落ち着いてくれ。それだけは違う。本気で、そこだけは履き違えないから。頭では分かってても心は、って言いたいんだろうし、それも否定こそできないが、だからって、自分の手前勝手な願望と事実を混同するようなことだけはしないよ。そこまで救いようのない馬鹿に成り下がるなんて、考えただけでぞっとする」
御澤は大きく目を見開いて俺を見つめた。眉根を寄せ、ハク、と口を動かしたかと思えば、きつく目を閉じて、痛みに耐えるような顔をして、やがては頭を抱えるみたいに深く俯いた。
「御託はもういいよ。物分かりが悪くてごめんね。信じたくなくて。好きな人がいるんだよね。ひとつだけ教えて。男? 女?」
ああ、こんなウミガメのスープがあるか。最悪だ。全部分かってて、それを確かめただけだったんだ。ああ、こんなにも突然に、それも呆気なく、俺は、御澤の人生から排除されるのだ。
これが自分を偽り続けた報いか。思い上がってはいけなかったんだ。
そもそも、俺はずっと、御澤の足枷になっていたんだから。これ以上しがみ付いても、御澤の不利益にしかならない。潔く、裁きを受けて退場しよう。
「お、とこ」
ジーンと、耳鳴りが鳴るような、重苦しい沈黙が、リビング全体にのしかかる。
御澤は、静かに、ゆっくりと、大きく深呼吸した。俺には、それが、噴火直前の大火山のように思えてならなかった。
「せめて、女ならなあ」
ややあって、御澤はポツリと呟く。ああ、そうだよな。ノンケからすれば、同性からの恋愛感情なんて気持ち悪いよな。一番近くにいた人間から、そんなものを向けられていたなんて、今までの全ての思い出が汚されたみたいな気分になるだろう。当然だ。
「ずっと、黙ってて、ごめん」
「ううん、全部、こっちの落ち度」
感情を感じさせない、無機質な声とともに、御澤はガバリと顔を上げた。その面持ちにどこか鬼気迫るものを感じて、俺は全身を強張らせた。
御澤はうっとりと笑っていた。きっと、やけっぱちの笑顔だ。悪夢に出てくる天使のように、無惨なまでに美しいさまだった。
「ねえ、誰? 考古学研究Ⅱのフィールドワークで一緒のグループになってから定期的に飲みに行く立木さん? 確か今週の土曜にも約束あったよね。それともサークルの宮藤先輩? 2万返してもらえた? 先々週の火曜日一緒にまどマギのスロット打ちに言った時あの人大勝ちしたんだからその時で返してもらえばよかったのに。そういう甘いところにつけこむような人なら考え直した方がいいと思うけど」
「……はっ!?」
待て待て待て、いや、どういうことだ? マジで意味わからんが。なんの話だ? どうして急に立木やギャンカス先輩の名前が出てくる?
そもそも俺、この二人の知り合いの存在を御澤に共有したこと無いんだが。どうしてこれからの予定もいつどこで遊んだかも知られてるんだ?
「なんで知ってるかって? フフ、知ってるよ、全部。ナオキくんのことだもん。でも、ナオキくんの心の中までは、どうしても分からなかった。だから、いつの間にか、どこぞの輩に搔っ攫われるようなことになっちゃったみたいだね。同居してるからって悠長に構えてる場合じゃなかったよ。あーあ、しくじった」
「ん……!? え、はい!?!?」
「もう一つだけ教えて。僕の何が駄目だった? 何が足りなかったのかな。その人のどういうところに惹かれたの? 相手が女性ならまだ仕方ないかなって思うよ。でも、男なんでしょ? どうしたら、僕はナオキくんに見てもらえたの?」
文字通り、絶句。俺は開いた口が塞がらないまま、御澤を見つめる事しか出来なかった。
そんな、まさか。もしかして夢か? 今際の際に見る最後の餞別だったりする?
だって、これじゃあ、御澤も、俺のことが好きみたいじゃないか。
「今更、かな。もう、遅いのかな。やっぱり、僕のことをそういう風に意識するのは無理か」
はらりと、桜の花びらが瞬くように、御澤の目頭から涙が溢れた。みるみるそれはしとどに溢れ出し、物件資料に無数の水玉を作っていく。滂沱の涙という言葉はこのためにあるのだろう。
「みっ、や、あの、どっ、ぉえぇ???!?」
「好き。ずっと、ねえ、ナオキくん。ずっとだよ、君に出会った時から、ずっと、僕の人生を全部捧げるくらい、ナオキくんのことが好きなんだ。君が好きすぎて、頭がおかしいんだよ、僕。君が傍にいてくれるから、ようやく生きてるくらいなんだ」
俺にとって都合が良すぎる!! やっぱ夢だろこれ!!!!
完全キャパオーバーだった。本当に、御澤の言うことが本当で、これが夢ではないなら、俺たちはずっと両片思いをしていたということになる。
そして、御澤はあらぬ勘違いをして、俺が他の男に惚れていると思い込んで漫画みたいに泣いている。それはもうとめどなく、はらはらと泣きはらしている。
どうすればいい。まずは誤解であることを伝えなければならない。でも、すっかり支障をきたした脳では、まともな言葉ひとつ紡げず、あうあうと無為に顎が動くだけ。
「……そっか、ごめんね。初めから、チャンスなんて無かったんだ」
「あっ、やっ、ちょ」
失恋する少女漫画のヒロインみたいに耽美な笑い泣きで、御澤は勝手に早とちりしてそんなことを言いだした。待ってくれ、もう少し落ち着く暇をくれ。マジで違うから。
「ねえ、一生のお願い。これを聞いてくれたら、僕、ちゃんと身を引くから。最後に……思い出、だけ、欲しい。そうしたら、諦める」
「あっ、おっ、おもい、で」
「うん……ナオキくんと、エッチしたい。最悪だよね、分かってる。でも、こうでもしないと、この想いを断ち切れない。ナオキくんにとって最悪の人間になるでもしなければ、踏ん切りがつかないんだよ」
「……っ、待、なんで、それ、じゃ」
どういうことだ。まさか、セックスしたら今生の別れみたいに考えてるんじゃないだろうな。
どうしてそうも発想が極端なんだ。俺なんか、恋心は諦めても、お前との、友人としての末永い付き合いを諦めたことなんて一度も無いんだぞ。どうして俺が諦められないことをお前はそうもすんなりと諦められる!?
「フッ、なんで、って。僕じゃない誰かと、ナオキくんが付き合って、それでも親友であり続けるなんて、僕には耐えられないよ。自分が何をするかは、僕が一番分かってる」
御澤は徐に立ち上がり、ゆっくりと詰め寄って、俺の傍らに膝をついた。途端、腹の底から内臓を突き破って溢れ出しそうな、得も言われぬ衝動が込み上げて、俺は椅子ごと後ずさった。
「いっ、一回、落ち着こう。早まらないで。話し合おう、な? 俺らに今一番必要なのは認識のすり合わせだ。間違ってもセックスではない。お前は重大な勘違いを……っ、!?」
しどろもどろながらもなんとか頭をフル回転させて言い募っていれば、焦れたらしい御澤は唐突に立ち上がって、俺の座る椅子に乗り上げた。
あ、と、声に出すこともできないまま、御澤にキスされた。
考えてもみてくれ、六年以上片想いを拗らせ続けてきた相手に、キスされたんだぞ。他の何もかもがすべて押し流されるくらいの衝撃だ。
きっと数秒くらいのものだろう。しかし、この間で、俺の脳内は超新星から白亜紀くらいまでが凝縮されたような、限りなく永劫に近い時間を味わった。
「そんな顔するんだ。僕のこと、好きでもないのに。アハ、脳みそが溶けて鼻から漏れ出てきそうなくらい頭にくる」
「ち、ちが、っあ……」
御澤の手のひらが、俺の頬から顎をゆっくりと撫でる。脳みそが溶けそうなのはこっちだ。俺には刺激が強すぎる。これでどうやって冷静になれと。
「ねえ、ナオキくん……」
捨てられた仔犬みたいなんて陳腐な感想しか浮かんでこない、哀切な眼差しが、俺を目掛けて一身に降り注ぐ。俺の理性が決壊した瞬間だった。
無理です。これ拒否るの世界一無理です。ギネスが来い。誰でもいいから俺を助けろ。
今で、こんなにも気が触れているのに。いったい、セックスなんてしてしまったら、俺はどうなってしまうのだろうか。
御澤が好きという感情に中毒を起こして死ぬのではないか? 自分の毒に当たって死ぬフグみたいに。
「駄目、かあ」
止まっていた涙が、更に勢いを増して、またもや溢れ出す。名残惜しそうに、虚しげに、俺の頬に添えられた手が、力なく滑り落ちていく。
俺は、まるで引き金が引かれたみたいな瞬発力で、その手を掴み、強く握った。
「だめ、じゃ、ない」
「……え」
「駄目じゃない、シよう、俺で、よければ」
「……言ったね」
その言葉で、壮絶な後悔が押し寄せる。しかし、俺は御澤の手を握る力を更に強めて、腹に力を入れ、ぎこちなく、それでも確かに頷いてみせた。
「後でやっぱりナシ、なんて、通じないからね」
「……ああ」
ああ、どうしよう。こんなの、マジで予定にない。
俺はとんだ大馬鹿者だ。想像を絶するほどのアホンダラだ。
