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第十一話

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「貴方がこの診療所の主で間違いないか」

 地を這うような低音。フードで顔を隠したその男の声に、聞き覚えなどまるでない。少なくとも、ベスティア自治区に来てから知り合った人間でないことは確かだ。

「その通りだが……すまない、外来の受付はもう終わってしまったんだ。急患なら対応するが」

「診療所に用事があって来たわけじゃない。用があるのは貴方のほうだ」

 どういうことだろう。私に用事といって、傷病の治療以外に何がある? 

 わざわざ時間外に、私しかいない時間帯を狙って、何が目的なんだ? 

 ただならぬ気配を感じ、生唾を飲み込みながら身構える。

「ここ数日ほど、貴方の動向を見せてもらっていた。困窮する自治区の住人達への惜しみない支援、医療と教育の提供……貴方には何のリターンも無い、滅私の慈善を」

 何だ、何を見過ごしている? 私はさっき、何を見逃した? 

 私が察知出来て、ルーラムに察知出来なかった気配、その可能性……しかし、ベスティア自治区にはいないんじゃないのか。

 魔力を操る事の出来る存在なんて、私以外に。

「貴方の世話になったここの住人は、みな貴方に感謝している。この大きすぎる恩義は一生かけても返しきれないだろう、と。貴方のことを「せんせい」と呼び、慕っている」

 地震だろうか、と天井を仰ぐ。

 しかし、吊り下がったランプは少しも動いていない。

 では、地面がグラグラと揺らいでいるのは、私の、動揺からくる錯覚。

 きっと、この青年は、私のことを称賛しに来たわけではない。むしろ、これは。

「私のした事なんて、大したことではない。本当に、何も足りない。これでは何もかも足りない」

「……そうかもしれないな。皆、貴方に惜しみない感謝をささげている。貴方にいつまでもこの場所にいてもらうためにはどうすればいいか、貴方のために、何が出来るだろうか、と、我が身の生活すらままならないのに、貴方の住みよい環境を整えよう、なんて考えて」

 ああ、やめてくれ。どうか、これ以上、そんなことを突きつけられて、耐えられるはずがない。

「貴方の素性なんて知らず、無邪気に、貴方を、素晴らしい人だと」

 ちがう、違うんだ。ごめんなさい、私は、わたしは……貴方たちに、そんなことを思ってもらえるような人間ではない。

 私は、私のこれからの生涯をかけても償いきれない罪を、この身に圧し掛かっては、今にも喉元を縊り切ってしまいそうな罪悪感を、少しでも軽くするために、貴方たちを利用している、どうしようもなく悍ましい人間なんだ。

「俺は、知っている」

 上手く息の吸えない喉が、ヒク、と引き攣る。酸欠に陥ったせいか、じわじわと徐々に大きくなる耳鳴り。悪夢のように揺らぐ視界では、青年がゆっくりとこちらに歩みを進めている。

 今にも崩れ落ちそうな膝を引きずり、後退って。

 でも、心の奥底では、私の理性と良心が、逃げるな、と。自分の罪と向き合え、そう言って、何ぞ魔術を使い、ここから逃げるなり、青年を退けるなり、手を打つことを許さない。

「貴方の秘密を、知っている」

 ついぞ、壁にぶつかって、それ以上後退出来なくなった私に、青年は重く言い放った。

 部屋の出入り口に目をやろうとすると、青年は退路を塞ぐように、ダンッと壁に手をつく。目測10㎝の身長差からの視線は、刃のように鋭い。

「多くのリュプス族をむごたらしく死に至らしめたあの兵器に、どんな魔術が使われたのか、その魔術は、誰が編み出したのか。魔術に疎い彼らが知る由もない。ただ、あの光が、ふたたび自身の頭上に迸ることを、何よりも恐れていることは確かだ。特に、あの地獄から、何とか逃げ延びて今ここで暮らしている住人は、あの光によって、みぞれのように崩れ落ちた身内の遺体を目の当たりにした者も多い」

 青年の平坦な言葉に、フラッシュバックするあの写真。

 脳裏に埋め尽くされる、凄惨の記録たち。

 あの惨劇を齎し、真っ赤に染まったこの手のひらが、救済のような顔で、地獄を歩いた彼らの目の前にぶら下がったのだ。

 「さあ、この手を取れ、生きたいのだろう」と。

 それでも、逃げることだけは、できなかった。自分の罪と向き合わずして、逃げるわけにはいかなかったんだ。それが、どんなに罪深いことだとしても。

 これ以上の罪を重ねることになると分かって、目を瞑り、あの研究所に居続けることなんて、私には出来なかった。

 ああ、それもここまでか。私の秘密を知り、ここまでやってきたということは、おそらく目的は懸賞金なのだろう。

 私が王都から失踪して数か月、懸賞金は取り下げられるどころか、徐々に金額が吊り上げられ、最大500万ビリルにまで膨らんでいる。

 その金が、この場所に住むリュプス族の人々に役立てられるのなら……。

「皆に秘密を知られたくなければ、俺に、魔術を教えてくれ。シリウスの魔術師、ニト・テトラ」

 しかし、ゆっくりとフードをめくり、私の眼前に自身の素顔を晒して、青年が言い放ったのは、全くの予想外の言葉だった。

 こちらを真っ直ぐ射抜く、彼の晴れの日のような蒼穹の中に鋭く煌めく縦の瞳孔は、リュプス族のそれで。

「——————え?」

 掠れた喉から飛び出した素っ頓狂な声が、重い空気の中、場違いに響いた。
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