御澤とヤれる、という、夢にまで見た展開に、すっかり舞い上がって、まんまと流されるのだから。
きっと、どんな天才をもってしても、俺の馬鹿だけは絶対に治せない。
***
風呂場にて、俺は絶賛目を回していた。
「僕はナオキくんのこと抱けるけど、ナオキくんは無理だと思うし、申し訳ないけど、ボトムやってもらうね」
どこか冷え冷えとした声で、御澤はそんなことを言い放った。
いや、待て。余裕で抱けるが? 何度お前のチラ見え腹筋を思い出して抜いたと思ってんだ。抜くときに想像するのは俺が御澤を抱くところだし、イメトレだけは完璧なんだぞ。
とは言え、こんな事態は全く想定していなかった以上、俺は恐らく御澤より男性同士の行為に対する知識を有していない。故に、どうやら含蓄があるらしい御澤にリードしてもらうのが一番安全だろうと判断した。俺の不手際で御澤の大事なところを傷つけるようなことになれば俺は二度とお天道様の下を歩けなくなってしまう。
そんなわけで、「俺に御澤は抱けない」なんて言う不名誉に甘んじて、御澤の言う通り、されるがまま身を任せていたのだが。
所謂、アナル洗浄の面倒を見てもらうことになり、羞恥心やら、シリンジを介して直腸内にぬるま湯が流れ込む未知の感覚やら、半裸の御澤のときめきナイスバディやらのおかげで、すっかりのぼせ上ってしまったのだ。
何より、御澤の目の前で、直腸の中に流れ込んだぬるま湯をいきんで外に出すのを何度か繰り返させられ、一生分の恥を味わったような気分である。
これがまだ準備段階であるというのだから、途方に暮れるほかない。未知との遭遇にすっかりヘトヘトになってヘタレた俺を、御澤は甲斐甲斐しく世話してくれた。それがまた居たたまれなくて、いっそ消えてなくなってしまいたいと思った。
次に、俺は全裸のまま御澤の部屋に連れ込まれ、まさかこのために買ったのかと思うような広いベッドで、尻を突き上げるような四つん這いの体勢になるよう指示された。
この時点で既に俺はもう破れかぶれだった。何か開いてはいけない扉が奥の方からガンガンとものすごい勢いでこじ開けられそうな強迫感、もうどうにでもなれ、などというやけっぱち、自分から人間としての尊厳を手放すことを強要されているような冒涜感で、最早脳内は収拾がつかない状態だ。
そんな俺は、まるで身を投げ出すようにベッドダイブし、御澤の匂いが染みついた枕を抱きしめる。御澤はそつなくベッドの上に大きなバスタオルを敷いて、ポンポンとその表面を叩いた。
らしくもなく性急だと思った。焦っているようにも見えた。この期に及んで俺が逃げることを危惧されているような気がして実に釈然としなかった。
言う通りに、御澤の目の前に尻を突き上げると、御澤はまずゆっくりアナルの周りにローションを塗布した。俺はその形容しがたい感覚に身を竦ませ、枕に顔を埋めて思いっきり息を吸った。
「ヒッ、ぁ……入れ、た?」
「うん、第一関節くらいまで。痛い?」
「痛くは……違和感、ヤバくて」
「そっか、少しずつ慣れていこうね」
有無を言わせない語気の強さ。俺の意志を常に気にする普段とのギャップにやられ、ドクドクと鼓動が暴れる。ああ、知らない御澤だ。この期に及んでときめきが止まらない。
もしかして俺ってドMなのか? 優しい御澤の意地悪なところをもっと知りたい。この身を以てたんと味わいたい。
はやく、知りたい。御澤が、俺のことをどんな風に抱きたいと思っていたのか。
「なあ、俺のことは気にしないで……もっと、雑にシても、大丈夫だから」
「……は?」
「俺、そんなヤワじゃないし」
「何それ、さっさと終わらせたいってこと?」
「いや、違っ」
「……分かってるよ。ごめんね。これが最後だから」
マジで違う! お前は俺の気持ちを何も分かってない! まあそれもこれもお前に黙って勝手に身を引こうとした俺の独りよがりのせいだが!!
御澤は今、とても冷静とは言えない精神状態だ。俺の全ての言葉をネガティブに受け取ってしまう。こんな状態で、本当の俺の気持ちを言っても、きっとまともに伝わらない。
今は身を任せよう。言葉が駄目なら、行動で示すしかない。
お前になら、何をされても構わない。一生ものの傷をつけられても、寧ろ本望なのだ。
+++
とは言ったものの。流石にここまでとは思っていなかった。
御澤はとにかくねちっこく、嬲るように俺のことを責め立てた。その上、出すまでは長いわ、何度出してもバテる気配ひとつ見せないわ、こちらの体力と余裕ばかりが削り取られていくばかりだった。
「お゛…………♡♡♡ お゛…………♡♡♡ ん、ふ…………♡ ふぅ、ふぅ゛~~~~~~♡♡♡♡」
ひとりでに、腰がガクガクと痙攣する。感覚はすっかりイカレてしまい、最早、自分と御澤との境目すら分からない。ただ、熱くて、力が入らなくて、とめどなく気持ちいい。
互いに何度イっても終わらない。ゆったりじっくり嬲るみたいな腰の動きで、終わりが見えないあまり気が狂いそうになる。とろ火で煮込まれる豚の角煮にされたような気分だ。
体力と気力の限界で意識が落ちそうになっても、御澤は強く腰を打ち付け始め、この快楽の連鎖から決して解放してくれない。
いつまで続くんだろう、もう許してほしい、頭がおかしくなる。こんなことを無理矢理教え込まれたら、二度と御澤でなければ満足できなくなってしまう。
「たひゅけへ……♡♡♡ ひぬ…………♡♡♡ も、わか、た……しゅき、らかぁっ♡♡♡♡ とま、っぉ゛…………♡♡♡」
「だって、ぜんぜん、足りないよ、ナオちゃん……一生ぶん、余さず、ナオちゃんを感じたいんだ、飽きさせてくれないナオちゃんが悪いんだよ……!」
御澤はさっきからずっとベソベソ泣きながら腰を振っている。泣きたいのはこっちだ。被害者面したお前に、俺の男としての尊厳は絶賛ブッ壊され中だっての。
快感がすぎるあまり、自律神経がおかしくなって末端が妙に冷たく感じてガタガタ震えが込み上げる。あ、ヤバい、これ本格的に不具合起き始めた。いっそ愉快になってくる。
「ふふ♡♡♡ んふ♡♡♡ ヤバ♡♡♡♡ あぁ……♡♡♡♡ きもちよすぎて♡♡♡♡ おれのからだ、へんになっちゃった……♡♡♡♡ あは、はは、タカ♡♡♡ タカぁ♡♡♡」
「なぁに、ナオちゃん」
「はっ♡♡♡ はッ♡♡♡♡ ヒュ、ひっ♡♡♡♡ んはっ♡♡♡♡ やべ…………♡♡♡♡ なんか、すご、ぜったい、これ、だめなやつ、なのに……♡♡♡♡ は、ははッ♡♡♡♡ なんか、も、どーでも、よくてっ♡♡♡♡ あは♡♡♡♡ おかしく、なっちた♡♡♡♡ あ、ぁはッ♡♡♡ っオ゛♡♡♡ お゛ォ゛~~~~~~ッッ♡♡♡♡♡」
頭が真っ白になった。ガクガクと全身を硬直させ激しく痙攣したのち、クッタリと抗いようのない脱力感。辛うじて、下半身や、腰の下に敷かれたバスタオルがびしょびしょになっていることが分かる。
「わ、ちょっと! 僕思いっきり顔にナオちゃんの潮被っちゃったよ! さすがにちょっとそれはどうなの? ねえ、ごめんなさいは?」
「???♡♡♡♡ ぁ…………?♡♡♡ あ、ごぇ、らしゃ♡♡♡♡ ごめ、れ♡♡♡♡ も、ぜんせ、わかんな……♡♡♡♡ おぇ、が?♡♡♡♡ ごぇ、ごめ、なひゃ♡♡♡」
「んーん♡ いーよ♡ ナオくん潮吹きできてえらいね♡ がんばってごめんなさいしてかわいいね♡」
それまでの自分を作り上げてきたプライドや自信を、まるで小さい子供がぬいぐるみの腕をちぎるみたいに無邪気に、残酷に、踏み躙られていく。
自分の中に眠っていた、目も当てられないようなナニカが、むざむざと開花していくのがわかった。
そして、確信した。このまま、俺の人生も、御澤にめしゃめしゃに壊されて、コイツ無しでは生きていけない、人でなしにされるのだと。
精神的に、人間ダルマにされているような気分だった。
もっとおかしかったのは、自分がそれにたいして、不思議なくらい危機感を覚えていないことだ。
頭をおかしくされるまでもなく、俺ももともと、十分に頭がおかしかったのだろう。
ああ、だったらもう、今更だな。
孝文に壊されたい。壊れるまで愛されたい。取り返しがつかないくらい。
「ナオちゃん、やっぱり僕、他の誰かにナオちゃんのこと取られるの無理だよ。そうなるくらいならこのまま死ぬまでずっとナオちゃんとエッチしてたいよ……」
「ふ、ふふ♡♡♡ いーよ♡♡♡ おれ、タカのことらいしゅき、らかぁ♡♡♡♡ なに、されてもっ♡♡♡♡ ぅお゛……ッ♡♡♡♡ は、はぁっ♡♡♡ んお゛ッッッ♡♡♡♡ らにしゃぇてもぉ♡♡♡♡ うれしぃ♡♡♡♡ はは♡♡♡♡ ぎもぢぃ゛♡♡♡♡ イ゛ッッッ♡♡♡♡♡」
「す、き? ぼく、が……?」
「うん♡♡♡♡ しゅき♡♡♡♡♡ ずっと、ずっと、ォオ゛♡♡♡♡♡ タカのこと、だけっ♡♡♡♡ だかぁ、いーの♡♡♡♡ しあわせ、らのぉ゛っ♡♡♡♡♡ んふ♡♡♡♡ たか♡♡♡♡ きもちい……♡♡♡♡ いっぱい、奥、ほしい♡♡♡♡ タカのちんぽちょーらい♡♡♡ ッ、かひっ♡♡♡ ギッ、ヒッ、ーーーーーーーーーーッ♡♡♡♡♡」
「ふっ、ふふ……あは、ははははっ! そっかぁ、好きなんだ、ナオちゃんは、僕のこと、好きだったんだ♡♡♡ 気づかなくってごめんね♡♡♡ ナオちゃん、大好きだよ♡♡♡」
「ォオ゛♡♡♡♡ やばぁ♡♡♡♡ ず、と♡♡♡♡ イ、てぇ゛ッ♡♡♡♡♡ きぼぢぃ゛♡♡♡♡♡ きもぢい゛よぉ゛♡♡♡♡♡ ぉご、お゛~~~~~~~ッッッ♡♡♡♡♡♡」
温厚で、優しくて、いつもこっちを気遣ってくれる御澤が、今は俺の余裕なんかお構いなしで、一心不乱に揺さぶってくる。ああ、なんて激しくて、一生懸命で、狂おしいのだろう。
もっと欲しい。ずっとずっと、もっと、こんなふうに暴力的に愛されていたい。俺の全てを委ねて、御澤の心の赴くまま、壊れても愛して欲しい。
ああ、まだまだ御澤を感じていたいのに。御澤がずっと秘めていた凶暴性を、ようやく暴いて、味わっていたところなのに。意識が遠のいていく。
でもまあ、いいか。これから、骨の髄まで味わい尽くせばいいのだから。
息を荒げて、腰を押し付けるように動かす御澤の首に腕を巻き付けて、柔らかい髪に頬擦りした。
「うれし、な……♡♡ おまえに、おれの、ぜんぶ……♡♡ あげられる……しあわせ、だぁ……♡♡♡」
びくり、と御澤の体が震えた。その感覚を最後に、意識はパッタリとブラックアウトしたのだった。
***
凍えるような灰色の日々を、狭い離れの一室で耐え忍んでいた僕のもとに、前触れなく吹き込んで、僕の凍った心を溶かしてくれた春風。
それが、僕にとってのナオキくんの存在だ。
小学校5年の終わりごろから発症した難病のせいで、父や兄二人が進学した名門私立に受験・進学することが不可能になった。誰も僕のことを責めなかったけれど、敷かれたレールから外れてしまった者への腫れ物扱いはどうしても否めなかった。
その空気感がどうしても受け入れがたくて、僕はずっと家の離れに閉じこもっていた。何も感じなくて済むように心を凍てつかせたのだ。
この家で、僕だけが出来損ないだと、そんな劣等感に押しつぶされないように。
だから、そんな僕にとって、ナオキくんの「もっと気楽でいい」という言葉は、思いがけず差し伸べられた救いそのものだった。
自分ですら認めることが出来なかった僕を、ナオキくんだけが、真正面から認めてくれたのだ。ただのクラスメイトと言うだけで、殆ど初対面みたいなものだった僕を、裏表のない言葉で励ましてくれた。
凍てついた心が溶かされるのと同時、どうしようもなく、鷲掴みにされた。
一目惚れとは少し違うけれど、僕は、出会った時から、ナオキくんの虜になったのだ。
そして、その日から、ナオキくんが僕の人生の中心になった。運よく、TRPGの話題で打ち解ける事ができたから、そこを足掛かりにナオキくんの興味を引き続け、そのためには努力を惜しまなかった。
難病を克服しようという熱意を持てたのも、ナオキくんのおかげだった。
学校生活を送るナオキくんのことも、余さず知りたくてたまらなくなったのだ。願わくば、自分がナオキくんの全てを独占したい。自分が知らないナオキくんを誰かが知っているという状況に耐えられない。
何より、家の離れに籠りきりの僕に、ナオキくんはほぼ毎日欠かさず会いに来てくれたから。
今度は、僕の方から、ナオキくんを追いかけたい、受け入れられたいと、そう思ったのだ。
そうして、半年にも及ぶ入院生活を乗り越え、晴れて高校からナオキくんと一緒に学校生活を送れるようになった。
そこでようやく知ったが、ナオキくんはクラスでもいつの間にか中心に据えられているような人気者だった。自分から積極的に発言するような性格ではないものの、その場にいるだけで空気を和ませる独特の雰囲気と、決める時はビシッと決める要領の良さで、妙に存在感があって印象に残る立ち位置にいるのだ。
僕はガムシャラにナオキくんを追いかけた。ナオキくんの側に立つに相応しい人間であろうと努力した。
ナオキくんは、僕が家の離れに閉じこもっている時から、僕のことをすごい奴だと言ってくれていたから、それを嘘にしないためにも、自分の能力を証明し続けた。
しかし、そうすればするほど、ナオキくんではなく、外野の声ばかりが大きくなっていった。
ナオキくんだけは、僕がどんなに変わっても、変わらなかった。僕が欲しいのはナオキくんの声だけだったのに。ナオキくんの声はみるみる小さくなっていくような気がしてたまらなく恐ろしかった。
ナオキくんの声を失えば、僕の人生はまた、灰色の冬に逆戻りしてしまう。
興味があるのはナオキくんの側だけ。それ以外のことはどうでもいい。
大学から念願のシェアハウスを始めて、生活のほぼすべてをナオキくんと共有し、ようやく僕の焦燥感は慰められた。一生これが続くように、株式投資や不動産投資でそれなりの不労所得を手に入れた。加えてAIアプリケーションの開発で起業、SNSマーケティングでそれなりの成果を上げたところで大手から声がかかり、経営権を売却、一生遊んで暮らしても差し支えない資産を手に入れることもできた。
全てが順調だと思っていた。だから、最近あまり家にいる時間が少ないナオキくんの動向が気になって色々調べているうち、彼がひとり暮らし用の物件を探していることが分かったときには、今まで築き上げてきたものがすべて崩れ落ちるような心地がした。
徹底的に原因を洗い出して、排除しなければと思った。人を雇ってナオキくんの動向を常に探ってもらいつつ、ナオキくんのスマホをハックしてメッセージのやり取りを確認した。
ナオキくんは大事な話をメッセージで済ますような性格ではないから、これしきの事で原因を洗い出すことは出来なかったけれど、格段に遊びの約束をしたり、飲みに行く頻度が増えていた。
大抵、相手は同じサークルの宮藤か、同学部の立木。メッセージの内容から察するに、何かしら相談を繰り返しているらしかった。それも、おそらくは恋愛の。
嫌な予感が膨らんでいく矢先、僕はビジネスパートナーの口から、それを決定的にするような話を聞かされた。
「そう言えば、貴方って法学部の友達とシェアハウスしてるのよね」
「それがどうかした?」
「それって田島直樹さん?」
「同姓同名の人がいなければそう」
「じゃあ十中八九そうね。私の友達が彼のこと気になってるらしくて、彼女無しだっていうから猛アピールしたけど気持ちいいくらい脈無しだったとか言って落ち込んでて。思い切って好きな人いるか聞いたら、いるって言われたって号泣よ。その子私と張り合えるくらい美人で気立てもいいから、いったいどんな人が好きなら完全スルーできるのか気になったの。何か知ってる?」
「……ごめん、知らない」
そう、返答するので精いっぱいだった。
ああ、ナオキくんに、好きな人。自分以外に、自分以上に、大事な人が、本当に出来たなんて。
僕はずっとナオキくんに夢中だった。だから、ナオキくんにもそうでいてもらっていたつもりだった。僕以外に目がいかないようにあらゆる努力を尽くした。少なくとも高校の時からナオキくんの目は僕に釘付けだったし、その自負もあったのだ。
許せなかった。僕ですら知らないナオキくんが、誰かの手に渡ってしまうなんて、想像しただけで頭が沸騰しそうなくらい耐え難いことだった。
ああ、誰かに奪われてしまうなら。いっそ、ナオキくんを。
ナオキくんに、僕を刻み付けて、全てをめちゃくちゃにしてしまおう。
ごめんね、ナオキくん。でも、君が僕をおかしくしたんだ。
だから、責任とってね。
+++
目が開けられなかった。夢であったらどうしようと思ったのだ。
次第、意識が明瞭になっていく。あとは瞼をこじ開けて現実を直視するだけ。息を吸い込めば、御澤の匂いが鼻腔いっぱいに浸潤し、強烈な多幸感と共にブハ、と息を吐く。
たしかに、溶け合うくらいの間近に、御澤がいることを、何度も何度も確かめた。
そうして、ようやく目を開けた。
「おはよう、ナオキくん」
消化不良を起こしたみたいな、釈然としない、それでも穏やかな表情で、御澤は俺の額に啄むようなキスを落とした。項のあたりがジンジン痺れるような心地がした。
「……ん、お、はよ」
カラオケオールした次の日よりも掠れた声。喉の皮膚という皮膚がべったりくっついて離れないような感覚だ。面白いくらい声が出なくて、ふへ、とつい吹き出した。
「ごめんな、早とちりして」
「早とちり?」
「お前に彼女が出来るんだって思って、俺、邪魔になるから、出て行かないとって、焦ってたんだ。お前のことが好きなのバレたら気まずいだろ」
「彼女……?」
全く心当たりがないという顔である。あれほどお似合いみたいな雰囲気醸し出しておいて。
そうじゃなかったらいったいどういう関係なんだよ。
「あのさ、もしかして、仲小路花速のこと?」
「あ、そうそう、あのミスコン優勝の」
「うわあ、そんな誤解されてたの……僕、AIアプリの開発に関わったことがあって、彼女もチームの一員だったんだ。所謂ビジネスパートナーってやつ。しかも孝之兄さんの許嫁」
「うぇっ、マジで!?」
「そうなんだよねぇ……まあ彼女普通に許嫁とか反故にするつもり満々みたいだけど。同い年以上は女性じゃないと恋愛対象にならないんだって」
「あ、そお……でもさ、そんなの超越したところにあると思うわけよ、お前の魅力って。老若男女問わず通用するだろ。お前とあの……仲小路さん? が並んでるとこ見たとき、俺はもう指くわえて見てるしか出来ねえんだぁって、諦めちまったの」
「それくらいのことで諦められるなんて、ナオキくんは優しいね。僕なんか、誰かに取られるくらいならナオキくんのこと滅茶苦茶にしちゃおうって思ったんだよ」
御澤はあからさまに拗ねたような顔を俺の目から隠すように俺の体を抱き寄せて、ぎゅう、と抱きしめた。そして、労わるような手つきで、俺の背中を優しく撫でた。
「嬉しいよ。俺でいいなら、お前の好きにして。お前に酷いことされるの、すごい気持ちよかった」
「……もう、しない。一生かけて大事にする」
「じゃあ、タカ。俺にもっと酷いことして」
「~~~~~~~ッ、ナオちゃんの馬鹿!!」
ああ、御澤の鼓動が聞こえる。バクバクうるさくて、たまらなく可愛い。
たまには、馬鹿でいいこともあるもんだなって思った。
その日の午前はちょうど授業がなく、提出レポートも済ませてやることがなかったから、たまには弁当でも、なんて思って、御澤の好物を詰めたものを2時間かけてまったりと作ったのだ。
御澤に料理を褒められるとメンタルが安定する。特に、当時は御澤にいい感じの女性がいると聞くようになった頃だったから、そのせいでささくれだった心をどうにかしたいと思ったのだ。
位置共有アプリで居場所を確認すれば、学内カフェのラウンジにピンが刺さっていた。
ラウンジに着いた途端、俺は自分の何気ない思いつきが全くの逆効果だったことをすぐさま悟った。
混雑するラウンジ内で、その一角はまったくの異彩を放っていた。
互いが互いの輝きを高め合うような有様だった。それほどに、その二人が向かい合っている光景は完璧だった。
御澤と、他学部の俺でも知っているくらい有名な、薬学部のマドンナ。そんな二人が、実に和やかな様子で席を囲んでいた。
ため息が出るほどに美しく、非の打ち所がない。けして触れてはいけない、聖域めいた隔絶感。
それを裏付けるが如く、混み合ったラウンジ内でも、彼らの近くの席に誰一人として座っていなかった。どんなに野暮な人間でも、あの二人の息づく空間を踏み荒らしてはいけないと本能的に思うだろう。まさに圧巻だ。
俺は息を飲み、何かを考える前に踵を返して立ち去った。内臓が焼け焦げるように熱く、居た堪れなかったのだ。
ついに、自分という存在が、御澤にとって余分なものに成り下がったのだと痛感した。
「消えてえ……」
その後の授業は自主休講。サークルの部室に駆け込み、フウフウと息を荒げながら涙を必死で堪えるなどという、いかにも無様な時間の使い方をした。
ややあって、そんな俺しかいない深海並みの湿度の部室に入って来た宮藤先輩(先週スロットでアホの金額スッて金欠)に弁当を押し付けた。自分で処理しきれないほど食欲が減退していたからだ。
「ねえ、俺サバ嫌いなんだけど」
「捨てればいいと思うッスよ」
「……なに、凹んでる? さてはお前も今朝の新台入れ替えで負けたクチ?」
「先輩と一緒にしないでくださいよ。てかまた懲りずに打ちに行ったんですか? どこから金出てくるんです?」
「腎臓売った」
「想像を絶するカスだ……人間界から出ていけ、野生に還れ。先月俺が貸した2万だけ置いていけ」
「果たして我らが地球の力を以てしても俺の宇宙よりも広大な射幸心を満たせるのかな? 2万は月末まで待てください」
「もう金返さなくていいから地球から出ていってくれ」
「いや当たり強。何があったん、話してみ? 停電時の冷凍庫よりも役に立たんアドバイスしかできんけど、ゴミ箱くらいにならなってやってもいいぜ」
「まず俺が現在進行形でルームシェアしてる中学からのダチに片想いしてるホモってところから話さなきゃいけないんですけど、聞きます?」
「やァっべ、一ヶ月放置した炊飯器の蓋開けた気分、今」
「でしょうね……」
「まあいいや。2万チャラにしてくれることに免じて聞くわ」
「……そいつに彼女できるっぽくて」
「うわ、ドンマイ」
「ルームシェア気まずいな~~って」
「俺まで吐きそうになって来た。気まずすぎそれは。てかそもそも片想い相手とルームシェアしたことからして判断トチってね?」
「マジそれ~~~~~~、でも恋心自覚してなかった時からの約束だったんスよ、アイツめっちゃ律儀な奴で……今の暮らしもめちゃくちゃ居心地いいから手放せなくてズルズルと続けてたら遂に、みたいな?」
「あ~~~~、相手律儀なやつならさあ、いっそ押し倒しちまえば? ワンチャンあるんじゃね?」
「ハハッ、ガチで犬の糞ほど役に立たねえアドバイス……それが出来てたら今の今でこんなこと悩んでないんスよ」
「正直なとこ言っていい?」
「うい」
「ダルいしキツい。さっさとルームシェア解消しろ」
「ウス」
「新居決まったら報告しろよ、傷心慰める酒くらいなら恵んでやっから」
「クソ~~~~ギャンカスでさえなけりゃ好きになってる」
「おう、金貸してくれるやつは老若男女問わず愛してんぜ」
「地球上で最もカスな博愛じゃねぇか」
そんなことで、俺は宮藤先輩にケツを蹴られて物件探しを始めた。御澤にはバレないよう、慎重に。
どこまでも未練がましい心が、せめてこの仮初の幸福を長引かせたいと思い上がるのだ。
俺が引越しを検討していると知った御澤は、残念がってくれるだろうか、それとも。
きっとあのマドンナは、俺よりもずっと美味しい肉じゃがを作るだろうし、俺みたいににんじんを生煮えにすることもないのだろう。
冷蔵庫の余り物の野菜を焼肉のタレで雑に炒めてご飯に乗っけて、ウインナーと目玉焼きを添えて体裁を整えるような姑息なこともしないだろうし、安い牛肉フィレを黒毛和牛の牛脂で焼いて高級感を演出することも多分しない。
まずいな、高嶺の花子さんじゃないけど、多分俺何一つとして勝ってない。さっさといい物件見つけないと。
御澤の隣にいたいのは今だってそう。でも、それ以上に、御澤の人生の邪魔にだけはなりたくない。
物件探しは現実逃避にはうってつけの時間潰しになった。同時、俺はあまり御澤との家に帰らないようになった。今までは盛んに断っていた飲みの誘いに乗るようにしたし、そうでない、予定がない休みの日なんかは臨時バイトを入れて申し訳程度の引っ越し費用を稼いだ。
あの家にいればいるほど、俺ではなく、あの超絶美女の彼女さんと仲睦まじく過ごす御澤のことを想像しては、居心地が悪くなるのだ。
分かっていたことだ。いつかはこうなるって。それでもなお、身に余る幸せにしがみついていた。そのツケが回って来たタイミングが今だったと言うだけの話。
「ナオキくん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いまいいかな?」
「お、おう。どした?」
「これについて説明が欲しくて」
そんな生活を始めて一カ月ほど経った時だった。今日は講義が終わったら早めに帰ってきてほしい、という御澤からのメッセージを受け取ったので、その通りに家に帰った。御澤からこのような要請を受けるのは本当に珍しいことなのだ。余程の用事があるのだろうと思い、深く考えることなく、3時ごろ帰宅した。
そして、リビングに足を踏み入れた瞬間、御澤は有無を言わせぬ口ぶりで、これ見よがしにテーブルを叩いた。
その手のひらの下には、物件の資料が広げられていた。二の句をつげないまま、おれはその場に立ち尽くした。
御澤はにっこりとよく出来た仮面のような笑みを浮かべていた。感情を押し殺している時の顔だとわかった。
「学生向け、一人暮らし用の物件だね」
「そう、だな」
「ナオキくんのもので間違い無いよね」
「ああ」
「そっかあ、とりあえず座ってよ。ゆっくり話聞きたいな」
言われるまま、テーブルにつく。この時はまだ、今夜がトビキリ長い夜になることなど知る由もなかった。
長い付き合いからくる直感からして、御澤が押し殺している感情の正体は怒りなのだろうと思う。しかし、その怒りと、物件資料が見つかったことの間に関連性を見出すことが出来ない。今の今まで相談もせずに物件探しを進めていたからだろうか。
「その、例えば、どんな話が聞きたい?」
「そうだね、一番は動機だよね」
取り調べか、これは。実際、それくらいの緊迫感に満ち溢れたテーブルだ。表面上、平常心を装ってはいたが、内心ではしっかりパニックである。確かに後ろめたさはある程度あるが、それにしても、こんなにも過敏に取り扱われるべき議題なのだろうか。甚だ疑問だった。
「動機って言うけどな……まだ引っ越しを決めたわけでもない、ちょっとした気分転換くらいの気持ちで物件情報を見漁ってる段階でさ、そんな差し迫ったものがあると思われるなんて想像もつかなかくて。マジで、その資料もそれくらいの軽い気持ちで取り寄せただけだから、そんな真剣に受け取らなくても大丈夫だよ。気にしないでくれ」
「引っ越しを決めてないだけで、結構本腰入れて探してるよね、これ。そもそも、真剣に検討してもいないのに物件資料を取り寄せるなんて、それこそありえない話だと思うけど」
御澤のつり上がった口角がピクリと痙攣する。そうとうな苛立ちがひしひしと伝わってきて、喉の奥が引き攣るようだった。長い付き合いになるが、温厚な御澤がこれほどまでに怒りを滾らせているところを目の当たりにしたのはこれが初めてだった。
「悪い、こういう大事なことはまず相談するべきだった。マジで、本気で今すぐ引っ越しとかしようなんて考えてやってたわけじゃなくってさ。いざという時のための備えって言うか……相談するにしても、ちゃんと自分である程度イメージとか固めた後が良いって思ってただけなんだ。コソコソしてるみたいに見えて気分悪かったよな、本当にごめん」
「……相談する予定自体はあったんだね。そっか。まず僕の認識を共有させてもらうけど、引っ越しを検討する前に、その決断に至る原因が発生した時点で相談してほしかったんだよね。これでも僕、ナオキくんがこの生活に対して間違っても不満なんか抱かないように努力は惜しまないつもりでいるよ。勿論、ナオキくんのやさしさに甘えていた部分だってあったかもしれないけど、それを少しでも負担に感じたときはためらわず共有してくれるくらいの信頼関係を期待してた」
待て待て待て、やさしさに甘えてた? それは俺のセリフだ。俺の方がずっと御澤のやさしさに甘えっきりだった。あろうことか、なおもこの御澤という男は、自分自身に対して問題を見出そうとしているらしい。御澤に問題なんかあるはずないのに。
全部、俺が悪いのだ。だからこそ、俺は御澤から離れないといけない。
「相談することなんてない。あるはずない。要らない心労をかけちまったんだな。俺がお前との共同生活に不満なんか抱くはずないじゃんか。実家の数十倍は居心地いいし、快適だし、最高だよ。お前はいつも完璧以上に気遣ってくれるしさ……でもな、だからこそだよ。だからこそ、俺には勿体ないなって、思う瞬間が何度もある」
「なに、それ。もったいない? 何が?」
微塵も納得していない顔で、御澤は苛立ちを誤魔化すような半笑いを滲ませながら首を傾げてみせる。半笑いとは言ったが、どこか泣きそうな顔にも見えた。
「何が、って言われたらちょっと困るけど、なんだろうな……恵まれすぎてるんだよ。こんな俺には相応しくない、過ぎたる暮らしだなって。だから、いつ取り上げられても仕方ないと思うし、その時が来ても潔く割り切れるように、準備だけはしておきたくなった。それだけ。俺から同居を解消しようって言いだすことは……うん、ごめん、ありえない。意気地なしだから、俺」
「アハ、ふふ、変なの。僕に追い出される可能性なんてものを考えてこんなことしたって言うんだ。どうして?」
「どうして、って……」
「どうしてそう思ったんだろうね。何か、後ろめたいことでもあるとか?」
息を飲んだ。図星である。後ろめたいことしかない。
そうだ、御澤のことだ。その卓越した頭脳を以てすれば、俺の内面なんていとも容易く見通せるだろう。
ああ、まさか、もう、とっくにバレてる? 俺が、お前のこと、昔からずっと好きだったって。俺がどんな魂胆で物件探しをしていたかを、既に承知の上で、敢えて問いただそうと?
スウ、と息を吸った。息を吐きがてら、いやあ、と、掠れた声で取り繕ってみる。分かってはいたが、全くの逆効果だ。
「後ろめたい、後ろめたいって、いうか……普通に、俺、邪魔なんじゃねえかなって」
自然、か細く、隙間風のように突拍子もない声が零れ落ちる。ああ、俺の馬鹿。こんなの、まるきり肯定してるも同然じゃないか。もしかして、同居だけじゃなくて、御澤との関係も終焉を迎えようとしていないか? 流石にそこまでは心の準備できてないぞ。
「うーん……ごめんね、ナオキくんが邪魔だなんて言葉を使う意図がイマイチつかめなくって。でも、何かしら後ろめたいことがあることはよく分かった。それに、邪魔って言葉。咄嗟に自分に転嫁したけど、本心じゃ、思い浮かべてるところは違うでしょ」
まさか、俺が、御澤の彼女のことを邪魔だと思ってるなんてことを言いたいのか? そんなこと、あってはならない。例えそう思う心があったとしても、俺が許さない。
「違う、待て。ちょっと、落ち着いてくれ。それだけは違う。本気で、そこだけは履き違えないから。頭では分かってても心は、って言いたいんだろうし、それも否定こそできないが、だからって、自分の手前勝手な願望と事実を混同するようなことだけはしないよ。そこまで救いようのない馬鹿に成り下がるなんて、考えただけでぞっとする」
御澤は大きく目を見開いて俺を見つめた。眉根を寄せ、ハク、と口を動かしたかと思えば、きつく目を閉じて、痛みに耐えるような顔をして、やがては頭を抱えるみたいに深く俯いた。
「御託はもういいよ。物分かりが悪くてごめんね。信じたくなくて。好きな人がいるんだよね。ひとつだけ教えて。男? 女?」
ああ、こんなウミガメのスープがあるか。最悪だ。全部分かってて、それを確かめただけだったんだ。ああ、こんなにも突然に、それも呆気なく、俺は、御澤の人生から排除されるのだ。
これが自分を偽り続けた報いか。思い上がってはいけなかったんだ。
そもそも、俺はずっと、御澤の足枷になっていたんだから。これ以上しがみ付いても、御澤の不利益にしかならない。潔く、裁きを受けて退場しよう。
「お、とこ」
ジーンと、耳鳴りが鳴るような、重苦しい沈黙が、リビング全体にのしかかる。
御澤は、静かに、ゆっくりと、大きく深呼吸した。俺には、それが、噴火直前の大火山のように思えてならなかった。
「せめて、女ならなあ」
ややあって、御澤はポツリと呟く。ああ、そうだよな。ノンケからすれば、同性からの恋愛感情なんて気持ち悪いよな。一番近くにいた人間から、そんなものを向けられていたなんて、今までの全ての思い出が汚されたみたいな気分になるだろう。当然だ。
「ずっと、黙ってて、ごめん」
「ううん、全部、こっちの落ち度」
感情を感じさせない、無機質な声とともに、御澤はガバリと顔を上げた。その面持ちにどこか鬼気迫るものを感じて、俺は全身を強張らせた。
御澤はうっとりと笑っていた。きっと、やけっぱちの笑顔だ。悪夢に出てくる天使のように、無惨なまでに美しいさまだった。
「ねえ、誰? 考古学研究Ⅱのフィールドワークで一緒のグループになってから定期的に飲みに行く立木さん? 確か今週の土曜にも約束あったよね。それともサークルの宮藤先輩? 2万返してもらえた? 先々週の火曜日一緒にまどマギのスロット打ちに言った時あの人大勝ちしたんだからその時で返してもらえばよかったのに。そういう甘いところにつけこむような人なら考え直した方がいいと思うけど」
「……はっ!?」
待て待て待て、いや、どういうことだ? マジで意味わからんが。なんの話だ? どうして急に立木やギャンカス先輩の名前が出てくる?
そもそも俺、この二人の知り合いの存在を御澤に共有したこと無いんだが。どうしてこれからの予定もいつどこで遊んだかも知られてるんだ?
「なんで知ってるかって? フフ、知ってるよ、全部。ナオキくんのことだもん。でも、ナオキくんの心の中までは、どうしても分からなかった。だから、いつの間にか、どこぞの輩に搔っ攫われるようなことになっちゃったみたいだね。同居してるからって悠長に構えてる場合じゃなかったよ。あーあ、しくじった」
「ん……!? え、はい!?!?」
「もう一つだけ教えて。僕の何が駄目だった? 何が足りなかったのかな。その人のどういうところに惹かれたの? 相手が女性ならまだ仕方ないかなって思うよ。でも、男なんでしょ? どうしたら、僕はナオキくんに見てもらえたの?」
文字通り、絶句。俺は開いた口が塞がらないまま、御澤を見つめる事しか出来なかった。
そんな、まさか。もしかして夢か? 今際の際に見る最後の餞別だったりする?
だって、これじゃあ、御澤も、俺のことが好きみたいじゃないか。
「今更、かな。もう、遅いのかな。やっぱり、僕のことをそういう風に意識するのは無理か」
はらりと、桜の花びらが瞬くように、御澤の目頭から涙が溢れた。みるみるそれはしとどに溢れ出し、物件資料に無数の水玉を作っていく。滂沱の涙という言葉はこのためにあるのだろう。
「みっ、や、あの、どっ、ぉえぇ???!?」
「好き。ずっと、ねえ、ナオキくん。ずっとだよ、君に出会った時から、ずっと、僕の人生を全部捧げるくらい、ナオキくんのことが好きなんだ。君が好きすぎて、頭がおかしいんだよ、僕。君が傍にいてくれるから、ようやく生きてるくらいなんだ」
俺にとって都合が良すぎる!! やっぱ夢だろこれ!!!!
完全キャパオーバーだった。本当に、御澤の言うことが本当で、これが夢ではないなら、俺たちはずっと両片思いをしていたということになる。
そして、御澤はあらぬ勘違いをして、俺が他の男に惚れていると思い込んで漫画みたいに泣いている。それはもうとめどなく、はらはらと泣きはらしている。
どうすればいい。まずは誤解であることを伝えなければならない。でも、すっかり支障をきたした脳では、まともな言葉ひとつ紡げず、あうあうと無為に顎が動くだけ。
「……そっか、ごめんね。初めから、チャンスなんて無かったんだ」
「あっ、やっ、ちょ」
失恋する少女漫画のヒロインみたいに耽美な笑い泣きで、御澤は勝手に早とちりしてそんなことを言いだした。待ってくれ、もう少し落ち着く暇をくれ。マジで違うから。
「ねえ、一生のお願い。これを聞いてくれたら、僕、ちゃんと身を引くから。最後に……思い出、だけ、欲しい。そうしたら、諦める」
「あっ、おっ、おもい、で」
「うん……ナオキくんと、エッチしたい。最悪だよね、分かってる。でも、こうでもしないと、この想いを断ち切れない。ナオキくんにとって最悪の人間になるでもしなければ、踏ん切りがつかないんだよ」
「……っ、待、なんで、それ、じゃ」
どういうことだ。まさか、セックスしたら今生の別れみたいに考えてるんじゃないだろうな。
どうしてそうも発想が極端なんだ。俺なんか、恋心は諦めても、お前との、友人としての末永い付き合いを諦めたことなんて一度も無いんだぞ。どうして俺が諦められないことをお前はそうもすんなりと諦められる!?
「フッ、なんで、って。僕じゃない誰かと、ナオキくんが付き合って、それでも親友であり続けるなんて、僕には耐えられないよ。自分が何をするかは、僕が一番分かってる」
御澤は徐に立ち上がり、ゆっくりと詰め寄って、俺の傍らに膝をついた。途端、腹の底から内臓を突き破って溢れ出しそうな、得も言われぬ衝動が込み上げて、俺は椅子ごと後ずさった。
「いっ、一回、落ち着こう。早まらないで。話し合おう、な? 俺らに今一番必要なのは認識のすり合わせだ。間違ってもセックスではない。お前は重大な勘違いを……っ、!?」
しどろもどろながらもなんとか頭をフル回転させて言い募っていれば、焦れたらしい御澤は唐突に立ち上がって、俺の座る椅子に乗り上げた。
あ、と、声に出すこともできないまま、御澤にキスされた。
考えてもみてくれ、六年以上片想いを拗らせ続けてきた相手に、キスされたんだぞ。他の何もかもがすべて押し流されるくらいの衝撃だ。
きっと数秒くらいのものだろう。しかし、この間で、俺の脳内は超新星から白亜紀くらいまでが凝縮されたような、限りなく永劫に近い時間を味わった。
「そんな顔するんだ。僕のこと、好きでもないのに。アハ、脳みそが溶けて鼻から漏れ出てきそうなくらい頭にくる」
「ち、ちが、っあ……」
御澤の手のひらが、俺の頬から顎をゆっくりと撫でる。脳みそが溶けそうなのはこっちだ。俺には刺激が強すぎる。これでどうやって冷静になれと。
「ねえ、ナオキくん……」
捨てられた仔犬みたいなんて陳腐な感想しか浮かんでこない、哀切な眼差しが、俺を目掛けて一身に降り注ぐ。俺の理性が決壊した瞬間だった。
無理です。これ拒否るの世界一無理です。ギネスが来い。誰でもいいから俺を助けろ。
今で、こんなにも気が触れているのに。いったい、セックスなんてしてしまったら、俺はどうなってしまうのだろうか。
御澤が好きという感情に中毒を起こして死ぬのではないか? 自分の毒に当たって死ぬフグみたいに。
「駄目、かあ」
止まっていた涙が、更に勢いを増して、またもや溢れ出す。名残惜しそうに、虚しげに、俺の頬に添えられた手が、力なく滑り落ちていく。
俺は、まるで引き金が引かれたみたいな瞬発力で、その手を掴み、強く握った。
「だめ、じゃ、ない」
「……え」
「駄目じゃない、シよう、俺で、よければ」
「……言ったね」
その言葉で、壮絶な後悔が押し寄せる。しかし、俺は御澤の手を握る力を更に強めて、腹に力を入れ、ぎこちなく、それでも確かに頷いてみせた。
「後でやっぱりナシ、なんて、通じないからね」
「……ああ」
ああ、どうしよう。こんなの、マジで予定にない。
俺はとんだ大馬鹿者だ。想像を絶するほどのアホンダラだ。
御澤とヤれる、という、夢にまで見た展開に、すっかり舞い上がって、まんまと流されるのだから。
きっと、どんな天才をもってしても、俺の馬鹿だけは絶対に治せない。
***
風呂場にて、俺は絶賛目を回していた。
「僕はナオキくんのこと抱けるけど、ナオキくんは無理だと思うし、申し訳ないけど、ボトムやってもらうね」
どこか冷え冷えとした声で、御澤はそんなことを言い放った。
いや、待て。余裕で抱けるが? 何度お前のチラ見え腹筋を思い出して抜いたと思ってんだ。抜くときに想像するのは俺が御澤を抱くところだし、イメトレだけは完璧なんだぞ。
とは言え、こんな事態は全く想定していなかった以上、俺は恐らく御澤より男性同士の行為に対する知識を有していない。故に、どうやら含蓄があるらしい御澤にリードしてもらうのが一番安全だろうと判断した。俺の不手際で御澤の大事なところを傷つけるようなことになれば俺は二度とお天道様の下を歩けなくなってしまう。
そんなわけで、「俺に御澤は抱けない」なんて言う不名誉に甘んじて、御澤の言う通り、されるがまま身を任せていたのだが。
所謂、アナル洗浄の面倒を見てもらうことになり、羞恥心やら、シリンジを介して直腸内にぬるま湯が流れ込む未知の感覚やら、半裸の御澤のときめきナイスバディやらのおかげで、すっかりのぼせ上ってしまったのだ。
何より、御澤の目の前で、直腸の中に流れ込んだぬるま湯をいきんで外に出すのを何度か繰り返させられ、一生分の恥を味わったような気分である。
これがまだ準備段階であるというのだから、途方に暮れるほかない。未知との遭遇にすっかりヘトヘトになってヘタレた俺を、御澤は甲斐甲斐しく世話してくれた。それがまた居たたまれなくて、いっそ消えてなくなってしまいたいと思った。
次に、俺は全裸のまま御澤の部屋に連れ込まれ、まさかこのために買ったのかと思うような広いベッドで、尻を突き上げるような四つん這いの体勢になるよう指示された。
この時点で既に俺はもう破れかぶれだった。何か開いてはいけない扉が奥の方からガンガンとものすごい勢いでこじ開けられそうな強迫感、もうどうにでもなれ、などというやけっぱち、自分から人間としての尊厳を手放すことを強要されているような冒涜感で、最早脳内は収拾がつかない状態だ。
そんな俺は、まるで身を投げ出すようにベッドダイブし、御澤の匂いが染みついた枕を抱きしめる。御澤はそつなくベッドの上に大きなバスタオルを敷いて、ポンポンとその表面を叩いた。
らしくもなく性急だと思った。焦っているようにも見えた。この期に及んで俺が逃げることを危惧されているような気がして実に釈然としなかった。
言う通りに、御澤の目の前に尻を突き上げると、御澤はまずゆっくりアナルの周りにローションを塗布した。俺はその形容しがたい感覚に身を竦ませ、枕に顔を埋めて思いっきり息を吸った。
「ヒッ、ぁ……入れ、た?」
「うん、第一関節くらいまで。痛い?」
「痛くは……違和感、ヤバくて」
「そっか、少しずつ慣れていこうね」
有無を言わせない語気の強さ。俺の意志を常に気にする普段とのギャップにやられ、ドクドクと鼓動が暴れる。ああ、知らない御澤だ。この期に及んでときめきが止まらない。
もしかして俺ってドMなのか? 優しい御澤の意地悪なところをもっと知りたい。この身を以てたんと味わいたい。
はやく、知りたい。御澤が、俺のことをどんな風に抱きたいと思っていたのか。
「なあ、俺のことは気にしないで……もっと、雑にシても、大丈夫だから」
「……は?」
「俺、そんなヤワじゃないし」
「何それ、さっさと終わらせたいってこと?」
「いや、違っ」
「……分かってるよ。ごめんね。これが最後だから」
マジで違う! お前は俺の気持ちを何も分かってない! まあそれもこれもお前に黙って勝手に身を引こうとした俺の独りよがりのせいだが!!
御澤は今、とても冷静とは言えない精神状態だ。俺の全ての言葉をネガティブに受け取ってしまう。こんな状態で、本当の俺の気持ちを言っても、きっとまともに伝わらない。
今は身を任せよう。言葉が駄目なら、行動で示すしかない。
お前になら、何をされても構わない。一生ものの傷をつけられても、寧ろ本望なのだ。
+++
とは言ったものの。流石にここまでとは思っていなかった。
御澤はとにかくねちっこく、嬲るように俺のことを責め立てた。その上、出すまでは長いわ、何度出してもバテる気配ひとつ見せないわ、こちらの体力と余裕ばかりが削り取られていくばかりだった。
「お゛…………♡♡♡ お゛…………♡♡♡ ん、ふ…………♡ ふぅ、ふぅ゛~~~~~~♡♡♡♡」
ひとりでに、腰がガクガクと痙攣する。感覚はすっかりイカレてしまい、最早、自分と御澤との境目すら分からない。ただ、熱くて、力が入らなくて、とめどなく気持ちいい。
互いに何度イっても終わらない。ゆったりじっくり嬲るみたいな腰の動きで、終わりが見えないあまり気が狂いそうになる。とろ火で煮込まれる豚の角煮にされたような気分だ。
体力と気力の限界で意識が落ちそうになっても、御澤は強く腰を打ち付け始め、この快楽の連鎖から決して解放してくれない。
いつまで続くんだろう、もう許してほしい、頭がおかしくなる。こんなことを無理矢理教え込まれたら、二度と御澤でなければ満足できなくなってしまう。
「たひゅけへ……♡♡♡ ひぬ…………♡♡♡ も、わか、た……しゅき、らかぁっ♡♡♡♡ とま、っぉ゛…………♡♡♡」
「だって、ぜんぜん、足りないよ、ナオちゃん……一生ぶん、余さず、ナオちゃんを感じたいんだ、飽きさせてくれないナオちゃんが悪いんだよ……!」
御澤はさっきからずっとベソベソ泣きながら腰を振っている。泣きたいのはこっちだ。被害者面したお前に、俺の男としての尊厳は絶賛ブッ壊され中だっての。
快感がすぎるあまり、自律神経がおかしくなって末端が妙に冷たく感じてガタガタ震えが込み上げる。あ、ヤバい、これ本格的に不具合起き始めた。いっそ愉快になってくる。
「ふふ♡♡♡ んふ♡♡♡ ヤバ♡♡♡♡ あぁ……♡♡♡♡ きもちよすぎて♡♡♡♡ おれのからだ、へんになっちゃった……♡♡♡♡ あは、はは、タカ♡♡♡ タカぁ♡♡♡」
「なぁに、ナオちゃん」
「はっ♡♡♡ はッ♡♡♡♡ ヒュ、ひっ♡♡♡♡ んはっ♡♡♡♡ やべ…………♡♡♡♡ なんか、すご、ぜったい、これ、だめなやつ、なのに……♡♡♡♡ は、ははッ♡♡♡♡ なんか、も、どーでも、よくてっ♡♡♡♡ あは♡♡♡♡ おかしく、なっちた♡♡♡♡ あ、ぁはッ♡♡♡ っオ゛♡♡♡ お゛ォ゛~~~~~~ッッ♡♡♡♡♡」
頭が真っ白になった。ガクガクと全身を硬直させ激しく痙攣したのち、クッタリと抗いようのない脱力感。辛うじて、下半身や、腰の下に敷かれたバスタオルがびしょびしょになっていることが分かる。
「わ、ちょっと! 僕思いっきり顔にナオちゃんの潮被っちゃったよ! さすがにちょっとそれはどうなの? ねえ、ごめんなさいは?」
「???♡♡♡♡ ぁ…………?♡♡♡ あ、ごぇ、らしゃ♡♡♡♡ ごめ、れ♡♡♡♡ も、ぜんせ、わかんな……♡♡♡♡ おぇ、が?♡♡♡♡ ごぇ、ごめ、なひゃ♡♡♡」
「んーん♡ いーよ♡ ナオくん潮吹きできてえらいね♡ がんばってごめんなさいしてかわいいね♡」
それまでの自分を作り上げてきたプライドや自信を、まるで小さい子供がぬいぐるみの腕をちぎるみたいに無邪気に、残酷に、踏み躙られていく。
自分の中に眠っていた、目も当てられないようなナニカが、むざむざと開花していくのがわかった。
そして、確信した。このまま、俺の人生も、御澤にめしゃめしゃに壊されて、コイツ無しでは生きていけない、人でなしにされるのだと。
精神的に、人間ダルマにされているような気分だった。
もっとおかしかったのは、自分がそれにたいして、不思議なくらい危機感を覚えていないことだ。
頭をおかしくされるまでもなく、俺ももともと、十分に頭がおかしかったのだろう。
ああ、だったらもう、今更だな。
孝文に壊されたい。壊れるまで愛されたい。取り返しがつかないくらい。
「ナオちゃん、やっぱり僕、他の誰かにナオちゃんのこと取られるの無理だよ。そうなるくらいならこのまま死ぬまでずっとナオちゃんとエッチしてたいよ……」
「ふ、ふふ♡♡♡ いーよ♡♡♡ おれ、タカのことらいしゅき、らかぁ♡♡♡♡ なに、されてもっ♡♡♡♡ ぅお゛……ッ♡♡♡♡ は、はぁっ♡♡♡ んお゛ッッッ♡♡♡♡ らにしゃぇてもぉ♡♡♡♡ うれしぃ♡♡♡♡ はは♡♡♡♡ ぎもぢぃ゛♡♡♡♡ イ゛ッッッ♡♡♡♡♡」
「す、き? ぼく、が……?」
「うん♡♡♡♡ しゅき♡♡♡♡♡ ずっと、ずっと、ォオ゛♡♡♡♡♡ タカのこと、だけっ♡♡♡♡ だかぁ、いーの♡♡♡♡ しあわせ、らのぉ゛っ♡♡♡♡♡ んふ♡♡♡♡ たか♡♡♡♡ きもちい……♡♡♡♡ いっぱい、奥、ほしい♡♡♡♡ タカのちんぽちょーらい♡♡♡ ッ、かひっ♡♡♡ ギッ、ヒッ、ーーーーーーーーーーッ♡♡♡♡♡」
「ふっ、ふふ……あは、ははははっ! そっかぁ、好きなんだ、ナオちゃんは、僕のこと、好きだったんだ♡♡♡ 気づかなくってごめんね♡♡♡ ナオちゃん、大好きだよ♡♡♡」
「ォオ゛♡♡♡♡ やばぁ♡♡♡♡ ず、と♡♡♡♡ イ、てぇ゛ッ♡♡♡♡♡ きぼぢぃ゛♡♡♡♡♡ きもぢい゛よぉ゛♡♡♡♡♡ ぉご、お゛~~~~~~~ッッッ♡♡♡♡♡♡」
温厚で、優しくて、いつもこっちを気遣ってくれる御澤が、今は俺の余裕なんかお構いなしで、一心不乱に揺さぶってくる。ああ、なんて激しくて、一生懸命で、狂おしいのだろう。
もっと欲しい。ずっとずっと、もっと、こんなふうに暴力的に愛されていたい。俺の全てを委ねて、御澤の心の赴くまま、壊れても愛して欲しい。
ああ、まだまだ御澤を感じていたいのに。御澤がずっと秘めていた凶暴性を、ようやく暴いて、味わっていたところなのに。意識が遠のいていく。
でもまあ、いいか。これから、骨の髄まで味わい尽くせばいいのだから。
息を荒げて、腰を押し付けるように動かす御澤の首に腕を巻き付けて、柔らかい髪に頬擦りした。
「うれし、な……♡♡ おまえに、おれの、ぜんぶ……♡♡ あげられる……しあわせ、だぁ……♡♡♡」
びくり、と御澤の体が震えた。その感覚を最後に、意識はパッタリとブラックアウトしたのだった。
***
凍えるような灰色の日々を、狭い離れの一室で耐え忍んでいた僕のもとに、前触れなく吹き込んで、僕の凍った心を溶かしてくれた春風。
それが、僕にとってのナオキくんの存在だ。
小学校5年の終わりごろから発症した難病のせいで、父や兄二人が進学した名門私立に受験・進学することが不可能になった。誰も僕のことを責めなかったけれど、敷かれたレールから外れてしまった者への腫れ物扱いはどうしても否めなかった。
その空気感がどうしても受け入れがたくて、僕はずっと家の離れに閉じこもっていた。何も感じなくて済むように心を凍てつかせたのだ。
この家で、僕だけが出来損ないだと、そんな劣等感に押しつぶされないように。
だから、そんな僕にとって、ナオキくんの「もっと気楽でいい」という言葉は、思いがけず差し伸べられた救いそのものだった。
自分ですら認めることが出来なかった僕を、ナオキくんだけが、真正面から認めてくれたのだ。ただのクラスメイトと言うだけで、殆ど初対面みたいなものだった僕を、裏表のない言葉で励ましてくれた。
凍てついた心が溶かされるのと同時、どうしようもなく、鷲掴みにされた。
一目惚れとは少し違うけれど、僕は、出会った時から、ナオキくんの虜になったのだ。
そして、その日から、ナオキくんが僕の人生の中心になった。運よく、TRPGの話題で打ち解ける事ができたから、そこを足掛かりにナオキくんの興味を引き続け、そのためには努力を惜しまなかった。
難病を克服しようという熱意を持てたのも、ナオキくんのおかげだった。
学校生活を送るナオキくんのことも、余さず知りたくてたまらなくなったのだ。願わくば、自分がナオキくんの全てを独占したい。自分が知らないナオキくんを誰かが知っているという状況に耐えられない。
何より、家の離れに籠りきりの僕に、ナオキくんはほぼ毎日欠かさず会いに来てくれたから。
今度は、僕の方から、ナオキくんを追いかけたい、受け入れられたいと、そう思ったのだ。
そうして、半年にも及ぶ入院生活を乗り越え、晴れて高校からナオキくんと一緒に学校生活を送れるようになった。
そこでようやく知ったが、ナオキくんはクラスでもいつの間にか中心に据えられているような人気者だった。自分から積極的に発言するような性格ではないものの、その場にいるだけで空気を和ませる独特の雰囲気と、決める時はビシッと決める要領の良さで、妙に存在感があって印象に残る立ち位置にいるのだ。
僕はガムシャラにナオキくんを追いかけた。ナオキくんの側に立つに相応しい人間であろうと努力した。
ナオキくんは、僕が家の離れに閉じこもっている時から、僕のことをすごい奴だと言ってくれていたから、それを嘘にしないためにも、自分の能力を証明し続けた。
しかし、そうすればするほど、ナオキくんではなく、外野の声ばかりが大きくなっていった。
ナオキくんだけは、僕がどんなに変わっても、変わらなかった。僕が欲しいのはナオキくんの声だけだったのに。ナオキくんの声はみるみる小さくなっていくような気がしてたまらなく恐ろしかった。
ナオキくんの声を失えば、僕の人生はまた、灰色の冬に逆戻りしてしまう。
興味があるのはナオキくんの側だけ。それ以外のことはどうでもいい。
大学から念願のシェアハウスを始めて、生活のほぼすべてをナオキくんと共有し、ようやく僕の焦燥感は慰められた。一生これが続くように、株式投資や不動産投資でそれなりの不労所得を手に入れた。加えてAIアプリケーションの開発で起業、SNSマーケティングでそれなりの成果を上げたところで大手から声がかかり、経営権を売却、一生遊んで暮らしても差し支えない資産を手に入れることもできた。
全てが順調だと思っていた。だから、最近あまり家にいる時間が少ないナオキくんの動向が気になって色々調べているうち、彼がひとり暮らし用の物件を探していることが分かったときには、今まで築き上げてきたものがすべて崩れ落ちるような心地がした。
徹底的に原因を洗い出して、排除しなければと思った。人を雇ってナオキくんの動向を常に探ってもらいつつ、ナオキくんのスマホをハックしてメッセージのやり取りを確認した。
ナオキくんは大事な話をメッセージで済ますような性格ではないから、これしきの事で原因を洗い出すことは出来なかったけれど、格段に遊びの約束をしたり、飲みに行く頻度が増えていた。
大抵、相手は同じサークルの宮藤か、同学部の立木。メッセージの内容から察するに、何かしら相談を繰り返しているらしかった。それも、おそらくは恋愛の。
嫌な予感が膨らんでいく矢先、僕はビジネスパートナーの口から、それを決定的にするような話を聞かされた。
「そう言えば、貴方って法学部の友達とシェアハウスしてるのよね」
「それがどうかした?」
「それって田島直樹さん?」
「同姓同名の人がいなければそう」
「じゃあ十中八九そうね。私の友達が彼のこと気になってるらしくて、彼女無しだっていうから猛アピールしたけど気持ちいいくらい脈無しだったとか言って落ち込んでて。思い切って好きな人いるか聞いたら、いるって言われたって号泣よ。その子私と張り合えるくらい美人で気立てもいいから、いったいどんな人が好きなら完全スルーできるのか気になったの。何か知ってる?」
「……ごめん、知らない」
そう、返答するので精いっぱいだった。
ああ、ナオキくんに、好きな人。自分以外に、自分以上に、大事な人が、本当に出来たなんて。
僕はずっとナオキくんに夢中だった。だから、ナオキくんにもそうでいてもらっていたつもりだった。僕以外に目がいかないようにあらゆる努力を尽くした。少なくとも高校の時からナオキくんの目は僕に釘付けだったし、その自負もあったのだ。
許せなかった。僕ですら知らないナオキくんが、誰かの手に渡ってしまうなんて、想像しただけで頭が沸騰しそうなくらい耐え難いことだった。
ああ、誰かに奪われてしまうなら。いっそ、ナオキくんを。
ナオキくんに、僕を刻み付けて、全てをめちゃくちゃにしてしまおう。
ごめんね、ナオキくん。でも、君が僕をおかしくしたんだ。
だから、責任とってね。
+++
目が開けられなかった。夢であったらどうしようと思ったのだ。
次第、意識が明瞭になっていく。あとは瞼をこじ開けて現実を直視するだけ。息を吸い込めば、御澤の匂いが鼻腔いっぱいに浸潤し、強烈な多幸感と共にブハ、と息を吐く。
たしかに、溶け合うくらいの間近に、御澤がいることを、何度も何度も確かめた。
そうして、ようやく目を開けた。
「おはよう、ナオキくん」
消化不良を起こしたみたいな、釈然としない、それでも穏やかな表情で、御澤は俺の額に啄むようなキスを落とした。項のあたりがジンジン痺れるような心地がした。
「……ん、お、はよ」
カラオケオールした次の日よりも掠れた声。喉の皮膚という皮膚がべったりくっついて離れないような感覚だ。面白いくらい声が出なくて、ふへ、とつい吹き出した。
「ごめんな、早とちりして」
「早とちり?」
「お前に彼女が出来るんだって思って、俺、邪魔になるから、出て行かないとって、焦ってたんだ。お前のことが好きなのバレたら気まずいだろ」
「彼女……?」
全く心当たりがないという顔である。あれほどお似合いみたいな雰囲気醸し出しておいて。
そうじゃなかったらいったいどういう関係なんだよ。
「あのさ、もしかして、仲小路花速のこと?」
「あ、そうそう、あのミスコン優勝の」
「うわあ、そんな誤解されてたの……僕、AIアプリの開発に関わったことがあって、彼女もチームの一員だったんだ。所謂ビジネスパートナーってやつ。しかも孝之兄さんの許嫁」
「うぇっ、マジで!?」
「そうなんだよねぇ……まあ彼女普通に許嫁とか反故にするつもり満々みたいだけど。同い年以上は女性じゃないと恋愛対象にならないんだって」
「あ、そお……でもさ、そんなの超越したところにあると思うわけよ、お前の魅力って。老若男女問わず通用するだろ。お前とあの……仲小路さん? が並んでるとこ見たとき、俺はもう指くわえて見てるしか出来ねえんだぁって、諦めちまったの」
「それくらいのことで諦められるなんて、ナオキくんは優しいね。僕なんか、誰かに取られるくらいならナオキくんのこと滅茶苦茶にしちゃおうって思ったんだよ」
御澤はあからさまに拗ねたような顔を俺の目から隠すように俺の体を抱き寄せて、ぎゅう、と抱きしめた。そして、労わるような手つきで、俺の背中を優しく撫でた。
「嬉しいよ。俺でいいなら、お前の好きにして。お前に酷いことされるの、すごい気持ちよかった」
「……もう、しない。一生かけて大事にする」
「じゃあ、タカ。俺にもっと酷いことして」
「~~~~~~~ッ、ナオちゃんの馬鹿!!」
ああ、御澤の鼓動が聞こえる。バクバクうるさくて、たまらなく可愛い。
たまには、馬鹿でいいこともあるもんだなって思った。
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感想いただきありがとうございます! そのように言っていただけて本当に嬉しいです! ご好評いただけたようで、また長編としてリライトする案も検討しておりますので、もし実現した際はまた読みにいらしてくださいませ!
最高に面白い素敵な作品でした!
2人がくっつくまでのモヤモヤが本当に…いい!!!!!
ありがとうございました!
感想いただきありがとうございます! そのようにお褒めいただいて作者としても執筆冥利に尽きるなと思うところです……!
はじめまして(^^)
ナオもタカも健気で可愛い二人にほっこりしました✨
お互いに想いあって素敵な作品読ませていただいてありがとうございます😊
ナオ君、普通は頑張っても地頭が良くないと次席のキープなんて維持出来ないと早く気付いて欲しかった(笑)貴方も優秀ですよ~(^3^♪
続きも読みたいなと思いましたギャンプル先輩ヤバイな〜とかのキャラとの絡みとかも読んでみたいです( ;∀;)
タカが嫉妬しまくる事に…(≧▽≦)
妄想失礼しました
感想いただきありがとうございます! メインの二人だけでなくやや癖の強いサブキャラまで言及して頂けるなんて……! ギャンブル先輩が物件探しに発破かけたとタカが知ったらまた一悶着あるのは間違いないです笑
重ね重ね嬉しい感想をありがとうございます!